チャンス① 九条視点
── こいつが俺以外の誰かに抱かれるくらいなら、無理やりでもこの俺が……みたいな感情に駆られた。それがなぜなのかはさっぱり分からん。
全てを口実に、今ならこいつの体も俺のモンにするチャンスなんじゃないか……とか意味不な思考に陥った。気が立つとか苛立つとか、そいうのを全部通り越して抑えきれそうにない“なにか”をグッと押し殺した結果……また、こいつを怯えさせている。
俺はこいつと出会ってからどうもおかしい。自分が自分じゃ無くなっていくような、そんな気がして、それが良いのか悪いかさえも分からん。
俺に押さえ付けられてビビってるくせに、なぜか立ち向かおうとしてくる七瀬。だから嫌なんだって、お前みたいなタイプ。
何でもかんでも反抗してきて、その強気な感じが危なっかしくて、こいつに何かあったら……そう思うと気が気じゃなくなる。こういう奴ほど弱くて脆い。大人しく俺の言うことを聞いてくれよ、黙って俺に守られてりゃいいんだって。なんで分かんねえんだよ。
── お前が俺以外の奴に壊される……そんなことは、絶対に許さない。
「そうやって力で捩じ伏せて、女が何でも言うことを聞くと思ったら大間違いだから」
怖いくせに俺を睨み付けて、下唇を噛み締めている七瀬。頼むからそれ以上は何も言うな。じゃないと俺が……お前を壊してしまう。
「だったら男を煽るような真似すんな。お前は俺の言うことだけを聞いていればそれでいい。何べんも同じこと言わせんなよ」
「── しょ」
「あ?」
「あんたには分かんないでしょ!!」
そう叫ぶ七瀬の顔からはもう、“怖い”という感情なんて消えていた。やめろ……強くなんてならなくていい。
「あんた達には分かんでしょ? 宗次郎の気持ち。宗次郎が抱えている劣等感ってやつを」
「なんだそれ。お前には分かんのか? あ?」
「……レベルは違うよ。そりゃあたしと宗次郎じゃ背負ってるものの重圧、重責が全く違う。それでも、あんた達よりかは分かってあげられるわ。あんた達には分からないのよ。何かと、誰かと比べられる……他とは違うっていう“劣等感”ってやつを」
「分かるわけねえだろ。んなもん、所詮は負け犬の遠吠えにすぎん」
「は?」
「結局それから逃げたのはどこのどいつだよ。逃げた時点で負けてんだよ、自ら負けを認めてんだよ。戦いに背を向けた奴なんざ、知ったこっちゃねえっつーの。甘えんな」
至ってシンプルな話だ。
困った時、弱者は強者を頼ればいい……これは自然の原理。それすらもしないのは、できないのは、ただ己の弱さに目を背けてるだけにすぎん。俺は圧倒的“強者”の立場に立ち、“弱者”の言動も行動も理解できねえし、理解したいとも思わん。ただ、仲間内となれば話は別だ。
理解はできねぇし、理解したいとも思わない……でも、助けてやることはできる。俺から手を差し伸べることはしない。助けを求めてくるのなら、頼ってくるのなら、俺はその伸ばした手を掴んで、ただ引っ張り上げてやるだけ。
グダグダと御託を並べ、助けてもらう行為をちっぽけなプライドが許さず、勝手に落ちていった奴の言い訳なんざ聞く耳を持つ必要がねえだろ。
── 上杉は、プライドを捨てれる奴だった。
マスターの為に、より良いサーバントになる為に──。上杉家の者として、全サーバントの質を向上させる為だったら、プライドも何もかも捨てられる奴だった。年下の俺に何の躊躇もなく頭を下げて、頼み事も助けも
求めることができる奴。俺は自ら助けを求めてきた奴を決して見捨てたりはしない──。ただし、“自ら助けを求めてきた奴”はな。
「……あっそ。もうあんたとは分かり合えない」
── 例外はない……はずだった。七瀬が助けを求めようが求めまいが、俺は自ら手を差し伸べてしまう。
