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   第一章 引き金を引く馬鹿もいる


 薄い水の膜を、通り抜けたような感覚だった。

 はっと気づくと、「煙を吐く鏡」の中の映像として見えていた白い大地と黒い浜辺が、目の前に広がっている。

 「たぶん、『果ての地』でいう南極よね、ここ。北半球が秋なんだから、ここは春のはずだけど」

 しかし、充分すぎるほどに寒い。

 「夕暮れぐらいかな…かなり暗くなってるけど」

 すでに、「ジャガーの戦士」も「海の語り部」コンビも姿を消していた。

 「どっちに行ったんだろう」

 「任せとけ」

 サイキが地面にかがみこんだ。

 「この足跡…そう遠くには行っていない。複数…急いでる」

 「そっか。追跡(トラッキング)、できるんだサイキ」

 足跡などから行先などを割り出す技能である。

 「ああ。これが『果ての地』のアスファルトだったりすると難しいけどな」

 痕跡から目をそらさず、彼は答えた。

 「『ジャガーの戦士』が右に行って、『海の語り部』さんたちが追って行ったんだ。俺たちも追うぞ、楓」

 「うん!」


 薄明りの中、巨大な氷の壁がそそり立つ。背後では海が吼え猛っていた。

 「この近くの、はずだが」

 「ジャガーの戦士」は一人、氷と海の間のわずかな浜を伝って歩いていた。

 氷の壁が―彼はその言葉を知らないが、氷河である―そびえている中に、裂け目があった。地熱でも湧き上がっているのか、そこから氷の回廊が奥に続いている。

 「ここに入れば、近づける…か」

 ほの青く輝く氷が続いているだけに見えたが…「ジャガーの戦士」の「加護を受けた者」としての感覚は、その奥に「精霊の力」の揺らぎを感じ取っていた。

 氷の羊歯を砕きながら、彼は強引に裂け目の中に入りこみ、進んだ。

 「これか?」

 息を呑んで、呟く。

 「精霊の力」を漂わせる「何か」が氷の中に埋まっているのが見えてきたのだ。

 黄金の炎を何度か放ち、壁を削っていくと―次第にそれが、鮮明に見えてきた。

 押し詰められて透明な氷の中に浮かぶ、人影。古めかしい衣装をまとった、壮年の男性だった。

 「これが、伝説の」

 さらに目を凝らすと、白い光を放つ繭のようなものが、その人物を包みこんでいた。

 「溶かし切れば、いいのか?」

 炎を放って溶かしていき、繭が表面に現れる。彼が触れようとすると、白い光にばしっと弾かれた。

 「!?」

 男性の胸の上に淡い光を放って脈動する宝珠があり、光の繭はそこから広がっていた。

 「これ以上は、ただ削っても駄目か」

 彼は知る由もないが、かつてサイキたちが「遺産」を求めた際に、その覚悟を試した球体…それに、大きさや輝き(色彩は違うが)がこの宝珠は酷似していた。

 「あの宝珠が、この『加護を受けた者の中で最強の戦士』を封じているのか」

 それなら壊せばいいのか、と判断し「戦士」は炎で周囲の氷を溶かし切って宝珠をむき出しにした。

 「やめろ!やめるんじゃ!」

 そこへ、ようやく追いついてきた「海の語り部」が声を限りに叫ぶ。

 「やめろ!そこに封じられている者は、確かに最強の『加護を受けた者』だが…お前に味方するような者ではないのだぞ!決して解き放ってはいけない者だ!」

 「ええいうるさい!甦らせる代償に、言うことを聞かせれば良いだけのこと!」

 言って宝珠に黄金の炎を―

 「やめろーっ!」

 放ち、あっさりと打ち砕いた。

 ぴし…ぴし…。

 砕かれた宝珠を中心にして氷に亀裂が走った。放射状に広がり…ついに、轟音を立てて砕け散った。男性の全身が、あらわになる。

 同時に、紅い光がその身体から湧き上がった。熱が放射され…男性の目が、ゆっくりと開かれた。

 「おお…!」

 「ジャガーの戦士」が喜びに震え、

 「ああ、力及ばんかったか」

 「語り部」が、がっくりと膝をついた。

 「…見つけた!あの人は、一体?」

 やっと駆けつけたサイキと楓が尋ねた。

 「少なくとも、今の『二つの世界』にとっては破壊者以外の何者でもない」

 老人が呻く中。

 「さあ!忌まわしき封印から、貴殿を解放してやったぞ。解放者たる儂に協力せよ!ここより『暦の精霊の地』に戻り、忌々しい『羽毛蛇の祭司』らを一掃し、『王者』をも打ち倒して覇を唱えるのだ!」

 「―この宝珠を砕いたのは、お前か」

 重々しい声音で、今目覚めた男性は問いかけた。

 「そうだ!さあ、儂に―」

 ドゴォ!

 紅い光が炸裂した。

 男性が「ジャガーの戦士」に、光で形作られた拳を放ったのだ。

 「ぐっ…!」

 軽々と「戦士」の身体が吹き飛び、あろうことかサイキたちの足元にまで転がってきた。完全に気絶している。

 「お前たちは何者だ?その者の一党か…?」

 ゆっくりと視線が動き、サイキたち一同に向けられた。

 「いかん!今のうちに彼を何とか倒すのじゃ!」

 「この距離なら…海よ!」

 「語り部」の叫びに応じ、「海の戦士」が右拳を突き上げた。と、氷混じりの海水が渦を巻いて回廊に飛来し、男性に迫る。

 「―極光の精霊よ」

 彼がぽつりと呟くと、かざした左手の前に薄緑の光が湧き上がり、ゆらゆらと揺れる半透明の幕となって渦を受け止めた。

 「なっ!?」

 ごく薄い、もろそうな光の幕なのに、全く水を通さない。

 「くっ!海よ!海よ!」

 「海の戦士」は歯を食いしばり何度となく呼びかけて海水を叩きつけたが、男性が展開させた揺らめく極光の薄い幕を突き抜けられずに、渦は雲散霧消した。

 「邪魔だな」

 うっとうしくは感じられたらしい。呟き、右手を掲げて一言唱えた。

 「(いかづち)の槌よ」

 「え?」

 右手の上から雷光が噴出し、ハンマーの形をとった。

 それを高く掲げると、青白い稲妻がほとばしった。こちらに放たれる。

 だが一瞬早く、

 「翼よ!」

 サイキが叫び、背から巨大な銀色の翼を出現させて全員を包みこんだ。雷光は翼の表面ではじけ、羽毛が散る。

 「まさか!?」

 恐るべき威力だったが、一同が驚くのはそこではなかった。

 「一つの精霊の応用じゃ、ないの!?」

 「複数の精霊の、能力…!?」

 無理はない。サイキも、他の誰も、加護を受けて力を借り受ける精霊はたった一つなのだ。

 精霊の側は複数の「彼方人」に加護を与えられるが、人が力を引き出せるのは一つの精霊のみ。多彩な技を使う者はいるが、それはあくまで一つの精霊からの力を応用しているだけ。複数の精霊の加護を受け力を引き出せる者など、聞いたことがない。

 それをこの男性は、やすやすと…同時に二つの精霊の力を行使しているのだ。

 「この人は、一体…何者なの!?」

 「駄目か…ここは退くぞ!皆の衆!」

 「いいけど、こいつ連れてかんと」

 「語り部」の言葉にサイキは「ジャガーの戦士」を担ぎ上げ、一同は氷の回廊を飛び出した。

 『…みんな!早く戻ってください!『煙を吐く鏡』の様子がおかしいんです!』

 カノコの声が、空中に浮かんだ鏡面から聞こえてくる。

 「急げーっ!」

 走って、走って…ようやく「海の語り部」たちが鏡をくぐり、サイキとその肩の楓、もう一方の肩に担がれた「ジャガーの戦士」が続こうとした。

 そこへ―背後から、雷が放たれる。

 「どひー!」

 鏡面に飛びこむ背中に雷が迫ったが、銀の翼が残って光をはじいた。そのまま鏡ごと消失する。

 「逃がしたか…しかし、あの気配。あの若者が『合分の板』の担い手か」

 男性はそう呟き、全身から紅い光を放って姿を消した。


 「間に合ったー!」

 一同は元の小部屋に戻り、へたりこんでいた。振り向くと、「煙を吐く鏡」の表面にぴしり、とひびが入り、見ていくうちに黒曜石の鏡面が粉々に砕け散った。

 「なんてこった!これさえ使えば、世界のいろんな所から連れてこられた人たちを戻せると思ったのにー!」

 「本来、通信用の物で人を移動させるのは緊急の時だけだったみたいね。それなのに使いまくってしまったから、壊れたのかも」

 「いかに古代文明の利器とはいっても、『遺産』のように何千年も使用できるようには造られていなかったのかもしれん」

 耐用年数切れ、は充分ありえた。

 「…それにしても」

 一同の視線が、今うなずいた「海の語り部」に向いた。

 「あの人…すごい気配だった。とんでもなく強そうだった。二つの精霊の加護を受けてたっぽいし…一体、何者なんだ」

 「『語り部』さん、あの人について何か知ってるんですか?知っているなら教えてください、お願いします」

 「やはり、気づいたか」

 楓の質問に、老人は辛そうな顔を見せた。居住まいを正して、まっすぐにサイキと―楓を見つめる。

 「良かろう。恐れていたことが現実となった以上、お主たちにも関係してくることじゃからの」

 (関係?)

