過ち④
「お礼だなんて、あたしは当然のことをしたまでです。お怪我がなくて本当によかった」
「……あ、ありがとう。貴女の声……ちゃんと届いたわ」
「ははっ。それはよかったです」
「ふんっ。貧乏人は恥も何もないからかしら? 本当に良く通る声よね~、信じらんないわ~」
「こら、凛」
「もうっ、分かってる! じゃーね!」
ぷんすかしながら去っていく凛様。すると、あたしに背は向けているものの、ヒラヒラと手を振ってきた。
「あれが俗に言うツンデレ……なのかな?」
少しだけ、ほんの少しだけ凛様との距離が縮まったような気がする。
「さてと……」
あたしは凛様が救いたかった小さな命を救うべく、血眼になって子猫を探し回った。
「シャーー!!」
「大丈夫だよ……怖くないからね」
ゆっくり抱き上げると、見事に引っ掻かれた。
「シャーー!! シャーー!!」
「こんだけ元気があれば大丈夫そうだけど、一応病院へ行こっか」
逃がさないよう、どれだけ引っ掻かれようが絶対に手を離すことはしなかった。
「ボロ屋だし、4人姉弟だし、お父さん無職だし……でも、みんな猫アレルギーも無いから。あたしが稼ぐし、家族が増えても問題ないからさ。ウチへおいでよ」
あたしはあの過ちを少しでも無かったことにしたくて、消したくて、何か良いことをしたい……そう思ってるだけなのかもしれない。この猫を助ける行為はただの偽善なのかもしれない。
動物病院の前に着いて、あたしの歩みは止まった。
蓮様の言っていた通り、この子猫にとって何が幸せなのか……あたしに拾われたことで不幸にしてしまうのではないか、あたしの選択が正しいのか……この子猫にとっての幸せとは──。あたしは今、無責任なことをしているのかな。そう思ったら漠然とした不安に押し潰されそうになる。
「ごめんね。ちょっと待っててね……」
命の重みを直で感じる。あたしの腕の中にいる、この小さな子猫の重みが何よりも重く感じて怖くなった──。
「舞?」
「やっほ~、舞。何してんの、こんなところで」
振り向くと、そこにいたのは梨花と拓人だった。2人を見た瞬間、どっと涙が溢れて流れ出す。
「は!? ちょっ、どうしたの!? 拓人!! あんた舞に何かしたでしょ!?」
「いやっ、してねーよ!! って、おいおい。舞、引っ掻き傷だらけじゃん!!」
「私そこの薬局で消毒とか買って来るから!!」
梨花は走って薬局へ向かった。
「拓人っ、この子猫どうしよう……っ。あたしっ、助けたくて……でもっ、無責任かもしれないって思ったら、急に怖くなって怖じ気づいて……」
「そっか。もう大丈夫だ、俺も一緒に行く」
「拓人、ありがとう」
「おう」
拓人と一緒に動物病院の中へ入って、子猫の診察を無事に終え外に出ると梨花が待っててくれた。子猫はいたって健康。足は捻挫したみたいですぐに治るとのこと。
あたし達はすぐそこの公園へ行き、ベンチに腰かけた。動物病院で借りたキャリーケースの中で大人しく眠ってる子猫。梨花が引っ掻き傷に消毒液をかけて、優しく拭いてくれてる。
「この子猫、俺ん家で飼うわ」
「え? いや、そんな急に……」
「実は親が猫飼いたいって前々から言っててさ、迎える準備はもう完璧にしてあんだよ。だから、ぶっちゃけ急とかではない。つーか、むしろタイミングよかったわ。今週末ペットショップとか保護施設行くとか行ってたし。俺がこの子猫連れて帰ってもいいか?」
「舞、いいんじゃない? 拓人ん家がそういう予定だったならさ。それに、舞だって会いに行けるし」
「……なら、おじさんとおばさんに挨拶しに行く」
「おう。んじゃ、行くか」
「私も行こうかな~」
「舞も梨花も飯食ってけよ」
それから拓人ん家にお邪魔して、子猫の事情を説明すると快くお出迎えしてくれた。おばさんもおじさんも大喜びで、既にデレデレ状態だった。
「じゃ、母さん。梨花のこと頼むわ」
「はいは~い」
おばさんが子猫用のミルクを買いに行くついでに、そっち方面の梨花を送っていくことに。あたしはいいって言ったのに、拓人が送っていくの一点張りで送ってもらうことになって──。
「舞」
「ん?」
「何かあった?」
「……え?」
「いつもと様子が違うから」
・・・言えるわけがない。好きでもない人と記憶はないけど体を重ねていた……なんて言えるはずがない。
「ううん。何もないよ? ちょっと疲れてるだけ~」
「……あいつには言えんの?」
「ん?」
「あいつには言えて、俺には言えない?」
拓人を見ると、つらそうな表情をしてあたしを見ていた。
「……拓……人?」
「舞さ、あいつと関わり始めてから変わったよね。なんつーかさ、どんどん遠ざかって行く気がする。俺、舞のことずっと見てきた。誰よりも長く、誰よりも近くで。なのに、なんで遠ざかってんだ」
「拓人……」
妙な胸騒ぎがする。ザワザワして落ち着かない。
「俺、舞のこと…………大切な家族だと思ってる」
その言葉を聞いて、スッと胸のザワつきが消えていった。
「舞。俺はお前のことが好きだし、すんげえ大切……もちろん幼なじみとして。俺達はもう家族も同然だろ? 困ったことがあんならさ、遠慮なく頼ってくれよ。な?」
「ありがとう、拓人。正直言うと……色々あった。でも、自分の中でまだ認めきれてないっていうか、信じたくないっていうか……だから、なにも言えないかな」
「そっか……ま、普通に考えたら言えないことだってあるわな。ごめん、強く言いすぎたわ」
「ううん。ありがとう」
── 帰宅してすぐシャワーを浴びた。シャワーのお湯が引っ掻き傷に染みて痛い。鏡を見ると首元には引っ掻き傷とは別の何かが付いてる。
これって……まさか……っ!! 宗次郎が付けたキスマークだと悟った。
「……っ、なに考えてんのよ宗次郎……っ!!」
消えるはずもないキスマークをどうしても消したくて、必要以上に体を擦り続けた。
あたしは、本当に過ちを犯してしまったのだろうか──。