例の出る部屋
数年前書いた話。
タイトルは絶対誤字だとは思うんですけど、そのまま付けました。あながち間違えてはいない。
今年の春から一人暮らしを始めた。
築30年の木造アパートの4畳1間の和室は、綺麗なはずもなく都内にしては安いと言える物件だった。駅からは近いしスーパーもコンビニも徒歩10分以内にあるのだから、不満なんかなかった。
ただひとつ、俺の部屋に霊が出るという問題を除けば。
時間は決まって深夜2時。俺が布団で寝ていると煙草の匂いが漂ってきて目が覚める。身体は金縛りで動けないが、目だけを動かし煙が漂ってくる方に視線を向けると、窓際の縁に座る男の姿が見える。暗闇と背後の月明かりによる逆光ではっきりと姿は見えないが、ワイシャツを着たそこそこ歳のいった男だということはシルエットや仕草で分かる。
男は煙草を吸い込むと、室内に向かってふぅと煙を吐き出す。窓は開いているのにも関わらず、この男は必ず室内の方へ向かって煙を吐く。
1本吸い終わると男は、俺の方に顔を向ける。その視線の先が俺と合っているような気がするが、確かかは分からない。
そして気付けば朝になっているというのが毎度の流れだ。最初は恐怖でしか無かった。
誰かが部屋にいるという恐怖。泥棒かもしれない、殺人犯かもしれない、という考えが頭の中を駆け巡った。けれど気が付けば朝になっていて、夢かとも思ったがそれが何日も続けば次第に脳が冷静に判断できるようになり、生きている人ではないと結論着いた。
毎晩施錠はしっかりしているのに深夜には開いている窓。けれど朝起きて確認すると窓は開いておらず鍵はかかっている。何か物を盗まれるわけでも危害を加えられるわけでもなかったし、何より金縛りになって動けないという心霊現象。
ひとつ上げるなら、煙草。
俺は煙草を吸わない。
それなのにいつも吸殻が1本、机の上の灰皿に置いてあるのだ。
最初のきっかけは、同じ大学の奴が遊びに来た時に置いていった何かキツめの煙草。名前は忘れた。吸ったことなんかないくせにイキって買って、結局まずいとか文句言って置いてった。俺は吸わないから放置してたらある日深夜に煙草の匂いと煙がして、それからずっと。放置していた煙草の箱は今はもう空っぽになってしまったのに、どういう原理なのか不思議で仕方ない。
とにかく、その男が毎晩来るので睡眠妨害され寝不足なのだ。
「今日も隈が酷いな」
学食で課題を広げていると、事の発端である奴ーー高橋が目の前に座る。
「うるさい全部お前のせいだからな」
「はあ?」
「罰として課題を手伝うことを要求する」
「なんの罰だよ。お前のその隈はバイトのし過ぎだろ」
ド正論だが、心霊現象はイレギュラーなのだから俺がバイトをいくつかけ持ちしていようがそれとは関係ない。絶対関係ないったらない。
「そんなに無理せんでも、仕送り貰ってるんだろ?」
「……」
「どうせ意地張って使ってないんだろ。俺だったら開き直って貰えるもんは貰っとくけどな」
「……善意ですらない施しを受けたって、腹が立つだけなんだよ」
「そういうもんかな」
「そういうもん」
高橋はやれやらと言ったふうな顔をして、俺と同じように課題をカバンから取り出す。なんだかんだ文句を言いつつも手伝ってくれるのだから、事の発端だとしても良いやつだ。高橋に手伝ってもらい何とか課題をキリのいいところまで終わらせると、俺はバイトに向かった。
・
・
・
「はあ……」
まただった。昨日の夜もまたあいつが来た。いくらちゃんと寝ても深夜に目が覚めては睡眠の質は悪いし寝た気が全くせず朝だけじゃなく日中も起きていることが正直辛い。昼過ぎまで寝ていたいところだが、早朝はコンビニのシフトを入れてるので起きなきゃいけないし、その後は講義が入っていて夕方から夜にかけて居酒屋のバイトがある。ゆっくり寝られるのは夜だけだと言うのに、安眠ができない。
「ちくしょう、あいつまじでどうしたらいいんだ」とぼそりと呟くと隣に気配を感じた。
「どうしたの新田くんため息なんて」
「安藤さん…」
「なに、恋わずらい?」