 楓の疑問をよそに、彼はぽつりぽつりと語りはじめた。

 「…かの者は、二つの世界がまだ一つだった時代に、全ての『加護を受けた者』の(おさ)だった人物じゃ。今現在特定の人間に加護を与えていない全ての精霊から力を引き出し、使いこなすことができると伝えられている」

 「へー。偉い人だったんだ」

 「そんな人が、どうしてあそこに封じられていたんですか」

 「彼は、世界を分かつことで『精霊』と『科学』を奉じる者同士の争いを避けるという決断に、最後まで反対していたのだ。ついには力づくで阻止しようとして…皆に止められ、『氷の精霊』の力によってあの場所に封じられた」

 (昔のことについて語ってくれた時に、奥歯に物が挟まったような言い方をしていたのは、このためだったんだ)

 二つの世界の交流を図ろうとしている自分たちには、言いにくかったのだろうと楓は考える。

 「復活した『長』は、再び世界を一つに戻すべく動きはじめるじゃろう。…それ故に、『鷲の戦士』サイキよ、お主が狙われることになる」

 「は!?どういうことだ、それ」

 「…あ!『遺産』の、『一つにする』力!」

 「そう言えば、そんな力あったっけ。俺、いっつも刀にして『分ける』方の力しか使ってないからさー」

 「よくわかったな。その通り…『長』には世界を一つにする能力はない。近づけることはできてもな。かつてその『遺産』によって分かたれた世界を一つに戻すには、同じものを使うしかない」

 「じゃあ、あの人…『長』はサイキに『遺産』を渡せと要求する、と?」

 「―恐らくは」

 沈痛な表情で、「語り部」は答えた。

 「でも、世界が一つに戻ったら…どうなるんだろう」

 サイキもわかっていないが、楓も今一つぴんと来ていなかった。

 「再び『精霊』と『科学』を奉じる者同士が争う、と伝承では言う。それは、先人たちが何としても避けようとしたことだ」

 「『争い』って…『果ての地』の人たち、ほとんどいい人だったけどなー。争いってほんとに起こるのかなあ」

 「でもサイキ、詳しくニュースとか見てると、『あるかな』と思うわ。…悪気はなくても、現代文明…つまり科学文明が『ほかの考え』を持つ人たちに害になることって、あるもの」

 全くの善意でいろいろ伝えた結果、伝統どころか人々を全滅させることだってあるのだ。

 「とにかく『遺産』を渡さない方がいいと思うわ、私は」

 「そうだな。どう使われるかわかんないし…向こうの言い分も、聞いてみたい気はするけどさ」

 それが、サイキの今のところの結論だった。

 「頼むぞ。奪われないようにしてくれ」

 不安げではあったが、「語り部」は深々と頭を下げた。

 「…でも」

 楓は今までの話で、疑問に思ったことをぶつけてみた。

 「今までその人は、『氷の精霊』の力で封じられてきたんですよね?でも、昔に『氷の精霊』の加護を受けていて、封じたその人が年を取ってお亡くなりになったら、封印って解けるんじゃないんですか?」

 「よく気づくな、お主は」

 老人は感心しつつも、苦悩の表情を見せた。しばらく考えこんだ後、意を決して続ける。

 「お主らは見ておらんだろうが、かの者が眠っている時には宝珠が封印を維持していたのだ。『ジャガーの戦士』に砕かれたがな。その宝珠の中に、彼を封じた、その時代に最も優れた『氷の精霊』の加護を受けた者の精神がこめられていたのだ」

 「宝珠に…?」

 「『遺産』の担い手となっているならば、その守護者と会って認められたのだろう」

 「「…あ!」」

 夕日のような色をした球体を、思い出す。

 「そう、それが宝珠だ。その中にも、かつての『加護を受けた者』であり、『遺産』の守護をしていく決意をした者の精神がこめられていたのだ。同じように、宝珠の中で精霊の加護を願い続けていたわけじゃな。…じゃが、彼女こそが彼を封じていたということが、今彼がこの状況、『二つの世界』を憎むであろうことの原因になるかもしれん」

 「どういう…ことですか?」

 答えを聞くのが、怖かった。今自分がたどり着いた結論と同じかもしれないと思うと、とてつもなく怖かった。でも、聞かずにはいられなかった。

 「…彼の、配偶者(つれあい)だったのだ」

 やはり、恐れていた通りの答えだった。

 「彼女は他の者たちに彼の助命を嘆願し、自らと共に彼を封じて眠りつつ、その執念を浄化していく道を選んだのだが…宝珠は砕け、彼女は永遠に失われた。…何もかもが、裏目に出たな。何もかもが」

 「そんな…!」

 「俺が、『ジャガーの戦士』をしっかり捕まえとけなかったから、こんなことに!?」

 サイキが珍しく落ちこんだ声を出した。

 「しっかりしてよ。起こったことは起こったこと。これからどうするかを決めて動こう、サイキ」

 この状況で「切り替えろ」なんて言っていいのか…とも思うが、楓はあえてきつく言った。

 「…この失点は、必ず取り返すよ」

 バスケをやりつけている者らしい表現で、彼は決意を示した。

 「それに、これは私たち全員の責任とも言えるし」

 どう責任を取ればいいのかなど、楓にもわからないのだが。

 「とにかく、スーミーさんの所に戻った方がいいかもしれないね」

 「そうだな。ここにいてもどうにもならないし…一旦帰った方がいいか。でもその前に」

 気絶したままの「ジャガーの戦士」を、「羽毛蛇の祭司」に引き渡した。

 「まだ心折れてないかな、こいつ。しっかり縛って、目隠しでもしておくしかないか」

 「確かに、預かりましたぁ。この人はもう『ジャガーの戦士』ではいられないでしょうが…その方が、いいのでしょうね」

 地位は剝奪されるだろう、と「祭司」はうなずいた。

 「この地はわたしたちが立て直しますぅ。任せてください…あなた方の行く道はかなり大変だと思いますが、やるべきことをやってくださいね」

 にっこり笑って、彼女は続けた。

 「正直、しばらくはこの『都』を立て直すので手いっぱいであなた方の手助けはできないと思いますぅ。返し切れないほどの恩義を感じますがぁ…すみません」

 「それは仕方ないと思いますよ」

 まわりのぶっ壊れ方を思うと。

 「じゃ、帰るか…頼むぜ、カノコ」

 「はい!」

 倉庫の外に出たカノコが、祈りを捧げはじめた。

 「わ、儂らも連れて行ってもらえんかのう」

 「海の語り部」が、思いつめた表情で口をはさんだ。

 「いいんですか?帰るの、遅くなっちゃいますよ」

 「いや、まさにこのためにこそ儂らはここに来たんじゃから」

 「じゃあ、来てくれ。あなた方の知識が必要になるかもだし」

 「あ!ジュウくんはどうするの?」

 ここまでついて来て、今は「祭司」の手の者に保護されているはずの少年は。

 「あの子は、わたしが責任もって『守護精霊の地』に送り届けますぅ。心配しないで」

 「よし、それならいい!帰るぜ楓、カノコ!」

 「あ、待ってください」

 外に出ようとしたサイキたちに、「祭司」が声をかけた。

 「あなた方は、これから苦しい選択を強いられるでしょう。でも、それに負けないでくださいぃ」

 「…?」

 彼女の視線に、楓は首をかしげた。

 そのまなざしが、自分にも向けられている気がして。

 (サイキを見ているんだと思う、けど)

 でも、サイキと自分を見ているような気がする。

 「『猿の書記』さんと会ってもらって、確信しました。あなた方が『運命の大きな流れ』に深く関わる存在であることを…サイキさん、楓さん」

 「私も!?」

 「関わっている」と言われても、自覚など欠片もできなかったが。

 (でも、サイキたちの力になれるなら、なりたいな)

 「今のわたしには、『精霊の力』は一切使えませんが…せめて、祝福を。わたしの名において…わたしの名前は『翠の羽毛蛇の祭司』ヒスイ」

 (はじめて、『祭司』さんが、名乗った)

 「守護精霊の地」や「暦の精霊の地」においては、「名前を名乗る」というのは非常に重要なことらしいと、この旅で楓は感じていた。…サイキやカノコはほいほい名乗るが、これはまだ若いしそこまで重要人物でもない(と思っている)からだろう。

 事実、今の今まで彼女の名前を知らなかった訳だし…それを、あえて今、名乗った。

 「この名において、祝福を。この先あなた方が歩む道が、誰にとっても光に満ちたものでありますように」

 力強い、言葉だった。

 わずかに翠の光が舞った…ような、気がする。

 「ありがとう、ございます」

 できる限りのことをしてくれたのがわかり、楓は頭を下げた。

 「カノコ、そろそろ行けるか?」

 「はい。もう少し…つながりました!」

 祈る彼女の前に、明るい茶の球体が出現した。

 『カノコか?…サイキたちもそこにいるのか?』

 その中から、声がする。

 「スーミーさん!すぐ、そちらに戻ります!受け止めてください!」

 カノコが叫ぶと、

 『よし!』

 老巫術師(シャーマン)の声とともに、茶の球体の中にぽつりと銀の輝きが宿り、見る見るうちに茶の縁取りをほどこした銀色の球体になった。さらに膨れ上がり、漆黒の巨大な球になる。

 「よし、行こう」

 楓を肩に乗せたサイキが、球の中に足を踏み入れ、

 「行くぞ、カノコ!」

 少女の手を取って引っ張り込んだ。「海」のコンビも続く。

 「さよなら、『祭司』さん…いえ、ヒスイさん!」

 「この騒動が解決したら、また来ますね!」

 「待ってますよ、みなさん!」

 「祭司」ヒスイの声を背に、漆黒の球体は北に向かって矢のように飛び去った。

 それを、見送って。

 「難敵に立ち向かう彼らに、祝福あれ…!」

 彼女は、精霊たちに心からの祈りを捧げた。


 その日、人々は見た。

 漆黒の球が北にまっすぐ飛ぶのを。

 新たな伝説として、後々まで語り継がれる光景だった。

 「やっと、このぐらいの距離なら『跳べる』ようになりました」

 「スーミーさんが受け止めてくれるからだけどなー」

 カノコに、これが可能になったからこそこんな遠出ができたのだ。見ず知らずの場所には自力で行くしかないが、よく知っている巫術師や巫女(シャーマネス)がいる場所になら「跳ぶ」ことができるように、カノコも成長していた。

 「助かるぜ、ほんとに」

 一同は半透明の球体に入って、空を駆け抜けていた。眼下を奔流のように景色が通り過ぎていく。

 その中で、楓は考えこんでいた。

 (二つの世界が、一つに戻る…危機)

 それが危険なことは理解しているつもり、ではあったが。

 (もし、一つになってしまったとしたら?)

 そう考えると、心が、何故かかつてないほどにざわめく。

 (どうしちゃったんだろう、私)

