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6 再会と寂しい涙(1)

『フローラ、ほら、取ってきたぞ』


 クロ様がオランの実を咥えてやってきた。オランの実は酸味のある小ぶりな実で、食欲がない今、ちょうど良い食べ物だ。

 レオがいなくなって三ヶ月。フローラは妊娠初期症状ともいえる吐き気と戦う日々を送っていた。


 クロ様は、魔女がどのようにして血を繋いできたか知っている。フローラが最近体調不良であることに気付いたらしく、何も聞かずに、妊婦が好みそうなものを取ってきてくれるのだった。


「クロ様……ありがとう」

『今は休むことも大切だぞ。薪割りは魔法でしておいてやるから、寝ておけ』

「……はい。クロ様ありがとう」


 そういえば、母も妊娠中はクロ様にお世話になったのだと言っていた。フローラはその話を聞いて、妊娠していた時にはもう、父親は母の側に居なかったのだと悟った。


 母は祖母に比べて夢見がちな人だった。


 よく「貴女のお父様は素敵な人でね」と、父親のことをうっとり語り出すことが多かった。子供を作るだけ作って妊娠中の母を放っておくなんて、『素敵な人』ではないんじゃないかと子供ながらに思っていた。


 しかし、母はいつも「可愛いフローラをあの人にも見せたい」だとか「フローラはお父様と同じ赤い瞳で素敵」だとか、恋する乙女のような発言ばかりしていた。

 母は死ぬ間際も、病に倒れながらフローラにこう言った。


「貴女を一人にしてしまってごめんなさいね。貴女にもいつか、お父様みたいな素敵な人が現れるはずよ。その縁を大切にしてね。幸せになって」


 その言葉に何も答えられず、少しだけ曖昧に微笑むことしかできなかった。だけど。


(お母様、私も、出会ってしまいました)


 フローラは今になって、母の気持ちが分かる気がした。いつかお腹の子が生まれたら、自分が心から望んだ子どもなのだと言い聞かせてあげたい。一人で何人分もの愛情を注いであげたい。彼がどんなに素晴らしい人か教えてあげたい。


(もう二度と会えないけれど)


 でも子に言い聞かせることで、レオとの思い出が色褪せずに大切に守れるような気がしていた。


 だけど、彼の名を子どもに教えてはいけないかもしれない。きっとレオは貴族だ。それもかなり高貴な身分に違いない。後継問題に巻き込まれてもいけない。レオの子どもだとバレないように気をつけて育てなければ。


「レオ……」


 子どもが産まれたら、もうその名を口にしてはいけないから。だから今、音にしておくのだ。そう自分に言い聞かせて、クロ様がいない時に、そっと「レオ」と口に出す。

 たった数日間の、たった一晩の関係だけれど、愛しく思う。会いたいと思う。その気持ちに蓋をしながら。


 その後、フローラの悪阻は次第に酷くなり、横になるのも苦痛で睡眠不足になった。身体が弱ると、心も弱っていき、フローラは心身共に衰弱していった。


「レオ……」


 心細い夜に思い出すのは、レオと過ごしたあの数日間のことだ。



『フローラは良い匂いがする』


 もうほとんど治った腕の包帯を交換していた時のことだ。レオが突然そんなことを言い出した。

 包帯を巻いていたので、お互いの顔は割と近い。


『なっ! そっ! そんなこと、ない、です』


 思わず身を引いたフローラの腕を、レオが力強くひいた。そして髪の毛を手に取り顔を近づける。


『何の匂いだろうか。花のような香りだ』

『や、薬草、かもしれません。さっきまで薬の調合をしていたので』

『そうか? 花のような甘い香りだ』

『ちょっと! あまり嗅がないでください!』

『ははっ』


 そう笑った顔が忘れられない。圧迫感のある険しい顔の時もあれば、屈託のないイタズラ顔をすることもある人だった。


 目を瞑れば鮮明に思い出せるあの笑顔。でも、もう少し時がたてば、彼のことを上手に思い出せなくなるかもしれない。それが嫌で仕方なかった。──会いたい。


「レオ……」


 最近はこうしてあの数日を思い出しながら涙することばかりだ。何も喉を通らない。身体を動かす気力もない。衰弱していくのは分かっているけれど、身体が拒否しているのだ。


『大丈夫か?』

「……クロ様……」

『沢の水を汲んできた。何か食べられるか?』


 首を振るフローラに、クロ様は眉を寄せる。


『食べられないのは仕方がないが、水分は摂るべきだ。あと寝ろ』

「……はい。ありがとう、クロ様」


 本当は水も受け付けないが、クロ様が汲んできた水を無駄には出来ないと、フローラは無理をして飲んだ。

 すかさず襲ってくる吐き気に耐えながら、壁に寄りかかり目を瞑る。


『ゆっくり休め────と、思ったが。フローラ、客だ』


 クロ様が何かを察知したようだ。

 フローラは動けないので何も出来ないが、クロ様が窓の外をそっと見る。


『人間だ。敵意は感じない』

「!?」


 フローラは『人間』と聞いて飛び起きた。そして玄関へと走る。しばらくまともに食べていないので、その足取りはフラフラだ。


(レオ……っ!?)


『ちょっ! フローラ!?』


 ガチャ!


 扉を開けると、軍服を着た人間が数人、湖の向こう側にいた。

 飛び出したフローラに気付いた人物が、深々と頭を下げ、それに倣い他の人間達もフローラに首を垂れる。


『前に来た、あの怪我人はいないぞ』


 あとから追ってきたクロ様にそう言われ、フローラは力無く座り込んだ。

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