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汝、騙ること勿れ(1)

 その森の名は ナプシュ、治めし大聖樹の名を冠す。

 遥かの昔、魔の神の息吹を受け 小さな芽は霊神へと育った。

 森に棲まう小さき者たちの拠り所となり、穏やかな暮らしを護っていた。

 ――光輝の女神が、その使いを送り込むまでは。

 奪われ、殺され、焼かれた森は 怒りに逆襲する。

 魔の神に借りた力を以て鳥獣に苛烈な体躯を与えた。草木に蝕みの毒を与えた。この静かな楽園を侵すものに、神罰を。

 光輝の女神はナプシュの怒りに屈し、一人の娘を差し出した。

 ――大地ツチに根を張る旧き者よ、なれ肉体カラダを与えよう。

   その手で触れ、その足で歩み、世というものを識るがよい。

 昔語りは苔に覆われ、その続きは 誰にも 読めない。


**


 肌寒い明け方の空気の中 横たわる体の、左肩の上と右脇腹に暖かな毛玉が乗っている。柔らかく、ほどよく重く、頬にかかる小さな呼吸音が心地好い。


「主よ、ここは神の寝所でございましょうか……」


 本来であれば起床の時間であったのだが、《ムニキス》の都が失われた今、それを咎める者もない。起きねばならぬ気持ちと、神に連なる者たちの意思に従うべきとの欲求が キルの胸でせめぎ合う。

 肩に乗っている方の毛玉は 耳の先に焦げ茶が見える、闇神【ムニキス】の御使い様のイートだ。とすると、脇腹にくっついている方は 末神【メルトディアス】の化身であるディアだろう。キルが眠りに就く前は、手の届かない位置で香箱を組んでいたと思ったが。


「ああ、ディア様……柔らこうございますね……イート様のぬめぬめ感とはまた違うボフボフ感……それでいて この身の詰まり加減、痛あっ!!」


 ここぞとばかりに撫でくり回すキルに、とうとう堪忍袋の緒が切れたディアが咬みついた。思わず手を引っ込めようとするキルの腕をガッシと掴み、大菱形骨の辺りを更に奥歯でゴリゴリと噛んでくる。これは相当、お怒りだ。


「痛い痛い痛い!! 無礼を働き申し訳ございません! お許しを!!」


 キルの反省を促すべく念入りにゴリゴリやった後で、ようやくディアは腕を放した。フン、と鼻を鳴らしてから、毛太い尻尾をブンブン揺らして 天幕タントから出て行ってしまった。

 早朝から騒ぐキルとディアのせいで、ぷるぷると伸びをしながら獣形態のイートも起き出した。「ごあーん」と言いながら キルの脛に頭突きをしてくる。


「あっと、起こしてしまいましたか。イート様もおはようございます」


 旧い時代の《ムニキス》の都を出て数日。人形態のイートが申し出た通り 旅に必要な物資を都度 与えられながら、北寄りに西へと向かっている。

 目的の場所は《ナプシュ》と名の付く森であると伝えてから、イートは獣形態のまま キルと共に旅を続けている。イート曰く「こんな絶世の美少年が 四六時中 傍についてたら、いくらキルでも変な気を起こすかもしれないでしょ」とのことだ。変な気ならディアに起こしては返り討ちに遭っていると言うのに。

 廃都とはいえ闇神の残滓が漂い、これまでに邪なる者との接触はなかった。人間の暮らす土地としては荒れ果て、辺鄙な場所ゆえに 賊の集団もここまで流れ着いてはいないようだ。流石はムニキス様の加護地である。

 喉からぶくぶく鳴らしてキルに撫でるよう催促し、満足のいくまで撫でさせた後で イートも天幕から出て行った。

 都跡を出るまでに入手した周辺の地図に拠れば、現在いる辺りは 目的地である《ナプシュ》の森と廃都《ムニキス》の中間地点となるらしい。ここから徐々にムニキス神の守りが薄れ、大聖樹【ナプシュ】の加護が強まっていく。当然、侵入者と見做されたなら 襲いかかってくる邪なる存在も出て来よう。

 「さて」少し遅れてしまったが、我らが主に 感謝と祈りを捧げねば。

 懐の聖印を両の手に包み、聖堂跡のある方角へ向かって礼拝する。

 無事にムニキス神より今日という日を授かり、おもてを上げる。その直後だった。

 天幕の外から獣の叫ぶ「ギャオオオウ!!」という声がしたかと思ったら、何か大きな塊が幌布の横からぶつかってきた。呆気なく天幕の骨はばらけて崩れ、キルもろとも下敷きになる。幌布が被さったその上で大きな獣がぐるぐる暴れていたが、それらは散々キルを踏みつけにすると キャンキャン情けない声を漏らしながら やがて遠ざかっていったのだった。