「そんな、安藤さんじゃあるまいし」
安藤さんは俺とは別の大学の四年生で、就活だからということで朝だけシフトを入れている。容姿だけ見ればモデルでもやっていそうだが、中身がとても残念で、年上の人にすぐ惚れてしまうような年中恋愛をしている恋愛脳な人だ。
「新田くんに変な印象持たれてそうだけど、私これでも節操あるからね?」
「よく言いますよ」
「で? 恋わずらい?」
「違います、寝不足なだけですよ」
「え、それ恋わずらいじゃないの? 好きな人のことを考えたり返信待ったりして寝不足なんじゃないの?」
「それ安藤さんだけです」
安藤さんと初めて顔を合わせた時、俺は思わずときめいた。正直にめちゃくちゃ美人だったからだ。
けれど、シフトが被る度に安藤さんのことを分ってくるとときめかなくなった。この人は年下と同年代には一切目もくれず、何故か年上のしかもオジサンにばかり惚れる。それだけならまだしもストーカー気質なのだ。警察沙汰ギリギリレベルに。普通にあたおかだ。
「ねぇ、ちょっと新田くん見てよ! あのおじさんめっちゃイケメンなんだけど」
「あーはいはい。仕事しますよー」
「えぇ、めっちゃイケメンなのにー!」
どうにか一目でも見て欲しいと駄々をこねる安藤さんを無視して、日勤への引き継ぎ業務にうつる。安藤さんってもしかしたら、精神年齢が低いのかもしれない気がしてきた。
日勤と引き継ぐ時間帯は通勤時間と被るため怒涛のレジラッシュが起きる。そのために帰るに帰れず、いつもラッシュが落ち着くまで残業だ。
オジサン好きの安藤さんにとってはリーマンが多いので眼福な時間らしいが、俺にとっては早く終わって欲しい地獄の時間だ。何せ眠気と疲労でフラフラなのだ。「おつかれさまでーす」と、退勤ついでに店裏のコンテナに捨てるゴミ袋を持って店を出る。安藤さんは煙草を吸ってから帰るので、いつも俺がゴミを捨ててる。そもそも女性に捨てさせるのは気が引ける。
店の裏手に回りコンテナを開けるとゴミ臭さが外に漏れでる。何回嗅いでも慣れない匂いに、顔を顰める。すぐに息を止めてゴミ袋を中に投げ入れるとぴしゃりとドアを閉める。
腕時計に視線を向けると、9時45分頃。今日の講義は11時半からだから、早めに大学に行って寝よう。有難いことに提出する課題は昨日高橋に見てもらって終わっているので時間がある。
心の中でガッツポーズをし振り返ったところで、陽の光が目に直撃する。
うっ、やば……
眩しさで目の前が真っ白になった。ちかちかと目から脳にかけて信号が点滅するような感覚。自分の身に何が起こったのか分からないが、何かが起こったということだけは理解した。
目の前の光がようやく収まり、何が起こったのか理解しようとしていると頭上から声がした。
「おい、大丈夫か」
「え?」
上を見ると、至近距離で眉間に皺を寄せるオッサンがいた。オジサン、ではなくオッサンだった。疲れたような顔だが、少し厳つい感じで安藤さんが好きそうなまだまだ現役で若い頃はさぞかしブイブイ言わせていたであろうオッサンだった。
ちなみに俺の中でオジサンは、イケメンではないフツメンのくたびれたリーマン。
「え、あ、え?」
「分かんねぇか。煙草吸いに来たら、お前ふらついて倒れそうになってたぞ」
ま、まじか……
「す、すみません」
「寝不足か?」
「えっ」
「隈が酷い、おまけに貧血だな。飯は食ってるのか」
「え、あ、はい」
「最後に食ったものはなんだ」
「こ、コンビニの廃棄弁当ですが……」
「その前は」
「えっ、と……確かコンビニの廃棄のパンだったような」
「腹に入ればいいと思ってるだろう。コンビニ飯だけじゃ栄養に偏りが出る」
俺、何を聞かれてるんだろうか。というかこの状況って何だろう。オッサンに抱えられた状態で質問攻め。オッサンも何がしたいんだろうか。
「夜もバイトか?」
「まぁ、そうですけど……」
「何時に終わる」
「22時までですが……」
「バイト先はどこだ?」
「〇〇駅前の〇〇通りに入ってすぐにあるとこの居酒屋ですけど」
「分かった」
俺、何を聞かれてるんだ?