 だが、悩んでいられたのもそこまでだった。

 「もう少しで、スーミーさんの居場所に着きます!」

 カノコが祈りながらそう囁いた。

 「すごいわねカノコさん…って、わっ!」

 球体がいきなり、ぐらりと揺れた。

 「何が起こっ…!」

 まわりの光景が揺らぎ、はじけた。


 時間は、少しさかのぼる。

 「彼方の地」の、どことも知れぬ森の中で。

 「加護を受けた者の長」は一人、立っていた。

 『おお、我が一族が忠誠を誓った『長』よ』

 声とともに、彼のまわりにいくつもの気配が現れた。

 「長き年月を、待っていてくれたのか」

 『申し訳ございませぬ』

 平伏する気配たち。

 『長きにわたり、貴方を封印から解き放つべく方策を模索しておりましたが…こんなことになるとは』

 「こんなこと、か」

 「長」は右拳を強く握りしめた。

 その中にあるのは砕けた宝珠の、欠片。

 『誠に申し訳なく』

 「良いのだ」

 彼は首を振った。

 「起きたことは起きたことだ。…皆、我の力となってくれるか」

 『もちろんでございます』

 「我のために、闘ってくれるか」

 『は。まずは『遺産』を手に入れ』

 「『遺産』だと?」

 『ひっ!』

 その轟く声音に、皆縮み上がった。

 「かつての文明の遺産、か」

 再び、右手が握りこまれた。

 「我にとっては、今も生き生きと目の前にあるものを」

 『ああ、お許しください』

 『お心を鎮めてくださいませ』

 「まあ良い。では、行け…まずは『森の精霊の加護を受けた者』、お主だ」

 『かしこまりました』

 少年の声とともに、気配の一つがふっと消えた。

 「我は行く。『狭間』に…お主たちにも、その力を振るってもらわねばならぬ時が来ような」

 『『『わかっております』』』


 はっと気づくと、五人は。

 「え?ここは」

 カノコが困惑の声を上げた。

 「草原じゃないね」

 その通り、森の中だった。

 「スーミーさんのいるところまで『跳ぶ』はずが、さっきぐらっとした時につながりが切れてしまったみたいです。わたしの故郷の近くみたいですけど」

 「じゃあそんなに離れてないよなー」

 「すみません、さすがに疲れてしまって。一晩休まないともう『跳ぶ』ことは」

 「とりあえずカノコの実家に行こうぜ。ロクさんもいるだろうし」

 急ぎたいが、サイキも疲労はしている。

 「すみません」

 「しょうがないさ。行こうぜ」

 サイキは楓を肩に乗せ、歩き出した。

 「まだお昼過ぎなのに、暗いのね」

 うっそうと茂った森を不安を感じつつ楓は見上げた。

 「古い森だからなあ」

 「わたしたちには恵みの森ですが」

 カノコに案内され、一同は進んでいく。

 「こっちです」

 わずかについた踏み跡で、彼女は道を見つけていた。

 しかし。

 「…あら?」

 カノコが立ち止まり、不安そうにあたりを見回したのはもうしばらく後のことだった。

 「踏み跡がなくなりました。道がわかりません」

 「何だってえ!?でも、俺も見覚えないなあ、ここ」

 「どういうこと?」

 さっきまで広葉樹の森だったのに、いつの間にか針葉樹の並ぶさらに暗い森に、一同は足を踏み入れていた。

 「何か、おかしくない?」

 楓はさらに不安になる。

 「でも、嫌な感じはしないんだよなー」

 「そうですね、小鳥も平和にさえずってますし。危険な気配があったら、あんなに楽しそうにしていられませんよ」

 サイキの言葉にカノコもうなずいた。

 「木々の声もとっても静かですし」

 「そう…なのかな」

 巫女であるカノコがそう言うなら、とは思うが。

 (何か、おかしい)

 楓の勘ではなく、理性がそう言っていた。

 今までの経験から培われた、彼女の冷静な部分が。

 (私は『精霊の力』を感知できないから、この二人…特にカノコさんを信用するしかないんだけど)

 しかし、どこかに引っかかりを感じる。

 「おかしいですね。さっきまで懐かしい故郷の森だったのに、いつの間にかこんな北の森みたいに」

 「おかしいなあ」

 サイキも首をかしげるが。

 「まあ、いいのかな。鳥も吞気に鳴いてるし」

 小鳥の平和なさえずりに追及をやめてしまった。

 「儂らもおかしいとは思わんのう」

 「海」の二人もへろへろになりながらついてきた。

 (でも、何かがおかしい)

 楓はあたりを見回した。

 どっちを見ても森が見え、聞こえるのは小鳥の可愛らしいさえずりだけ。

 「…え?」

 ()()()()()()()()()()()()()()

 (針葉樹の森だよ?さっきの広葉樹の森と、()()()()のさえずりに聞こえるの…!?)

 はっとして、楓は自分の耳をふさいだ。

 (認識を、ずらされてる気がする!)

 その間も、一同は戸惑いつつもあてずっぽうに進んでいた。


 「―サイキ、カノコさん」

 十分ほどして、楓が耳から手を離して呼びかけた。

 「わかってる?私たち、同じところをぐるぐる回ってるんだよ」

 「え?」

 「そんなつもりねーぞ!」

 二人ともまっすぐ進んでいるつもりだった。

 「木々や、小鳥のさえずりが私たち…特に『精霊の力』を使える人の感覚を惑わせてるのよ」

 そう、楓が言い切った時。

 「―そうだよ。ここは、君たちの知っている森じゃない」

 知らない声が響いた。小鳥のさえずりがふっと消える。

 「だ、誰だっ!」

 薄暗がりに、蛍火が舞い…小柄な少年が照らし出された。憎らし気に楓を見ている。

 「まさか『迷いの森』が破れるとはね…!」

 少年は忌々しそうに吐き捨てた。

 「『精霊の力』を得た者には、やたらに有効なんだが」

 少年のまわりを蛍火が舞い狂い、ゆらゆら揺れる影を昼なお暗い森の地面に落としている。

 幻想的―と言うより、総毛立つような光景だった。

 「お前は何なんだ?」

 「僕は『森の精霊』の加護を受けた者…針葉樹林であっても、熱帯のジャングルであっても『森』は僕の支配下にあるのさ」

 一同を見回し、続ける。

 「で、今は『加護を受けた者の長』に仕えている者だ」

 「…!」

 ざっ、とサイキが緊張し、前に出た。

 「こんな所に誘い込んで、何の用なの?」

 「『遺産』と呼ばれる品を、持っているそうだね」

 「やっぱり、それが狙いなのか!」

 「その『遺産』とやらを『長』に差し出すことで、かつては多くの人々に畏れられ敬われた『森の精霊』を復権させる手助けをしていただくのさ!」

 蛍火を舞わせながら、彼は微笑んだ。

 「それが『二つの世界』にとって危険かもしれないって、知ってるのか!」

 「世界がどうなるかなんて、どうでもいい。君たちだって、『世界』なんて抽象的なもののために自分の願いや夢を捨てられるか?人間って、そんなに単純なものじゃないだろう」

 「それは…!」

 「そうだろう?そんなあやふやなもののために、命は賭けられない。そんなものより、僕の親しい精霊の復権の方が大事だ、僕には」

 「……っ」

 サイキは思わず絶句してしまった。

 「さあ、『遺産』とやらをよこせ!」

 周囲の針葉樹の枝が伸び、四方八方から槍のように迫った。

 「く!」

 手にした槍で全部は払えない、と瞬時に判断したサイキは、いつも通り「遺産」を手の中に呼び出した。日本刀に変形させ、枝を切り飛ばす。

 「悪いが、はいそうですかと渡す気はない…な!」

 そのままの勢いで、少年に迫った。

 彼は―避けない。

 蛍火が舞い、小柄な影をゆらゆらと地面に落としていた。

 (…!)

