一悶着⑤
「あの、榎本さん」
「何でしょう」
「こういうのは困ります」
「と、言いますと?」
「あたしはサーバント云々の前に、ただの一般人にすぎません。だいたい車から降りる時にドアを開けてもらうって行為自体、あたしには意味が分かりませんし。だから、あの人にしないようなことをあたしにはしないでください」
「……なるほど。“特別扱い”はお嫌いですか?」
「“特別扱い”される義理はありませんので」
あたしがそう言うと榎本さんは目を見開いて、クスクス笑っている。まあ、あたしからしたら一切笑い事じゃないんだけどね。
「柊弥様は良いお嬢さんを見つけたようですね。いや、邦一様が……ですかね」
邦一様……? 誰だろう。
「あ、あと、あの人の機嫌を損ねるようなことはやめてください。面倒くさいんで、本当に」
「ククッ。さあ? 何のことでしょうか」
「わざとですよね? あたしばかりに話を振って絡んできてたの」
「ハハッ。いやぁ、ついつい。申し訳ないね」
榎本さんはきっとこの状況を楽しんでるタイプだと思う。ぶっちゃけ質が悪い。というか、早く九条を追いかけないと更にドヤされるはめになりそう。
「榎本さん、悪ふざけも程々にお願いします」
「2人が可愛くてね……ククッ、気をつけます」
あたしは榎本さんに軽く頭を下げて九条を追いかけた。はぁ、一応謝ったほうがいいかな?
「ごめん、遅れっ」
「お前、男だったら誰でもいいわけ? あんなジジイまで許容範囲とかヤバすぎ」
「……は?」
「マスターである俺を差し置いてあのジジイと話し込むとかナイわー」
ムスッとして、スタスタと先へ行ってしまう九条。あたしの歩幅に全く合わせようともしてくれない。そう思うと、普段はあたしの歩幅に合わせてくれてるってことか──。
あたしは早歩き状態で九条の隣に並んだ。
「ねえ、九条っ」
「言っとくけど、霧島も榎本も女癖悪いなんてもんじゃねぇから。お前なんて軽く遊ばれて捨てられるぞ」
フンッと鼻で笑って、あたしを見下すように見てる九条。
「だから、別にそういうのじゃないって」
「さあ、どうだかな」
なんでこうも屁理屈なのかな、こいつは。自分に絶対的自信があるはずなのに、なんかこう……時より自信が無さそうなのは、一体なんなんだろう。
「言わせてもらいますけど、あたしの覚悟をナメないでいただきたい」
「あ? なに言ってんの?」
「言っておくけどあたし、あんたのサーバントをやってる内は誰かのモノになったりするつもりないから」
「……は?」
ピタッと止まって、驚いたような顔をしてる九条。
「だから、青春をドブに捨てる覚悟だって言ってんの! あんたのサーバントなんてやってたら色恋だの何だのかんだのって、できるわけがないでしょ!? あんたにあたしの青春をくれてやるってことよ! 感謝してほしいわ!」
常にあたしには“九条”という存在が纏わり付く。そんなんで恋愛なんてできるはずもなければ、彼氏なんて夢のまた夢。
「……あ? 当然でしょ、んなもん。お前は“俺のモン”なんだし~」
満足気で、どことなく嬉しそうにニヤッとしてる九条を見て、呆れながらも少しだけ笑ってしまうあたし。
「ほんっとクズ」
「マスターに向かって“クズ”はねえだろ」
「いっ、いひゃい!!」
あたしの頬をつねって遊んでる九条を一発殴ってやろう……そう思った時だった。
「柊弥~!」
可愛らしい声で九条の名前を呼んだのは、本当に可愛らしい女の子だった。笑みを浮かべ、手を振りながらこちらへ走ってくる。九条はあたしの頬から手を離して、ばつが悪そうな表情を浮かべた。
「咲良……お前、なんで日本にいんだよ」
「ええ? いちゃ悪いの~?」
チラッとあたしを見てきた“咲良”と呼ばれた女の子。
「あなたは?」
「……え、あ、あたしは九条様のサーバントでっ」
「柊弥のサーバント?」
視線が首元に移り、九条のサーバントである“証”(ネックレス)を見てニコッと微笑んだ。
「へえ、あなたが柊弥のサーバントなのね。名前は?」
「七瀬舞です」
「舞ちゃんか~。柊弥には勿体無いくらい美人さんだね」
「え? いや……そんなことは」
「ふふっ。私は叶咲良。柊弥の許嫁なの」
・・・いいなずけ……?
「許嫁っ!?」
思わず大きな声を出してしまった。こういうお金持ちの世界には、本当に許嫁とかいるんだ……すごぉ。
「咲良、お前っ」
「もお、ちょっとしたジョークみたいなもんでしょ?」
「……ジョーク?」
「そ、冗談だよ~? まあ、冗談ってゆうか……お父さん同士が昔勝手に決めた~的な?」
「七瀬」
「あ、はい」
「気にすんなよ」
「は、はあ……」
なぜかあたしを見て『気にすんなよ』と言う九条。別に気にしてもないし、どちらにしろ“へえ”って感想しかない。
「あの柊弥がサーバントをねえ……。舞ちゃん、柊弥のサーバント大変じゃない? 辞めたら?」
「「は?」」
見事に声を揃えた九条とあたし。
「柊弥のサーバントなんて辞めて、私のサーバントにならない? 私、しばらく天馬に通うことになったの。お給料は上乗せして支払うわ」
「いや、あ……あのっ」
「咲良、どういうつもりだ」
「なによ、そんな怖い顔しちゃって~」
「こいつは俺のモンだ。誰にもやるつもりはない」
九条は少し目を細めて怒ったような顔をしてる。それに動じることなく笑っているのは肝っ玉許嫁様。
「ふふふ、柊弥がそんなに怒るなんて……珍しいこともあるものね」
・・・いや、こいつが怒ってないほうが珍しいですけどね。怒ってばっかですよ、この男は。
「こいつは誰にもやらん」
「はいはぁい、分かった分かった~」
この人も軽薄っていうかマイペースっていうか……掴み所が無さそうなタイプだなぁ。
「こいつ以外なら好きにしてくれて構わないよ~。上杉に頼んどいてやろうか? サーバント」
「え~? いいの~? ありがと~う」
さっきまでのお怒りはどこへやら……あたしの存在なんてそっちのけでヘラヘラと楽しそうに許嫁と会話を楽しむ九条。こいつがヘラヘラしてると無性に腹が立つのは何なんだろうか。
「あの、あたしお手洗いにっ」
「いってら~。さっさと戻って来いよ」
「……御意」
許嫁はニコニコしながら手を振ってくる。あたしも一応ニコッと微笑んで手を振った。
トイレに行く道中、わざとぶつかって来てブツブツ言われたり、コソコソと……いや、聞こえるような声で罵られたり。まあ、あたしが我慢すれば済むだけの話だから、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。というか、こういうのは相手にするだけ無駄だしね。
「ねぇ、咲良さんが帰国したって本当?」
「あ、僕さっき見ましたよ」
「悔しいけど、咲良さんは申し分無いわよね~」
「お似合いですよね、柊弥様と」
「許嫁ですし~」
あたしをチラチラ見ながら、クスクス笑って話してるこの人達はあたしにどんな反応を求めているんだろう。とりあえず笑っとくか。ニコッと微笑んで軽く会釈をすると、興味無さそうにどこかへ行ってしまった。
「なんだあれ」
・・・にしても許嫁に、霧島さんに、榎本さんに──。
「はぁぁ、一悶着だらけだなぁ……」
あたしは重い足取りで九条のもとへ向かった。