わかったって何が?
「立てるか?」
「あっ、はい、立てます」
「気を付けろよ」
「あっ、はい、どーもありがとうございました……」
そう言うとオッサンは何事も無かったかのように去っていった。
「こっわ……」
・
・
「終わったか」
「え、なんでここに?」
夜のバイトが終わり、裏口から店を出たところで朝会ったオッサンが待ち構えていた。
「22時に終わるって聞いたからな」
いや、そこではなく……。
ていうかオッサンの服がヤの職業の人みたいな格好なんですけど、まさかな。
「行くぞ」
「えっ、ど、どちらにですか!?」
そう言って連れてこられたのは高級焼肉店の個室。目の前に並べられたキラキラと光る新鮮な生肉たち。ここ、絶対高い。
「あ、あの、俺そんなに金持ってないんですけど…」
「バイトしてる学生に払わせるわけないだろ。奢りだから気にせず食え」
いや、余計食べずらいのですが。
店入った瞬間に顔パスで個室にずんずん進んで行くし、すぐに料理が運ばれてきたし、店内の雰囲気がもう高そうだし、この人絶対普通の人じゃない。
「この歳になると1人で食べられる量ってのが分かってくるんだよ。だから、焼肉が食いたくて来ても元が取れねぇ。それは勿体ないだろ?」
「つまり俺は残飯処理、と……」
「そういうことだ」
気を遣われている。
これで食わなかったらむしろ失礼なやつだ。まぁ、流石にここまでされて全額払えってことにはならないだろうし、そうまでするメリットも見えない。
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
「あぁ」
・
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・
「ごちそうさまでした」
「あぁ、うまかったか?」
「はい! 久々に美味い飯を食いました」
「だろうな」
気づけば会計はオッサンによって済まされていた上に、生まれて初めてレベルに美味い飯を食って、幸せな気持ちで店を出た。この時間になると先ほどまで騒がしかった街は人が減り少し静かになる。
カチ、と金属の当たるような冷たい音の後に、ぼっと火の付く音が鳴る。隣を見れば、煙草を口に咥え火をつけるオッサンの姿がある。
そういえば、俺がフラついて倒れそうになった時も煙草を吸いに来たって言ってたっけ。
煙草の先にじりじりと火が点くと慣れた仕草でライターをポケットにしまい、咥えていた煙草を口から離すと、ふぅと息を吐いた。
(そんな仕草だったのか)
そんなことをふと思った。
深夜の真っ暗な部屋では、どんな風に吸っているのか姿は明確に見えない。
今ようやく目の前でそれが見れた。
違う人なのに、まるでまるっきり同じ吸い方をしているような気がした。
(煙草を吸う仕草って、なんかあれだな)
じいっと見ていると、オッサンが視線に気づき俺を見た。
「なんだ、これに興味があるのか?」
「え、いや、ないですけど」
自分が吸う方で興味はないが、吸う姿に少し興味を惹かれたのは事実だったため、謎の後ろめたさを感じ少し変な返答になる。
オッサンはそんな俺に何を思ったか、ニヤッと笑う。どうやら本当は興味があるけど、恥ずかしさからか嘘をついた、と思ったようだ。
「やめとけよ、せっかく綺麗な肺が真っ黒になるぞ」
「肺なら毎晩の受動喫煙でもう半分くらい真っ暗ですよ」
「毎晩?」と、オッサンは眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔で俺を見た。思わず言ってしまった発言にハッとする。
「俺もう帰ります、明日も朝早いんで」
「あぁ、そうだな。じゃあ気をつけろよ」
去り際に頭を2回優しく叩き、オッサンはネオン街の方に歩いて行った。
「完全に子供扱いされてるな……」
オッサンからすれば確かに子どもではあるが、どこか釈然としない気持ちで俺は自宅へ帰った。