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闇の聖女の疑似神話  作者: 久眠
いざないの旅路の章
13/13

汝、離るること勿れ(3)

 夜が明け、見上げる程度には日が昇っているものの、トクリの山林には未だ 朝靄がかかっている。漂う空気は重く、冷たい。


「歩いているうちに 靄は晴れてくると思います。はぐれないように、あと 足下も気を付けて下さいね」


 白く薄らいだ青年の背中が、振り返りもせずに 注意を促す。同行者に配慮がないというよりは、恋人に焦がれるあまり 脇目を振るどころではないと言ったところか。その声は機嫌よく弾み、駆け出したいのを堪えているようだ。


「ディア様、ついておいででらっしゃいますか?」

「いや」

「ならば この私めが、抱っこして差し上げましょうか!?」

「いや」

「ディア様なら、俺が抱えてるから 大丈夫だよ。キルはちゃんと前見て歩いて」


 足下に姿が見えないと思って振り返れば、ちゃっかりディアは イートの腕の中に収まっている。自分からねだったものではないらしく、表情は不満気だ。


「イート様の抱っこはお嫌なようですし、私が代わりましょう」

「駄目だよ。キルの抱っこじゃ、すぐ暴れて逃げられちゃうもん」

「決して、そんなこと……わああっ!!」


 なおも食い下がりながらディアに両手を伸ばしていたら、地面の固い出っ張りに踵を取られて キルは尻から見事に転んでしまった。

 「大丈夫? キル」助け起こすべくイートが片腕を放したのをいいことに、ぴょいとディアは飛び出した。立ち上がりかけたキルの頭を中継し、軽やかに地面に着地する。蹴られた勢いで、キルは再び引っ繰り返っている。


「あああ ほら! キルのせいで逃げられた!!」

「う……それはその、申し訳ありません……」


 今度こそと、体を起こすため 地面に手を着く。小石とはまた違った、チクチクとした感触が キルの手の平に伝わってきた。


「いやだ、卵でも潰してしまったのかしら」


 先導するツェム青年にも 気を付けるよう言われていた。慌てて一度 立ち上がり、改めて自分の潰したものの正体を確かめようと、キルは再度 しゃがみ込んだ。

 幸いにも 足下には、小鳥や爬虫類のような生き物の巣はなかった。親鳥を悲しませてしまうことはなかったと 安堵した後で、その妙な感触の正体を見つける。


「……手?」


 茸にしては乾きすぎている。見回せばそれ以外にも、人間の形によく似た欠片が 一帯に砕けて散らばっていた。

 「何かありましたか?」靄のせいですっかり姿が消えていた先導者の声が、大分 先から戻ってくる。

 自分の足下に散らばるものについて即座に問い返そうとするキルを、口元に人差し指を立てて イートは制止した。イートが代わって ツェム青年に向き直る。


「足元が悪くて転んぢゃったんだ。少し 待っててもらえない?」

「そうだったんですね。でも、もう急がなくても いいんですよ」


 今頃になって流れる風で、靄が見る間に晴れていく。

 ひときわ濃く立ち込めていた乳白の塊は、靄ではなく 影であったようだ。


「彼女に、直々に来てもらいましたから」


 細い目を僅かに見開く青年の視線の先に、あどけなさを残す少女の顔をした魔蚕マサンの女王が微笑んでいる。


〈うれしい。とても……とっても きれいな いのち〉


 淡黄の柔らかそうな毛に覆われた、人間より本数の少ない指が伸ばされる。空を舞うほどの力もない羽を忙しなく震わせて、魔蚕の女王は 無邪気にキルの前まで歩み寄ってきた。


