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汝、騙ること勿れ(2)

 苔むした地面に、大きな狼の足跡だけが残っている。ディアと守護獣の両方を見失い、キルとイートは真新しいそれを頼りに 獣たちの消えた先を探していた。


「……うん? 足跡が消えちゃった」


 とある地点まで辿り着くと、土の地面が無くなったわけでもないのに 大狼の足跡が見えなくなった。何処かへ飛び移ったにしては乱れのない、最後に一度 立ち止まったとも推測できる跡が残っている。

 ふと 我に返り 辺りを見渡せば、大聖樹の周りをぐるりと回ってきたようで 景色の印象自体は守護獣が現れた場所とそう 変わらない。相変わらず 陽差しの明るい空き地の中である。


「ディア様ー? 何処においでですかー?」

「……ディア様、食われちゃったりしてないよね?」


 額を押さえながら呟くイートに、キルの顔色が瞬時に変わる。イートよりもよっぽども深刻に捉える、顔に傷持つ黒髪の娘を笑ってから「安心してよ」と言葉にしておく。


「俺が顕現してる時なら、いつでも受肉リスポーン出来るから大丈夫だよ。どうも今は受肉リスポーンさせられないから、身体いれものの方も無事みたい」


 イートがそう 言い終えるより早く、ディアの「のわーん」という声が降ってきた。


「ディア様!? 樹上にいらしたん……ひっ!?」


 声の出処を辿って大聖樹の幹を見上げ――キルの息が一瞬 止まった。

 何本も張り出した枝から 同様に無数の蔓が伸びている。それだけなら別段 変わった事柄でもない。何もそこに無かったなら。

 人の形をしたものに無数の蔓が絡みつき、糸繰り人形のように吊るされている。

 目視で見つけるより先に、「のわーん」の声とともにどれかの枝からディアが飛び降りてきた。弾みで揺れる 蔓と人影が薄気味悪い。


「やっぱり 余裕で御無事だね。ナプシュの守護獣は? 成敗なさったの?」

「いや」

「そうなの!? ディア様、何やらかして下さってるかなー……」

「取り逃がしたとか見失った、とかの意でしょうか」


 一見 意味の通じそうなイートとディアのやり取りに、おずおずとキルも口を挟む。ディアが「いや」と答えて返すのを、横でイートが通訳してくれた。


「ディア様が仰るには、守護獣はディア様……というか 俺たちを、森から立ち退かせようと追いかけ回してきたみたいなんだけど、それをわざわざ向かったら困りそうな方へと逃げてみたら ここに着いたんだって」

「“いや”のひと声に なんという情報量……」

「で、上のアレを見つけた途端に“あ、やべ”って感じで消えちゃったって」

「それで、何を隠しているのか調べていたら 私たちが追いついた、と」


 なんと手段を選ばぬ問題児……ではなかった、勘の鋭い御仁なのだろう。よもや 神々の手には負えない厄介者を、体よく押しつけられたのではなかろうか。

 悩ましげに頬に手を当てるキルの足下から、淡い緑色の瞳が見上げてくる。「のわーん?」……押しつけられた? 違う、授けられたのだ。


「いかがいたしました、ディア様。撫で撫でですか? 抱っこですか? あですか? ぐですか?」

「……いやあああ」

「ごめんね、ディア様。前はこんな はしたない娘じゃなかったんだよ」


 不用意に伸ばした手をはたき落とされ、はっとキルも我に返る。


「おっと、失礼いたしました!! それで、何かお分かりになったのですか?」


 「ん」と答えるディアの声が、草を薙ぐ風の音に遮られた。

 影も音も持たぬ気配に イートがいち早く感付き、キルとディアの前に移る。


「あら、見つかっちゃった」


 空き地を取り囲む木々の陰から、陽光に炙り出されるように白く細い素足が浮かび上がる。それは空き地へ踏み込むと同時に人の形を取りはしたが、イートの正面まで来ても うっすら向こう側が透けて見えた。

 ゆるやかに波打つ 栗色の長い髪。肌着よりは幾分厚い生地だが、この森の中では少し寒そうなローブのみを纏う。紅茶色の瞳は侵入者に怯える様子もなく、悪戯を仕掛けてきそうに 笑みさえ含んでいた。