「けほっ、えほっ! ふぇ……今のは、一体……」


 どうにか潰れた天幕から這い出して 周囲をうかがう。白い毛と青灰の毛が散らばり、点々と鮮血もそこかしこに飛んでいる。地面の上の乱れた足跡を辿ると、その先で通常の三倍に膨れ上がったディアを発見した。毛足の長い白い()()()が血糊で赤く染まっているが、殆どは返り血のようだ。


受肉リスポーン!」


 イートの影が見当たらないと辺りを見回していると、いつものように変な見得を切りながら 人形態の姿で現れた。


「ごめんね、キル。びっくりしたでしょ、大丈夫だった?」

「はい、天幕は崩れてしまいましたが 私は何ともございません。それよりディア様が汚れてしまわれて……何があったのでしょう?」


 いまだフーフーと荒く息を吐いているディアを無造作に抱き上げ、「主よ、汚れを払い給え」の呪言で元の純白ふかふかの毛玉感を取り戻す。そのままごく自然にディアを地面に下ろすイートを見て、キルは大蛇女おろちめのような形相をしている。


「キル、怖い。美人さんがそんな顔すると、とんでもなく怖いんだけど」

「ふふふ、イート様? ディア様と触れ合うには、何かコツがお有りなのですよね? ね?」

「こ、コツ? んー……少なくとも、そんな顔は、しちゃ駄目かな……」


 当のディアは二人を気にした様子もなく、我関せずとばかりに顔を洗っていた。



「……狼、で ございますか……」


 先刻、天幕の外で襲いかかってきたものについて、イートはそう 教えてくれた。

 幼い頃にソマド司祭が読み聞かせてくれた寓話では、よく悪者役を務めていた動物だ。天空の都には即座に命を脅かすような危険な猛獣は生息していなかったが、犬に似ていると聞けば どんなものか想像はつく。


「いきなり襲いかかってくるんだもん、俺もびっくりしたよ。多分、これから向かう《ナプシュ》の森の守護獣だと思うんだけど、出会い頭に 頭から食いちぎられたから 話す暇もなかったよ」


 「ディア様は 何か聞いてらっしゃる?」のイートの問いに、ディアも「いや」と返す。


「しっかしディア様、意外に喧嘩っ早いというか、好戦的でらっしゃるね。キルが出てくるより前に、猫の姿のままで あのデカい狼を追い返したんでしょ?」

「ん」

「怖くなかったの? あ、もしかして、キルの前だから 格好つけたかったとか?」

「のーん」


 迷惑そうな声を上げながら地面に倒れ、ディアは尻尾をたんたんと地面に打ちつける。


「ああ、そうだね。そんな事より、このまま《ナプシュ》の森に向かうか やめておくかって話だね。俺の方では、行き先は変更しないつもりでいるけど」

「私は構いませんが」


 従うしかないキルを見ながら、ディアは「のーん?」と訊いてくる。


「こう見えて、護身の心得くらいはございます。ご安心下さいませ」

「違うよ、キル。朝ゴハンは食べたのか? って」

「そちらでしたか! まだです、これから いただこうかと」


 「ん」頷くなりディアは立ち上がった。ぐん、と伸びをしてからそのまま手近な草むらへと消えていく。


「乾パンと木の実、飲み水はまだ残ってたよね。体が温まるものも欲しいけど、肉モノは森に入るまで我慢して……」


 潰れた天幕の中をキルとイートでまさぐっているうちに、ディアが戻ってきた。


「うおっ!? バッタだ!! 良かったね、キル! ディア様が こんな大きなバッタ獲ってきて下さったよ!! 焼く? 煮る? そのままいっちゃう??」


 主よ、仕事が早く優しい婿様を ありがとうございます。……だけどバッタを食すのは、遠慮させていただきますから。



 あれから 廃都を出てからと同じほどの日数を歩き、地図に《ナプシュ》の森と記された土地まで辿り着いた。時折 気配を感じさせはしても、森の守護狼が再度 襲いかかってくることは 終ぞなかった。


「そもそも ムニキス様の御力で霊神にまで上り詰めた魑魅スダマ風情が、なんで直属の【熾位天】に突っかかってくるかな」


 人形態とはいっても人間のそれとは明らかに違う 頭上の三角耳をあちらこちらにピクピク動かしながら、イートはキルを先導して歩く。鬱蒼と茂る森の地面は木々の根で細かく起伏があり、人の足では歩きにくいことこの上ない。イートが自身で『猫』と呼称していた獣形態のほうが適しているようで、ディアは苦にした様子もなくついて来ている。


