十一話 激闘! スライム戦!
「おかしいおかしいおかしいおかしい……! 絶対におかしい……っ!!」
じたばたと手足をフルに使い、全速力で洞窟内を駆ける。
こないだから筋肉痛が激しいはずなのに痛みはなく、不思議なほどよく動いた。
もしかするとこれが火事場の馬鹿力というやつかもしれない。
荒げた声と打ち付ける靴の音が、洞窟の壁で反響している。
そして不意に混じる……斜め後方より、風切り音。
「や、ば……!」
『ピ……ッ』
ガァァアアン!
僕の体から少し離れたところに、青色の超高速物体が通り過ぎた。
そのまま壁に激突。やや斜めに衝突したためか、抉るような形で跡が残っていた。
あの岩石の如き壁をこうも簡単に。どんな速度してんだよ。
ぬるりと着地するポヨポヨ。
また、ぷるぷる震えた。
「ひ、ひぃっ」
こいつ、もう次弾装填してやがる……!?
あんな馬鹿げた破壊力しといて連射もできるとか、チートだろチート!
百均で売ってそうな見た目しといて、ふざけてんじゃねぇぞっ。
この雑魚がぁっ!
『ピッ……』
「うおおおおおおおあああああああ!? ごめんなさあああああい!」
さっきより近ぁい!?
どんどん精度増してきてるぅ!?
ドガーン、バゴーン。
およそアニメでしか聞いたことのないSEが迷宮内に響き渡る。
スライムが出していい音じゃないだろこれ。バリバリの戦闘アニメのやつだよ。
制作人、間違ってるって!
もっとこうなんかさぁっ。子供が履く、音のなる玩具みたいな靴の気の抜けた音とかさぁっ。
そういうの起用しなって! まじ売れるから!
『ピ、ィ……ッ!』
ゴゥン!
まるでジェット機のような凄まじい轟音が顔の横を過ぎる。
あと少しずれたら僕の頭は爆散していたことだろう。
唐突な命の危機に、僕はキレた。
「あっぶ、はぁ!? あっぶな! おい掠ったぞ今これお前これぇ!」
知らなかった。人間って本当にやばいとき、もうキレるしかないんだ。
そりゃそうだよな。
どうにもならないんだから、キレるしかないよな。
半泣きになって叫ぶ。
「はぁっ、はぁっ、おかしっ、おかしいだろこれぇ! はっ、スライム、くっそ強いんだけどぉ!?」
『ピピィ……!』
「あ、やば」
死の予感。
極限状態によって研ぎ澄まされた本能が警鐘を鳴らす。
慌てて体を捩る。
だが少し……遅かった。
「ぐ、ぁっ!?」
右肩辺りに着弾。
冗談抜きに、車に撥ねられたと思った。
急激な衝撃によって体は回転。走っていたことも相まって、壮大に転んでしまう。
体に食い込む岩の凹凸。そのままゴロゴロと転がる。
「っ、ぁ……! ぃ、ってぇ……!」
……体中が痛い。
しかし転んだ時に頭を強打しなかったことは、幸運だった。ともすれば気を失っていたかもしれない。
その場合、僕がどんな末路を辿るのかは容易に想像できることだった。
何にせよ早く立ち上がらねば。
次、いつ追撃が来るかもわからない。
判断は一瞬、急いで腕を地面に突き立て、体を起こそうとし。
「……ぁ?」
蚊が鳴いたときに似た、間抜けな声が漏れる。
左手の指が、変な方向を向いていた。恐らくは親指と人差し指を除いた三本。
あぁ……道理で痛いわけだ。ちくしょうめ。
「ん、ぎぎ……!」
されど右手を使うこともできない。さっきの直撃で……たぶん、肩外れてる。
そうでなかったとしても、右腕に力が入らなかった。
だから、あぁくそったれ。
やっぱ左手使うしかねぇじゃねぇか。
「う、ぉお……やば、死ぬ……っ」
左肘を突き立て、何とか態勢を整えようとする。折れた指が揺れて激痛が走った。
止めどなく溢れる涙。
それでも腕を動かすのは、死にたくなかったから。
母さんとの約束。
朽葉さんとの問答。
薄れかけていた……父さんの背中。
走馬灯じみた記憶の奔流が脳裏に過ぎり、活力を湧かせた。
喉から血が出るほどに叫ぶ。
「だ、らぁあああっ!」
朦朧とした視界の中。
依然立ち上がることはできないものの。なんとか上体を僅かに浮かせることに成功した。
「はぁっ、はぁっ……!」
……だが、そこまでだ。
せめてあと少し時間があればと、思わずにはいられない。
『ピ……ッ、ピギ……ッ』
上体を持ち上げた姿勢のまま絶望へと顔を向ける。
青くて小さなぷるぷるした奴は、僕にとどめを刺さんと震えていた。
さっきよりも振動が大きい。
確実に殺す、ってことか。
「……きっついなぁ、ほんと」
最後の弱音を吐いて、奥歯が噛み砕けるほど噛み締め、残った力を振り絞る。
勝算はないわけじゃない。
こちらもここが正念場だ。
生きるために全てを出し切れ。
僕はまだ、死ねないんだ……!
