あるじよ、導き給え(2)
予想していた反応と違っていたのか、困った顔でイートは頬を掻いている。
「むう……ひとまず、呼び名を付けて差し上げて」
「はい。よろしくお願いいたします、肉粘土様」
「却下ああ!!」
ひと目見た印象から 適切な名称を口に出してみたというに、真っ赤になってイートは憤慨した。
「格好良くて強そうなのって、言ったでしょ!? 何その、脂肪で出来た 食えない塊みたいなの!!」
「はあ……」
とはいえ、何をどう見ても 白い肉のような塊でしかない【 】の御姿から、格好良い名など見出だせようか。ふぅん、と小さな溜め息を鼻から漏らし、キルはそっと 白い肉粘土様の表面に触れてみた。
すべすべとして軟らかく、じんわり内より温かい。
触れてみて初めて解る。この御方は、きっと――……。
「今度こそ、よろしくお願いします。肉厚敷布団様」
「却下あああ!! キル、ふざけてるの!?」
「私なりに真剣です! これほど 触れ合って心地よい存在を、私はこれまで存じませんでした」
「だからって、自分の夫となる方を寝具呼ばわりはどうかと思う!」
むにむにと時折 動いているが、白い肉粘土様の意思は 全く 読めない。
「末神様も何か反応なさってよ。それは嫌だ、とか こんなのの方が良い、とか」
向き直るイートとは意思の疎通ができているようで、むにょんと返された動きに 大袈裟なほどイートは驚いてみせる。
「別に構わないって……そこは憤慨なさるべきでしょ! ああもう、そんなとこばっかり ムニキス様みたいにおおらかでらっしゃるんだから!!」
顕現用の分体でありながら、気質は間違いなくムニキス神の兄弟神らしい。それならば、と悪戯っぽく口の端を吊り上げ、キルは呟いた。
「……【親愛なる者】、など いかがでございましょう?」
焦げ茶の三角耳の先がピンと立つ。白い肉粘土様は微動だにしない。
しばしその様子を窺った後で、イートは真顔でキルへと向いた。
「悪くないみたい。【地に降り立ちて神威を伝えし、親愛なる魔の礎】様か。真面目にやれば 格好良いの出てくるじゃない!」
「……私が呼び名を発案する必要は、あったのでしょうか……?」
「愛称は、一番 呼ぶことの多い伴侶が 決めるべきでしょ」
もっともらしく返してくる異形の少年に キルも反論する気力を失くし、今度こそはと 白い粘土のような肉塊改め、末神【メルトディアス】の化身に視線を合わせる。
「私はキル、貴方様に従い尽くす者でございます。新たな主よ、どうぞ 私とこの世界を 導いて下さいませ」
膝を着き、キルは深々と頭を垂れる。【メルトディアス】の化身 ディアは戸惑ったように ふるふると揺れていた。
「んー、ちょっと違うかな。世界をより良く導いていくのは、これから生まれくる【魔を統べる王】の役目。ディア様が先導なさるべきは 上位次元《神界》までの道のりの方ね」
人差し指を天井に向けてくりくり回しながら言い直すイートに、ディアはまだふるふる揺れて何事かを訴えている。
「……まあ、それはそう。だからお目付役として、ムニキス様は俺を地上に寄越されたの。目に余るようなら ちゃんと御助言くださるから」
「イート様、ディア様は なんと仰っておいでなのですか?」
「えっと、“地上では、この形で 出来ることなどないぞ”って」
表情まで代弁して眉根を寄せるイートに、なるほど と キルも深く納得する。ならばどうして、この姿で地上へ顕されたのか。
それをキルが口にするより先に、イートはムニキス神の思惑を告げた。
「新たに【魔を統べる王】が生まれる前に、各地の【魔なる精霊】を把握しておかなければならない。いずれ【魔を統べる王】の支配下に置くためにもね。……ついでに俺も、通力をやり取りして 闇神の在り方を学んで来なさいって 言いつけをいただいてる」
