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あるじよ、我に望み給え(2)

※今回、害虫が出てくる表現があります。苦手な方はご注意下さい。

 ムニキスの都を護る結界に空いた、裂け目のような穴。御使い様が報せて下さったそれは、おおよそ百年ごとに発生するのだという。


「地上の邪神【ウレキテス】は、己に心酔しない人間を快く思っておらぬようでな。人間を愛する神ゆえに、可愛さ余って憎さ百倍とでもいう事であろう。《ムニキス》の都には、常に【ウレキテス】の悪意が向けられている」


 結界の綻びについて報告したカイラに、主任司祭のソマドは静かに語り始めた。


「我らがムニキス様は 人々の心が悪意にさらされ穢れる事の無いよう、我々を天空に逃がし 結界にてお護り下さっている。しかしそれにも限度というものがあるようだ。余程『人間の心の悪意』というものは鋭いのであろうな、ムニキス様の結界も 耐えられるのは百年ほどだ」


 そうして弱った結界に悪意の刃で穴を空け、邪神【ウレキテス】は己の分身をそこから侵入させるのだという。


「邪神【ウレキテス】の分身に ムニキス様の箱庭を荒らされる前に、かの者を捕らえ 見せしめに処刑する。人間の同情を引くため、美しい少女の姿で現れることが殆どだそうな。人の情というのは話を聞かないものだ。ゆえに”邪神の分身の処刑”ではなく、”我らが神へ捧げる花嫁”と都の中には布令ふれておる」


 神への見せしめというものに効果があるのかは定かではない。それでも続く百年は邪神の干渉が弱まり、ムニキス神の結界も力を取り戻す。そしてまた、天空の都には穏やかな日常が続いてゆくのだ。


「……なるほど。だから御使い様のお声は『侵入者』とおっしゃってらしたのですね」


 「ほう」と目を細め、白く長い髭を撫でつけながら ソマド司祭はカイラに詳しく、と促した。


「御使い様(と思われる生き物)が姿を消された後、”侵入者はテス”と お声だけ聞いたのです。”連れて来て”というのは、そういった意味だったのでございましょう」

「これはなんと有り難い。じかにお告げを賜るのは、其方が初ではないかな」


 自分の事のように嬉しそうに、ソマド司祭は ほっほと笑った。


「相当に ムニキス様に信頼されておるのだな。流石はムニキスの聖女よ」

「そのようなご冗談は、私めには畏れ多くございます!」

「何を謙遜する事があろうか。誇って良いのだぞ? いずれ其方は、ムニキス神の名の許に 皆を導く者となるのだから」


 カイラにしてみれば とんでもない買い被りとしか思えないが、お告げを賜ったからには誠心誠意、応えねばなるまい。


「その、『テス』という娘は 神前騎士団の下位神官、ジャンの妹というが 確かかね?」

「はい。私の知っている『テス』という名の少女は 彼女しかおりません。間違いないかと存じます」

「よろしい。では早速、ジャン神官騎士を呼んで来させよう。後ほど其方にも召集をかける、それまでお務めに励みなさい」


 ソマド司祭に一礼し、書庫を後にする。そのまま中庭に出て 聖堂へと伸びる石畳を歩きながら、カイラは複雑な気持ちを持て余していた。

 御使い様の〈連れて来て〉という言葉には、それほど重い意味が込められていたのか。カイラ個人は好いていないとはいえ、よく知る人間を処刑しなければならない。唯一彼女の生きている家族であるジャンは、どれほど悲しむことだろう。そもそも光輝の女神【ウレキテス】の分身というのは 何者なのか。


「もしかしたら、”処刑しろ”という意味ではなく、何か別の解決法があって 御使い様は”連れて来て”とおっしゃったのでは?」


 呟いてから、首を横に振って打ち消す。ただ自分が、そう思いたいだけだ。


**


 翌日、兄に連れられる形で『侵入者』と名指しされた少女が 神殿に参上した。唯一人の肉親である兄にしがみつき、怯えたように両目を潤ませる姿は 誰が見ても普通の どこにでもいるような少女であった。

