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あるじよ、導き給え(1)

 地平の縁が紅く燃えている。

 古い文献にあった『朝焼け』という単語が指す現象だろう。

 《ムニキス》の都にあったそれと寸分変わらぬ様式の、しかしずっと古びた神殿跡を背に、大巫女と呼ばれていた 顔に傷持つ黒髪の美しい娘は、赤く縮れた太陽の昇るさまを ひたと見つめていた。

 ほんの昨日まで彼女の暮らしていた闇神の箱庭《ムニキス》の都は、きっと遥か遠くの地で残骸と成り果ててしまった。そしてこの地も、かつては《ムニキス》と呼ばれた都であったのだろう。

 砂にうずもれ 風雨に削られ、石造りの建造物のみ その面影を遺す。闇神の大巫女と呼ばれていた彼女が生まれ育った 天空の都の成れ果てのように思えた。


「ここは 天空へと逃れる前の、ムニキス様を崇める民が暮らしていた場所」


 隣に異形の少年が並ぶ。先端のみ焦げ茶に染まった、ムニキス神像と同じく頭上に三角耳、腰からは長く尻尾が伸びている。「昨日は説明しそびれちゃって、ごめんね」と悪戯っぽく笑う表情は、まだ十六、七歳ほどの遊びたい盛りの年頃に見えた。


「それでは改めて。静穏なる夜闇を司りし……」

「御使い様、自己紹介はもう 充分ですので。満ち足りておりますので」


 二度も顕現時の名乗り上げを聞かされたのだ。御使い様がムニキス神より遣わされた【熾位天しいてん】という存在であることは理解している。

 「……そう」心底残念そうに呟く姿に 危うく「もう一度」を許しそうになる。だが、今はムニキス神の御心を聞き出すのが先だ。


「……御使い様に御忠告いただいたのに、都を護ることも出来ず 申し訳ございません。ムニキス様は……お怒りでしょうか?」


 俯き、両の手に拳を握る黒髪の娘を軽く覗き込んだ後で、御使い様は首を横に振る。


「ムニキス様は怒らないよ。……でも、酷く哀しんでらっしゃる」


 危険な相手より遠ざけ、大切に守り育んできた箱庭だった。悲嘆にくれる主の分まで【熾位天】たる自分は憤っている。


「怒ったとしても大巫女きみに対してじゃないから、安心して」


 そう、長らく待ち続けていた、その時が来たというだけ。


「いずれは地上に戻らなくてはいけなかった。世界を切り換える時期が来たのだ――って、ムニキス様は仰ってた」


 人間は、否 原初の神に創られた全ての生命は、知恵をつけ 力を得ると、神々の御許を離れ それぞれに進化し勝手に繁栄していく。やがて 一時は身近に感じていたはずの神霊の存在を否定し、或いは忘却して己が世界を御そうと欲するようになる。それに対し、神々は特に関心は示されない。

 彼らが興した文明が滅びに向かおうと、与えられた環境を破壊し尽くそうと、それは彼ら自身が欲した未来であると判断する。

 後に世界の支配者が交代し、新たな生態系が生まれるままに見守り続ける原初の神もいれば、好みの生態系が終了した時点で世界を消滅させ 新たに世界を創り出す原初の神もいる。我らが【原初の母】は、どちらかといえば 見守り続ける方を好まれる。

 しかし その子ども等は、ただ見守るだけに飽いてしまった。

 直近に誕生した 人間という種族を殊更 気に入り、四神の取り決め以上に 女神【ウレキテス】は人間に肩入れするようになった。それにより本来の生態系の均衡が崩れ、地上の荒廃が異常な速度で進みはじめる。

 せめて均衡を正そうと、男神【ムニキス】は地上の精霊が信仰により成った小さな神々に働きかけ、人間以外の種族に力を与えた。

 生態系の均衡が釣り合い 調和を取り戻すと、弟に手を出されたことに腹を立てた【ウレキテス】は今まで人間族に与えていた加護を 全て取り消してしまった。またもや均衡は崩れ、神々から見れば瞬時ともいえる速さで地上は荒れ果てた。