 楓はあっと思い、叫んでいた。

 「駄目、サイキ!影よ、影を斬って!」

 楓の声にはじかれたように、サイキの剣の軌道が変わり―

 「ぐっ!」

 蛍火が落とす影を、突き刺していた。

 「ぎゃあああっ!」

 悲鳴が上がり、地面に落ちた影がぐにゃりと歪む。

 同時に―

 全員を囲む森そのものが、捻じ曲げられるように歪んだ。

 歪み、揺らいで…針葉樹の森が、溶けるように消えていった。

 その後には。

 「やってくれる…!」

 明るい広葉樹の森と、ぜいぜいと息をつく少年の姿があった。

 まわりの木の枝が伸び、刀の切っ先が彼に届くぎりぎりのところで止めていたが。

 少年は、荒い息をついている。相当消耗したようだった。

 「まさか、この幻惑すら見抜かれるとはね…幻影の方を斬っていたら、その『遺産』を奪えたのに!」

 悔し気に言う少年に、楓が声をかけた。

 「小鳥のさえずり、蛍火…それら全てが認識をずらす方向を示している。本当の姿は見える場所にない、と考えられるわ」

 「わたしたちの『精霊の力』を感じ取る能力そのものが、幻惑されていたんですか」

 巫女であるカノコにはショックだろう。

 「そう。もちろん普通は、その方が正しいんだけど」

 「それで楓にはおかしいってわかったのか!」

 「私も、危うくごまかされそうになったけど」

 しかし、勘ではなく理性の警告に耳を傾け、見破ったのだ。

 「く…刺客は僕だけじゃないぞ!これから多くの者たちが、君の持つ『遺産』を奪いに来る!待っているんだな!」

 捨て台詞を残して、少年の身体を舞い上がった落ち葉が包み…消え失せて行った。

 「まだ、終わりじゃないってこと、か」


 「つ、疲れたあ~っ」

 今日、早朝からほぼ一日中闘い続けているのである。

 「わたしも、かなり…つらいです」

 大仕事をしたカノコもへとへとであった。緊張の連続であった楓も疲れ切っている。

 五人がやっと「鷲族」の村(キャンプ地)にたどり着いた時には、全員ぼろぼろだった。老人である「海の語り部」などは、「海の戦士」の背中で爆睡している。

 「大丈夫か、サイキ…相当参っているようだな」

 駆けつけた「戦士の長」が驚いた。

 「うー、疲れた、眠い、腹減ったー」

 「夜明け前に起きてこれだもんね…私もしんどいー」

 「ううー、飯食わせてくれ、休ませてくれ、眠らせてくれー」

 「おい、どれか一つに絞れ」

 「まあ、みんなで今は面倒見るから安心して休めよ」

 村の若者たちが囲んで口々に言う。

 「た…頼むわ」

 五人はがつがつと食事をし、食べ終わったとたんに眠りこんだ。テントに運ばれていくのにも気づかず、朝までこんこんと眠り続けた。


   第二章 連戦続ける馬鹿もいる


 「うー、夢も見なかったー」

 テントから出てきてサイキが呻いた。

 「でも、やっと体力が戻ったぜ。ほっとしたよ、ほんと」

 「一晩寝れば回復するか…若いな、さすがに」

 族長が苦笑した。

 「とにかく眠れてよかったわ。あの男の子の言う通りなら、これからも『遺産』を奪おうとする人たちが来るみたいだし」

 楓とカノコが女性用テントから出てきて呟いた。

 「で…一体、何が起こったというんだ」

 「それが、その」

 事情を知らない(話す前に寝てしまった)鷲族の人々に、状況をざっと説明した。

 「そうか。伝説の、『加護を受けた者の長』が復活したのか」

 「で、彼の刺客に襲われた、と」

 「確かに『長』に未だに忠誠を誓っている者たちがいると聞いたことがあるな。先祖の誓いを継承し続けていると」

 「だったら自分たちで封印を解けば良かったのに」

 「『封印を解いた』者がどうなったか、お前たちはその目で見ただろうが」

 「…あっ!」

 「ジャガーの戦士」がどんな目に遭わされたか、そう言われてやっと思い出すサイキであった。

 「いずれにしろ、これからはサイキ目がけて刺客が次々と来る、と考えるべきだろうな」

 「戦士の長」が腕を組んだ、その時。

 「…!」

 カノコが突然立ち上がり、青ざめて硬直した。

 「どうした?」

 「世界が…この世界そのものが、動いています!」

 「何だってえ!?」

 「こちらの世界だけじゃありません!二つの世界が、引き寄せられて…近づいているんです!」

 「『加護を受けた者の長』の力で引き寄せている、と?」

 そう考えるべきだろう。

 「でも、何でそんなに、急いで」

 楓が小さく疑問を表明する。

 「そうだな、俺をぶっ倒して『遺産』を奪って、それから近づけた方がずっと楽だろうに」

 「何で、そんなに急いでるの。焦ってるみたいに」

 「それはわからないが、もしこのまま『一つにする』ことなしに二つの世界が近づきすぎると」

 巫術師たるスーミーがぶるっと震えた。

 「激突するって…ことですか?」

 「もちろん彼とて世界を壊したい訳ではないから、ぶつけるなどということはしないだろうが。それだけに全力をもって『遺産』を奪おうとするだろうな」

 「もっと必死になって奪いに来るってことですか」

 それは正直恐ろしい。

 「こんなもんじゃなくなるってことか…これじゃしばらく『果ての地』には戻れないなあ」

 正月休み中に戻るつもりが日程オーバーしているのに、さらに戻りづらくなった。

 「もう、とっくに三学期がはじまってるよね」

 世界の危機も大事だが、サイキたちにはこっちもけっこう深刻なのだった。 

 「しかし『長』が復活したその時に、長いこと現れなかったはずの『遺産』の担い手がいるというのは…これは何か、大いなる思し召しがあるとしか思えんなあ」

 「海の語り部」が口をはさんだ。

 「俺が必要だと思ったから『遺産』を貸してもらってるだけだけどなー」

 「運命」とか「思し召し」とか言われるとむくれるサイキである。

 「誰にも命じられてなんてないのに」

 「でもまあ、『茶の鹿』のお告げもあったし。何らかの介入はあったと考えていいんじゃないの、サイキ」

 いささか固い言い回しだが、楓が考えて言うとこんな感じになる。

 「そうだけど、でも俺が決めたんだし」

 彼はまだ納得していないようだ。

 「とにかく、お主こそが鍵になるはずだ、サイキ。心せよ」

 「めんどくさいなあ」


 「『森の精霊』使いは敗れたか」

 「長」は一人、世界の「狭間」で呟く。

 「やはり、我が行くべきであったか。しかし、ことを急ぎたいのも事実」

 『…『長』、私が参ります』

 彼の眼前に藍色の光が灯り、声がした。

 「『ワタリガラスの戦士』よ、行ってくれるか」

 『貴方が命じるのでしたら』

 深々と一礼する気配が伝わってきた。

 「よし。行ってくれ」

 『御意』

 藍色の光が、消えた。


 「何か、すごく強い気配が、近づいてきます!」

 カノコが鋭く叫んだ。

 「え?…って、どこから?」

 見回してみるが、それらしき姿はどこにもない。

 「近いです!どんどん近づいて…う、上です!」

 彼女が悲鳴にも似た声を上げるのと同時に。

 一同の頭上で、藍色の光がはじけた。

 光はぱっと広がったと思うが早いか収束し、地面にふわり、と降り立つ。

 「お前は!?」

 「久しぶりだな、『鷲の戦士』サイキ。名乗ろう、私は『ワタリガラスの戦士』ライ。今は『加護を受けた者の長』に忠誠を誓う者だ」

 サイキより二、三歳年上らしい青年が名乗った。

 「『ワタリガラスの戦士』…お前とは、こんな形で再会したくなかったぞ!」

 「父から、さらに代々の先祖から受け継いだ使命、私の代で捨てる訳にはいかないんだ」

 「だって!そんなのおかしいぜ!尊敬してる人が良くないことをしたら、それを正すのがやるべきことじゃないか!」

 「我が一族は代々『長』が復活した際には従うという約定を伝えてきた」

 サイキの叫びにも「ワタリガラスの戦士」はひるまない。

 「私が裏切ることはできないんだ!」

 「あの人は?」

 「『守護精霊の地』でも、『山脈』の向こう、西の海に面した海岸部に住む一族の『戦士』です。山越えが大変なので、行き来はあまりないんですが、飛行できる同士でサイキとは知り合いで」

 楓の問いにカノコが沈んだ口調で答えた。

 「友達なんだ…そんな人まで『長』に従って、敵対するなんて」

 「今からでも遅くない。『遺産』をよこせ」

 「嫌なこった!」

 「ならば、力ずくで奪い取るのみ!」

 「俺もそっちの方がわかりやすいな!」

 二人で天に拳を突き上げ、叫ぶ。

 「「我に加護を与えたもう守護精霊(トーテム)よ!その力を、我を介して示せ!」」

 銀と藍の光が、天に向かって噴き上がる。

 ぱっと光の柱がはじけ、後には巨大な鷲と藍色の光が形作る巨鳥。

 「―ワタリガラスです」

 カノコが小さく呟いた。

 「まさか、こんな闘いが起こるなんて…!」

 銀の鷲と藍色のワタリガラスは、ホバリングしながら力を溜めていた。

 そして。

 「「!」」

 激しく、ぶつかり合った。嘴で、爪で掻きむしり合う。

 一般常識としては鷲とカラスではそもそも闘いにならないのだが、精霊同士では話が違った。

 上になり下になり、激しい空中戦を繰り広げていた。

 しかし。

 「くっ!」

 藍の光を散らして、ワタリガラスが飛び退き―逃げ出した。

 「逃がさねー!」

 サイキの鷲が猛スピードで追いすがり、矢のように飛ぶワタリガラスと追いつ追われつ、目まぐるしく方向転換しながら闘う。

 「「ああ、サイキ…!」」

 楓とカノコ、二人は呻いた。

 もはや二羽…二人とも、鳥の姿を保てない。

 光の尾を引きながら二色の流星が高速で大空狭しと飛び回り、時折ガン!ガン!とぶつかり合うだけ。

 ぶつかる度に銀と藍の羽毛がはじけて散っていた。

 それを、楓たちがはらはらして見上げる中、

 「うわっ!」

 光が、爆裂した。

 藍色の光が、激しくはじけて散り―中の青年、ライが落ちてくる。

 最後に羽毛がぱん、とはじけて勢いを殺し、

 「…不覚!」

 青年が、地面に降り立った。

 「もう、敵わないのわかったでしょう?」

 楓はカノコの肩から呼びかけた。

 「降伏した方がいいと思うわ」

 「そうそう。こんな闘い、意味ないぜ」

 サイキも、銀の光に包まれて降りてきていた。

 「そんな先祖の義理なんて、捨てちまえよ」

 「だが、まだ負けん!」

 ライはそう叫び、背負っていた槍…いや違う、銛を引っこ抜いた。先に骨製らしい返しがついている。

 「お、武器か。なら俺も!」

 サイキも槍を抜き出した。

 再びの激闘。槍と銛が、交錯した。

 「武器戦でもやるな、お前!」

 「そんなものか…こちらから行くぞ!」

 銛の返しが閃き、サイキの槍の穂先に引っ掛けた。ぐいと手元に引きこむ。

 「せいっ!」

 てこの原理で力を籠め、ぼきりと木の柄をへし折った。

 「あー畜生!それならー」

 「…待って!」

 楓は、叫んでいた。

 「『遺産』は駄目!呼び出さないで、サイキっ!」

 「えー?でもまあいいか、これでやったる!」

 ごうっ、と音を立てて槍の残りが銀の輝きを帯びた。

 「ちっ!」

 「ワタリガラスの戦士」が小さく舌打ちしたのを、楓は聞き逃さなかった。

 (やっぱり!)

 彼女はこっそり息をつく。

 そんなことは気にせずに、サイキは銀の光を放つ槍の柄を振りかざした。

 「行くぜえっ!」

 「来い!」

 「ワタリガラスの戦士」も、銛に藍の光をまとわせる。

 にらみ合ってじりじりと距離を詰め、

 「だあっ!」

 「むんっ!」

 はじかれたようにぶつかり合った。

 銛の息つく間もない突きを、短い槍の柄がことごとくいなす。

 返す刀、いや槍が振るわれるが、銛がそれをがっちりと食い止めた。

 双方とも「付与」使いまくりの攻防だ。

 だが、均衡はすぐに崩れた。

 ガンッ! 

 一瞬手が遅れ、「戦士」の銛が槍に跳ね飛ばされた。

 「しまった!」

 「何だよ、何か『憑依』解いてから気合いが入ってねー感じだったけど…ま、俺の勝ちだな」

 「…殺せ」

 「はあっ!?」

 「殺せ!」

 「ワタリガラスの戦士」はがっくりと膝をつきながら、叫んだ。

 「もはやこの身は無意味。殺せ!」

 「俺はなあっ!」

 サイキも、吼えた。

 「命を粗末にする奴は大っ嫌いなんだよ!」

 「それでも、そうでもしないと私は『長』に申し開きができぬ!」

 「こいつ!」

 思わずサイキは彼の胸倉をつかみ上げた。

 「一発殴んねーと、わからん奴みたいだな!」

 「…もうやめよう、サイキ」

 カノコの肩に乗ったままの楓が制止した。

 「だってこいつ、命をぞんざいに扱っててむかつくしー」

 「この人は()()()()()()()()。あなたが『遺産』を呼び出さなかった時から、ね」

 だから「無意味」なのだと、続ける。

 「どういうことだ?」

 「この人の狙いは、たぶん『遺産』で自分を攻撃させること。闘いで頭に血が上れば、奪われるかもしれないことも忘れて直接振るう、それを狙っていたのよ」

 「見抜いていたか。腕の一本ぐらいは、くれてやろうと考えていたが…無念」

 それを代償としてでも「遺産」を奪い取ろうとしていたのだ。「戦士」はうなだれる。

 「それで『槍を捨てるな』って言ったのか、楓は」

 「そういう方法で奪い取れるのかはわからないけど、向こうも相当焦ってるみたいね。何で焦るのか、わからないけど…え?」

 楓は眉を寄せ、考えこんだ。

 「焦ってる…焦らなくてはいけない『理由』があるの?だとしたら、それは一体」

 「あー、また楓の考えこみがはじまったー」

 一度考えこむと長いのである。

 「あなたは、焦る理由を知らない?」

 「…知らぬ」

 「ワタリガラスの戦士」は悔しげに答える。

 「たとえ知っていても、お前らに教える気はないがな!」

 「こんにゃろ、またそういうこと言いやがって!」

 「ス、ストップ、ストップ」

 まだ怒りの収まらないサイキをなだめつつ、楓は考え続ける。

 (焦るのは何故…?)

