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光《ウレキテス》の水琴は かく語りき

 それはそれは、美しい物語。


 いにしえの時代より、闇に棲まう魔の神に護られし都があった。

 光輝の女神の治める荒々しき地上より切り離され、遙か上空にて 闇の都は優雅に繁栄を遂げた。――多くの乙女たちの犠牲の上に。

 闇の都を悪意から護る結界は 百年に一度、魔の神へと捧げられる清らかな少女の血により浄化され、邪なる者の侵入を跳ね除けると伝えられている。


 そしてまた、魔の神が新たな花嫁を求める百年の節目の年が巡ってきた。


 神託を受け 闇の神殿に仕える大巫女が告げた、選ばれし花嫁は 都の外れに慎ましく暮らしていた、可憐な少女であった。

 少女は深く、愛されていた。

 両親を亡くしてから互いに支え合い、共に育ち生きてきた兄に。そして か弱く純粋な彼女を幼い頃より守り続け、いつか一緒になろうと将来を交わした少年に。


「どうして、わたしにはあなたがいるのに、神はわたしを選んだの……?」


 闇の神殿に呼びつけられ 魔神の生贄に選ばれたと告げられたその晩、少女は少年の胸に顔を埋めるようにして涙を零した。

 少女は美しい。その儚げな美しさが、魔の神の眼に留まってしまったのだろうか。


「……そうだよ、君には僕がいる」


 色の淡い 柔らかな少女の髪を撫ぜ、少年は呟いた。


「そう、君は僕だけの聖女だ。誰にも……たとえ相手が神だって、渡したりするもんか……‼」


 愛しいひとの誓いに、少女は心と体の全てを委ねた。もう、魔の神などに捧げるものは これっぽっちも残ってはいない。

 闇の神殿から使いの者が寄越される前に、二人は手を取り合い 都の外 誰にも見つからない場所を求めて駆け出していた。

 ――しかし。

 辿り着いた場所は、非情にも彼らの逃げ場所などないと 言葉なく事実を突きつけた。

 光輝の女神が護る大地は、眼下を広く埋め尽くす。だが、そこに降り立つすべがない。

 彼の手を取り、永遠を信じて飛ぶべきか。少女の思考までが追い詰められた時だった。

 「時間を稼ぐんだ」と、少年が提案した。意図が読み取れずにいる少女に、薄ぼんやりと張り巡らされた結界の膜を示して見せる。


「まだこの都は先代の聖女の結界が残ってる。地上に降りるどころか、この膜を抜けることだって出来ないよ。……でも」


 結界に阻まれ侵入不可能なはずの邪霊たちが、ポツポツと現れるようになった。乙女を捧げる百年の節目は、結界が効力を失う期限でもあるのだ。


「君を神に捧げなければ、自然に逃げ道は見つかるんだよ」


 少年の手の平が 少女の両手を包み込む。


「大丈夫。僕がきっと、君を守り抜いてみせる。だって君は、僕の聖女様だから!」


 少年の言葉に、嘘も迷いも無かった。

 誰にも――少女の兄にさえも――見つからぬよう、二人は息を潜めてその時を待った。

 結界の力が弱まるにつれ、都には諍いの声が増えてきた。邪霊に襲われて上がる悲鳴が目立ち始めた。やがて、「聖女はどこだ」と神殿を責める声まで聞こえるようになった。

 今、見つかってしまえば殺される。震える少女を抱き寄せ、少年は何度も「大丈夫」と繰り返した。「僕が君を守り抜く」。その言葉だけが、少女を護る結界だった。


 その瞬間が訪れるまで、決して長い時間ではなかった。むしろ効力の消失まで、加速したように闇の都の覆いは剥がれていった。

 結界の消失により、闇の都に再び混沌が押し寄せる。なだれ込む悪意に人々の心は荒み、湧き溢れる異形の怪物に多くの命が食い散らかされた。それは天空にありながら、さながら地獄の姿であった。


 人の気配がなくなり 死臭の立ちこめる都を、いまだ二人は 息を潜めて歩き続ける。


「……わたしが……わたし一人がこの身を捧げていれば、こんなに大勢の人が亡くなる事はなかったのに……‼」


 両手で顔を覆う少女の肩を抱き、少年は首を横に振った。……それじゃあ、僕には何の意味もないんだ。


「……僕は、君一人がいなくなってしまう方が、ずっとずっと辛い。君が今、ここに居てくれて、僕は嬉しいよ」


 少女の瞳が少年を見つめる。他の何を失っても 君が傍らに居てくれるなら、構わない。


「さぁ、早くこんな場所は出て行こう!」


 満面の笑みを浮かべようとした少女の顔が 突然 強張る。振り返り、理由が分かった。

 闇の神に仕える者に相応しい、暗灰色の神官衣を纏った若い女が、少女の視線の先に立ち塞がっている。少女のような可憐な儚さはないが、凛とした気高さを持つ 艷やかな黒髪の美女だ。