 一瞬だけ その目つきが変わったのは、『我らが神へ捧げる花嫁』として カイラが少女の名を挙げた時だった。


「乙女テスよ。今期の花嫁に貴女が選ばれました。次の新月の日没に 式は執り行われます。身を清め、心静かに待つように」


 形式通りのカイラの言葉に、テスは何事かを呟いた。隣に立つ兄ジャンでさえ 唇が動いたことにも気付いていない。


「……だーれが、あんなブタオヤジの嫁になるってのよ」

〈ムニキスよ。わたくしの最後の民、そろそろ 返してもらおうか〉


 テスの呟きに、何者かの声が重なって聞こえた。

 カイラ以外には聞こえなかったのだろうか、誰ひとりとしてテスの暴言にも謎の声にも反応を示す者はない。

 何か、言いようのない不安がよぎる。

 新月まであと二日。せめてこの二日間、何事もありませんよう――。

 少女の処刑以外の方法を求め探しながらも、胸騒ぎをなだめるには ただ 祈りを捧げることしか カイラには出来ない。


 悪い予感は的中し、結界に空いた穴の影響は 身近な場所より発生しつつあった。


「カイラ様‼ 一大事にございます! 厨房に、黒き悪魔が……っ‼」

「カイラ様、お助け下さいませ‼ 食堂に糞山の王がぁぁ‼」


 何故、いつもいつも害虫が出る度に 自分カイラが呼ばれるのだろうか。


「分かりました、すぐに向かいます。落ち着きなさいな」

「いつもより巨大にございます! どうか、お気をつけ下さい!」

「御武運を‼」


 この懺悔室に来るまでに、神前騎士団の詰め所もあったのだが。

 悩ましく額を押さえ 大きく息を吐いた後で、護身用の戦鎚を腰に下げる。このような些事に使う得物ではないが、平和の続くムニキスの都においては 戦鎚の出番など今くらいしかない。騎士団だって、こんな時こそ働けば良いものを。