 「とにかく、あなたには『遺産』は渡せないわ。二つの世界をどうするかは、あなたたちに決めてほしくない」

 「そーそー。俺に勝てないのは、よくわかっただろ?」

 「くっ」

 何も言い返せずに、青年は唇を噛んでうつむいた。

 「いいから、故郷に帰れ。報復なんてしないから」

 「感謝などしないぞ」

 低く、呻くように答え…彼は、ふらつきながら立ち上がった。そのまま、よろめきながら去っていった。

 「やれやれ…あー疲れたっ」

 サイキが、彼が視界から消えた途端にへたりこんだ。

 「また見栄張って。へろへろじゃないの」

 「うう、まだ完全に本調子じゃないんだよおっ」

 「辛いのはわかるけど、今はしっかりしてサイキ」

 「うう、『移し』されたって限界あるんだぜ」

 しかし、まだ一日がはじまったばかりだということを、一同はもうすぐ知ることになる。

 「腹減ったー。何でもいいから食いたいよ」


 とにかく飯を食い、一息ついて。

 『そうか、そんなことが』

 三人はスーミーに頼み、「果ての地」の海原樹に今の状況を説明していた。

 『帰るのが遅くなるとは聞いていたが、さらにトラブルとはね』

 「三学期は、とっくにはじまってますよね」

 『まあ、何とかごまかしてはいるがな』

 舞鳥学園サイドにも、クラスや寮での仲間たちにも。

 『早く解決した方がいいのはもちろんだ。…でも、君たちはしばらく学園生活には戻れないかな』

 樹のその言い方に、楓はかすかな違和感を覚えた。 

 (まだ何か、私たちに言っていないことがありそうな気がする)

 しかし、そこを詮索してもはじまらなかった。

 『カノコさん!楓さん!サイキ!』

 そこへ、割りこんできたらしい声がする。

 『大丈夫ですか!?もう、授業受けてても気が気でなくて…!』

 「ユーリ先輩!みんな今のところ無事です、心配かけてしまってすみません!」

 『良かった…心配で仕方なかったんですよ。もう学園は休みます、研究所に詰めることにします。実際に危険があるんですから』

 ユーリの声が銀の球体から漏れ聞こえた、その時。

 「―何か来ます!」

 カノコが、鋭く叫んだ。

 目の前の草原に、深紅の光がなだれ落ち、膨れ上がる。

 「な、何だあ!?」

 光が消えた時―そこに、忽然と二人の男が出現していた。

 「何だあいつら」

 大男と、細身の男の二人だった。

 二人ともコーカソイド系の目鼻立ちで、瞳も青い。しかし、他の印象は天と地ほどに違っていた。

 大男の方は頭部に熊の頭の防具(?)を被り、全身も熊の毛皮で覆っていた。肩に、巨大すぎて鉄の塊にしか見えない大剣を担いでいる。

 「うわー、強そうだなー」

 かつて戦った少女も身体に似合わぬ大剣を振り回していたが、この剣はさらに大きかった。

 もう一人は金髪をさらりと後ろに流した美青年で、手には美しいつくりの竪琴を手にしていた。彼は大男よりやや後ろに立ってこちらを見ている。

 「私は、『技芸の精霊』に仕える吟遊詩人(バード)

 「俺は『英雄を守護する片目の大精霊』の加護を受けた『毛皮をまとう者だ!!」

 それぞれに名乗る。

 「貴様たちが『長』に逆らう者たちか!!」

 大男が大音声で問うた。

 「ってことは、お前らもそいつの手下か!」

 「そうだ。『遺産』とやらをよこせ!!殺されたくなかったらな!!…うわ、とっとっ」

 大剣を振り回そうとして、大男はよろめいていたりする。

 「以前は持ち上げることもできなかったこの剣を、契約を結んで持てるようにはなったが…まだ慣れておらんな!!」

 『どうしました?何かあったんですか?』

 球体の中が揺らめいた。

 『また刺客ですか?』

 「見たところ、二人ともヨーロッパ系っぽい!知ってたら教えてください、ユーリ先輩!」

 楓は早口で、二人の特徴をできる限り詳しく説明する。

 その間に闘いがはじまろうとしていた。

 「俺に新しく加護を与えたもう『片目の大精霊』よ!聖なる怒りを与えたまえ!!」

 大男は、そう叫んで大剣を突き上げた。

 と、ざわり…と彼を包む空気が、変わった。

 瞳に怒りの炎が灯り、全身の筋肉が膨れ上がって身体がさらに一回り大きくなった。

 「これが『毛皮をまとう者』の憤怒だ!!」

 刃のついた鉄塊、としか見えない大剣を、羽のように軽々と振り回して。

 男は、サイキに斬りかかった。

 「く…っ!」

 「「サイキ!」」 

 サイキは吹っ飛んで地面に叩きつけられた。

 斬られてないか、と楓は内心あわてたが、その身体に傷はない。

 手に、橙の輝きを放つ板。それで刃をぎりぎり受け止めたのだ。

 「それが、『長』が求めているものか!!」

 男の目がぎらぎらと輝いた。」 

 「よこせ!!」

 猿臂を伸ばすのを、危うくバックダッシュでかわす。

 『それは…狂戦士(ベルセルク)!』

 特徴を聞いたユーリが声を上げた。

 「何ですかそれ!?」

 『遠い昔に、今『四大精霊の地』である地域の北部にいたと伝えられる戦士です!莫大な『精霊の力』を一気に注ぎこまれ、わずかな間ですがいかなる傷を負っても闘い続けられると聞きました。が、同時に狂暴化し、目の前から敵が存在しなくなるまで闘いをやめることができなくなる、とも』

 「そんな!」

 「でも、狂戦士(ベルセルク)のいた時代なんて五百年ぐらい前のはずですよ!?新しく入ってきた『四大精霊』の方が便利だってことで、その加護を与える精霊への信仰がなくなっていったと聞いています。今その加護を受けている者がいるなんて信じられません!』

 「じゃあ…じゃあ、もしかして」

 恐ろしい想像を、口に出す。

 「『長』は、すでに人々とのつながりのない精霊の加護を、人に分け与えているってこと…?」

 吞気に話しているようだが、その間にも激闘は続いていた。

 「細々と古い信仰を守り続けてきた私たちに!『長』は精霊を呼び戻し、新たに加護を受けられるようにして下さったのです!」

 「その恩義に報いるために!!『遺産』を捧げねば!!よこせ!!」

 「へっ、はいそうですかと渡せるかよ!」

 「ならば…ここで死ね!!」

 息つく間もない斬撃が繰り出された。

 「くっ、はっ、くっ!」

 サイキにも「遺産」を変形させる余裕がない。元の形のままで、斬撃を受け止めるのがやっとだった。

 「どうすればいいんですか?」

 知識のあるユーリに聞くが。

 『時間がたてば、憤怒が尽きて…通常よりもはるかに弱々しくなると伝説では』

 困惑した気配が球体から伝わってきた。 

 『それまでは、誰にも止められないとも』

 「待っていられないよ!」

 斬撃の速度はさらに上がっているようだった。

 「おのれ、ちょこまかと!!」

 「どひー!」

 まさに憤怒を持って振り降ろされる一撃を、サイキは本能的に「遺産」を送り返し、間一髪でバックステップ、飛び退いた。

 「ぐおー!!」

 的を失った剣は、力を減ずることなく大地に叩きこまれ深々とめりこんだ。狂戦士(ベルセルク)はあわてて引き抜こうとするが、一瞬手間取る。

 それを見逃すサイキではない。全身に銀の光をまとい、さらに全てを左拳に収束させて殴りかかった。

 「行っくぜええっ!」

 「―いけない!今助けます!」

 後ろの細身の男が、竪琴をかき鳴らして朗々と歌いはじめた。

 すると。

 「くっ…!」

 サイキの動きが、止まった。

 いや、彼だけではない。

 楓も、カノコの肩の上で凍りついていた。

 湧き上がってきたのは、純粋な…恐怖。

 ここから逃げたい、どこかに隠れて震えていたい…そんな感情に思考が塗りつぶされてしまう。手がわなわなと震え、うっかりすると肩から落ちてしまいそうだった。

 「この、歌が!?」

 ”臆病者”

 たしかに、そう歌っていた。

 「こ、これは…そんな、カノコさん!?」

 「楓さん!」

 彼女の身体も、小刻みに震えていた。

 「楓、カノコ!大丈夫か?」

 「サイキ!」

 彼も震えが止まらず、殴るどころではない。

 まわりの「鷲族」の人々も同じだった。

 (怖いんだ)

 同じ恐怖を、感じているのだ。

 ”臆病者よ、逃げよ”

 吟遊詩人は歌い続ける。

 旋律に乗った言葉の一つ一つが、身体に絡みついてずんと重くのしかかってくるようだった。 

 『これは…や、やはり遠い昔、西の島々に存在したといわれる吟遊詩人(バード)呪歌(じゅか)です。言霊(ことだま)を歌詞に織りこむことによって、さ、様々な効果を聞いている人に、お、及ぼすと』