「イート様も 獣の御姿の方が楽なのでは?」


 キルと同様に何度も躓きながら進む後ろ姿に問いかけると、イートは一旦 足を止めて振り返った。


「獣道を進むだけならね。ナプシュのヌシの考えが まだ分からないから、臨戦態勢は解きたくないんだよ」

「ディア様は獣の御姿で、守護獣を撃退されてましたが……」

「俺の猫形態は可愛らしさに全振りしてあるから」

「……可愛らしさなら ディア様の方が全面的に」

「のーん!!」


 鋭い声でディアから制止が入った。お喋りが過ぎてしまったか、それを言ってはお終いだったか。口を尖らすイートの表情から、後者の可能性が非常に大きい。

 脚を踏み入れた瞬間から仄暗かった 道なき森の道に、うっすら光が差し始める。森の最奥へ向かうにつれ、視界は開けて明るくなってきた。

 「着いた」立ち止まるイートの横に並ぶと、そこには巨大な樹木が聳えていた。

 厚手で光沢のある葉を樹冠に茂らせ、それは巨きな建造物のようにも見える。

 この場所が陽光に満ちているのは、その巨大な樹の周囲に庭園のごとく円形の空き地が広がっているためだ。小さな泉が湧き、色とりどりの小花が散らばり、さながら 力ある宮殿を思わせた。


「あれがナプシュのヌシ、大聖樹【ナプシュ】。この森を治める霊神が宿っているはずなんだけど、返事してくれないんだよね」


 いつから呼びかけていたのか、イートは腕組みしながら不満げな顔をする。


「このムニキス神眷属 最高位の実力者にして 最強で最速で最賢で、えっと他に何があるかな……とにかく、超絶有能な美少年天使が意思の疎通を図ってやってるのに、だんまりとか 無礼千万にも程があるんだけど!!」


 その殆どが自称ではないかとキルは疑っているが、口には出さず胸の内に留めておく。ちら、とディアに視線を向ければ、彼も「いや」と言っていた。


「……そうなると、守護獣の方に訊いてみるしかないか。気配はあるけど 出てきてくれないね。警戒してるんだろうな」


 今度は困った顔をディアに向ける。ディア様がやり過ぎるから、とでも言うつもりなのだろう。「のわーん」とイートに一声残すと、おもむろにディアは大聖樹の根元へと駆け出した。

 前に立てば壁にも見える大聖樹の、根元の匂いをディアは真剣に嗅いでいる。探していたものの痕跡が出て来ないと見るや、尻を向けて尻尾を立てた。


「わあ―――っ!? ディア様、さすがにそれは やっちゃダメーッ!!」


 ディアの行為の意味に勘付き イートが止めに入るも、時すでに遅し。

 度を越した挑発に、静かに隠れて様子を窺っていたナプシュの守護獣は 警戒も忘れて躍り込んできた。

 大きな狼であった。平均的な獣の狼がどの程度の大きさなのかキルは知らないが、現れいでた守護獣は人を乗せて走れそうなほどには大きい。青灰の毛並みに うっすらと新緑に似た色の後光を纏っている。


「い、今のはちょっとやり過ぎちゃったね、ごめんなさい……いやでも! 出会い頭に咬みついてきたのはそっちだし 少しは対話の姿勢を見せてくれても、」

「イート様! 文句をつけるのは、謝罪が受け入れられてからですよ!?」


 自分の背中の後ろに隠れながらもぐいぐい背中を押しやるキルを、ぶすくれた顔でイートは睨む。その足下では挑発を仕掛けた当猫とうにんが 平時の二倍の大きさに膨らんでいる。

 グルグルと しばし唸り声を上げ、守護獣は侵入者たちの出方を探っていた。

 対するディアも、じりじり弧を描きながら 距離を詰めていく。

 先に動いたのは 守護獣の方だった。


「ウォン!!」


 唐突にぶつけられた吠え声に驚き、跳ね飛んだ勢いでディアが駆け出してしまった。なおも吠え立てながら、守護獣もその後を追いかける。


「ちょ、ディア様!? どこに向かわれるの!? あーもう、追いかけるよ、キル!」


 「はい」と返し、イートの後に続いて走り出してから 小さく疑問が浮かぶ。


「……もしやディア様は、問題児であらせられるのでは?」

「……俺の口からは、そんなハッキリ言えないよ」


 イートは笑顔で返してきたが、みなまで聞かずともキルには理解できたのだった。

 区切りが良いので 前回投稿分で完結設定にして休載しようかとも考えましたが、時間がかかるだけで 執筆を辞めたい訳ではないので、こちらは不定期のまま連載を続けていくことにしました。

 お待たせして申し訳ありませんが、その分 じっくり大切に、物語を育てていきたいと思います。

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