夏期休暇リターンズ③
「おい、七瀬」
オーマイガァァーー!!
はっきり名前を呼ばれてしまった。ていうか、なんっで分かるのよ……気持ち悪いわ。
「はぁー。なんで分かんのよ、あんた」
「俺が見間違うはずがないっしょ。ナメてんのー?」
「え? 舞ちゃん? いやぁ、僕は分からなかったけどね~」
「あら、貧乏人の七瀬舞じゃない。なに、あなたストーカー?」
はい? ストーカーはそいつじゃないですか?
「ていうか、なんで分かったわけ? 声も見た目も全然違うと思うんですけど」
「見りゃわかんだろ」
「何を」
「体型とホクロの位置」
おい、真顔で誤解を招きそうな発言をするなクズ。
「やめてくれない? その言い方」
「毎日見てんだから見間違うはずがねぇだろ」
「だからぁ……誤解を招くような言い回しをするな!!」
「舞ちゃん落ち着いて? ほら、周りの人達がびっくりしちゃってるから」
「これだから品のない女って嫌よね~」
── いや、びっくりしてるのはあなた達が登場したからでは? そして、品がないのは認めざるを得ない。
そっから海水浴場はプチパニック状態で、黄色い歓声を浴びながら胡散臭い笑みを浮かべて、適当に群れをあしらう九条。蓮様は気に入った女の子と連絡先を交換する始末。凛様はもちろん女王様化して、複数の男達をこき使っている。
「へぇ~! 七瀬ちゃん知り合いなの?」
「あーーまあ、はい」
「なら、あの子達の接客任せちゃっていい~?」
「優希さん、それだけは勘弁してください」
チラッと九条達のほうを見ると、“こっちへ来い”と無言で訴えてくる変態悪魔こと九条柊弥。あたしは見て見ぬふりをした。公の場でいつもみたくあたしに絡んでくることはまず無い……はず。
「そこの君~、ちょっといいかな?」
あたしを見て、ニコッと微笑みながら手招きをしてくる九条にぞぞけがした。
「舞ちゃんご指名じゃ~ん。やっぱいつ見ても九条君かっこいいね~」
「それ、浅倉君の前で言っちゃダメだよ?」
「僕が何か?」
「「ヒィッ!?」」
ヌルッと現れた浅倉君に小さな悲鳴を上げる美玖とあたし。あのたどたどしい浅倉君はどこへやら。美玖に近づく野郎は抹消するマンに変貌を遂げていた。
これを“ブラック浅倉”と命名しよう。
「で、七瀬さん」
「はっ、はい」
「あの人達は? 知り合いなの?」
「ま、まあ……」
「そうですか。なら、僕が接客するね」
待って待って!! ブラック浅倉のまま行かないでー!? あたしはブラック浅倉を引き止めて、コソコソッと耳打ちした。
「美玖、あの人の前でも浅倉君の話たくさんしてたよ」
「え?」
「あの人に見向きもしてなかったよ、美玖」
「本当に?」
「うん。もう浅倉君にゾッコンだよ」
「そうかな?」
「そりゃそうよ。あんな見てくれだけは国宝級の男を目の前にしても、浅倉君一筋でブレなかったんだから!!」
そこへ、ベジッと割って入ってきたのは美玖だった。
「真広君!! 舞ちゃんにデレデレしすぎ!! 浮気!?」
「うえっ!? いやっ、そ、そんなんじゃないよ!?」
「舞ちゃんが可愛いのは分かるけど! ダメ!」
「だっ、だからっ! 違うって!」
「ふんっ!!」
あたしのせいで喧嘩が勃発しそうな雰囲気。これは何としてでも阻止しなければ!