 球体を通して歌を聞いているらしく、震える声でユーリが解説を入れた。

 『み、味方を褒め称えて鼓舞することも、風刺することによって敵を弱体化させることもか、可能とか』

 「そんな!どうすればいいの」

 楓は呻く、が。

 「おい!!」

 大音声で、狂戦士(ベルセルク)がわめいたのではっとなった。

 「何をやっている!!」

 先ほどまでの憤怒とはまた違う、苛立ちをこめた目で彼は振り向いて吟遊詩人を怒鳴りつけている。

 「助けてほしくなどない、邪魔するなー!!」

 よく見ると、彼の身体も震えていた。一回り大きくなっていたのが、元に戻っている。

 「しょうがないじゃないですか、『長』が組んで闘えと言われたんですから。古き加護を取り戻してくださったんですから、文句は言えないでしょう」

 「もしかして、狂戦士(ベルセルク)までこの恐怖を感じている!?」

 『敵味方関係なく『聞こえて』しまいますよね、歌は!』

 「だ、だから、耳栓をした方がいいとあれほど」

 「うるさい!その口をふさげー!!」

 罵り合いをはじめてしまった。

 「サイキ!」

 楓は叫ぶ。

 「今!」

 「おうっ!」

 はじかれたように、サイキが走った。

 今呪歌は流れていないが一応耳はふさぎ、狂戦士(ベルセルク)に肉薄する。

 「せいっ!」

 縦に円を描くように大男に蹴りを数発食らわせ、バック転してすたっと降り立つ。背後で男が崩れ落ちた。

 「わ、我が一族の呪歌(ガルドル)使いが共にいれば、こんな負け方は…!!」

 「わ、私だって一族の者と協力するのなら、ここまで不覚をとることはないものを…!」

 へたりこみながら吟遊詩人(バード)も文句を言った。

 「そうか、同じ一族の出なら良かったんだ」

 『違う地域の者同士なので、呪歌の対象から外すことができずマイナスの影響をも、もろに受けてしまったんですね』

 ユーリがうなずく気配が、伝わってきた。


 「あの二人も、敗れたか」

 「長」は世界の狭間でひとり呟く。

 「やはり、我が行くべきであったか。…しかし、一刻も早く世界を近づけたいのも事実」

 そう独り言ちると、その身体が紅い光に包まれた。

 「ここは我が幻影を送ろうぞ」

 光は湧き上がり、輝く柱となって向こうに見える「世界」…「彼方の地」に飛んだ。

 「我が力をもって『合分の板』を奪わん!」


 「何とか勝てた、かな。向こうの自滅だった気もするけどー」

 そう言いながらもサイキは二人を拘束した。

 大男の方は目もうつろで、ほとんど抵抗もしない。

 「時間切れになると通常より弱くなるって、これのことね」

 吟遊詩人(バード)の方は、竪琴を奪われまいと必死で抵抗したが取り上げられた途端におとなしくなった。

 「やーれやれっと」

 一同は一息つく。

 「この二人、この後どうすりゃいいんだ?」

 「『ワタリガラスの戦士』の人には、山越えして帰っていいって言えたけど」

 「どう考えても地続きの故郷じゃなさそうだしなあ」

 顔を見合わせてため息をつく。-と、カノコの表情が一変した。

 「とてつもなく強大な気配が、近づいてきます!」

 「またかよー!」

 頭上から、深紅に輝く柱が…降りてきていた。

 「おお、『加護を受けた者の長』さま!」

 「何もできずにむざむざと負けてしまい、申し訳ございません!!」

 縛られた二人が這いつくばって謝罪した。

 「今度は直々…って、ことか!?」

 柱が地上に達し、収束した。

 そこから光が放たれ、それに触れた大男と吟遊詩人(バード)の姿がふっと消えた。

 「故郷に、帰したのか…?」

 『我が刺客を退けた腕前、見事である!』

 いんいんと声が響く。

 『今度は我と闘え!負けたら『合分の板』を引き渡してもらうぞ、若き『戦士』よ!』


   第三章 涙をこぼす馬鹿もいる


 紅い光が膨れ上がり、爆裂する―その後には。

 「『憑依』みたいなもんか…でも、人型か。変わってんなー」

 巨大な、紅の光で織りなされた輪郭線(シルエット)が立ち上がっていた。

 「…でも、身体の中に(コア)になる『本体』がいないよ!?」

 はっとして楓が叫んだ。

 「ほんとだ!」

 たしかに、紅の光でできた身体の中には、「憑依」なら必ずあるはずの人の身体が全く見当たらなかった。

 「よりどころにする核なしで、『力』のみを幻影の形で送り込んできたってこと?」

 「すごい実力だな。さすが、昔ご先祖さまたちの頂点に立ってただけのことはあるか」

 サイキは、一同をかばうように進み出て呼びかけた。

 「『長』…あんたの事情は、少し聞かせてもらったよ。好きな人に氷の中に封じ込められて、で…その人を宿していた宝珠が、あの時砕かれちまったってこととかは」

 『そうか』

 「だから…だから、もうやめにしないか?」

 短く答える「長」に、サイキは食い下がった。

 「今さら世界を一つに戻したって、もめるだけじゃないか。『精霊』と『科学』を奉じる人たちの間でまた争うだろうし。このままにしておいた方がよくないか?」

 『もう、遅い。我は決めたのだ。かつての世界を取り戻すと。それを曲げる気はない。説得は無意味だ、若き『戦士』よ』

 「でもっ!」

 『世界が『二つ存在する』のは間違っている。世界を『分けた』ことからして間違っているのだ!一つに戻さねばならない。かつての理想郷、素晴らしき世界であった『一つの世界』を、我は取り戻す!』

 「そんなのおかしいぜ!」

 サイキは果敢に叫び返した。

 「その時から随分と時間が経ってるんだぜ?一つに戻したからって、昔がそのまんま甦るってことにはならないよ!」

 『何を言っても無駄だ、若者よ。さあ、『合分の板』を渡せ。それで二つの世界を一つに、あるべき姿に戻すのだからな。担い手の権利を我に譲り渡せ…!』

 (そうか、この人には『遺産』じゃなくて、生きてる時代に造られた『合分の板』なんだ)

 「はいそうですかと渡せるかよ!」

 『ほう?お主らも、本当は世界が一つになることを望んでいるのではないか?その少女が共にいるということは』

 「…!」

 「長」の視線がこちら、それも自分に向けられていると感じ、楓はびくり、と震える。

 (…私、が、そう望んでいる…?)

 考えないように、していたのに。

 (世界が、一つになれば)

 「長」の言葉が、楓に突き刺さっていた。押さえつけていた思いがあふれる。

 (サイキと、一緒にいられる!)

 それは、蜜のように甘い誘惑の言葉だった。

 願い続けながら、決して叶わないとあきらめてきた願い。

 ほとんど意識にすら上らないほどに、押さえつけてきた思い。

 (一緒に、いたい)

 その夢が、願いが今手の届くところにある。

 (こんな、形で!)

 しかし、楓はその思いをねじ伏せ、必死で反論しようとした。

 「でも!それが争いの火種になるんじゃ、認められないよ!」

 『交渉は決裂、だな。止めたければ、我を倒してみよ』

 「それしか…ないのか!」

 サイキは、覚悟を決めたようだった。構え、踏みこむ。

 「いざ、勝負!」

 まずは羽手裏剣を何条も手から放った。

 しかし。

 『無駄だ』

 再び極光の幕が張られ、全ての羽手裏剣をはじいた。

 「くっそお…ならしょうがない!行くぜ!我に加護を与え…」

 サイキが拳を突き上げた、その時に。

 『-大地を揺るがす大精霊よ』

 「長」が一言呟く、それだけで地面がぐらぐらと揺れ動いた。

 「おわっ!?」

 サイキは、足元をすくわれ、転んでしまう。

 「サ、サイキ!危ない!」

 さらに地割れが生じた。サイキの足元に走り、足を、続いて全身を呑みこんでいく。

 「こんな力の使い方が!?」

 今までにない、強敵であった。

 「くそ、負けねえ!」

 彼は両手を地割れの縁にかけ、跳ね上がろうとするが。

 「早く!急いで!」

 あろうことか、地割れはじりじりと狭まり出した。

 完全に閉じかけた時、眩い銀の輝きが上へと噴出する。

 「「サイキ!」」

 少女二人が名を呼ぶ中、

 「ふー、危なかったぜ」

 声を響かせて、銀色の大鷲が舞い上がった。

 「『憑依』できたぞ!もう好き勝手させねえ!」

 『どれだけのことができるか…力のほどを、見せてみろ少年』

 紅い人型は、一切動じた様子もなく両腕を大きく広げた。

 「全力、行くぜ!」

 翼をすぼめて急降下。嘴と左右の爪で攻撃した。が、

 「噓っ!?」

 今まで大抵の相手は大ダメージを食らったはずの三連撃でも、紅い幻影はびくともしなかった。

 「効いてないの!?」

 羽手裏剣を放って、爪で掻きむしって。翼で打っても。

 『こたえんな…!』

 「長」の幻影は、揺らめくだけで全くダメージを受けた様子がなかった。

 『そんなものか。ではこちらから行くぞ!』

 紅い光が「長」の幻影の右腕から湧き上がり、天に向かって駆け上がった。

 「紅い、龍…!」

 そう、その光は紅い鱗の巨大な龍の姿を取って頭上を舞い狂っていた。

 『-行け』

 龍の形を成す力の奔流が、大鷲を捉えて吹き飛ばした。「憑依」の幻影が雲散霧消し、生身のサイキが地面に叩きつけられる。

 「うわぁ!」

 「「サイキ-!」」

 『口ほどにもないな。それでは』

 声とともに「長」の幻影が縮んだ。サイキと同サイズになる。しかし、紅い光は集約されてより強い輝きを放っていた。さらに幻影の右腕をかざすと、巨大な両刃の剣が出現し、手に収まった。

 「あの剣は実体なの!?」

 「器用なもんじゃねーか!」

 『さあ、『合分の板』…お主たちが『遺産』と呼んでいる物を呼び出せ。出さねば死ぬことになるやもしれんぞ』

 「へっ、誰が言うこと聞くもんか!」

 サイキは何とか立ち上がり、にやりと笑って見せた。

 『ではこちらから行くぞ!』

 「長」は踏みこみ、剣を振り下ろす。ごく自然な動き―に見えたが、恐ろしいほどに研ぎ澄まされた一閃だった。

 「くうっ…来い!」

 刃がサイキの身体に届く寸前、呼び出された橙の板がその一撃をぎりぎりで受け止めていた。

 『ついに、呼んだか』

 「長」は笑ったようだった。

 『さあ、渡せ!』

 ガン!ガンッ!ガンッッ!  

 息つく間もない斬撃の嵐。

 「…っ!くうっ!っ!」

 何とか日本刀の形をとらせたが、切り返すことができない。サイキは攻撃を受け続けるだけで精一杯だった。

 『よく見えているな。だがわかっているだろう、勝てないと』

 「くっ!」

 精霊の加護云々の前に、剣の技量でも圧倒されていた。

 (このままじゃサイキが!どうすればいいの!?)

 楓は必死で考えるが、小手先の知恵では通用しそうにない力と力、技量と技量のぶつかり合いだった。

 『絶望せよ。もはやお主に勝ち目は、ない』

 「畜生!絶対に絶望なんて、するもんか!」

 「長」の言葉に、サイキは反射的に叫び返していた。

 『…!』

 その叫びに、「長」は雷撃に打たれたかのように一瞬動かなくなる。

 しかし、あくまで一瞬。

 『聞いたような口を、ききおって!』

 ガンッ!

 ―何が起こったのか、楓には全く見えなかった。

 ただわかるのは、サイキの身体がまた吹き飛ばされ、地面に叩きつけ転がされているということだけ。しかも呻き声を上げ、弱々しくもがいていることだけだった。

 「「サイキ!」」

 思わず、カノコとその肩の楓は彼のもとに駆け寄っていた。

 「畜生…!ちくしょうっ」

 もはや彼は立ち上がることもできず、ただ呻いていた。

 『これで、終わりだ』

 荒れ狂う雪嵐が、三人に襲い掛かった。

 「「きゃあー!」」

 「これは!?」

 『そう、『氷の精霊』の力よ!』

 「長」の声には、苦悩の響きがあった。

 『無駄だ。お主らが逆らっても全て無駄だ。かつて信仰されたが、今は現世の人とのつながりを持たぬ精霊たちからも、いや未だかつて人の子に加護を与えたことのない精霊たちからも、我は力を引き出せる。『加護を受けた者の長』にのみ許されたこの力に、勝てる者などおらぬ。…今となっては、殊更に』