俺の中で、何かが確実にブレ始めているのは、もうとっくに気づいていた。こいつをこれ以上責め立てても、こいつが一歩も引かないってことは分かっている。で、俺がこいつを無理やり抱けないってのも、自分が一番よく分かってんだろ? 他の女なら容赦なく抱けるのにな、アホらし。
俺は七瀬の拘束を解いて、頬をムギュッと掴んだ。
「分かり合えない……じゃねぇよ。分かり合おうとしねえのはお前だろ。そうやって突き放すから進まねぇってこと、マジで分かんないわけ?」
「……ごめん。マジで一言言わせてもらうわ──。それ、あんたにだけは絶っっ対に言われたかないっつーの!!」
「グハッ!!」
七瀬の放ったアッパーを見事に食らった俺。このタイミングでまさかアッパーを食らわしてくるなんて、誰にも予測なんてできないねぇだろ。マジで信じらんねーわ、この女!! この俺が反応もできず、無様にアッパーを食らうなんざ……ダサすぎて死ねる。
「あたしみたいな一般庶民が、あんたみたいな異次元人の理解なんて普通だったらできるわけないでしょ!? だったらまず、あんたのほうがあたしを理解する努力をしろってことよ!!」
「あぁん!? それ、逆もまた然りだろうが!!」
「はあ!? なんでよ!!」
「俺レベルの富裕層が、お前みたいな異次元の貧乏人の理解なんざ普通だったらできるわけねぇだろ!! だったらまず、お前のほうが俺を理解する努力をしろっつってんだよ!!」
「はあぁん!? バッカじゃないの!? なに言ってんのよ!! 支離滅裂男!!」
「支離滅裂なのはお前だろ!! つーか、“支離滅裂”の意味すら分かってねえだろ、こんのアホが!!」
息を切らして、不毛な言い合いをする俺達。お互い冷静さを急に取り戻して、ただのガンの飛ばし合いに切り替わった。
「謝ったら許してやる」
「それはこっちのセリフよ」
「ほんっと生意気な女だな、お前」
「そのセリフ、そのままそっくりお返しするわ。ほんっと生意気な男ね、あんた」
「あ?」
「は?」
腕を組んで七瀬を見下ろす俺。
腕を組んで俺を睨み上げている七瀬。
うぜぇ、心底うぜぇ……そう思うのに、やっぱこいつしか俺の隣は歩けねぇなとか思ってる自分に腹立つわー。
「さっさと謝れ。サーバントだろ、お前」
「あーーハイハイ。マスターの言うことは""絶対""ですもんねー。そりゃ誠に申し訳ございませんでした」
「やり直し」
「誠に申し訳ございやせんでしたー」
ふざけたツラしながら俺を煽ってくるこの馬鹿女。マジでどうにかなんねえの? やべーだろ。
「マジで犯されないと分かんねえか? お前みたいな救いようのない馬鹿は」
「言っておくけど、別に悪いことなんてしてないし、あんたに迷惑だってかけてない。今回に関してはマジで謝る気ないし、謝ってほしいのはこっちよ。その綺麗なご尊顔、床に擦り付けながら土下座してほしいレベルだわ。あんたみたいな救いようのない“俺様御曹司”はそんくらいやんなきゃ分かんないでしょ? 自分が如何に横暴なのかが」
勝ち誇った顔をして、偉そうに俺を見上げている七瀬。全身の血管という血管が浮き出てきて、青筋がバッキバキになっている。
「はははー。女でよかったなぁ? お前。じゃなかったら殺ってるわー」
「はは。マスターでよかったわねー? あんた。じゃなかったら海の藻屑にしてるわー」
「いや、お前シンプルにガラ悪すぎんだろ」
「そうさせてるの誰よ。ふざけんな?」
ジト目をしながらニコッと微笑んでくる七瀬。こいつ強気女子……というより、ただの柄悪女だろ。
「ハッ。こりゃ男ができないのも頷けるわ~」
「悪いけど、こんなに死ぬほどイライラする相手はあんた以外にいないの。だから、あんた以外にこんなことになることがないの、分かるかな? お坊っちゃん」
再びゴングが鳴って、ガミガミガヤガヤ言い合ったのは言うまでもないわな──。