夏期休暇②
「演技下手すぎんでしょ~。0歳児でももっとマシな演技するって~」
「九条様」
「んあ?」
うつ向きながら九条へ近づいて、ゆっくり見上げた。こんな作戦がこいつに通用するのとは思えないけど、もしかしたらの可能性に賭けた。
「あたしはただ……九条のことが心配なの」
あたしが出せる最大限の可愛い声、上目遣い、さりげないボディタァァッチ。すると、あたしを見下ろす九条の動きがピタッと止まって、思考も何もかもが停止しているのか目が点になってる。
あたしの成功ビジョンは頬を染めてモジモジする九条だったけど、これは……どういう状況だ? ま、この作戦が通用した……とは言い難いけどある意味成功でしょ。あたしは石のように固まってる九条に合掌をして、ススッと院内に入った。
「えっと、整形外科……整形外科……2階」
階段を使おうとしたら、“ワックス使用中のため、エレベーターをご利用ください”と規制線が張ってあった。
「あーーもうっ、急いでるのに!!」
なかなか下りて来ないエレベーターにめちゃくちゃ焦ってるあたしはボタンを連打しまくっていた。こんなことしても変わらないし、ボタンが可哀想なのは分かってる。でも、奴が……奴が来てしまうっ!!
「ひっ!?」
後ろから手が伸びてきて、バンッ!! と勢いよく壁についた。誰の手? なーんて野暮なことは聞かないで。
「逃げんじゃねーよ。ザコの分際で」
あたしの背後に今、物凄いプレッシャーを放っている奴がいる。信じない、気にしない、信じない、気にしない……あたしはひたすらボタンを連打し続けた。
「おい」
聞こえない、何も聞こえない……あたしは“ボタン連打世界新記録”を更新する勢いでボタンを連打しまくっている。そんな記録があるのかは不明。
「耳までザコになったわけ? お前」
連打しまくっている手をガシッと握られた。あたしの手を包み込めるほどの大きな手。
「はは……はははっ。や、やぁ……九条君。こんなところで会うなんて奇遇だね~」
「さっきまで一緒にいたよねー? 俺達」
「君が見ていたのはあたしの“残像”だよ」
バコンッ!!
「いっっーーたぁぁい!!」
院内に響き渡るあたしの叫び声。馬鹿力野郎のゲンコツをもろに食らった、きっと頭頂分が陥没しているに違いない。
「で、何がしたいわけ? お前」
頭を抱えてしゃがみ込むあたし。その後ろに突っ立っているであろう九条。もう、こんな奴と口も聞きたくない! あたしはギュッと口を閉ざした。
すると、あたしの顔を覗き込むように屈んできた九条。そして、ムギュッと頬を掴んでグニュグニュしてくる。
「一丁前に無視してんじゃねぇよ」
「いひゃいっ、いひゃいって!」
あたしは九条の手を振り払って立ち上がった。
「で?」
「『で?』じゃない! 力加減ってものを知らないわけ!? あんたは!!」
「加減してやってんだろ。ギャーギャー喚くなって~、ここ病院な?」
「事の発端はあんたでしょうが!」
そんなやり取りをしていたら、ようやくエレベーターが下りてきて扉が開いた。
「はいはい、乗れよ」
「ちょっ……!?」
ドンッと押されて、よろけながらエレベーターにインしたあたし。こいつマジでモテてる意味が分かんない! こんな男のどこがいいわけ!?
「どーせ担当医に会いに来たんだろ?」
「分かってるなら聞くのやめてくれる? 本当にストレスでハゲそう」
「ははっ。ハゲたらウィッグでも何でも買ってやるよ」
「そういう問題じゃねーよ」
「お前さぁ、そんなんだからモテないんだよー? もっと女らしくしないとさ~」
「うっさいわ!! ここまで悪化したのは紛れもなくあんたのせいだっつーの!」
「人のせいにしないでくれる~? ほーんと見苦しいねえ、貧乏人って」
── 誰かこいつを黙らせてください。
そして、九条と担当医のところへ。
「……え? 今なんと?」
「広範囲の傷に加えて傷口も深い……とても酷い状態でしたので、抜糸はまだ先かと。抜糸をしたとて、まだ介抱は必要ですよ? 貴女は九条様のサーバントでしょう。尽くしなさい、マスターである九条様に。以上です」
「いやぁぁ、2週間以上経ってますし……さすがにっ」
「九条財閥、九条柊弥様に傷跡ひとつ残すわけにはいきません。それをお分かりですか? 貴女は」
担当医の目力というか気迫に押されて、コクコクと頷くしかなった。
「くれぐれもお忘れなきよう」
「は、はい……」
・・・結局、あたしの夏季休暇は無いものとされそうです。
── 夏季休暇真っ只中
「おーい、さっさと入って来いよ」
「ハイハイ」
あたしは未だに九条の世話をしている。そして、今から一番やりたくないことをしなければならない。
・・・“九条柊弥の入浴タァァイム”!!
これだけは霧島さんにやってもらって……と懇願したのに、呆気なく却下された。本当に憂鬱でしかない。でも、もうこの光景にも慣れたな。というより、感情を殺しに殺しまくって無の境地。
九条は平然と下半身にタオルのみ。
こいつの体を見てもドキッとか何も思わなくなった……というか、殺しに殺しまくった感情が息を吹き返すことはないだろう。今後、どんな男の裸を見ても何も思わないだろうなー。あたしは着実に何かを失っていってる、女として大切な何かを──。
「痒いところとかはー?」
九条の広い背中をタオルで擦って、優しいあたしは痒いところがないかと聞いてあげる。にしても、本当にガタイがいいなー。どんだけ着痩せしてんのよ。
「あー、なんか前がムズムズするんだよねえ。俺のご立派なムスコがっ」
「あらそう。ちょんぎったら?」
「ちょっとした下ネタじゃ~ん。そうムキになんなよ、処女だからって~」
── こいつ、いつか女に刺されて死ぬんじゃない? ていうか、あたしに刺されて死ぬんじゃない?
あたしは九条の頭と背中を洗うだけ、当たり前だけど。あとは自分でやってもらってる。
「ハイ。終わったら呼んで」
「ったく、ノリが悪いね~」
「ハハ」
一旦浴室から出て、九条のお呼びがかかるのを待つ。
ああー、マジで何してるんだろう……あたし。ま、給料15万もプラスされちゃってるから、あまり文句は言えないんだけどねぇ。