おかえりなさい④ 霧島視点
「柊弥様、奥様と旦那様がトラブルの対応に終われてっ」
「あっそー」
「私は行きますので」
「勝手にすればー?」
『あっそー』と興味無さそうに言って、一瞬だけ表情を曇らせた柊弥をこの俺が見逃すはずもなかった。どんだけ強がっても、所詮は小3のガキ。両親が来ない運動会なんてどう考えても寂しいに決まってんだろ。
『俺がお前の傍にいてやる』
寂しいなんて思わせないくらい、俺がいつだってお前の傍にいてやる。俺の存在意義は“九条柊弥”……お前の役に立つことだ。なんだってしてやる、お前のためだったらなんだって──。
俺は片っ端から九条家に従えている者達を集めて、それはそれは盛大に柊弥を応援した。
『恥ずかしいからやめろっつーの!!』とか言われたが、そんな柊弥が可愛くて可愛くて仕方なかった俺も相当どうかしてる。生意気でクソガキな柊弥が、俺にとっちゃあどうしようもなく可愛くて、こいつのためなら死ねるって……冗談抜きで思えた。
その日の夜、風呂から上がって朝飯の仕込みをする為に調理場へ向かった。
「ん? なんだあれ」
調理台の上に紙切れが1枚落ちていた。それを手に取って、紙切れに書いてあった言葉に心を震わせた。
「……マジか」
── “ありがとな”綺麗な字でそう書かれている紙切れ。これを誰が書いたか……なんて言わずもがなだろ。そんなの俺にはすぐに分かった。
ポロッ、ポロッ……と頬を伝い始める何か。
「……はは、やべ。俺……泣いてんの?」
馬鹿みたい涙が頬を伝う。親に捨てられた時でさえ、涙なんか微塵も出なかったこの俺が? 泣いてんの? ありえねぇ。
たった5文字、たったの5文字なのに……どうしようもなく嬉しくて、心が満たされて、幸せでたまらなかった。俺、こんなに幸せでいいのか……? 適当に生きて、たくさん人を傷つけてきた。そんな俺が──。
「やっぱ辞めらんねぇな、このクソガキのお付きはよ」
── あれから数年経った今、未だにあの紙切れを大切に持ってるとか、死んでも柊弥にだけはバレたくねぇな。
煙草を吹かしながらハンドルを握って九条家へ向かう。
「……はぁぁ、俺のこと許してくれっかねえ。あの器のちっせぇクソガキは」
だいたい理不尽にもほどがあんだろ。俺、なんっもしてねぇーし。俺が謝る意味が分かんねぇもんな、そもそも。つーか七瀬ちゃんのことになるとマジで歯止め利かねぇのどうにかしてくんねぇかね。
「ま、あいつの理不尽なんて今に始まったことじゃねぇけどさ」
何より七瀬ちゃんにとんずらこかれるのが一番厄介だからなぁ、それこそ柊弥が荒れ狂う。穏便に済むことを願いますか。
「あら~、霧島じゃない。おかえりなさ~い」
いや、俺が帰ってくんの知ってたでしょ、あんたは。
「ただいま戻りました。七瀬様と随分仲が深まっているようで」
「ふふ、もう舞ちゃんが可愛くって~。頼まれたら何でもしちゃうわ~」
「程々にしてくださいよ」
「はいはい。あ、今日雑誌の撮影か何かが急遽入ったって、さっき榎本さんが言ってたわよ? もうそろそろ現場に行っちゃうと思うから」
「いってきます」
「いってらっしゃい。舞ちゃんの為にも仲直りするのよ~」
「善処します」
足早に離れへ向かった。
柊弥の部屋の前、柄にもなく緊張する。深呼吸をしてノックをしようと手を伸ばした時だった。ガチャッとドアが開いて、俺の姿を見るなり目を見開いている柊弥。で、すぐ無表情に戻る。
「……あ? 何してんの、お前」
「柊弥様。あの、少しお話をっ」
「歩け」
そう言うと部屋から出て歩き始めた柊弥。その数歩後ろを歩く俺。
「で、なんなんだよ」
「あの、柊弥様。私、七瀬様とは何もっ」
「だろうな。じゃなかったら殺す」
「……私の行動や言動が柊弥様の気に障ったのなら、誠に申し訳ございませんでした」
「まっ、お前がどうしても許してほしいってんなら、謝罪を受け取ってらんこともねぇけど?」
・・・いや、何様だよ、お前。
「ありがとうございます」
「ハッ、あのエロジジイよりお前のほうが幾分マシってだけだから、変な勘違いすんなよ~」
「ええ、重々承知しております」
「はぁぁ。マジでダルかったわー。あんのクソエロジジイ、霧島のせいで無駄なストレス抱えた俺って超かわいそー」
俺は日頃から多大なるストレス与えられてるけどな、特にお前から。ま、言わねぇけど。
「申し訳ありません」
「……ったく、さっさと帰って来いよな~」
「すみません」
「── り」
俺には微かに聞こえた『おかえり』……の言葉が。
「ただいま戻りました」
「ん」
こんなガキに『おかえり』そう言われただけで心弾ませるとか、死ぬほどだっせぇしきめぇ。
── 翌朝
「おはようございます、七瀬様」
「おはようございます。霧島さん、おかえりなさい」
「ご迷惑をおかけしました。今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
こうして俺は、柊弥のお付きに戻った──。