 厨房に連なる食堂へと 禁を免れ駆けゆく内に、神官騎士たちも食い扶持分は働いていることを知った。


「……いつもより大きい、どころではないだろう……」


 辿り着いた食堂にて飛び回る糞山の王は、それこそ人の頭程もあった。先に呼びつけられていた神官騎士たちが、鈍った体でてんやわんやと 糞山の王を追い回している。

 嘲るように彼らを翻弄し、糞山の王は新たな玩具あそびあいてを見つけたと言わんばかりに カイラに向かって飛んで来た。


「主よ、戒め給え」


 美しき黒髪の巫女は、穢れの蟲にその身を触れさす事すらなく 呪言ひとつで糞山の王を床に叩きつけた。そして。


「主よ、此れを還し給え」


 手にした戦鎚は仄かに紫色の光を帯びる。ムニキス神の加護を信じ、仄紫を纏う戦鎚を 床に這いつくばる糞山の王に振り下ろした。

 ムニキス神を信じればこそ、手応えはない。

 糞山の王は幻であったかのように、霧散し跡形もなく消えた。


「まずは一匹。……厨房には黒き悪魔と申していたな」


 カイラだとて、害虫退治は泣きたいほどに厭だ。それも規格外におおきなものなどと。しかして ムニキスの民を護るは大巫女の役目。

 意を決し、厨房の扉を開く。


「……遅かった……」


 そこにあったのは、人間よりも大きな黒き悪魔と、逃げ遅れ 食い散らかされた調理師の残骸だった。

 「ヒィ‼」と情けない声を上げ、団長を含む数人の神官騎士が逃げ出す。

 暴力を伴う争いなど、この都では子どもの喧嘩くらいなもの、血を見て逃げ出す者がいようと 責めるほどの事でもない。

 黒き悪魔が算段を終え、開いた扉へと触覚を向ける。


「主よ、我に盾を授け給え」


 咄嗟に唱えた呪言は、間髪入れず飛びついてきた黒き悪魔を 見えざる障壁にて弾き返した。少しでも判断が遅れていたらと思うと、肌がぞっと粟立つ。


「今のうちに 皆は避難を。騎士団の方々は後ほど片付けを手伝っていただきたい、安全な位置で待機をお願いします」


 背中向こうに揃わぬ返答が上がる。小さく頷き、次の呪言を探した。


「主よ、悪しき者を穿ち給え」


 カイラの要望に応え、ムニキス神の加護は黒き悪魔の頭部を穿つ。――だが。


「ちぃ、やはり頭を潰すだけでは どうにもならぬか!」


 元の大きさでさえ尋常でないしぶとさを持つ虫だ。口にするものを扱う場所ゆえ、これより不浄よごしたくはなかったが……。


「主よ、此れを爆ぜ砕き給え!」


 手近にあった銀の盆で顔を庇い、迫り来る黒き悪魔を指し示すように戦鎚を向ける。直後、黒き悪魔は身の内より爆散した。

 数秒の沈黙が流れる。

 その場に居る誰もが事態の収束を認めると、わっと歓声が上がった。

 歓び騒ぐ周囲に胸を撫で下ろすも、カイラは未だ笑えない。


「……主よ……厨房を 元の通りに洗浄し給え……」


 最も切実なカイラの願いに、ムニキス神も〈それはちょっと無理〉と返されていたかもしれない。これが、悪意の為せる業だというのか。


「カイラ様、夕餉は出前をとってもよろしいでしょうか!?」


 いつの間に駆けつけたか、勢い込んでシスターメリノが提案する。


「……構いません。ただし、私の分は要りませんから」


 カイラの気も知らず、物見に集った神官女シスターたちは 感激の声を上げる。

 そのまま嬉しそうに去っていく彼女らを見送り、ムニキス神が見て下さっていると信じて カイラは厨房の後始末に取り掛かったのであった。


**


 忍び込んだ悪意は新月の日没を待たず、人に害なす虫どもの姿を借りて都の中を荒らし回った。ムニキス神の御手により穏やかに護られていた天空の都は、それだけで大きな混乱に見舞われる。大巫女カイラも、神前騎士団の面々も、戦闘経験はないが腕っぷしに自信のある若者も、湧き出す悪意の対処に 日がな追われることとなった。


「あと、一日……もう一日だけ、耐えることが出来れば……」


 その先に待つのが無辜の少女の処刑だとしても、壊された医療施設や 奪われた幼子を含む命の数を思えば やむ無しと言わざるを得ない。


「ムニキス様、どうか……どうかこれ以上の被害が出ませんよう……」


 祈りは届いているだろうか。

 お告げを下されたあの少女テスが処されたなら、本当に悪意は失せるのだろうか。

 聖堂にて微笑むムニキス神像に 幾度となく問いかける。呪言による加護の要請には応じて下さるが、いまだ御使い様の姿はおろか お声すら聞こえない。

 ひたすらに祈り続けた晩を越え、悪意は最悪の報せをもたらした。


「申し上げます。我らが神へ捧げる花嫁、乙女テスが――失踪しました」


 少女を迎えに遣わした者と、少女の兄ジャンが 蒼白な顔でソマド司祭の前に跪く。彼らが住居に着いた時には、既に もぬけの殻であったと。


「……下位神官ジャンよ。肉親の情ゆえ、逃がしたのではあるまいな」

「い、いや、とんでもない……ございません! お、いや私が帰宅した時にはもう、テスの姿はなく……!」

「心当たる場所は捜したのか?」

「ははい、もちろんです! よく行きそうな場所も、ライブの家も」


 「ライブ?」怪訝な顔で訊き返すソマド司祭に、震える声でジャンは「妹の、幼馴染です」と吐き出す。恋仲の相手と共に逃げたとまでは、言えない。


「ふむ。……とはいえ、この地は天空の都。八方手を尽くせば、見つからぬはずはなかろう。期日は多少過ぎてしまうかもしれぬが、必ず捜し出しなさい」


 その場に集う全員が 承諾の意を示す。ジャンを除き、誰もが胸の内に怒りと焦燥を感じていた。カイラも、また 然り。


「……少しでも早く、見つけ出さねば。御使い様 直々のご指示なのに」

「カイラ」


 誰よりも先に神殿を飛び出そうとするカイラを、不安を隠さぬ顔でジャンが呼び止める。カイラの手を取り、ただ ひとこと懇願する。


「俺の、最後の家族なんだ。悪いようにはしないでくれ」


 ジャンの望みを叶えたとして、誰がムニキスの都を、民を救ってくれる?


「私に、その権限はない」


 そんなところで震えてないで、蔓延る悪意をひとつ残らず 消し去ってから言いなさい。


 ジャンの手を振り払い、感情を押し殺してカイラは背を向ける。


 私はムニキス神の血を引き、生涯 ムニキス神のおそばに仕える巫女。

 仇なす者を野放しにすることなど、許されないのだから。

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