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闇の聖女の疑似神話  作者: 久眠
いざないの旅路の章
10/13

汝、騙ること勿れ(3)

「……ディア様、本っ当に 何やらかして下さってるかなー……」


 気の抜けたディアの「のーん」を聞くなり、イートは盛大にため息を吐いてしゃがみ込んだ。表情は手で覆って見えないにも関わらず、尻尾が困惑のあまり 左右にぶんぶん振れている。


「……何をやらかされたのですか?」

「のーん!」

「やってやったぜ! みたいなお顔をされましても……」


 白い被毛に絡んだ草ゴミをすっかり落としきったというのに、キルの膝から飛び降り、再びディアは草の生い茂る獣道へと歩き出した。


当狼とうにんから聞くのが一番だろうと、煽り散らして連れてきたって」

「煽り散らす必要って、全くありませんよね??」


 大聖樹からは見えない暗がりに踏み込むと、日差しとはまた違った緑光が点る。静かな怒りの気配と共に、青灰の大狼が待ち構えていた。


〈知らぬふりをして 速やかに立ち去っておれば 良いものを〉


 苛立つ低めの女の声が、キルの耳元に響く。守護獣ヲルファに似つかわしいものではないが、何故かヲルファが発していると確信できた。

 「のわーん?」やけに神妙に、ディアが何事かを問いかける。怒り一色に思われた守護獣ヲルファの表情に、僅かな怯みが見えた。


〈それは……少々 妾も度が過ぎたと 反省しておる〉

「ディア様は何と?」

「出合い頭に俺に食いついてきたことに対して、文句つけて下さってる」


 態度には出さなくとも仲間想いなところもあるのだと 心温まるものを感じるうちに、ふと 通訳を介さずに会話が成り立っていることに気が付いた。


「ディア様のお言葉を、ヲルファ様も解せるのですか?」

「おっと、キルも気付いた?」

「皆様、可愛い三角お耳が付いてらっしゃいますものね!」

「違う。あっ、可愛いってとこは違わないけど、そこじゃない。……大聖樹【ナプシュ】は ムニキス様の御力を僅かながら受け取ってる。だから、同じくムニキス様由来の通力を受けられたディア様の言葉を解せるんだよ」

「私めにも 授けていただきたく存じます!」

「あ と で ね。……だから、ディア様が質問してらっしゃるのに無視したペッセは、大聖樹【ナプシュ】の魂ではないんじゃないかって」


 ここまで説いてもらえば、キルにもその真意が解る。


〈そう、妾は樹霊ナプシュ。故あって ヲルファのカラダを借りている〉


 「道理で」和解したように見せかけて、その眼光はいまだディアと火花を散らしている。


「ならば、ペッセと名乗ったあの者は……?」


 ヲルファの肉体ウツワを借りた樹霊ナプシュは、その鋭い眼光を 大聖樹の方角へ向けた。


〈妾の森を奪うために送り込まれた、女神【ウレキテス】の手先だ〉


 ――人間ヒト肉体ウツワは愉しいわ。さあ、取り換えっこしてみましょう? 樹霊ナプシュよ。


〈妾の大樹カラダを奪い、樹霊を騙ることにより 我が子ら小精霊たちを腐滅させるつもりだ。魂を失えば、樹々の生きる意志である護りも失われる。そこを狙い【ウレキテス】は この地を人間に侵させたいのだろう〉


 この豊かな森の恵みを 全て人間に分け与え、彼らに更なる繁栄を。彼らこそ万物の霊長、総てを支配し、治めるべきそんざい。それこそが 女神ウレキテス命令ねがい


「……愚かしいね。次の大絶滅が早まるだけなのに」


 軽蔑の意を声に乗せて吐き捨てるイートを、ディアが「のーん」とたしなめる。言葉は解せぬが、イートがちらりと 申し訳なさそうな顔をキルに向けてきたところから、何らかの気を使うよう 促されたのだろう。

 ここまでの種明かしを受け、キルは改めて正面に構える青灰の大狼を凝視した。


「貴方様が 大聖樹の霊神 ナプシュ様であらせられると、私めにも理解できてございます。そこで、畏れながら幾つか伺いたいことが。邪霊ペッセはいまだ 貴方様を 守護獣ヲルファ様と思い込んでいるのでしょうか?」