 背丈は自分と同じくらいに見えるが、少し年下であるかもしれない。そんな印象を抱きつつ、キルは再び大聖樹を仰ぎ見た。

 蔓で吊られている少女と、どう見ても同一人物だ。


「主よ!! 払い給え清め給え、彷徨える迷い子に安らかなる眠りを与え給え!!」

「ちょっとぉ!? 魂が離脱しているだけで、まだ生きてるんですけどぉ!?」

「彷徨える魂は死を受け入れられず、皆 そう言うのです」

「……あのね、キル。本当にこの人、死者の魂じゃ ないみたいだよ?」

「なんと。私としたことが、とんだ早とちりを」


 とはいえ、吊るされている方の少女も 作り物のように生気がない。魂が離れた状態で 肉体が朽ちていないのも妙だ。人間ではないのだろうか。


「ああ、あの人型の器が気になるのね。アレは 光輝の女神【ウレキテス】様に授かった『移動できる肉体』よ」


 「……【ウレキテス】、様」眉間に皺を寄せ、不愉快そうにイートが呟く。ディアがイートの脛に頭突きをすると、顔はそのままで「分かってる」と返していた。


「そして あたしが、大聖樹【ナプシュ】の魂であるペッセ。挨拶が遅れて悪かったわね、旅人さんたち。見たところ、闇神【ムニキス】に連なる者のようだけど」


 「静穏の闇神【ムニキス】様」低い声で、しかしきっちりとイートは言い直した。尻尾の先の焦げ茶部分を、忙しなく自身の太腿に打ちつけている。


「お察しの通り、俺たちは静穏の闇神【ムニキス】様に仕える神徒イートと巫女のキル。そして、強くて可愛い長毛猫ディア様……痛ぁ!! なんで咬むの!?」


 イートばかり頭突きをされてずるいと思っていたが、無礼なことを言えばやはりお仕置きを受けるのだと キルは少し安心した。と、同時にイートの台詞に引っかかりを覚える。


「イート様? 今日は 格好良く自己紹介をしないのですか?」


 キルの耳打ちに 頭を抱えて大きく仰け反り “しまった、忘れてたぁ!!”と全身で表現しながらも、口からは「必要ないよ」と搾り出す。


「ムニキス様への恩を忘れて 器ひとつでウレキテスに靡く奴なんか、はなから信用できないし」


 訝しげな顔でこちらを見ているペッセであるが、彼女に害意は無さそうだ。


「大聖樹の霊神様でいらしたのですね。幾つか 伺いたい事柄があるのですが、今 この場にてお尋ねしても?」

「構わなくてよ。……余所では やれ大聖樹だ霊神だって担がれているけれど、元は一介の魑魅(スダマでしかないの。ペッセでいいわ、もっと楽に話してちょうだいな」


 「ならば、お言葉に甘えまして」いずれはムニキス神に従い、【魔を統べる王】の許へ下る者。遠慮はいるまい。イートも腕を組んで うんうん頷いている。


「ペッセさんは、何故 あのような場所で魂が抜けてしまったのでしょう?」

「おおう……そうよね、そう見えるわよね……」


 吊るされている肉体の方のペッセを指差すキルに、魂のペッセは誤魔化すふうに視線を背ける。イートとディアは顔を見合わせているが、キルは目線を逸らさない。

 自身でも大聖樹を見上げながら、思い出すような口ぶりでペッセは話しだした。


「そうね……あれは、光輝の女神【ウレキテス】様に『移動できる肉体』を授かってから少し経った頃かしらね。あの頃のあたしはまだ 魂移しに半信半疑で、大聖樹から 人型の器に入る気にはならなかったのよね」

「その割に、今ではすっかり同じ形の魂になってますけれど」

「そりゃそうでしょうよ。一度はあの器に納まったんだもの」


 いつの間にやらキルの隣に並び、イートも「ふぅん」と呟いている。


「そう、納まったのよ。あの狼――守護獣のヲルファに唆されて!」


 ぴくん、とディアの小さな三角耳が跳ねる。何も口には出さず、誰もが続く言葉を待っていた。


「ヲルファも もう長い時を生きていて、この森を統べても可怪しくはない聖獣であることは あたしも認めるわ。だけどアイツは 聖獣としてではなく、大聖樹を乗っ取ることで この森を手中に収めようとしたのよ!」


 語調が強まり、わなわなと ペッセの拳がふるえる。その姿を目の当たりにしてなお どこか冷めた表情で、イートは疑問を口にする。


「それなら、守護獣ヲルファの魂が大聖樹に入ってるってこと? 違うよね。俺たち たった今、守護獣ヲルファに会ってるんだから」


 「大聖樹の中には、誰も入っていないわ」事も無げにペッセは言い切る。


「アイツは『移動できる肉体』にあたしが入っている間に、器ごとあたしを絞め殺そうとしてきたの。幸い樹体に触れていたお陰で 大聖樹の意思を引き出してヲルファの魂を弾き出すことには成功したけれど、反動であたしの方も魂が離脱してしまったのよ」