おそらくは ディアにも同様の修行をさせよとの事だろう。キルを《神界》とやらに案内するだけなら、イートのような人型 或いは動物型の方が都合が良かったはずだ。
「とりあえず。文明を築く程度の知能を持つ生き物が生息する場所には、彼らの拠り所となる存在が居るはず。その中で、女神【ウレキテス】に信仰が上書きされていない場所を、訪ねて巡ろう」
かつて男神【ムニキス】が働きかけた 小さな神々ともまみえる必要がある。
「それにはまず、ディア様には変化を習得していただかないと。顕現されるのに俺の通力 使ったから、ネコ科の半獣神形態は取れるんじゃない?」
さあ、やってみませい とばかりに、ディアの正面でイートが決めの見栄を切る。
キルにも見て取れるほどに困惑した様子でねじれてから、ディアは徐ろに土人形らしき姿に変形した。頭部と思しき部分には 申し訳程度の三角形の突起が生えている。
「ちーがーう!! この超絶美少年の通力が入ってるのに、何でそんな泥人形の出来損ないになっちゃうの!? やり直し!!」
地団駄を踏み、イートは柔い髪をぐしゃぐしゃやりながら不満を示す。助けを求めて顔の辺りがこちらに向けられるが、キルにはどうしてやることも出来ない。主よ、どうかディア様にも 救いの手を差し伸べ給え。
……。イートの人型形態も、変化によるものなのだろうか。
「ディア様。もしやとは思いますが、通力を与えた者と同じ形に形態変化することは出来ましょうか?」
キルの問いにて何かに感付き、ディアの体が崩れる。見えざる手による粘土遊びさながらにこねくり回った後で、はっきりと形が定まった。
「のわーん」
毛量のせいか その色のせいか、獣の姿をとっていたイートのそれより ひと回りほど大きい。真白い色合いはそのままに、イートと同じ耳と尾を持つ 毛足の長いあの生き物のカタチが、そこにあった。
「やはり!! イート様の本来の御姿は そちらでらっしゃいましたか! とてもかわ、でなくて、美しゅうございますよ、ディア様!!」
期待以上の愛らしさに興奮するキルを、冷ややかな表情でイートは眺めている。
「一つしかカタチを持たない人間と一緒にしないでよ。地上で顕す姿はみんな仮のものでしかないの。人間の目には十分 美少年に見えてるだろうけど、まだ俺の魅力は 全開にはなってないんだからね?」
「のーん」
「そこで軽く流さないでくださるかな、ディア様も」
イート同様に二つの姿を自在に使い分けるには、まだ自身の通力が足りないのだろう。それを育てていくのも、今後の課題ということか。
「んー。ディア様は形が成りたてでらっしゃるし、自力で移動が出来るなら 今は良しとするか。見た目も不定形のままよりは 親しみ易いし」
何よりキルが嬉しそうだ。幼い少女のように頬を赤らめ、どうにかしてディアの毛皮を撫ぜようと狙いを定めている。
「ディア様、少しだけ……少しだけ、御髪に触らせていただけませんか?」
「いやー」
「そこをなんとか!」
手を伸ばされるたび するりと避ける獣形態のディアに、キルは夢中になっている。釘を刺すつもりで、イートは今一度 口にした。
「あのね、キル。気に入ってくれたのは結構だけど、ディア様は君のお婿さんであり、旦那様なんだからね?」
「はい、承知しております! 最後まで責任を持って お世話いたしますね!」
「なんか、意味が違う気がする……。これでいいのかな」
だが このままキルに満足されて、この地で二人 幸せに暮らされても困る。早いうちに眷属にできそうな【魔なる精霊】を見つけ出さねば。
「……ちょっと外に出て、周りの様子 探ってくる。礼拝堂跡から出ないで待ってて」
ばさりと白い外套を翻し、イートはすっかり朝に変わった廃都へと出て行った。黒髪の顔に傷持つ娘と、長毛の白い毛玉生物が ぽつねんとその場に残される。