 悩ましげにキルから眼を逸らし、樹霊ナプシュは逡巡する様子を見せる。


〈いや……そうだと断言はできぬ。あの邪霊は、どこまで視ているのか 分からぬでな〉

「なるほど。そうすると、我々に守護獣 排除の協力を求めてきたのは……」


 キルの呟きを聞くなり、青灰の大狼は鼻面ミズルに皺を寄せた。


〈……勘付いておるな、小娘が〉


 今にも飛び出していきそうに巨体を屈める樹霊ナプシュに、慌ててイートが待ったをかける。


「ちょっと待ってよ! キルが訊きたいのはそれじゃなくて、守護獣ヲルファは何してるのってことだと思うよ? 自分の役目を主に押しつけて、当の守護獣はどこで何やってるのさ」

〈……ヲルファは、役目を妾に 押しつけてなどおらぬわ〉


 樹霊ナプシュの声色に、また別の怒りが宿る。


〈ヲルファは……軽率な妾の肉体ウツワを、あすこで護ってくれておる〉


 その新緑の双眸は、ここからは見えない大聖樹の方角を示していた。

 空となってしまった大聖樹を、人の形でありながら虎視眈々と邪霊ペッセは窺っている。樹霊ナプシュが その御身に戻られる邪魔をする。

 であれば、手助けをくれる『誰か』が現れるまで邪霊の器に入り、大聖樹を守るべし。この従獣めが番をしています故、主様は『誰か』を見つけて下さいませ。


「それならどうして、すぐに事情をお話し下さらなかったのですか」


 それどころか、ディアの話では 森から追い出そうとさえしていた。邪霊ペッセとの接触を避けたいだけであれば、森の外で助けを求めるという手もあったはずだ。


「自らの失態を 余所者に晒したくなかった、が一つかな。もう一つは、」


 イートの足元で、ディアも「のーん」と声を上げる。「それはいいね」と頷いた後で、イートも樹霊ナプシュの見つめる先を仰いだ。


「厭な顔ひとつせず 愚行の尻拭いをしてくれた忠実な下僕しもべに、手を下したくなかったから」


 これ以上の邪霊ペッセによる干渉を退けるには、呪物であるペッセの器ごと滅する必要がある。大聖樹の簒奪をしくじった邪霊ペッセが元の肉体ウツワに戻れば、人間を唆し呼び込むこともやってのけよう。彼女は“何者か”を騙るためだけに、造り出された“人形(ヒトガタ)”なのだから。

 口に出せなかった樹霊ナプシュの本心に、思わずキルも樹霊ナプシュの想いを代弁してしまう。


「守護獣ヲルファ様ごと 手にかける必要などないのでは!?」

「ペッセが大聖樹の側から離れないことには、大聖樹とペッセの肉体の両方を一瞬たりとも 空にするわけにはいかないよ」

「ならば、樹霊神ナプシュ様が先に大聖樹にお戻りになれば……」

「呪物【ペッセ】が引っついてるから、弾かれちゃうんだよ。でしょ?」


 青灰の大狼は悔しげに唸る。「お労しい」と洩らすキルのつま先を、何も言わずディアは前肢で踏みつけた。


「ディア様……こんなところで抱っこのおねだりですか? やむを得ませんね!」

「いや!!」


 目尻を垂らして屈み込むキルの顔面に 鋭い肉球拳ネコパンチを打ち込むと、ディアは話の通じる方の連れに顔を向けた。


「キル、本来の目的を忘れちゃ駄目だよ」


 ディアの意図を読み取り、さらにイートは付け加える。


「呪物【ペッセ】が、【ウレキテス】の眷属であるなら、俺たちで排除しなければならない。それと同時に 樹霊ナプシュを大聖樹に戻し、正式にムニキス様 及びディア様に隷従してもらう。ゆくゆくは【魔を統べる王】の下に就いてもらうためにね」