 責任を感じた【ムニキス】は自分に従う僅かな人間を 天空に復元した都に住まわせ、小さな神々より少しずつ 与えた力を回収した。

 それでも地上は荒んだまま、生命は気力を失い 早すぎる滅びへと向かってゆく。


「――それを望み、歓迎する者もいるけど、ムニキス様は納得されていない。だから、地上に新しい流れを創らないといけないんだって」


 切り換え、新しい流れ……神々の思惑は人の身には難解すぎるが、何か自分に与えられた役目があるのなら それを全うすべきだろう。


「そのために、私は何を為せば良いのでしょうか」


 冷やりとした風が、娘の長い黒髪をかき上げる。乱れた髪を手ぐしで押さえ、再びこちらに向いた御使い様の空色の瞳に訊ねた。


「ムニキス様は、何をお望みなのでしょう?」


 ムニキス神は、己に仕える大巫女に こう伝えよと仰った。


〈光輝の女神にも見放され、今や地上は荒み果てている。おまえが救いなさい〉


「……君に、地上を救って欲しいと」


 どのように。大巫女と呼ばれていた娘が問うより早く、答えが続く。


「新たに地上を治める魔の王を生む者、魔妃として」


 そのしるべを灯して来なさい、そう微笑まれたムニキス様に 送り出された。


**


 永い時間のせいではなく、盗人や暴徒の手により 奪われたか壊されたかしたのかもしれない。本来そこで慈笑ほほえんでいるはずの半獣の神像を失った 空っぽの礼拝堂跡に、神妙な顔の御使い様と戻って来た。


「さて。魔妃となるためには番う相手が必要なわけなんだけど」


 空中に指で何かを描きながら、御使い様は左手を顎に当てて天井を見ている。

 ムニキス神だけに仕えてきた大巫女に、そのような相手はいない。それどころか 生涯 純潔を貫く覚悟さえあった。今になって誰と番えというのか。……ジャンのような男だけはお断りだ。

 魔妃となるよう選ばれた黒髪の娘の顔色に気付き、御使い様の表情が和らぐ。


「相手はこっちで用意してある。ムニキス様から直々に推薦をいただいた方だよ。……ただちょっと、まだ若い方だから自力で受肉リスポーンできないらしくて」


 そのための儀式について、御使い様は頭の中で確認していたのだった。


「若い御方、ですか」

「うん。存在自体はムニキス様より少し後に発生なさってるけど、形が成ってから まだ二千年くらいしか経ってないんじゃないかな。君よりちょっと年上ってとこだね」

「あの、御使い様? 人間の寿命はどのくらいか、ご存知ですか?」

「もちろん。ムニキス様の御友神ゆうじんに異郷の武神がいらっしゃるんだけど、その方が人間経験者でね。二万とんで八十三年存在されているそうだよ」

「それって、神格化されてからのお話ですよね??」


 人と似たような姿で顕現していても、結局のところは人と全く違う存在のようだ。「まあ、いずれは君も神格化されるだろうし」何が問題であるのかも気に留めぬまま、御使い様は礼拝堂跡の石造りの床に砂を落として 魔法陣と思しき紋様を描き始めた。


「現世召喚には贄……というか代償が必要なんだけど、身体の一部 もらっていい? 腕でも髪でも目玉でも、どこでもいいから」

「あっ、か、髪でお願いします……」


 愛嬌のある笑顔と軽い言葉で猟奇的なことを口にする御使い様に 内心では戦慄しつつ、長く伸ばし大切に手入れしてきた自身の黒髪を手に取った。

 刃物は持っていない旨を伝えると、造作もないと御使い様は呪言で鋏を生成していた。神意を介したものであるゆえか、御使い様の手に収まりながらも 鋏は自らの意思でそうしているかのように 丁寧に娘の黒髪を切り落とす。

 肩の辺りまで残して切り揃えてもらえたが、すっかり軽くなってしまった髪に 少しばかり喪失の悲しみを感じる。

 御使い様の腕の中で黒く毛艶の良い獣のように、供物となった髪は丸まっていた。


「たった今 受け取ったこの髪は、闇神【ムニキス】に仕えていた大巫女であり 人間であった君、『カイラ』という存在を表す。これを第四の神に捧げる事により契約は成り、君を伴侶として上位次元《神界》まで迎え導く為に第四の神【   】が顕現される」


