夏期休暇リターンズ⑤ 九条視点
頷きながらパチパチと拍手する七瀬に『なんだこいつ』としか思えない。
「つか、何様だよお前」
「いやぁ、もうブン殴っちゃうんじゃないかってヒヤヒヤしたわー」
「所構わずそんなことするわけねぇだろ」
「うんうん、よ~く我慢した。えらいえらい! やればできる子だね、九条君! この調子でブラック浅倉が出てきても、うっと堪えて我慢してくれると助かるな! いやぁ、浅倉君は純粋に、いや、過剰に美玖のことが好きなだけなのよ。だからさ、ね? 穏便に済ましてよ。ハッハッハッ~!」
ベシンッベシンッと加減なく俺の肩を叩いてくる七瀬。そのおちゃらけた態度にイラッとして壁に押し当てた。すると、壁に押さえ付けられた七瀬は俺の下でスンッと大人しくなる。
「お前さ、それが人に物を頼む時の態度か? あ? サーバントの分際で」
「ゴメンナサイ」
「もっと誠心誠意っつーもん見せろよ」
「ど、どうすればいいわけ?」
顔をプイッと逸らして俺を見ようとしない七瀬。それが無性に気に入らなくて頬を掴んで強制的に俺のほうを向かせた。
恥ずかしそうに頬を染め、妙に色っぽい表情をする七瀬。あん時の表情、震える体、肌触り、全てがフラッシュバックして、俺の中で何かがプツンッと切れる音がした。
「ちょっ!? んんっ、九条……っ!!」
バシンッ!! 頬に強烈な衝撃と痛みが走って、ふと我に返った──。
「……七……瀬」
俺の腕の中にいたのは、肩が上下するほど息を切らして頬を真っ赤に染め、涙が溢れ出そうになってる七瀬だった。
・・・おいおい、俺こいつに何をしてた?
「……っ、はぁっ……はぁっ……っ、最っ低!!」
「わ、悪い」
いや、なに謝ってんだ? 俺。
「あんたは誰でもいいのかもしれない。でも、あたしは違うのっ!!」
「いや、待て……マジでなにをっ」
「あたしを他の女と一緒にしないで!!」
── 俺がお前を他の女と同じ括りにしたことなんて、一度だってねえーよ。
過呼吸になるんじゃねえかってくらい、息苦しそうにしてる七瀬を見て正直焦った。
「七瀬、落ち着け。ゆっくり息吸って吐け」
「どっか行って」
「おい、七瀬っ」
「あんたの顔なんてもう見たくないの!!」
俺が悪いってことは明白だろ、七瀬が俺をここまで拒絶したことはない……それが全てを物語ってる。でも、何をしたのかさっぱり分からん。
「……俺はお前のこと他の女と一緒にしたことも、他の女と変わんねぇな……なんて思ったことも一度だってねえよ。悪かったな、連れ呼んで来るから待ってろ」
七瀬に背を向けて歩き始めると、後ろでしゃがみ込む音が微かに聞こえた。でも、振り向くことはしない。
「美玖ちゃん」
「あっ、九条……君……どうしたの?」
「悪いけど七瀬さんのこと頼める? 裏にいるから」
「あ、うん。いいけど……九条君、顔色すごく悪いよ?」
「僕のことはいいから七瀬さんのことお願いね。じゃ」
口の中が甘ぇな。そんなことを思いながら人混みの中を歩いた。いや、なんで口の中が甘ぇんだ? で、徐々に鮮明になっていく七瀬との──。
「おいおい……マジかよ、俺」
よりによってあの七瀬に何をしてんだ、俺。ドエロいキスを無理やり七瀬にしてんじゃん……という受け入れがたい現実を突き付けられている。
「あっ、柊弥ー! どこに……行ってた……のよ」
「どうした、柊弥」
「悪い、俺もう帰るわ」
「ちょっ、柊弥!?」
「おい、大丈夫なのか?」
俺の腕を掴んで真剣な表情を浮かべている蓮。
「大丈夫だっての。マジで……なんつーか、ちょっとしたハプニング的なもん」
「本当に大丈夫なんだな?」
「問題ない」
「そっか、分かった」
「悪いな、凛」
「ううん」
「じゃーな」
ちっ、これどうすりゃいいんだよ。いや、もうどうにもなんねぇだろ。
「はぁぁー、やっちまったな」
スマホを取り出して霧島に電話をかける。
〖はい〗
〖車回せ〗
〖え、もう帰られるのですか?〗
〖あ? なんだっていいだろ。さっさと回せ〗
〖承知いたしました〗
電話を切って、スマホをギュッと力強く握った。
「いやぁ、まずったよぁ。さすがに」