 二人のどちらも、その女を知っている。


「……やっと、見つけた……早く、祭壇へおいでなさい」


 穏やかな、しかしどこかに怒りを押し込めた口調で、闇の大巫女は言った。


「このままでは、都は完全に滅びてしまう。我らがあるじ《ムニキス》は、貴方を欲しておられる……他の、誰でもなく!」


 俯き、少女は震える。その肩を優しく抱き寄せると、少年は闇の巫女を睨めつけた。


「どうして、そう言い切れる? ……たとえば、あんたじゃいけないのか?」


 少年の言葉に 闇の巫女は形の良い唇を噛み締める。そら見ろ、言い返せないだろ。


「……テスは、僕にとってこの都より大切なひとだ。……僕だけの、聖女なんだ!」


 闇の巫女が前に立つ限り、少女を連れ出す事は出来ない。迷いなく、少年は懐に潜めていた短刀を抜いた。


「……愚か者めが」


 短刀を手に飛びかかってきた少年を、闇の巫女は造作なく避ける。


 「主よ」懲りもせず短刀を振るう少年の耳にも、呪言を呟く声が届いた「戒め給え」。

 途端、背中から押し潰されるような圧力を感じた。踏み止まろうと全身に力を込めるが、嘲笑うがごとく 神の手は少年を地べたに押しつける。潰す気まではないらしいが、うつ伏した体は動かない。

 ちらりと哀れみの色を見せた後、闇の巫女は少女の名を呼んだ。


「貴方だって、彼を護りたいだろう?」


 軽く少女の髪を撫ぜ、闇の巫女はその手を取った。「……行きましょう」彼女こそが女神のように、その微笑みは麗しく優しい。

 ――そんな笑顔を浮かべながら、あんたは僕の大切なひとの首を刎ねるのか。

 「……いや……」少女はふるふると頭を振った。闇の巫女の手を振り払い、倒れたままの少年に駆け寄る。自分に可能な精一杯の眼光を、闇の巫女に突きつけた。


「決めたの。わたしは……ライブと一緒に 生きるって……!」


 闇の巫女の眉間がぎゅっと狭まる。ひとつ、大きく息を吐くと、とうとう闇の巫女は腰に携えていた戦鎚を構えた。


「主よ……」


 呪言に包まれ、戦鎚は薄青い光を帯びる。

 躊躇いなく、戦鎚は少女の頭上 目掛けて振り下ろされた。

 固く目を瞑った向こう側で、派手な金属音が響き上がる。

 痛みはない。意識もまだある。


「二人とも、無事だったんだな!」


 聞き覚えのある声に、少女は思わず顔を上げる。


「お兄ちゃん‼」「ジャン⁉」


 闇の巫女の戦鎚を剣で弾き上げ、愛妹を庇うように立ちふさがる兄の姿がそこにはあった。

 一瞬驚いた顔を見せた闇の巫女は、しかし直ぐに表情を消し 忌々しいと言わんばかりに戦鎚を構え直す。


「……主よ、我に彼の者を打ち据える力を」


 新たに発した呪言に、闇の巫女の戦鎚が纏う光の色が変わる。血を思わせる朱紅の光に包まれた戦鎚は、僅かな躊躇いを乗せて少女の兄へと振り抜かれた。

 対して少女の兄は、愛する妹を護るために 迷いも容赦もなく 闇の巫女に剣を向ける。戦鎚に叩き落された剣は、地面に落ちるその前に 闇の巫女の方へ軌道を変える。

 切っ先は、闇の巫女の冷たく麗しい美貌を 真一文字に切り裂いた。


「っ……あああ‼」


 顔面を押さえ、闇の巫女は苦痛の呻きを洩らす。「あ……るじ、よ……」白く細い指の隙間から鮮血と憎悪の視線を覗かせながら、再び闇の巫女は呪言を唱えんと絞り出す。


「させるかよ‼」


 呪言の完成を待たず、少女の兄は闇の巫女の腹に蹴りを放つ。多少 武術を嗜むとはいえ、その身は手弱女そのもの、くの字に折れて簡単に倒れ伏す。


「コイツは俺に任せて、お前たちは逃げろ! ライブ、テスを頼んだぞ!」


 尚も立ち上がる闇の巫女を肘で打ち据えつつ、少女の兄は叫ぶ。

 少年に掛けられた呪言の戒めもいつの間にか解けている。少年は頷き、少女の手を引いて駆け出した。


 花嫁を失った魔の神の都は、あれよと言う間に崩れ落ちていった。

 闇の加護による結界は消え去り、光輝の女神の御力の許で忌まわしの都は崩壊した。


 だがこののちも、執拗に魔の神は 花嫁にその身を捧げよと追い続ける。

 少年は、魔の神に立ち向かった。少女をその背に庇い、光輝の女神の名を唱え、少年は戦った。

 愛するひとを護るため 神とも対峙した少年と、愛するひとを信じて祈り続けた 美しい少女の物語。


 それはそれは、美しい物語。

 ウレキテスの水琴は かく語りき。

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