 隷従する相手に礼儀知らずの白毛玉の名が出た途端、青灰の大狼の姿勢が低くなる。唸り声の調子が変わった。


〈闇神【ムニキス】様ならばともかく、まともに形も成せぬ不完全神に仕えるなぞ 何の冗談だ。妾は魑魅の身なれど、そこまで落ちぶれてはおらぬぞ〉

「“お願い”なんてするわけないだろ、魑魅ごときに」


 樹霊ナプシュに対するイートも、表情と声の抑揚が消える。


「俺たち静穏の闇神【ムニキス】の腹心が《ナプシュ》を訪れたのは、君のお悩み解決のためじゃない。ムニキス様への忠心の確認と、【ウレキテス】への牽制だ。要請に従えない、異心があると言うなら――森ごと燃やすよ」


 陽があってなお仄暗かった木陰が、完全に闇色に染まる。この場に顕現されていないだけで、闇神【ムニキス】は常に、その眼差しを向けて下さっている。必要とあらば、いつでも雷槌イカヅチを落としてくれよう。


「おお怖い。さすがは魔の神、罪なき哀れな精霊にまで脅しかけるなんて」


 闇の中に、ぽっと白い光が灯る。両の手の中に光の玉を浮かべながら、嘲るような声の主が 樹霊ナプシュの傍らへと歩み寄ってきた。


「全部、ちゃんと聞いていたわ。あんな恐ろしい邪神の力など 返しておしまいなさい。代わってあたしが、ウレキテス様が あなたと、あなたの森を護ってあげるから」


 優しい少女の声が、強張る樹霊の心を撫ぜる。森に覆い被さる闇の色が薄くなる。


「このまま、一緒に暮らしましょう? そうすれば、ヲルファもいなくならないわ。これまでと何も、変わらないじゃない」

「……変わらないのは、貴方だけでしょう? 邪霊ペッセ」


 厳しく気高い娘の声が、甘く優しい少女の声を遮った。


「魂の戻らない大聖樹は、近く朽ちてしまいましょう。そののち、誰がこの森を統べるのですか? 邪霊が呼び込むであろう人間でしょうか。それとも、若い魑魅を取り込んだ邪霊でしょうか」