つーか、キスの1つや2つで何でこうも悩まなきゃいけねえんだよ。むしろ、俺にキスされるとかラッキーでしかなくね? 『嫌だ!』なんて思う女はあいつくらいしかおらんっしょ。マジであいつがおかしいんだって。
「……はぁぁ」
── 綺麗な瞳に涙が滲んで、溢れ出した涙はポロポロと頬を伝っていく。そして、苦しそうに声を張り上げて俺を咎めるような……そんな目と声していたな。
「ちっ、俺だって誰でもいいわけじゃないっつーの……」
キスなんてしたいと思うことがなかった。だってどう考えても不要じゃね? キスという行為なんて。つーか、適当に抱く女と唇を重ねて、舌を絡め合うなんざマジで無理。だから俺はキスなんて自らしたことがなかったし、させたこともなかった。ま、この前の事故って咲良とはしちまったけど、あれはノーカンでしょ。
そんな俺が初めて“キスをしたい”、そう思ったのが七瀬だった。何でか分かんねえけど、七瀬とならしたいと思える。むしろさせてくんねぇかな? とかしょっちゅう考えてる自分がキモすぎて吐き気するレベル。七瀬とのキスはどんな感覚、感触がすんのか、どんな味がすんのか……とか時々考えてた自分がキショすぎて。
ま、そんなこと考えてりゃ健全な男ならムラムラもしたりすんじゃん? だから俺は適当に女を抱いてた。あ、別に七瀬の面影を他の女と重ねて……とかそんなしょーもねえことはしてねぇから。俺はただ“性欲”を満たしてるだけ。
「……ったく、どうかしてんな」
あいつと出会ってから、あいつのことで頭がいっぱいで、俺の退屈だった日常を、俺の常識ってやつを、ことごとくブッ壊して覆して、俺の中心はいつの間にかあいつになってた。あいつが喜ぶ姿も、怒こる姿も、哀しむ姿も、楽しむ姿も……何もかも全て、全部……俺だけのモノだって欲が出る。
「俺はあいつのことどう思ってんだ? 何だと思ってんだ……?」
“ただの暇潰し”、“ただのおもちゃ”、“ただのサーバント”……? いや、どれもしっくりこねえ。
胸につっかえてるこの感じ、コレの正体がイマイチ分からん。胸にも喉の奥にもつっかえて、吐き出そうとしても吐き出せねえ。あいつのことを考えると、胸がグッと苦しくなったり、時々胸が高鳴っては心拍数がガンガン上がる。
「……そうか」
なるほど、俺は……病気なんだな。不整脈だろ、これ。
「お帰りなさいませ」
「霧島」
「はい」
「俺、病気かもしんねえわ」
「そうですか……そうですかぁ!? なっ、なんと!? びょ、病気!? どっ、どっ、どこか具合でも悪いのですか!?」
「いや、落ち着けよ。つーか、近ぇし」
迫ってくる霧島を押し退けて、車の中に入った。
「いっ、いっ、今すぐ病院へ!!」
「いや、大したことねぇし」
「いけません!! 今すぐ病院へ!!」
「大袈裟だっつーの……ただの不整脈だわ」
「ふっ、ふっ!! 不整脈ぅぅーー!?」
「だぁから、さっきからうるせえっつーの!!」
「すぅーー、ふぅーーー。大変申し訳ございません。少々取り乱しました」
「何でもいいからさっさと帰ってくんね? ダルい」
「承知いたしました」
ようやく車を走らせ始めた霧島。こいつ、俺の体調が少しでも悪いもんなら、地球が滅亡の危機!? くらいのレベルで大騒ぎしやがるからな。ま、それだけ俺に重きを置いているってことだろうけど。
「不整脈はどのような時に?」
「ああ、あいつといる時だな」
「あいつ……とは?」
「あ? 七瀬に決まってんだろ。イライラしすぎてストレスなんだろうな。そりゃ不整脈も起こるっつーの」
「……」
急に何も言わなくなった霧島を不審に思い、チラッとルームミラーを見てみるとなぜかニタニタしてやがる。
「なんだよ。主が不整脈っつってんのに、喜んでんじゃねーよ。お前そんな薄情な奴だったか? 鬼畜だろ」
「申し訳ございません。少々嬉しいと言いますか、微笑ましいと言いますか……。そうですか、""不整脈""ですか。私の見解では……何ら問題のない""不整脈""ですね。帰りましょう」
「""不整脈""って強調して言うのやめてくんね? うぜえ」
「くくっ、失礼いたしました」
── 結局、不整脈の原因も分からず、七瀬に会うこともないまま夏季休暇は呆気なく終わった。