 彼の手が、強く握られた。

 『分かたれた世界を、一つに。全てをあるべき姿に戻す』

 「長」は宣言した。

 『『合分の板』を渡せ』

 幻影がゆっくりと近づいてきた。

 『さもないと命はないぞ』

 倒れたサイキに手を伸ばす、が。

 『う、ぐ…』

 その手が、止まった。苦し気に呻く。

 『思ったより、戦闘に時間がかかったか。(コア)なしでは、これが限界』

 幻影の身体が、薄れだした。

 『もう少しで、奪えたものを』

 悔し気に言い、一同に背を向けた。

 『『合分の板』は預けておく。しかし、必ずや手に入れる…待っておれ』

 決意をこめてそう告げ、紅い幻影はほどけて空に消えて行った。


 カノコとスーミーが、とにかくぼろぼろになったサイキを手当てして、傷(と言っても、打ち身などだったが)はほぼ癒えた。

 しかしその間、この致命的なまでに一言多い男が一言も口を利かず。

 「…サイキ?」

 夕暮れ、彼はキャンプ地を離れ、人のいない草原に来ていた。

 楓が肩に乗ったままなのも、気づいていないようだ。

 一人でどんどん歩き、やっと止まって立ち尽くした。

 「どう、したの?」

 「…楓」

 やっと声が届いたらしい。サイキはぽつんと答えた。

 「俺、負けたよ」

 「サイキ…!」

 「俺、負けたんだ…完全に」

 それ、は。

 今まで、いろいろな理由はあったがとにかく「勝ち続けて」きた彼の、はじめての弱音だった。

 「っでも!『遺産』は、奪われなかったじゃない。大丈夫だよ、サイキ」

 「それでも、力でも技でも全然敵わなかったことは、事実なんだ」

 「でも!必死に闘ったから、『長』は時間切れで、戻っていって」

 「だけど!やっぱり完全に、お、俺の…負けなん、だよ」

 そう言う声が、乱れた。

 「!…サイキ、あなた!」

 大粒の涙をぽろぽろとこぼして…彼は、泣いていた。

 「い、『遺産』を奪われなかったのは単に、あいつが力尽きたせいで…俺がどうこうしたから、じゃない。俺は、か、完全に力で負けたんだよ…ぐしっ」

 涙が、止まらない。

 「楓…悔しい。俺、悔しくてしょうがないよ」

 「…サイキ」

 「悔しい、そして怖いんだ。闘うのが、怖い。今までこんなの、感じたことなかったのに」

 (どう慰めればいいんだろう)

 本気で悩んだ。

 (…私、本当は)

 苦く、思う。

 (サイキに闘ってほしくなんて、ないんだ。傷ついてほしくなんて、ない)

 しかし、闘わないと生きられない男だというのも、わかっている訳で。

 「…信じてるから」

 ぽつりと、ただそれだけを言う。

 「私、サイキのこと、いつも、信じてるから」

 頭に抱きつくようにして、ぽんぽんと叩いてやる。

 「私が、そばにいるから」

 「楓…っ」

 「いつだって、一緒にいるから」

 嗚咽する彼を、小さすぎる身体で精一杯抱きしめて。

 楓はひたすら、「ここにいるよ」と示し続けた。

 「ずっと、一緒だから」

 それだけを、繰り返していた。


 ようやく泣き止んで、夕闇の中をキャンプ地に戻りながら。

 「―ありがとな、楓」

 まだ泣きはらした目のサイキが、ぼそりと呟いた。

 「え?」

 「側にいてくれて。叱らないで、いてくれて」

 「そ、そんな…何も、してないのに」

 「…多分、楓がいたから何とかなったんだと、思うよ」

 恐ろしいほど真剣な口調でそう言われ、楓は正直戸惑う。

 「ただ、一緒にいただけなのに、私」

 しかし。

 (ああ、サイキが私を必要としている)

 自分のことを、側にいてほしい存在と思っているのだと、わかる。

 それが、ただ嬉しかったのも、事実だった。


   第四章 裏でがんばる馬鹿もいる


 「世界の狭間」で、二つの世界を近づけながら。

 「ああ、そなたか」

 「長」は束の間、まどろんで夢を見ていた。

 夢の中で「彼女」はいつも、泣きながら自分を見つめている。

 『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…』

 いつも、そう繰り返しているのだ。

 こぼれる涙は流れずに、瞬時に氷滴となって転げ落ちていく。

 「そんなことを、言わないでくれ」

 夢の中で、自分はいつも「彼女」にそう語りかけている。

 「もっと他の言葉を、聞きたいんだ」

 冷気をまとって涙をこぼす「彼女」に、手を差し伸べて。

 「ただ一言でいい。言ってくれ、その言葉を…」

 夢は、いつもそこで終わっていた。


 はっと目覚め、まどろんでいたことに気づく。

 「こんな、状況なのにな」

 苦く呟くその眼前に、また現れた者がいる。

 『『長』。みどもに、ご恩を返す機会を与えていただきたいのでありまする』

 その者は堅苦しく挨拶をし、そう言った。

 「闘って、くれるのか」

 『は』

 その後ろでは、何やら形を成しては崩れるもやもやとしたものが(わだかま)っていた。

 『みどもの『古き精霊』の力を持って、かの者を倒して見せたいものでありまする』

 「良し。行ってくれ」

 『は』

 紅い光に包まれ―姿が、消えた。


 時間を少しさかのぼって、「守護精霊の地」の大草原は朝を迎えていた。

 サイキと楓たちも、起き出している。

 「サイキ…大丈夫?」

 「ああ、もう大丈夫だぜ」

 昨晩とは一変、彼は闘志に満ちていた。

 「すっきりしたぜ。一度は負けたが、次は負けないよ」

 (大丈夫かなあ。空元気じゃなさそうだけど)

 正直不安ではあったが。

 「あ、カノコさん。あれ、どっかから戻ってきたの?」

 お下げの少女が、草原から戻ってきたことに気づいた。

 「いえ、ちょっとそこまで。大したことじゃないんですけどね」

 カノコはそう言って微笑んだ。

 「そうなんだ」

 追及することでもないので、そのままにしておく。

 「それより飯にしようぜ、めしー」

 「そればっかりなんだから、あなたは」

 まあ、元気になった証拠ではあるので、いいのだが。

 「これから、また闘うのかもだしね」


 「また刺客、来るかしらね」

 「ああ。『遺産』を奪えない限り、何度でも襲ってくるだろうな」

 朝飯の後、「鷲族」の人たちを巻きこむのも何なので少しキャンプ地から離れてみたりする。

 こちらでは秋なので、草原は黄金色に輝いていた。

 風が吹くと、金色の草が一斉にさあっ、となびいてさらさらと揺れる。

 「サイキ…あのさ」

 こんな時にとは思うが、楓は「長」の言葉によって自分に生じた迷いを、サイキにぶつけずにはいられなかった。

 「あの人は『二つに分かれた世界は不自然だ、元に戻さねばならない』って言ってたけど、そうなのかな?やっぱりおかしいのかな、このあり方」

 「そうか?俺は、そうは思わないけどなー。俺の世界みたいに精霊の加護を受ける奴がいる世界があって、もう一つ科学が幅を利かせる世界もあって。いろいろあって面白いじゃないか。まあ、昔の人の『このままでは二つのやり方を奉じる者同士で争いが起きる』って考えが正しかったかどうか俺にはわかんないけど、現に今世界は分かれてるんだし。無理矢理一つに戻す必要もないんじゃないかと、思ってるよ」

 「一つには、しないで…別々に世界があって、その上で交流していく方が、あなたの望みなのね」

 「うん」

 彼はにっこり笑ってうなずき、続けた。

 「いろんな人が、いていいだろ。いろんな人が、いろんな考え方をして。で、そのそれぞれの人が出会って、また新しい考えが生まれて。それっていいことだよ。俺と違う楓がいて、楓と違う俺がいて、出会って幸せになる。それでいいじゃないか」

 「でもサイキ、世界は別でも交流していったら、『果ての地』の科学技術がどんどん入って来てここの生活を壊してしまうかもしれないんだよ。あり得るんだよ…いいの?」

 「もちろん、俺の故郷があっちの世界とまるっきり同じになったらやだけど、そうならないようにはできると思うよ。『違う世界と出会えたこと』自体は、悪いことじゃないと思う」

 「そうか…そう、だよね」

 どうして、この少年は…自分には絶対できないようなものの見方をして、自分に新しい景色を見せてくれるのか。

 「わかったよ。ありがと、サイキ」

 「別に礼言われるようなこと、してないけどなー」

 どちらからともなく笑い合った、そんな時に。

 「―サイキ!楓さん!来ます!」

 カノコの声が遠くに聞こえた。

 同時に、草原に紅い光が湧き上がる。

 「また!?」

 「くっそー!今度は負けねー!」

 サイキがばっ!と顔を上げて叫んだ。

  「あいつが来るならともかく、雑魚だったら絶対負けないからな!」


 「来るか!」

 緊張する二人の前で。

 湧き上がる紅い光の中から、嵐が巻き起こった。一しきり吹きすさび、そこから古風な衣装に身を包んだ中年の男が現れる。

 「お前も、昔信じられてた精霊との契約を結び直した口か!」

 「その通りでありまする。古い古い精霊に仕える祭官なのでありまする!」

 男は吼えた。

 「失って、永きにわたって探し求めてきた古き精霊との絆を、『長』が結び直して下さったのでありまする。その恩に報いるため、貴公を倒さねばならないのでありまする!」

 「そんなのばっかりかよー!」

 「悲しき事なれど、みどもはそうせねばならぬのでありまする。どうか心得てもらいたいのでありまする」

 「そんな丁寧に言われても、はいそうですかとは言えねーよな」

 駆け寄ってきたカノコに楓を預け、サイキは進み出た。

 「よし!いっちょ勝負してやろーじゃん!」

 「…何、あれ」

 「古き精霊の祭官」を名乗る男の頭上に、何やら赤茶けた渦のようなものがたゆたっている。

 「雲?煙?何だろう」

 楓が考えている間に。

 「―熱嵐の精霊よ」

 「祭官」が、一言唱えた。

 「うわっ!」

 頭上の渦が、巨大な拳の姿を取った。そのままサイキに殴りかかる。

 彼は飛び退いて紙一重で避けるが、頬に幾筋か傷が走った。

 「痛ってええっ!やすりみたいだ…何だこれ!?」

 楓ははっとして、渦に戻った「何か」を見上げた。

 不定形の、渦巻く「何か」。

 「!これ、砂の渦だわ!」

 「その通りでありまする!疫病をもたらす砂混じりの熱嵐こそ、みどもの奉じる精霊でありまする!」

 今度は砂の刃がサイキに襲い掛かった。

 「くっ!」

 サイキは上半身を反らして刃をかわしながら、横からその刃に拳を叩きこんだ、が。

 「うお!?えーっ、マジかよ!」

 さらりとそこだけ砂が崩れ、刃の形そのものは変わらない。砂がまた刃の形をとって肉迫し、彼はぎりぎりで見切ってかわすが、さらに変形した槍の穂先が追いすがった。傷がつく寸前で「付与」のバリアで何とか止める。

