交渉①
『何様だよ、お前』ってさ、こいつにだけは言われたくないんですけど? それはこっちのセリフだわ。『あんたが何様だよ』って感じなんだけど、暴君にもほどがあるでしょ。だいたいさ、何でこいつの車に乗せられてるの? あたし。
意味が分かんなすぎて理解が全く追いついていない。ていうか、これは立派な“拉致”なのではなかろうか。マジ犯罪者じゃんこれ、捕まれってくれ。
「なぁー、まさかとは思うけど俺との交渉忘れてないよな? お前」
「は? 交渉?」
「はぁ。お前さぁ、三歩歩いたら忘れるわけ? 馬鹿すぎない? そんなんでよく生きて来れたな」
なんだろう、こいつの一言一言がマジで癪に障る。
「はは。そんなあなたも勉強とは無縁そうですけど、人にあれこれ言えるほどの学力はお有りで?」
こんなちゃらんぽらんな奴、絶対ろくに勉強なんてしてないし、授業だってまともに出席してないでしょ。きっと遊びまくっているに違いない、特に“女遊び”ね!
「七瀬様、柊弥様は全国統一テストで群を抜いて1位。世界的学力テストでは上位トップ10入りを成し遂げた御方です」
・・・へ? ははは……いや、何ですかそれ、マジですか。
頬をピクピクひきつらせながら九条のほうを見ると、フンッと鼻で笑って凄まじいドヤ顔をしていた。いやいや、もう次元が違うって。あたしと住んでる世界違うでしょ。
「お前が俺に勝とうなんて、一生かかっても無理だから諦めろよ~? ま、俺に逆らうなんてことは辞めといたほうが利口ってこったな。だってお前、俺に勝るもん何一つ無いじゃん。ははっ!!」
ルックス、一般社会における地位、学力、その他諸々、あたしがこいつより勝っている部分なんて一切合切ない。でも、性格面でいえば幾分あたしのほうがマシであるだろう。こいつ、全てを得て性格腐ったんじゃないの?
「お前さぁ、今とんでもなく失礼なこと考えてんだろ」
ジトッとした目で見ている九条に死ぬほど真顔なあたし。
「お前、顔に出すぎ」
「そりゃ失礼しましたー」
なんて適当に謝ると、いきなり顔を近付けてきてスレスレでピタリと止まった九条。
「やっぱお前、女捨ててんだろ」
「……は?」
あたしは死んだ魚の目をして九条を睨み付ける。別に女を捨てているつもりはない。確かに女の子っぽくはないし、女子力は著しく低い。それでも女を捨てた覚えはない。大切なことだからもう一度言おう。『“女を捨てた覚えはない! ”』
「大抵の女はさ、俺がこうやって迫ったら頬を染めて、すんなり受け入れるんだよねえ。お前、本当もったいねぇな。スタイルもまぁそこそこだし、顔もそれなりに悪くはないのに~。ま、あんな犬小屋に住んでたらそうなるかぁ……哀れだな」
── あの、1発殴ってもいいですか? ていうか、なんであたしの家まで把握してんの? ヤバすぎない? こいつ。
にしても、本当にうざい。
「は? 哀れなのはあんたのほうでしょ」
「あ?」
「今あたしに殴られてないことを感謝しなさいよ」
「はっ。なんっだそれ、意味わかんねえ」
分からせてやろうか? 物理的に。ヘラヘラしながら離れる九条にマジで1発入れたい、殴りたい。
「あんたさ、どこにデリカシー捨てて来たわけ? 直ちに拾いに行ったほうがよろしいかと。あたし、あんたみたいなデリカシーの欠片もないような気持ち悪い男、本当に無理だわ。マジで嫌い」
真っ直ぐ前を見据えて、ジト目をしながら淡々とそう言い放ったあたし。その直後ちょっとだけ後悔した。イライラしてたとはいえ、さすがに言い過ぎたかな? うん、さすがに言い過ぎてる気がしてならない。謝るのはかなり癪だけど、謝るしかないかな。
「……いや、あのぉ……」
チラッと隣を見ると、口元を手で押さえて目を細めながらあたしを見てる九条と目が合った。
「くく。悪くねぇな」
「え?」
「やっぱお前、最高のおもちゃだわ」
「は? なに言っ」
「で、俺との交渉忘れてないよな?」
はい? 交渉? えっと、交渉なんてしたっけ? もう色々と情報力が多すぎて、キャパオーバーなんですけどあたし。
「んーっと、なんだっけ? ははは」
「俺の言うこと何でも聞くって言ったよねえ?」
はて、そんなことを了承したのだろうか、あたしは──。
先ほどの出来事を思い出してみた。頭ん中がごちゃごちゃして情報が全く完結しないけど確かに……たしかにそんなようなことを約束してしまったような、そんな気がする。
「はは、よく覚えてないなぁ。ということで、全ては無効ってことでオッケー?」
ニコッと満面の笑みを浮かべて九条を見た。すると、九条もあたしを見てニコォッと微笑んだ。
「オッケー……なわけねぇだろ? アホか、お前」
ペンッ! と思いっきりデコピンされて悶え苦しむあたし。
「……っ!! いったぁ! 何すんのよあんた!」
「ははっ、ウケる~」
無駄に長い脚を組んで、あたしを見下すような目で見てくる九条にめちゃくちゃイラッとする。
「性格ひん曲がりすぎでしょ、あんた」
「どっこいどっこいじゃな~い? つーことで、俺の言うこと聞いてもらうから頼むよ~」
「いや、だからそれはっ」
「おいおい、お前さぁ……貧乏人なうえに学力も底辺で、見た目はそこそこって分際でさ、人様との約束までろくに守れないってヤバくねえ? いやぁ、救いよう無さすぎでしょ~」
「いや、だからそれは違くてっ」
「あ? 何が違うわけ~? つーか、俺のことあれこれ言ってるわりに、自分にはえらく甘ちゃんパターン? “約束は破るためにある”的なぁ? うわぁ、お前モテないっしょ?」
煽り顔をしながら、『言いたいことあんなら言い返してみろよ』と言わんばかりな態度の九条。何もかもが癪に障って仕方ない。でも、あの時“何でも言うこと聞く”という条件を呑んだのは紛れもなくこのあたしだ。
不服でしかないけど、約束は約束。あたしは弟達に『約束は守るためにある』と散々言い聞かせてきた。そんなあたしが約束を破るなんて言語道断。めちゃくちゃ嫌だけど、こうなってしまった以上……聞かざるを得ない。
それに、こんなにもこいつに煽られてすんなり引き下がれるほど人間が出来ていない。どうしても対抗したくなっちゃうというか、“受けて立ってやんよ! ”精神が出てしまう。
そんな性格の自分が心底嫌になるわ──。