おかえりなさい③ 霧島視点
いやぁ、まさか七瀬ちゃんがアパートまで来るとはね。誰が教えたんだ? なんて聞くまでもないわな。間違えなく和美さんだろ。
「普通教えるかね? あんなヤる為だけに借りてるようなアパートを」
マジで焦ったわぁ。にしても気が重い、柊弥に“要らない”と面と向かって言われたのが初めてで、自分の想像以上に気が滅入ったし未だに引きずってんだよな。あんな生意気なクソガキの何がいいのか……そんなこと聞かれても俺はきっと答えられない。
でも俺は、柊弥以外に従うつもりは毛頭ない。俺が従うのはあくまで“九条柊弥”だけだ。別に血の繋がりがあるわけでも、特別な関係ってわけでもない。“ただの主人”、“ただのお付き”……そう言われれば、それまでな関係ではある。それでも柊弥と共に過ごしてきたこの10年が、俺にとってはとても幸せだった。
柊弥は俺に生きる意味を与えてくれて、居場所を作ってくれた。
柊弥がいない世界を生きていた15年間は、死ぬほど退屈で、どうでも良くて、なんで生きてるかも、何をしているかも、この世に生まれた意味も、自分が何者なのかも分からなくて、何も見つけられずに、ただ喧嘩に明け暮れる日々。
大切な人も、大切なものも、何一つない。
何者でもない、何者にも成れない。
俺は一体なんなんだ? 俺は一体、誰なんだ? あれ、俺の名前って……なんだっけ? 何度も何度も自分の名前すら忘れそうになるほど、落ちるところまで落ちていた。死んだほうが幾分マシだってそう思ってた時、俺を拾ってくれたのが九条財閥の会長 九条邦一。
── 10年前、俺が15歳だった頃。数十人を一気に1人で相手して、全員のしたのはいいが動けないほどの怪我と疲労でブッ倒れていた。そこへやって来たのが邦一さんだった。
「死んだか? 若人よ。つまらん顔をしておるな。死に絶えたほうが報われる、といったところか?」
「あ? んだよ……クソジジイ。てめぇが死ね」
「生きる意味、生きる理由が欲しい、といった顔にも見えるが?」
「……っ、あ? さっさと失せろ、殺すぞ」
「はっはっはっ!! 威勢だけは一丁前じゃな。もう動けんだろ。来るか? 九条に。くれてやろう、ワシの孫を。但し……万が一、ワシの大切な者達に手を出そうもんなら……なぁに安心せい、望む通り地獄の苦しみを味わいながら逝かせてやる」
そう言った邦一さんの表情も声も、未だ脳裏と耳にこびりついて離れやしない。あの時、初めて人に恐怖心を覚えた。本能で感じる。この人は、生き物としての“格”が違うと。
「はっ、なんだそれ。めんどくせぇ……」
・・・全てが成り行きではあった。元々スペックの高い俺は、邦一さんが用意したプログラムをみっちり難なくクリアして、3ヶ月経つ頃には九条家へ招かれた。
噂には聞いていた九条財閥、あのプログラムで普通ではないとは思ってたが……金持ちのレベルが規格外だと思い知らされた。
『孫をくれてやる』ということは『孫を守れ』と言っているようなもの。拳銃、刀、ありとあらゆる武術や護身術……それだけじゃない。サーバー系はもちろん、何もかも余すことなく全てを叩き込まれた。
さぁ、俺にここまで叩き込ませた男の孫とやらは、どんなガキんちょなのかね。
案内された和室にポツンと突っ立っていたのは、5歳児とは思えないほど整った容姿をしいて、堂々と佇んでいる“九条柊弥”だった。
「はじめまして、霧島と申します。本日付で柊弥様のお付きをっ」
「ジジイから話は聞いてる。死んでも守れ、俺のことを。で、俺の命令は絶対だ。俺の言う通りに動けばそれでいい。それが霧島……お前の“役目”だ」
こいつ、本当に5歳児か? クソ生意気じゃねーかよ、マジでうぜえ。でも、不思議と嫌ではなかった。俺は“役目”をもらった……こんなガキんちょに。いや、俺はこのガキんちょに“生きる意味・理由・居場所”を同時に与えられたんだ。そう思ったら、自然と頭を下げていた。
「承知いたしました」
俺は、こいつの為だけに生きよう。
俺と柊弥が出会った頃、企業の拡大、グローバル化……九条財閥は大忙しだった。柊弥の両親は全国、海外を飛び回る日々。幼稚園の行事、そして小学校の行事、全て俺が参加した。柊弥は俺以上にそつなく器用に何事も完璧にこなしてしまう、死ぬほど可愛げのないガキだった。
まだまだ両親がいないと寂しい年頃なはずなのに、弱みを見せることも、弱音を吐くことも一切しなかった。ま、可愛げのないガキだわな。
──『寂しい』たったその一言が言えないなんて、金持ちもなかなか残酷だ。
そんな中、年に一度の大行事……運動会だけは柊弥の両親も都合をつけて、毎年参加をしていた。口ではあれこれ言ってても俺には分かる。柊弥は年に一度のこの日が、一番嬉しそうで楽しそうだった。
あれは確か、柊弥が小3の時だったかな。運動会当日に会社のトラブルでどうしても都合がつけれず、柊弥の両親が運動会へ来れなくなった年があった。