「まあ、なんて可愛らしい……」


 本来、魔蚕は人の言葉を解さない。人間も、魔蚕と言葉を交わすことなど 出来やしない。


「……これが、“魔性”。人間の警戒心を麻痺させる“毒”なのですね」

「ま、“魔性”? “毒”?? 何の話をしているんです?」


 キルの呟きの意図が読めず、ツェム青年は困惑する。キル自身も、昨夜のうちにイートから『魔』の意味について聞かされていなければ、理解することはなかった。


「そうやって人間のフリをして、余所者エサを誘い込んでたんだろ」


 吐き捨てながら、イートは被っていたシャプロンをはぐり取る。その下から出てきた 先端が焦げ茶の猫の耳に、さすがのツェムもぎょっとする。


「ま、も、魔物……!?」

「魔物はそっちだろ。俺は最強のカッコイイ天使様だし」

「いや、僕だって魔物じゃありませんよ!」

「確かに、完全な魔物ってわけじゃないけど、やってることは“魔物”だよ」


 人間に益を与える与えないに拘らず、確実に何らかの悪影響を及ぼす。互いに関わらなければ良いだけの存在であった。()()にわざわざ『魔』という呼び名をなすり付け、愛する人間を護りたいという自己満足のためだけに敵視するよう仕向けたのは、他でもない 女神【ウレキテス】と 彼女に連なる者たちだ。


「生きるためだから、人間との接触はやむを得ないけど、人間を取り込んで強大よけいな力をつけることは、ムニキス様も望んではいないよね」


 キルと魔蚕の女王との間に割り込み、ディアは尻尾を膨らませて威嚇する。怯えて後退る魔蚕の女王が目に入ると、ツェムの形相が変わった。


「ユムラ姫様に手を出すな!」

「ディア様も“我が妻に手を出すな”って おっしゃってるよ」

「なんという僥倖……」「いや!」

「今はそういうことにしておいて、ディア様」


 呼び込んだ旅人が 希望通りの獲物ではなかったと、つがいの魔蚕は ようやく理解したようだ。


「【ムニキス】……そうか。僕が他所から、人を呼び込みすぎてしまったから……」

「多少の人間が魔蚕に食われるのは ムニキス様が創られた自然の摂理だから、特に目くじらは立てないよ。だけど ツェム、君は 混ざっちゃっただろ」


 「混ざった?」この様子だと、ツェム本人も 未だ 気付いていない。

 代わりに 隣に鎮座する魔蚕の女王が、妖艶に唇を吊り上げた。


〈そう。ツェムは わたしのさなぎのなかで、いっしょに とけたの〉


 人間の一部を取り込んだことで、魔蚕の女王は“魔性”を 手に入れた。

 魔蚕の一部を取り込んだことで、ツェム青年は 魔蚕の繭に命を吸われない身体を 手に入れた。


「クズ繭は中身が空だったから、命に関わるほど生気を奪われることはないだろうけど、それでも あんなに集めたら普通の人間は 身体が持たないよ」


 魔蚕の繭から紡いだ糸も、稀少と言われる程度の流通であれば 致命的な害をなすことはない。だが、その稀少な糸を 目の色を変えて買い漁り、全身にまとっていたなら どうなるだろうか。


「そんな……ただ僕は、少しでも長く、ユムラ姫様の傍に居たかっただけで……」


 妖艶さと同時にあどけなさも残す魔蚕の女王を、庇うようにツェム青年は抱き寄せる。居た堪れないと浮かんだ顔でイートとディアをうかがってから、キルもおずおずと口を挟んだ。


「無闇に人を殺めるのでなければ、そのくらいの望みは 叶えてあげても良いのでは……?」

「俺もそれが駄目とまでは言ってない。ディア様は、キルに目を付けられたのが 面白くなかったみたいだけど……痛い痛い!! 大事なことだから 代わりに言ってるだけなのに!」