 黙ったまま続きを促す 大巫女であった黒髪の娘に頷き返し、大きく息を吐いて呼吸を整える。獣の耳と尻尾を持つ異形の御使い様は 伝えるべき大切なひとことを添えた。


「捧げられた供物『カイラ』はそこで死ぬ。だから君には、魔妃として新しい名を授けよと ムニキス様から言伝を賜った」


 一旦 御使い様はここで言葉を切り、召喚の陣に向き直った。絹糸のような黒髪の束を紋様の中心にそっと置き、両手で複雑な印を組む。


「そうだな、新しい名前は……【葬る者キル】。『魔妃 キル』でどうだろう」


 「【葬る者キル】……」魔の王を生む者として『葬る』とはどのような意味があるのだろうか。


ふるきを葬る、ということでしょうか?」

「んー、なんか格好良いでしょ? 【滅する者キル】と迷ったんだけど」


 訊いてはいけない質問だったと、後悔しても もう遅い。


「元の名前もどこかに残してあげたかったし、頭文字は外しちゃいけないよね。……あれ? 物足りない? 二つ名とか付けておく?」


 「いえ……」主よ、「私の名は『キル』。ありがたく頂戴いたします」二発、二発だけで良いので、我に御使い様を殴る許可を与え給え。


 魔妃となるべく選ばれた大巫女、キルが新たに名を受け取ると満足そうに御使い様は笑みを浮かべた。頬を上気させ鼻孔を膨らますその様は見た目通り、いやそれよりも幼い子どものようだ。そんな顔を見せられてはさすがのキルも、つられて微笑せざるを得ない。

 顕現召喚の祝詞を唱えるべく口を開きかけ、そこで御使い様の動きが止まる。


「忘れてた、もう一つ。《現世界》では《神界》での存在名は名乗ってもいいけど使っちゃいけないんだった。俺の呼び名と、今から顕現される方の呼び名を考えてもらえるかな? 格好良くて強そうなのでお願い」


 御使い様好みの名前を考えるなど、真面目で一般女性的な感覚しか持ち合わせのないキルには至難の業だ。主よ、何故 このような難題を、我に課せられるのか。

 ムニキス神にたすけを乞おうと両手を組んだところで、哀れな神女に御知恵が届く。

 キルの脳裏に「ごあーん」と発する、愛くるしい獣の姿の御使い様の姿が浮かび上がった。


「……『イート』……」


 ただでさえ大きな目を 転げ落とさんばかりに見開き、御使い様は振り返った。


「……『イート』、だって……?」

「あの……お気に召しませんでしたか?」


 顎に手をやり、真剣な顔で御使い様はぶつぶつと何事かを呟く。やはり安直すぎて 気分を害されてしまったのだろう。次の候補を考えなくては、と キルが頭を抱えはじめた頃に。


「いいね!! 【静穏なる夜闇に潜みて主に仇なす邪を喰らう、冷酷にして高潔な美しき頂点捕食者イート】か! 何でそんなに俺のこと詳しいの?」


 空色の瞳を玻璃珠のごとくキラキラと輝かせる御使い様――これよりイートに、本当は『御飯』からとったという事は決して漏らすまいと、キルは密かに誓ったのであった。


「あとは 君の伴侶となる方の呼び名だけど……実際に御姿を確認してからのほうがいいでしょ。見た目の印象もあるだろうし」

「そうさせていただけると ありがたいです」


 ムニキス神より直々に推薦された、キルの夫となる者。第四の神とのことだが、四神兄弟について正体不明とされている末神だろうか。長神は冥府の番人でもあるからして、喚び出される事はあるまい。

 詩のように唄のように、イートの口から耳慣れぬ言葉で祝詞は紡がれる。

 幼い少女の頃に夢見ていた、いつか自分と結ばれる素敵な殿方が現れる。そう思うと、とうに捨てたはずの高鳴りが いつしか胸に還り来ていた。

 最後の言葉を紡ぎ終え、イートは召喚の陣の前に跪く。

 捧げられていた供物『カイラ』が、白い光の炎を噴き、燃え上がった。

 ひときわ大きく、それこそ人の大きさほどに炎は光を放った後、痕跡も残さず消滅した。


 その場に、召喚の陣の中に居る存在が、キルの番にとあてがわれたもの

 「よし、ちゃんと出来たぞ!」腕を組み、自分の仕事の無事完了を見届けると イートは満面の笑みでキルに振り返った「キルのお婿さんだよ」。

 与えられた伴侶を目にし、キルは膝から崩折れた。それでも足りず、両手も額も、空気が抜けたかのようにへたりと地面に落ちてしまった。

 人ならざる魅惑の美貌の持ち主であるとか、猛々しき武人の如き精悍な殿方であると、少しばかり期待もした。勿論 ムニキス神像のようにふくよかで柔和な、やさやさした風貌であっても良い。どのような御方であれ、受け入れ従うつもりではあった。――だけど。


「元気で丈夫な子どもを産んでね!」


 せめて、人の形をしていたなら。


「どのように!? 私にいったい、どうしろと仰るのですか!!」


 キルの前に番う相手として喚び出されたのは、成人男性よりひと回りほど大きい 白い粘土のような塊であった。

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[良い点] だいぶカオスになって来たところ [気になる点] カオスすぎて、読者がついて来てるかどうかというところ [一言] イートの名前は笑ったw 主人公のなすべきところというか、何をするのかを示し…
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