「ちょ、美玖? そういうことじゃなくて……って、寒っ!!」
なんか寒くな~い? と周りがザワつき始めた。真夏だというのに場が凍りそうな冷気が流れてくる。その冷気の先にいたのは……不機嫌MAXな九条様でございやす。
・・・あれは、ヤバいな。きっとあたししかアレを宥められる人はいないだろう。いや、あたしですらアレを宥められるか分かんないわ。
「ごめん……あたしが行ってくる」
「そ、そうだね。舞ちゃんしか無理かも」
「ご、ごめん。ぼ、僕には無理かも」
よかった、ブラック浅倉が解けたみたい。たどたど浅倉に戻ってる。
あたしは今にも消えそうな笑みを浮かべ、美玖と浅倉君に見送られながら氷の魔王のもとへ向かう。
「お待たせしました~。ご注文ですか~?」
「よぉ。目と耳までクソ馬鹿になったんじゃねぇかって心配したわー」
「はは。何を仰いますか」
「つーかお前、日焼け止めちゃんと塗った?」
「は?」
「赤いぞ、背中」
「え? 塗ったけど、一応。てか、それが言いたくて呼んだわけ?」
「柊弥は舞ちゃんのことが心配でならないんだよ。日焼けですら……ね」
「なによそれ。柊弥ってそんなキモい男だったの?」
「お前らは黙っててくれる? つーか、日焼けバカにすんな。普通に痛ぇだろ」
・・・九条ってこういうことろあるよね。優しくないんだか、優しいのかよく分かんない感じのやつ。
「お心遣い感謝いたします。なら、日焼け止めを塗って参りますので、少々お待ちくださいませ。では」
あたしは2階へ上がって、鞄の中をガサゴソと漁った。
「日焼け止め、日焼け止め~っと……あったあった」
日焼け止めを手に取り、立ち上がった時だった。
「貸せよ」
突如真後ろから聞こえた声に驚いて、ビクッ!! と肩を跳ね上がらせたあたし。
「ぎゃっ……んっ!?」
思いっきり叫びそうになったあたしは、後ろから伸びてきた何者かの手によって口を塞がれた。
「おいおい、勘弁してくれよ。デケぇ声出すなよ? 分かったか?」
コクコク頷くとパッと離れた手。振り向くとそこにいたのは……言うまでもなく九条だった。
「はぁぁー。あんたねぇ……ここ! 女子部屋!」
「へぇー」
「『へぇー』じゃないわ! ていうか、勝手に上がってくんな!」
「あ? ちゃんと許可取ったけど? ここの管理人に」
「……ああ、そうですか……」
「貸せよ、俺が塗ってやるから」
「は?」
「あ?」
いや、こいつバカなの!? やっぱ境界線バグってない!?
こういう時に限って至って真面目っていうか、真剣っていうか、おふざけ一切ないし。あたしの体に触れることが当たり前で普通です! 的な感じになってるのはなぜ!? 彼女でも友達でもない女の素肌になんの抵抗もなく触れられる貴様はなんなんだよ! どんな神経してんの? ねえ! 少なからず戸惑ったり、困惑したり、遠慮とかするもんでしょ!
「いや、自分で塗れるし」
「届かねえだろ。だいたいお前の塗り方雑だし」
「塗れてりゃ何だっていいでしょ、別に」
「まばらになんぞ~。つーか、日焼けで痛い思いするのお前な? ちゃっと塗っとけ、馬鹿が」
「だからっ、あんたバグってない!?」
「あ? なにが?」
・・・ダメだ、本っ当に分かってない。何とも思ってないんだ、こいつは。それもそうか、クズだもん。女体なんて飽きるほど触れてるはず。だから、あたしの素肌に触れることなんて微塵も抵抗ないんだろうね。1ミリも何とも思ってないんだわ。なるほどね、なるほど。
あたしだけが意識しちゃってるみたいで、物凄く癪に障るわー。うん、気に入らない。なんか負けたみたいで。
「ま、いいわ。そんなに塗りたいならどーぞ?」
あたしは日焼け止めを九条へポイッと投げた。
「ったく。“塗ってください”だろ」
なんかほざいてるわーとか思いながらあたしは九条に背を向けて、体にギュッと力を入れる。そして、あたしの背中にピタッと九条の手が触れ、少しだけピクッと反応してしまう体。
「なに?」
「べっ、別に何でもないけど……」
「そ」
遠慮というものを知らないのか、ベタベタあたしに触れてくる九条。なんていうか……その、手つきが……エロくない? 気のせい? これが普通なの?
・・・九条の指先がとてもアツく感じる。万が一、変な声が出ちゃわないように、両手でしっかり口を覆ってひたすらこの拷問に耐えた。
「……っ」
「お前、なに震えてんの?」
「いやっ、あの……これは違くて」
「あ? なんだよ」
ひょこっとあたしの顔を覗き込んできた九条が目を見開いている。
「……お前さぁ」
口元を押さえているあたしの手を優しく掴んで、ゆっくりと引き離した九条。
「あっ、あのっ、違うの……これはっ……」
「誘ってんの?」
「へ?」
「お前さ、マジで気をつけたほうがいいよ。つーか、俺以外にその顔すんの禁止な」
「いや、ちょっと……言ってる意味がよく分かんない」
「そうか。だったら分からせてやるよ」
「えっ!?」
ガバッと後ろから覆い被さるように抱きついてきて、頬をムニュッと掴まれたと思ったら、鏡のほうへ顔を向けさせられた。
「こういう顔」
「……」
瞳は潤み、頬を染めて耳までほんのり赤い──。
「これ、俺以外に見せんなってこと。オッケー?」
コクコク頷くとパッと離れて、日焼け止めをあたしに渡してきた九条。
「んじゃ、後は自分で塗れよ~」
手をヒラヒラさせながら去っていった。
「……なんなの、あいつ……ムカつく」
全く余裕がなかったあたしに比べて、九条は何事もなかったような振る舞い。余裕というか、こんなの本当に大したことないって感じの反応だった。
やっぱ慣れてるんだろうな、こういうの。
・・・“圧 倒 的 敗 北 感”。
「ああ、もうっ!! 腹立つ!!」
悔しい、場数の違いを見せつけられたわ。
──いつか見返してやる、そう心に強く誓った。