「ディア様」
「のわーん」
返事はしてくれるが、撫でるどころか 毛皮に触れさせても もらえない。ならば。
「ディア様、最初の御姿に戻っていただけますでしょうか?」
「いやー」
「では、今のその御姿の方が 居心地が良いということですね?」
「いや」
「それなら、また初期の肉厚敷布団姿に……」
「いやー」
毛玉生物から人に近い姿にイートが変化してみせたため この方も【メルトディアス】神と認識できていたのだが、毛玉生物のまま繰り返される反応に キルのディアに対する感覚がだんだんと可怪しくなってきた。
「ディア様。私は 貴方様と生涯を共に歩めと命じられました。ディア様からも 私めに歩み寄っていただけたなら、この上ない僥倖にございます。なのでどうか――ご覚悟なさいませ」
何処からか鳥の声だけが響く廃都に、人の気配は感じられない。足の向くままに 削れた石造りの歩道を歩きながら、イートはムニキス神の導標を探っていた。時折 立ち止まり、意識を研ぎ澄ませては 地上に遺るムニキス神の痕跡を辿る。
――西。やや北に進んだ辺りか。
微かな闇神の残滓を感知し、その方角に顔を向けた。それと 同時に。
「ふぎゃああああああ!!」
イートの出て来たムニキス神殿跡から ただならぬ叫び声が上がった。
「何事っ!?」
敵襲などというものは存在しないこの地で、何が起こるというのだろう。
慌ててムニキス神殿礼拝堂跡に飛び込むと、毛を逆立てて二倍ほどに膨らんだディアと 頬を片手で押さえつつも臨戦の構えを崩さぬキルが 真っ向から対峙している最中であった。
「ちょっと目を離してる間に、なんでこんな一触即発みたいな空気になってるの!?」
「どうぞお気になさらず、イート様。少しばかり親睦を深めるための触れ合いを……」
「誰がどう見ても戦闘中なんだけど!? ……あー、その手だね? そんなヤらしい手つきで触ろうとするから」
「フーッ!! フーッ!!」
「ディア様も落ち着いて! 身の危険を感じるのは痛いくらい理解するけど、自分の妻に手を上げるとか ろくでなしのすることだよ?」
察するに 無理矢理 抱き上げようとでもして、激しい抵抗に遭ったのだろう。キルの右頬にはくっきりと赤く、三本線が浮いている。
「主よ、この者の苦痛を消し去り給え」軽くキルの生傷に触れ 呪言を唱える。わざとらしい大きな溜め息を吐き出してから その場に胡座をかき、イートはタンタンと尻尾を石床に叩きつけた。
「親睦を深める時間には余裕があるから、今はその辺に置いといてね。……まずは今後の目的地について。ここから西に向かって 少し北上した辺りに、ムニキス様が御力を分け与えた痕跡を見つけた。そこに向かいたい」
さり、とイートが石床を擦ると、うっすらと地図がそこに浮かび上がる。
「残念ながら 俺もディア様も人を乗せて運べるような能力は持ち合わせてないから、どうしても移動は徒歩になるよ。旅の物資についてはムニキス様からお恵みがあるだろうから、必要があればその都度 教えて」
イートとディアには食料も生活用品も必須ではないため、キルが求めてくれなければ与えられないという事だそうだ。都合が良すぎやしないかと問えば、手足となって働く者に糧を与えるのは当然のこと と返される。
「俺たちにとっては修行の旅みたいなものだけど、キルには『人間』としての生を味わう 最後の行楽だ。存分に人の世を堪能するといい」
裏のない笑顔でさも愉しげに イートは告げる。香箱を組んで聞き入るディアを なんの気なしにうかがうと、警戒した様子で「のーん」と たしなめられてしまった。
語り継ぐものも無くなるほどに旧い ムニキスの廃都を出れば、キルの見知らぬ千年を経た地上での 長い旅路がはじまる。