痛みはあるが比較的軽傷な左肘と両足で体を動かす。
立ち上がることはできなくても、どうにか這って進むことは可能だった。
「はっ、はっ、ぐ、あと、ちょっと……! もう、ちょっと……!」
『ピ……ピ……ピ……!』
芋虫の如く地を舐めながら這いずる。
冒険者とは思えない無様な姿だった。僕らしいと言えば、そうかもしれない。
肘が滑って、顔をぶつけた。
鼻に熱が籠る、滴る。赤い斑点が地面を濡らした。
「ぶっ……ぅ、ぐぅ……ぁ、と少し……」
後方からの圧力が増していく。爆発寸前の風船みたいだ、と場違いな感想が脳裏によぎった。
もはや猶予はない。
躊躇すれば死ぬ。失敗しても死ぬ。
なら、やるしかない。
「ふん、ぎ、ぃ……! あぁっ!」
色々と吹っ切れたからか、それとも危機的状況によるまやかしか、腕に活力が戻ってくる。
どうせ失敗したら死ぬんだ。
痛みなんて気にしてる場合じゃない。
ボロボロの左手で地面を押さえ、気合で上体を起こす。馬鹿なんじゃないかってくらい痛かった。
溢れる涙はそのままに。
膝を付いて体を反転させ、ちょうどスライムと向き合うような体勢になる。
これでいい。
あぁ、青い死神がよく見える。
君もそうだろう。
君もまた僕の顔が、よく見えてることだろうよ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
振動する球体はやがて静止に近付く。
準備は、できたらしい。
タイミングを逃すな。
集中しろ。
集中。
集中。
集、中……。
「――」
……ぁ、来る?
『ピギッ!!』
超高速で消えるスライム。その動きを肉眼で捉えることは不可能。見てから防御なんてできやしない。
だから、反応ではなく予想した。
最初の一撃も、さっきの直撃も。外したやつも全部全部……。
君さぁ、顔ばっか狙ってたよなぁ?
「ぇぶっ!?」
予め顔の前でクロスさせていた両腕に、とてつもない衝撃が走る。
死ぬ間際の集中力が世界を遅延する。
まず右腕を抱えていた左腕の感覚が消えた。
ベキョ、グキャ、ガキュ。
そのどれとも似つかわしくない嫌な音が、密着させている頭蓋骨に響いた。
両腕がどうなってしまったのは考えたくもない。
次いで鼻が折れる感覚。
いや、正確には顔とか腕とか痛すぎてよく分からないけど、たぶん折れてた。
前歯とかも、全滅したかもしれない。
「あぐっ、えげっ、ぐぎぃっ……!」
腕ごと顔を吹っ飛ばされた僕は、縦に何度も回転しながら、水切りの如く地面を跳ねていった。
何かが割れる音。
首の筋肉がミチミチと悲鳴をあげる。打ち付けた体も同様だった。
恐ろしく痛い。
痛い、けど……。
「がっ! ……かひゅっ、ごひゅっ……ふぅ、ふぅっ」
転がっていた体が停止する。
ようやく視界のジェットコースターから解放された僕は、久しぶりに呼吸をした。
口から漏れ出る、ひゅーひゅーという音。
やっぱり前のどっかの歯が折れてたらしい。
「ぁ……ぐ……」
頭の後ろが酷く痛む。
あとどうやら……扉に入る前に、色々とぶつけたようだ。
僕の計算だと綺麗に入るはずだったんだけどなぁ。
……ま、何はともあれ。
「生き……てる……」
横倒れになった視界。
扉の先で蠢くスライムの姿を見た。目を見開いてギョッとする。
頼む、来るな来るな来るな来るな。
『……ピ』
二回、三回。
その場で跳ねたスライムは、どこか名残惜し気に迷宮の奥へ帰っていった。
青色をした悪魔が完全に闇へ消えた時。
僕はやっと、掠れた安堵の息をつく。
「はぁ、ぁぁ……」
『魔物は扉を通れない』。
言わばこれもまた、迷宮での常識みたいなもので。潜る前にも知っていたことだ。
しかし実際に目で見たわけでもなし。
正味、半信半疑であったわけだが……真実だったようだ。
「はっ、はは、ごほっ……はは」
不意に込み上げた感情に、乾いた笑みが零れる。
もちろん、あの恐ろしい化物から逃げれた喜びはある。
だが、今はそれよりも。
「あんなん……無理だろ……くそ」
一階層からあんな魔物出てくんのかよ。
小学生でも勝てるんじゃないのか。
動画で見たスライムと全然違うし強すぎるし。
まじで、どうなってんだよ……。
その悪態ともつかない疑問を虚空に投げて、僕は意識を手放した。




