2 媚薬と運命の相手(1)
本日もよろしくお願いします!
最近は少しだけ日差しに温もりを感じるようになった。閑散としていた森に動物達の姿が見られるようになり、次々と新しい芽を出し木々や草花の緑が足されていく。春がもうすぐやって来る。
彼が目の前から居なくなって、三ヶ月が過ぎた。
最近食欲がなく、月のものが来ないので、恐らく成功したのだろう。まだ、特に変化のないお腹に手を当てる。
(ここに、私の赤ちゃんが……)
悪阻のせいで身体の調子は良くないが、彼との子どもを授かれたのだと思うと、嬉しくてたまらなかった。
家の前の湖で水を汲む。やはりまだ水は冷たい。濡れた手が冷たい風にさらされてより冷えていく。
彼を拾ったあの日は、もっと冷える朝だった。フローラは、彼が横たわっていた湖のほとりを、愛おしそうに眺めた。
***
それは三ヶ月前のこと。
秋も終わり冬が始まる時期は、朝晩が特に冷え込む。日当たりの悪いこの森は、余計に冬が近づく気配をひしひしと感じるのだ。
その日は、よく晴れていたが凍えそうなほど寒い朝だった。フローラはいつも通り早朝から目を覚まし、お気に入りのローブに着替え、朝食のスープを煮込んでいた。
『フローラ! フローラ!』
フローラを呼ぶのは、黒猫の形をした魔物。見た目は大変可愛いが、この森の魔物を制する程の力を持つ。フローラはこの黒猫魔物を、"クロ様"と呼んでいる。一人暮らしのフローラにとって、この森で暮らす魔物は家族のような存在だった。クロ様は面倒見もよく、頻繁に食べられる木の実やキノコを差し入れしてくれる。そんなクロ様の慌てたような声にフローラも何事かと驚く。
「クロ様、どうしたんですか!?」
クロ様が、焦った様子で自分を呼ぶので、フローラは鍋の火を止めて急いで玄関を飛び出した。外はまだ朝日が登って間もないせいかかなり寒い。思わず強張る身体を自分で抱きしめながら、クロ様の方へ向かう。
『見ろ! 人間だ……!』
「えええっ!」
クロ様が目線で示したのは、フローラの家の前にある小さな湖。周りの森はあまり太陽の光が当たらないが、湖にだけはわずかに陽が差し込むので、水面がキラキラと輝いて美しい。生い茂る暗い森に住む生き物達の憩いの場である。
だが、ここは森の奥深く。なかなか人間はやって来ないはずだ。
(人間なんて……珍しい)
その人間は、湖のほとりで横たわっていた。大人の男性だろうか。怪我をしているようで、頭や腕、足から血が出ている。
「し、死んで……る?」
『いや、生きてるようだ。大怪我では無さそうだが、毒でも盛られたんだろう。気を失っている』
「放っておいたら……」
『死ぬだろうな』
ほぼ冬のような寒い時期。ここは日の当たらない森の中。日が暮れれば気温がぐんと下がり、ここで見捨てると、明日には死体になるだろう。フローラの家の目の前で。
この森に住む魔物たちは、クロ様の命令で悪さをあまりしない。人間を無闇に襲わないので、死体が転がっていても食べてはくれない。
しかもこの身なり。かなり高貴な身分の人間だろう。見捨てたとなれば、人間に変な罪を着せられそうだ。かつての祖先がそうであったように、魔女全てを悪として魔女狩りが始まったりしたらたまらない。何処かでひっそりと暮らしているであろう、他の魔女たちにも被害が及んでもいけない。
『食べようか?』
クロ様は容姿に似合わない獰猛な瞳で獲物を見つつ、舌なめずりをした。
「食べちゃダメ。碌なことにならないわ」
フローラは仕方なく、本当に仕方なく、大きな大きなため息をついて、その人間を拾うことにしたのだった。
自分よりも大きな青年と思われる人間。しかも、血と泥と湖の水で濡れた身体は重く、家の中に運ぶのも一苦労だった。
なんとか運べたのは、クロ様が魔法で補助してくれたからだ。
『俺、人間の匂いは好きじゃない。暫く来ないからな』
クロ様はそう言い残すと森の方へ駆けて行った。他の魔物も姿を現さないので、仕方なくフローラだけで、この人間の面倒を見なければならない。
(あぁ! お気に入りのローブに血が!)
この人間を運ぶのに夢中で気づかなかったが、ローブの袖にベットリと血が付いていた。深緑の肌触りのよいローブは、彼女の祖母のお下がりで、数少ないお気に入りの一品だ。袖口と裾に揃いの花刺繍がぐるっと施してあり、可愛らしいその模様のお陰でフードを深々と被っていてもどこか怪しくならないのだ。
(人間の街に行く時の一張羅なのに!)
この人間は、恐らく貴族だ。上着には美しい金の刺繍が施されているし、その上質な生地はその辺の庶民では到底手に入らない代物だ。
お金持ちの貴族であれば、いつか助けたフローラに報酬をくれるかもしれない。その時は絶対に新しいローブをねだろうと心に決めた。
まずは暖炉の近くに転がして、血と泥だらけの服を脱がす。すると、貴族らしからぬ、たくましい身体が現れた。
(軟弱な貴族様じゃないのかしら)
身体や傷を綺麗に拭いていくと、美しい銀髪に整った顔立ちをしていることに気付く。目を開ければかなりの美青年に違いない。
傷口にはフローラお手製の薬を塗り、丁寧に包帯を巻いた。
フローラは、治癒魔法は使えない。専門ではないからだ。
だが、多少の怪我なら治せる程の薬を煎じることは可能だ。魔法で効力をアップすることもできる。
この人間も、そのうち完治するだろう。
身体を拭き、包帯を巻き終えたので、ベッドに運んで寝かせてやることにした。
だが、浮遊魔法も得意ではない。人を完全に浮かべるのは難しい。つまりは、ベッドに運ぶのは、フローラの細腕にかかっている。
(無理……ほんと無理)
苦手な浮遊魔法を人間の下半身にかけながら、上半身を持ってベッドに運ぶ。肉体労働をする機会もなく生きてきたフローラには、とんでもなく重労働だった。
(はぁ……もうだめ)
やっと人間をベッドに運んだ頃には、フローラは魔力も減ってヘトヘトだった。苦手な魔法は使うもんじゃないと思いつつ、お金持ちなら絶対治療費をぶん取ろうと決めたのだった。
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