 優しい少女の仮面が剥がれ、忌々しげに邪霊ペッセは舌打ちする。


「連れ回されているだけの人間が、よく口を挟めたものね」

「口を挟むなど、滅相もない。興味本位にて訊いてみただけでございます」


 「まあ、なんて白々しい……!!」拳を震わせ、ペッセはキルを睨みつける。

 詳細に作戦を練ったわけでもないのに、上手く引き付けてくれたものだ。折角だから最後のひとことまで 言ってしまえ。――汝、騙ること勿れ、と。

 樹霊ナプシュの反応と機をうかがっていたイートが、不意に 大聖樹の在る方へと振り返る。何かを察し、樹霊ナプシュも顔を上げた。


〈……ヲルファ……?〉

「おっと、ようやく 気付いた?」


 何のことを指しているのか キルには判らなかったが、ディアの姿が消えていることには気が付いた。

 悪戯を仕掛けた子供の顔で笑いながら、イートは大聖樹の在り処を指差す。


「お望み通り、呪物【ペッセ】を大聖樹から引き剥がしたよ。疑うなら見てきてごらん」


 そして今、大聖樹の肉体ウツワは護る者もなく、弾く物もない。

 焦燥と狂喜、対照な表情を浮かべ、樹霊と邪霊の姿が消えた。


「イート様? ディア様が、また何か成されたのですか?」

「見れば分かるよ」


 だから、見届けに行こう。言うが早いか、イートもキルの手を引いて 駆け出した。


**


 娘の人形ヒトガタを模した呪物【ペッセ】を吊るしていた蔓は、獣の力で引き千切られて ボロボロと大聖樹の根元に散らばっている。


〈あ……ああ……!! なんてこと……!!〉


 解放されたはずの娘の人形ヒトガタは、地面に引きずり落とされただけではなく、その頭部を噛み潰されたように砕かれていた。


「あら いやだ。なんて酷いことを してくれるのかしら」


 不快感を露わにしてはいるものの、邪霊ペッセはちょっと眉をひそめただけであった。


〈ヲルファ!? 何処におる!? おまえの主、ナプシュが戻ったぞ! 姿を見せよ!!〉


 今にも泣き出しそうな樹霊ナプシュの声に応じ、樹上から白い影が飛び降りてきた。彼女が借りている青灰の大狼の器によく似た、純白の大狼だ。


〈……おまえなのか? ヲルファ〉

〈我が主、お許し下さい。愚狼ヲルファは、これよりお傍を離れます〉


 純白の大狼が発しているのか、ナプシュとは違う柔らかな声がその場に響く。


〈何を申しておる。妾が【ナプシュ】の大樹に戻ったなら、この器もおまえに返せる。全て元通りに……っ!?〉


 樹霊ナプシュがみなまで言うのを待たず、青灰の大狼の器がひとりでに動き出す。


〈我が身は半霊、肉体ウツワとして我が主にお貸しするには不完全なモノでございました。言わば、常にあなた様を 半身にて抱きかかえていたようなもの〉


 青灰の大狼の肉体ウツワから、新緑の光球が弾き出される。新緑の後光を失った青灰の大狼は、真っ直ぐ大聖樹【ナプシュ】へと躍りかかった。


「おのれ、畜生風情が!!」


 その先には、今にも大聖樹へ潜り込まんとしていた邪霊ペッセの姿があった。

 青灰の大狼は邪霊の喉笛に食らいつくと、そのまま呪物の人形ヒトガタと同じように大聖樹の根元へと叩き落とした。


「あ、いや、ねぇ、もう いいでしょう……? ああ、あたしの肉体ウツワも、もう、いのよ……? 魂だけじゃ、もう、何もでき……な……あああああっっ!!」


 獣らしく言葉の通じぬふりをして、青灰の大狼は邪霊の頭を噛み潰した。

 それきり、邪霊ペッセは すっかり沈黙した。


〈ヲルファ、よくやってくれた! 妾も無事、大樹の器に戻れたぞ。おまえも早く、元の肉体ウツワに戻るがよい……ヲルファや?〉


 大聖樹【ナプシュ】へと帰還した 樹霊ナプシュの呼びかける正面で、青灰の大狼の身体が 顎から灼け始める。


〈邪神とはいえ、女神【ウレキテス】は、この愚狼めが牙を向けて良い相手ではございません。故に、この半身にて 罰を受ける所存でございます〉

〈そんな……わ、妾は許しておらんぞ! そうだ、まだ おまえには魂の半身が残っているだろう? 色は代わってしまったが、その白い器が……〉


 青灰の大狼はゆっくりと首を振った。代わって後方から、その理由が明かされる。


「その御方はイレモノじゃないよ。守護獣ヲルファの魂は、末神【メルトディアス】様の新たな形態を得るための贄にさせてもらった」

「……ちょっと硬めのフコフコ感でらっしゃいますね」


 己の力だけでは、主である樹霊ナプシュを救うことができなかった。守護獣としての通力を寄越してくれれば、光輝の女神に抗う手助けをしよう。敬愛する主と【ナプシュ】の森を護れるのであれば、通力もこの魂でさえも 捧げてしまって構わない。闇神【ムニキス】に連なる者と出会えた時点で、ヲルファの心は決まっていた。


「守護獣ヲルファとしての意識はもうすぐ消えちゃうけど、伝えておきたい事とかある?」

「うーん……最初は少々 臭いように思えますが、深ーく吸い込むと 焼き菓子のような甘い香ばしさが感じられますね」

「キル、今、大事な話してるから! 黙ってあっち行ってて!!」


 純白の大狼の毛皮に顔を埋めているキルを追い払い、改めてイートは大聖樹を見上げる。

 ディアの新たな器の中に残る 守護獣ヲルファの欠片は、ただ ひとことだけを残した。


〈このヲルファは、【ナプシュ】の全てを愛しております、いつまでも〉


 青灰の大狼は燃え尽き、守護獣ヲルファの欠片も言霊と共に消えていった。


**


 光輝の女神の誘いに、ナプシュは見向きもしなかった。

 ――森の外など 識らなくて良い。

  なぜなら この静かな楽園こそが、大聖樹ナプシュの全てなのだから。

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