償い①
── あれから九条に会うことも、連絡を取り合うこともなかった。
結局、煌と海へ行くって約束してたのに、海を想像するだけで九条のと出来事を思い出しちゃって、胸が締め付けられて息苦しくなっちゃうから、プールに変更してもらって申し訳無いことしちゃったなって罪悪感に駆られながら、あっという間に夏季休暇が終わった。
「おはようございます、七瀬様……って風邪ですか?」
「おはようございます。いえ、大丈夫です」
「なら、なぜマスクを?」
「え、あ……えっと、少し喉がイガイガするので」
「そうですか、お大事に。では、発進しますね」
「よろしくお願いします」
『キスに警戒してマスクをしています』なんて言えるはずもなく。九条とのキスがめちゃくちゃ嫌だった……というわけではない。よかったわけでもないし、不本意でしかなかったけど、別に不快とかそういうのではなかった。ただ、普通のキスすらしたことのないあたしがいきなりあんなハードなキスされたら、そりゃびっくりもするしパニックになるでしょ。
九条が餓えた獣みたいに、喰らいついて離してくれなくて、どうすればいいのか全然分からなくて……。そんな九条が少し怖かったのと、自分が自分じゃなくなっちゃうような感覚っていうか、九条とのキスが甘くて、蕩けちゃいそうで、それがとても怖かった。
なにより、こんなキスを九条が他の人にも当たり前かのようにしていると思うと、胸がギュッとして苦しかった。
九条の周りにいる人達に失礼なのは重々承知だけど、あたしも所詮はそんじょそこいらの女と同等に扱われてるんだなって思ってしまった。特別ならあんなところでいきなり……というか、強引にキスしたりなんてしないでしょ。
九条のことだから『ちょっと血迷ったわ~』とか『ああ~、なぁんか軽くムラムラしちゃって~』とか、そんな感じで適当に済ますだろう。それがどうしようもなく腹立つけど、所詮はクズだって思うしかない。
・・・はぁぁー、あの時『あんたの顔なんてもう見たくない!!』とか言っちゃったもんなぁ。あたしがそう言った時、九条が傷ついたような切ない表情を浮かべてたのが忘れられない。やっぱり言いすぎた……かな? ぶっちゃけ今日会うのが気まずい。
「霧島さん」
「はい」
「九条……元気でしたか?」
「どうでしょう。心なしか落ち込んでいるようにも見えましたね」
「そう……ですか……」
『俺はお前のこと他の女と一緒にしたことも、他の女と変わんねぇな……なんて思ったことも一度だってねえよ』そう言ったあの時の九条がどこか悔しそうで、もどかしそうだったな。声に出さずとも、すべて表情に出ていたからこそあたしは反応に戸惑ったし、なんて言えばいいのかも分からなかった。
九条が何を考えて何を思っているのか……あたしには全く検討もつかない。九条にとってあたしは“ただの暇潰しのおもちゃ”……じゃなかったの?
「柊弥様と喧嘩でもしましたか?」
「いや、喧嘩っていうか……喧嘩ではないですね」
「あまり干渉をするつもりはないですが、早く仲直りしていただけると助かります。最近少々荒れておりまして……色々と」
ルームミラーに映る霧島さんの表情は困ったような、呆れているような、そんな感じだった。あいつが荒れている=喧嘩か、女遊びか、親子関係の悪化か……どれもありえる。
親子関係は正直あたしにも非があるというか、そもそもあたしが九条のサーバントになったことが原因で揉めてるっぽいし、どうにかしなきゃって思ってるんだけど、九条がそれを許さないっていうか『もう二度とあいつとは会わせない』とか言ってめっちゃ怒ってるし。
・・・ていうか、九条の怒り方ってお父さん似なんだなって思った……とか言ったら何をされるか言われるか分かったもんじゃないから言ってない。
九条のお父さん、九条のお母さんのことが大好きなんだろうなっていうことだけは、とっても伝わってきたけどね。
「一応聞きますけど、荒れているとは?」
「主に親子関係の悪化と、喧嘩を少々。そして……まあ、これは聞かないほうがよろしいかと」
「あ、そうですか」
あいつのクズさは今に始まったことではないし、あたしには関係のないこと。だから干渉する気もないし、したくもない。あたしには関係のないことだから……そう思うのに、無性に苛立ってモヤモヤするのはなんでだろう。どうも最近おかしいな、あたし。あいつのことで頭がいっぱいで、本当に意味が分かんない。
「柊弥様は良くも悪くも七瀬様がいないとダメなんですよ」
「なんですか、それ」
「あの御方には貴女しかいない……ということです」
「いや、尚更わけ分かんないんですけど」
「いずれ分かりますよ」
「は、はあ……。あの、霧島さん。ちょっとお願いがあるんですけど」
「なんでしょうか?」
霧島さんは圧倒的九条(柊弥)派閥だからな~。きっと聞き入れてくれないだろうけど、一応聞いてみようかな。
「九条のお父さんにっ」
「その件に関しては私に出来ることはありません」
ま、そうなりますよねー。
「ですが、今から私が言うことは“ただの独り言”なので、どうかお気になさらず」
きっと何かしらの情報をあたしに伝えてくれるはず。霧島さんって本当に出来た人だ……って、あたしが偉そうに言える立場ではないけど。
「旦那様は柊弥様のこと……そして、七瀬様のことも考えて反対しておられるのです。七瀬様のことを“一般庶民だから気に入らない”など、そんな浅はかな理由で否定をされる御方ではありません。旦那様にはかつて、サーバントの家系でもなければ大手企業の息子でもない、とても仲の良い幼なじみの方がいらっしゃったようで」
・・・“かつて”、この言葉が引っ掛かる。それってもう、いない……ということなの?
「そしてその方は……還らぬ人になってしまったそうです。旦那様はあなた達にそうはなってほしくない……そういうお考えなのでしょう。旦那様なりの優しさです」
あたしには、なぜそんな痛ましい結果になってしまったのかが、すんなり分かってしまった。それはあたしが少なからずその幼なじみさんと似た立場だからだと思う。
これはあたしの推測でしかないけど、その幼なじみさんは九条のお父さんのサーバントだったんだと思う。