二重人格①
── えっと、なんでまだ帰らないの?
時間がないからさっさと契約書を書けってあたしを急かしてきた張本人が、なぜか未だに居座ってるんですけど……? 勝手に運んできた荷物を勝手に荷解きして、『これはあれで、あれはこれで~』と適当に説明してくるし。
「あの」
「ん?」
「なんで帰らないの?」
「はあ? いちゃダメなわけ?」
いや、ダメっていうか……まあ、もういてほしくはないよね。そろそろフラッとお父さん帰って来そうだし、なんなら律達も帰って来る時間になっちゃう。
「『時間がない』って言ってたのあなたですよね?」
「ん~? そんなこと言ったっけ~?」
「契約書書く時に急かしたのはどこの誰でしょう」
「さぁ? し~らない」
とぼけた顔をしてあたしを見てくる九条にイラッとして、無性に殴りたくなるわ。
「面倒なことになる前に帰ってほしいんだけど」
「あ? 面倒なことって何?」
「ほら、うちの親が帰って来たりしたら面倒っ」
「おーい、舞いるかぁ? 表に停まってるあの高級車は一体なんなんだ……」
あたしの部屋のドアを躊躇することなく開けたお父さんと目が合っているであろう九条。
シンッと沈黙が流れた。
「なんっだこのクソガキてめぇぇよ! 俺の居ぬ間に俺の舞に何してくれとんだボケカスがゴルァァ!」
鬼の形相で九条に飛びかかろうとするお父さんを何とか押さえ込んだ。そして、あたしはようやく理解できた。慶の喧嘩っ早さは紛れもなくお父さん似だと──。なんならあたしも似たかもしれない、ツラすぎて無理。
「ちょっ、お父さんっ!!」
「離せ、舞! 俺は許さん! 俺の舞は誰にも渡さん!」
「なに馬鹿なこと言ってんの!?」
だいたい、ちゃらんぽらんの舞とやらになった覚えもないわっ!
「お邪魔しています。はじめまして、九条柊弥と申します」
── 誰だ、おまえ。
「あぁん? 九条柊弥だぁ? 名前までイケメンじゃねーか!」
いや、ズレてるよ……お父さん……。
「イケメンだなんて、七瀬さんのお父様に比べたら僕なんて大したことありませんよ」
── うん、誰だ? オマエは。
さっきまでの雰囲気とは一変して、爽やかな笑みを浮かべ、信じれないほどの好青年っぷり。
「お、おう……ま、まあ、俺ほどではないわな~」
嬉しそうにしてるお父さんが単純馬鹿すぎて泣きたい。
「実は僕……以前、七瀬さんに困っているところを助けていただいて。どうしてもそのお礼がしたくて無理を言って、ご自宅に伺っていたんです。すみませんこれ、お口に合うといいのですが……」
そう言いながら高級そうな紙袋に入った何かをお父さんに渡した九条。お父さんはすんなりその紙袋を受け取って中を覗いていた。
「こっ、これはっ!? 幻の日本酒じゃねーか!」
「はい。七瀬さんがお父様は日本酒がお好きだと仰っていたので」
言ってねえ、一言も行ってないんですけどー?
「おいおい……これ高いだろ。お前パッと見、高校生くらいにしか見えねぇけど?」
「僕は七瀬さんと同い年です。天馬学園に通っております」
「てっ、天馬学園!?」
「はい。天馬学園です」
すると、目を見開いてあたしをガン見してくるお父さん。そして、ニヤッと悪い笑みを浮かべた。ダメだ、ものすんごく嫌な予感しかしない。
「ハッハッハッ。いやぁ、柊弥君! これからも舞と仲良くしてやってくれ! ふつつか者だけど、見た目だけは悪くねぇだろ!?」
── おい。それは娘であるあたしがいる場で言うことなのか? というか、実の娘に対してそんなこと言うか? 普通。
「俺と嫁の良いとこ取りして見た目だけはどえらい美少女だろ~? 性格はちょーっとばかし難ありだが自慢の娘なんだわ~」
殴ってもいいかな、こんのクソ父親。
「いえ、そんな……七瀬さんはとても素敵な女性ですよ。僕の方こそ不束者ではありますが、今後ともよろしくお願いします」
えーっと。だから、君は誰なんだい? 二重人格……? それとも今までの九条は幻だった?
悪い笑みを浮かべる父、胡散臭い爽やかな笑みを浮かべる九条、感情を失った目で父と九条を傍観するあたし。なんだこのカオスな状況。
「柊弥君、この後の予定は? 忙しいか?」
「いえ、特に何もありません」
おいおいうぉーい! 時間がないって言ってたのは、どこのだぁーれっ!?
「お父さん、九条は忙しっ」
「七瀬さん、僕は大丈夫だよ? 君は本当に優しいね。気を遣わせてしまって申し訳ない」
とびっきりのイケメン風を吹かせて、満面の笑みをあたしに向けてきた九条。ゾゾゾッと背筋が凍りそうなほどの悪寒。普通の女ならキャーキャーなるんだろうけど、残念ながらあたしは“気持ち悪い”としか思えない。
「柊弥君がよければウチで晩飯食ってくか?」
「はぁあっ!? ちょ、お父さん!!」
「いいんですか!? 凄く嬉しいです」
「ちょ、九条! なんであんたもノリノリなのよ!!」
「よし、決まりだな! 舞、いつもより張り切って作れよ~」
ニヤニヤしながらあたしを見てくるお父さんにげんなりする。
「七瀬さんがいつも料理を?」
「……別に、いつもってわけじゃない」
「そっか。それは楽しみだ」
「はぁー。あの、明らかに材料不足なので買い物行ってきます。さようならー」
今日お母さんが作ってくれる予定だったのに、なんでこうなるのよ。
「あ、僕も行くよ」
「結構です。もうひとりにしてっ」
「僕なんて荷物持ちくらいしかできないけど」
「いや、だからっ」
「では、いってきますね? お父様」
「おう! 気ぃつけろよ~!」
「なっ!? ちょっ……!!」
九条があたしの肩に手を添えて、そのままグイグイ押してくるその勢いで外に出された。あたしの肩に乗ってる無駄に綺麗で大きな手をポイッと捨てて歩き始める。
「くくっ。ほーんとつれないね~」
「馴れ馴れしく触るのやめてくれます?」
「いいじゃん。減るもんじゃねぇんだし~」
で、車に乗れと言わんばかりの圧力をかけられる。
「マスターの言うことは……?」
「……“絶対”でしょ? サーバントは黙って言うことを聞けって?」
「フッ、そういうこと~」
もう面倒すぎて何もかも諦めて車に乗り込んだ。ていうか、マジで二重人格なんじゃない?
「あんたさ、病気?」
「……はあ?」
「二重人格でしょ」
「なに言ってんの~? 意味わかんねえ」
意味分かんないのはこっちなんですけど。
「あの気持ち悪い好青年っぷりはなんなわけ?」
「お前、俺のこと“気持ち悪い”って思ってんの?」
「うん。それ以外に何があるわけ?」
「うわっ、信じらんねえ」
信じらんないのはこっちなんですけど。