「それで 守護獣ヲルファだけが元の狼の姿で存在している、という事でよろしいですか?」

「そうね。アレは元々 半霊の存在だから」


 なるほど、だから姿を消したり出来るのだな、とキルも納得した


「のわーん?」


 ディアも気になる点を見つけたのか、ペッセに何事か問いかける。ちら、と一瞥したものの、それが問いかけであると ペッセは気付かない。


「ふむ。守護獣ヲルファがわざわざ森を出てまで 俺たちに襲いかかってきたのは、どうしてだと思う? 何もちょっかいかけて来なければ、俺たちはヲルファを追って この森まで来たりしなかったのに」


 「え」と声を上げるキルを ディアが「のーん」と言って制止する。じっと 細めた瞳でこちらを見つめているのは、“黙って聞いておけ”とでも 込められているのだろう。


「これは推測でしかないのだけれど」


 顎に手を当て、ペッセは吊るされている自身の肉体を仰いだ。


「あなたたちに、あの『移動できる肉体』を破壊させるつもりじゃないかしら。あたしはこの森にる限り、いつでも器に戻ることができる。ヲルファが大聖樹を乗っ取るのを阻止することもできるし、『移動できる肉体』に入って守護獣ヲルファを殺めるために動くこともできるの」

「守護獣を手に掛けるだなんて、そんな恐ろしいこと……」

「あら、あたしは大聖樹の霊神よ? この森に害為す者を排除するのも 御役目の一つなの」


 唇に人差し指を当てて、悪戯っぽくペッセは片目を瞑ってみせる。半透明でなければ ただの可愛らしい 年頃の少女だ。


「でも、アイツの思惑に乗せられる前にあたしを見つけてくれて幸いだったわ。まさかヲルファも、あたしを抹殺するために呼び込んだ旅人に 返り討ちされるなんて、考えてもいないでしょうね」


 邪に口の端を吊り上げかけ、イートの不審そうな眼を見るなり 元の笑みへとペッセは戻す。


「のわーん」


 イートのつま先を踏みながら、空気も読まず ディアが声を上げた。


「……うん、構わないよ、行ってらっしゃい」

「のーん」


 ひと声残すと ディアは空き地を飛び出し、木々の茂る暗がりへと駆けて行ってしまった。「どうなされたのです?」とキルが訊ねると、目は背けたまま「用足しだって」とだけ、イートは答えた。

 また匂いつけでもして 守護獣ヲルファを怒らせたりしなければ良いが。暗がりに消えたディアを見届けて、キルは再び ペッセに向き直る。


「今の話しぶりだと 私どもに守護獣の排除を求めているようですが、私どもにそんな力はございませんし、」

「あるよ。俺もディア様も最強だよ」

「はいはい存じてますよ。それは置いておくとしてですね。守護獣と敵対したとて、そのような物騒な依頼は お請けするわけには参りません」


 「分かってるわよ」と軽い調子でペッセは頷く。


「いかにムニキス神の手先であろうと、人の世にて聖獣を滅するわけにはいかないでしょう。あたしが頼みたいのは、あの肉体カラダを降ろしてくれって事」


 あの肉体ウツワを大聖樹から引き剥がしてくれたなら、後始末くらいじぶんでやるわ。


「……そういうことなら。ちょっと準備が要るから、ディア様 迎えに行ってくるね。キル、何してるの? 行くよ」

「え、あ、はい」


 面白くなさそうな表情の割に あっさり頼み事を引き受けるイートに、分かりやすくキルは戸惑っている。そもそも準備とは、


「何が要り用なのですか?」


 ディアの消えた暗がりに入った後で、イートの背中に問うてみた。


「特にないよ」


 振り返りもせずにあっけらかんと言い放つイートに、思わず「はい?」と声が漏れる。


「強いて言うなら、ディア様の報告をうかがうこと、かな。ディア様ー? いらっしゃるー?」

「いや!」

「力強い否定。御不在みたいだね」

「ディア様本猫ほんにんが お返事されてるではありませんか!!」


 木々の枝を伝って白い影が駆け寄ってきた。「ぶみ」と空気の洩れる音とともに イートの手前に着地する。長い毛並みには細かな枝っ端や草っ葉、引っ付き虫がびっしりと絡まっていた。


「うわ、酷い御姿。これはキルによるブラッシング刑だね」

「っいやああああ!!」

「なんですか、ひとを拷問官か処刑人みたいに!!」


 言うが早いか毛梳き櫛を取り出すキルに、造作もなくイートはディアを押し付ける。しばらく じたばた抵抗を試みていたが、二人がかりで押さえられているうちにディアも観念し、その身をキルに預けてくれた。


「さて、ディア様。守護獣ヲルファに【ナプシュ】について聞かせてもらえた?」


 ディアの毛を梳くキルの手が止まる。


「キルはそのまま、ディア様のお手入れに専念していいよ。この状態で、守護獣ヲルファ側の言い分を聞かせていただこう」

「ん」


 いつしか嫌がっていたことも忘れた様子で、気持ち良さそうに ディアはぶくぶくと喉を鳴らしていた。

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