夏期休暇③
でも、稼いだとて支払いと貯金に回してるから自分に使えるお金なんてないんだけど。
「はぁぁ、お父さんの借金さえなければ……」
そう、借金はないはずと思っていたのに、まさかの借金を抱えていたお父さん。ぶっちゃけ意外でも何でもないから、たいして驚きもしなかったけどね。お母さんがあんだけ働いてもお金が回らない理由がようやく浮き彫りになったな……としか思えなかった。
まあ、ギャンブルとかイケナイことで作った借金ではなくて、夢を追い続けた結果……出来てしまった借金と言いますか。あたしがこのままサーバントとして働けば全然返せる額ではあるし、これでお父さんはあたしに頭が上がらなくなるから、あまり強く責め立てるつもりはない。
あんな人でもあたしの父親だからね。
「七瀬~」
「ハイハイ」
浴室に入ってスタスタと歩きながらシャワーに手を掛けて、お湯を出そうと時だった。
「きゃっ!?」
「おまっ! あっぶねえな……」
床に付いてた石鹸で足が滑って、ものの見事に後ろへスッ転んだあたし。それをキャッチしてくれたのはバスチェアに座っている九条だった。シャワーからお湯が出て、びしょ濡れになりながら九条に後ろ抱きされている絵面の完成。
・・・お互い濡れてて九条は服を着ていないから、九条の温かい体温を直で感じる。裸の九条に後ろから抱かれてると思うと、一気に心拍数が上がってアツくなった。
「とろくせぇな」
「ごっ、ごめん!!」
「っ!? 急にドタバタ動くなって!」
「ひゃっ!?」
── いや、なぜこうなった……?
あたしが九条の上に跨がって、押し倒してるみたいになってるんですけど……? バスマットの上で。なにこれ、地獄絵図?
「随分と大胆~」
「こっ、これはっ、違くて!」
「なに、お前……意識してんの?」
「いっ、いや、だからっ、違う!」
「ふ~ん? そんな顔されながら言われてもね~」
多分、茹でダコ並みに顔が真っ赤だと思う。
「あ、暑いのよ! 浴室内が!!」
「へぇ、恥ずかしいわけ?」
意地の悪い聞き方。それでも……九条の表情はとても柔くて、あたしの頬にそっと触れた手は嫌になるほど優しかった。
「は、恥ずかしいに決まってるでしょ。いちいち聞かないでよ……九条のバカ」
あたしがそう言うと、九条の瞳が一瞬だけ揺らいだ。すると、あたしを抱えたままムクッと起き上がってそのまま立ち上がる九条。どんだけ馬鹿力なの、こいつ。
向かい合って、無言で見つめ合うあたし達。
「あ、あの、なんでしょうか」
「……無自覚ほど恐ろしいもんはないね」
「は?」
「いや、こっちの話~」
次の瞬間、ヒラッと何かが落ちるのが視界に入った。あたしと九条は同時に視線を下げる。
「あ」
「……ギャアァァァァーー!!!!」
ベチィィンッ!!
あたしはなんっの躊躇いもなく、フルスイングビンタを九条に食らわせた。びしょ濡れ状態で浴室から飛び出し、脱衣所から出ようとした時、バンッ!! と物凄い勢いで脱衣所のドアが開いた。
「今の叫び声は何ですか!?」
「きっ、霧島さんっ!!」
「なぜそのように濡れているのですか?」
「く、九条がっ!!」
「おい七瀬!!」
「ひぃっ!?」
「と……とっ、柊弥様ぁぁ!?」
九条の左頬に真っ赤な紅葉がくっきりと残っている。紛れもなくあたしのビンタの痕だね、あれ。どうりであたしの右手がジンジンと酷く痛むわけだ。
「てんめぇ……ご主人様に向かってフルスイングビンタとはいい度胸してんじゃねぇか」
「いやっ、それはその……思わず手が出てしまったというか、滑ってしまったというか」
ちゃんと腰にタオルを巻いて浴室から出てきた九条は、物凄い剣幕であたしの目の前まで迫ってきた。
「とっ、柊弥様! 今すぐ冷やす物をお持ちします!」
霧島さんはあたしを救うこともなく、ビュンッと走り去った。
「歯ぁ食いしばれよ」
「し、仕返しのつもり……? ま、まぁいいけど。別にいいけど? お互い様ってやつだし? でっ、でもさ、あんたが本気であたしにビンタをするっていうのは、如何なものかな? って思ったりするけどね。ほら、あたしとあんたじゃ力の差がっ」
「もう喋んな。舌噛んでもしんねぇぞ」
「お、オッケーオッケー。あの、力加減っていうのをお忘れなく、いい? 分かった!? あんたの本気ビンタとかあたし多分死ぬから、マジで、冗談抜きで!!」
「黙れ」
「ばっちこーーい!!」
ギュッと目を瞑り、グッと歯を食い縛った。来るであろう、とんでもない衝撃に備えて……。
── え? 痛く……ない……何も痛くない……。
ただ、唇にとても違和感を感じる。
柔らかくて、あたたかいの。
パチッと目を開けると、パチッと目を開けてる九条があたしの瞳にドアップで映し出される。えっと、なんで? どうして……九条にキスされてるの?
ゆっくり離れた九条。
「……は?」
「あ?」
「なんで……? 意味分かんない」
「さぁ? 俺もよく分からん」
「は?」
「別によくねえ? キスの1つや2つ。減るもんでもあるまいし~」
「……減るわボケェェーー!!」
再びフルスイングビンタをお見舞いしてやろうとしたけど、今回は完全に防がれた。
「二度は食らわん」
「ちっ!!」
「ったく、これだから処女は~」
「関っ係ないし!」
「物理的に減るもんじゃないじゃなくねー?」
「物理的に減るものじゃなくても、精神的に減らされてんの! こっちは!!」
「それは知らん。捉え方の問題っしょそれ」
「あんたとのキスをどう捉えろって言うわけ!?」
「“こんなイケメンとキスできるなんて、あたしとっても幸せ~”……で、いいんじゃね?」
「いいわけあるかぁぁい!!」
「柊弥様!! 冷やすものお持ちしました!! で、七瀬様! 貴女はこちらへ来なさい!」
と言いつつ、もう既にあたしを引きずっている霧島さん。それから霧島さんにガミガミと説教を食らったのは言うまでもない。
時刻は22時すぎ。
「ありがとうございました」
「お疲れ様でした」
「じゃ」
「ん」
家まで送ってもらって、中へ入ろうとした時だった。
「あ、七瀬」
「ん?」
九条に呼ばれて、再び車のほうへ戻る。
「お前、明日要らねえから」
「は、はあ……ていうか、もっと他に言い方ないわけ?」
「必要ねえから」
「意味一緒じゃんそれ」
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