 イートの足首に容赦なく噛みつき、引き剥がされてなお ディアは唸り声で抗議していた。

 白い大きな美猫の荒ぶる姿を見てから、改めてツェムは 腕の中の魔蚕の女王に目を向ける。


「そうか、猫さんにとっては 大切なひとなんだね。僕にとってのユムラ姫様みたいに」

〈きれいないのち、たべては いけないの?〉

「うん。いけないみたいだよ。少なくとも、今はね」

〈ざんねん。ちょっとだけ、たべてみたかった〉

「いつか、食べさせてあげる。今日は我慢しようね」


 彼らが本当に【ムニキス】神の使いであるなら、警告を無視するのは危険だと ツェム青年の中の何かが囁く。おそらくそれは、“魔物”の本能に違いない。


 靄はすっきりと晴れ、木々の足元にも陽光が届く。魔蚕の女王でなくとも、そろそろ空腹が物を言う時間になってきた。

 生い茂る木々の天辺に向かって ぐん、と伸びをした後で、イートは大きく溜め息を吐いた。


「人間の姿をした“魔物”だと思って声を掛けてみたけど、ただ魅入られただけの“人間”だったね」


 ツェム青年にも魔蚕の女王にも興味を失った素振りで、くるりとイートは背を向ける。


「ディア様が 人間形態を習得するための 一助になるかと思ったのに。何の参考にもならなかったや。行こう、キル」


 足の甲に重さを感じ、何の気なしに見やれば ディアが前肢を乗せてキルを見上げている。


「抱っこのおねだりですかっ!?」

「いやぁー」


 勢い込んでキルが両手を広げると、驚愕の表情で ディアはすっ飛んで逃げていった。すぐさま白い大猫を追いかけ 山林の外へ続く方角へと駆けていく黒髪の淑女を、異形の三角耳を持つ少年は黙って眺めている。彼女らの後ろ姿が暗がりに消えてしまうと、イートは背後に残された魔蚕の番いに向き直った。


「このまま 二人で生き残れたなら、君たちもムニキス様から 霊神として神格を賜るかもしれない。そうなったら 正式にムニキス様 及び ディア様に隷従し、いずれは【魔を統べる王】の下に就いて欲しい」


 聞き慣れぬ存在の名に、ツェム青年と魔蚕の女王は顔を見合わせている。その名を口の中で繰り返し、よくよく噛み締めた後で ツェム青年は顔を上げた。


「共に、生き残ってみせます。だから、その時は きっと」

〈ずっと、いっしょに いきるのね、ツェム〉


 互いを想い笑顔で見つめ合う魔蚕の番いに、それ以上 言葉を残さず イートも同行者の消えた暗がりへと歩き出す。

 もしかしたら、手遅れかもしれないけれど――……


「もっと早く、見つけてやれば良かったかもな」


 ――汝、離るること勿れ。たとえ 何が起ころうとも。


**


 里の護り神、ユムラ姫の繭から紡いだ糸は 羽のごとく軽く 革のように丈夫な布となり、やがて都の高貴な人々の纏う衣装となりました。

 しかし、ユムラ姫の糸を使った召し物を身に付けていた 高貴な人々の間で 不可解な病が流行りはじめます。命を吸われるように衰弱し、原因も解らぬまま 半年も経たずに死に至るというのです。

 都の役人が調べていくうちに、ユムラ姫の繭から紡いだ糸に 原因があると突き止められました。さらには ユムラ姫は護り神などではなく、魔蚕という魔物でしかなかったことも判明したのです。


 年頃の一人娘を失った都の長は、直ちにユムラ姫――いえ、魔蚕の女王の討伐を、都の神殿に所属する神官騎士団に命じました。

 光輝の女神【ウレキテス】の加護を受けた神官騎士団の中でも 一際信仰の篤い、セレスティという名の女騎士が 討伐隊を率いて魔蚕の女王の潜む山へと向かいました。

 途中、山の麓にある里で 毒の糸を紡いでは都へとばら撒いていた糸巻き職人が 女騎士セレスティの行く手を阻み、つむを手に討伐隊へと襲いかかってきました。魔蚕の毒の染みた錘に傷付けられ、討伐隊の半数近くが 命を落としてしまいます。


 それでも 女騎士セレスティは勇敢に立ち向かい、糸巻き職人もろとも 魔蚕の女王を討ち倒すことに成功しました。我らが光輝の女神の御加護により、邪なる魔物は滅したのです。

 都の人々は女騎士セレスティを称え、ウレキテス神殿の中庭には彼女の石像が建てられました。

 ――これが、トクリ地方からやってきた旅人により語られた 昔話の顛末です。

***

 かつてはウレキテス神殿を中心に栄えていた トクリ地方一の都は、今や草木の生い茂る廃墟と化した。魔蚕の巣となり、そこで暮らしていた人間は皆、彼女たちの養分かてとなった。


〈たくさん食べられて、良かったね〉

〈ええ。きれいないのちも たべられて、おなかいっぱい〉


 トクリ地方に生息する 全ての魔蚕の母である霊蟲 ユムラ姫は、その身を分けたつがいと微笑を交わす。いつか産まれるであろう【魔を統べる王】の訪れる日を、娘たちの成長と共に ふたり、穏やかに待ち続けていた。

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