 「くっ、こないだの『煙』も大変だったけど、実体のない攻撃は防ぎづらいなあ」

 サイキが珍しく弱音を吐いた。

 「まだでありまする!」

 「祭官」の頭上に、砂でできた幻影が現れた。

 巨大な二対の翼を背に負った、鳥とも人ともつかない生き物の幻影が。

 砂の姿は絶えず揺らぎ、形が崩れてはまた元に戻っていた。

 それがじゃっと崩れ、超巨大な砂の斧となってサイキに迫る。

 「「危ないっ!」」

 楓たちが悲鳴を上げた、その時―さらに巨大な青く輝く翼が目の前に出現し、斧を受け止めていた。翼はさらに細かく震え、砂の斧をぼろぼろに崩す。

 「あれは、確か」

 「『青き蜂鳥の王者』の?」

 この間、結果的に助けることになった「暦の精霊の地」の支配者の技だった。

 『わたしたちにできるのは、これぐらいですからぁ』

 聞き覚えのある声が流れた。

 「『祭司』さん?」

 彼女が「王者」を説得し、助力してくれたらしい。

 『このぐらいが関の山ですがぁ』

 「いえ、充分です!」

 『どうか二つの世界を救ってください。及ばずながらわたしも祈っていますぅ』

 声が消えるのと同時に、青い翼も薄れて消えて行った。

 「く、ならばこれなら!」

 「祭官」が手を振ると、砂がざあっと舞い上がり、もはや形をとらずに嵐となって吹き荒れた。

 「これならば、防げまい…のでありまする!」

 ごおっ、と―

 砂を混ぜ込んだ熱風が、サイキに叩きつけられた。

 「ぐうっ!」

 荒れ狂う風のすさまじさに、呼吸もままならない。ただ、まわりを取り囲んで轟々と吼え猛る砂嵐に耐えるだけ。目も開けられず、腕を組んで耐えることしかできなかった。

 身体を包む銀の輝きが、次第に吹き散らされて…今にも吹き飛ばされ、地面に転がされそうなのをこらえている、と。

 「サイキくん!はじめは少し痛いだろうけど耐えて!」

 どこかで聞いたような声が届いた。

 と、吹き荒れる風に乗って叩きつけられる砂粒が、急に重くなった。

 「くっ…うわあっ!」

 腕で顔だけはガードして耐えるサイキだったが、

 「あれ?」

 段々砂が、まわりの空間から消えていくのに気づいた。

 下の地面に、湿気を含んだ砂がどんどん溜まっていき…先程まで息もつかせなかった砂嵐は、ただの強風に変わっていた。

 上を見れば、降り注ぐ雨が砂粒を風から洗い落としている。

 まわりには楓たち、呆然とする「祭官」、それにもう一人。

 「『水の精霊』の力で雨を降らせて、砂粒を洗い落としたんだ」

 「センさん!来てたのか、こっちに!」

 「ええ、ちょっとこちらに」

 砂漠出身の「水の呼び手」は、微笑んだ。

 「よーし、じゃこっちの番だ!たっぷりと礼をさせてもらおうじゃないか!」

 「く!」

 視線を向けられた「祭官」は集中し、「精霊の力」を使おうとするが。

 「精霊よ!『古き熱嵐の精霊』よ!応えていただきたいのでありまする!」

 しかし、いくら呼びかけても弱々しく風が巻き起こるだけで力が全くこもらない。

 「『砂嵐』じゃなくなっちゃったから、『精霊の力』が使いにくくなった、とか」

 「そうかもしれませんね」

 女性二人がそう囁き交わす中、サイキが駆け寄って槍の穂先をぴたり、と「祭官」の喉元に突きつけた。

 「う!」

 「さて、どうするよおっさん」

 「こ、降伏するのでありまする!だが二対一、いや三対一で闘って負けたのでありまするぞ」

 「そっちだって俺に連続で刺客をぶつけてるじゃないかー」

 どっちもどっち、というべきか。

 「こ、こんな、こんなことで」

 呻く「祭官」の身体を、突然降り注いできた紅い光が包んだ。サイキが跳ね飛ばされる。

 『良くやってくれた。故郷に帰そうぞ』

 いんいんと声が響いた。

 「…待ってくれ!」

 サイキが必死に呼びかける。

 「どうして、こんな争いをしなくちゃいけないんだ!」

 『言っただろう。我の決意は変わらぬ。かつての理想郷を取り戻すためなら、何でもすると』

 「だから、そんなことをしても何にもならないどころか、害にしかならないのに!」

 『言っていることの理解はできる。だが』

 「長」は言葉を切り、少し迷って続けた。

 『それが望ましいことなのかどうか、わからんのだ』

 「でもっ!」

 『譲れない思いがあるのだ。どう思われようとも、我は過去の世界を取り戻したい。それは譲れない』

 「だって!」

 『話はいつまでしても平行線だ』

 彼は、切り捨てた。

 「そんな!理想郷じゃ絶対ないけど、それぞれの世界で人々は必死に生きているんです。それを自分の夢のためでも、危険にさらしていいものじゃありません!」

 『説得しようとしても無駄だ』

 楓の言葉にも、「長」は動じない。

 (この人は『過去』に、いるんだ)

 悲しい、直観だった。

 (『過去』しか見ていない。『現在』を生きていないし『未来』も見ていない…だから、絶対に揺るがない。説得しようとしても、私たちの言葉が最初から届いていないんだ)

 『今は引き下がっておく。しかし、いずれ『合分の板』は渡してもらうぞ』

 それだけ言って、「長」の気配は消えた。「祭官」の姿も消えている。

 「同じ、言葉を話してるのに!」

 サイキは、拳を地面に叩きつけた。

 「どうして、俺たちの話を聞いてくれないんだ…!」

 「…サイキ」

 楓は、言葉を探した。

 「あの人は、『過去』にしか、いない」

 「楓…?」

 「自分の時間を、止めてしまっているのよ。『過去』しか、あの人には存在しないの」

 「で、でも、時間って誰にでも平等に流れて」

 「そうだけど、心の時間は止めることができるの、人間には。あなたには、まだわからないだろうけど」

 この、いつも前しか、「未来」しか見ていない男には。

 「確かに、よくわかんないけど。まあ、あの『祭官』って奴が何とかなってくれて助かったよ。センさんのおかげだな。ありがとう」

 「いやあ、たまたま『本体』に戻って、こっちの世界で体を動かしていたんだ。役に立てて良かったよ」 確かに、ずっと「擬体」に意識を移したままでいるより、時々は「本体」に戻った方がいいのだ。その場合、動き回れる「彼方の地」に行った方が健康にはいいはずだ。彼の故郷そのものではなくても。

 「でも、どうしてこんなにタイミング良く助けに来てくれたんですか」

 「半日ぐらい前に、そちらの巫女さんから呼ばれたんだが」

 「「へ?」」

 一同の視線が、赤みがかった肌をさらに赤くして恥ずかしがっている少女に向いた。

 「カノコさん、どうして」

 「実は早朝に『茶の鹿』からお告げがありまして」

 「そうなのっ!?」

 「サイキを助けられるか、正直自信がなかったんですが…どうやら正解だったようですね」

 巫女(シャーマネス)の少女は、ようやくほっとした笑みを見せた。

 「お告げってけっこう問答無用でして。訳もわからずにただ『こうしなさい』とか『するな』とかって言われる場合も多くて、反発したくなることもあるんですけど。結果的にみると正しいことがほとんどで、困ったものです」

 精霊は世界を人間より一段高い場所から見ているので、「先」が見通しやすいらしいのであった。

 「巫女さんってのも大変なのね」

 それでみんな助かるのだから有難いのだが。

 (…あ)

 今にして、気づく。

 (朝カノコさんが草原に行っていたのは、メッセージを飛ばすためだったんだ)

 納得する楓であった。

 (見えないところで、努力する人なんだなあ)

 「でも、いい所だねここは」 

 センが草原を見回しながら言った。

 「『果ての地』からはここにしか来られないと言われて来たんだけど。故郷からは遠いが、どうせ追放が解けるのはまだまだ先なんで…住まわせてもらいたいぐらいだ」

 彼は、「水の精霊」の力を調子に乗って濫用し、砂漠のオアシスを枯らしかけて体のいい追放状態なのである。

 「それでいいんだろうか」

 「砂漠に川が引けるほど実力がついたら帰還を許す」と言われているはずだが。

 「にしても、どんどん刺客が来るなあ。まだ来るんだろうか…息もつけやしないぜ」

 「消耗していくのを待っているんですね、『長』は」

 「でも、何か焦ってる感じはするよね」

 「「「焦ってる?」」」

 楓の発言に、みんな注目した。

 「早く世界を一つに戻したいって気が急くのはわかるけど、余りにも急ぎすぎって言うか」

 「そりゃ、そうだけど」

 「単にせっかちってだけじゃ、ない気がするんだ。もしかしたらだけど…あの人は」

 楓は考えていたことをみんなに話した。

 「…そうかもしれないけど。でも、俺たちがやるべきことは今までと同じだな」

 楓の仮説を聞いた後のサイキの反応は、これだった。

 「そうよね。私の考えが当たっているとしても、違っていても『遺産』を渡してはいけないことには変わりがない訳だし」

 「守り抜かないといけないんですね。…あ、『果ての地』から呼びかけが来ています」

 カノコが呟き、眼前に明るい茶の球体を出現させた。

 『みんないるな!こっちに一旦戻ってきてくれ!』

 聞きなれた青年の声が球体から響いた。

 「樹さん!どうしたんだ、何かあったのかそっちで!」

 『いや、そんなことはないが。こっちで、やってもらわなければならない事があると判明したんだ。一度戻ってくれ』

 樹の声音には、緊迫感というより新たな「何か」を見つけてそれを伝えたいという、わくわくした響きがあるようだった。

 「樹さんこう言ってるけど。戻るか、みんな」

 「そうね。その方がいいかもね」

 もしかしたら…本当にもしかしたらだが、この状況を打破する(すべ)があるかもしれない。

 その希望に、すがりたかった。


   第五章 操られてる馬鹿もいる


 スーミーに頼み、三人は「果ての地」、舞鳥市の研究所に戻ってきた。儀式には半日ほどかかったが、これは仕方ない。

 「おや?」

 三人を出迎えた樹とユーリが、首をかしげた。

 「あれ?カノコさんも、サイキも…少し小さくなったように見えますけど」

 「あ、ほんとだ。身長ぎりぎりだったのに、水槽の長さが少し余るよ」

 「そう言えば、向こうでも『何か変だな』って感じたんだ、私」

 サイキたちに対して、自分が少し大きくなったような。大した差ではなかったので、気にしなかったが。

 「ほんとだ。俺、少し小さくなってる、この世界に対して」

 「これが、世界が近づいて『ずれ』が縮まっているってことなの?」

 「驚いたな。こういう形で影響が出ているとは」

 樹が腕を組んだ。

 「僕の『本体」も、後で確認してみましょう」

 「本当に、二つの世界が近づいているんだね、サイキ」

 「ああ。どうすりゃいいんだろうな」

 そんな話をしつつ、サイキとカノコはその意識を「擬体」に移した。

 「はー…こっちなら、闘わないでいいのかな。くーたーびーれーたーよー」

 あやめ(サイキ)となり、へたりこんで彼(?)が呻いた。

 「さすがの『長』も、擬体は造れないだろうからなあ。そっか、最初からこっちに来てれば良かったんだ。手出ししようがないだろうし。何だ、損したかもー」

 「そうとは限らない気がするな、サイキ」

 どういう形になるかは見当もつかないが、楓はそんな気がしてならなかった。

 「闘う覚悟は、していた方がいいと思う。辛いのはわかるけど」

 「ちぇー」

 「『ちぇー』じゃ、ない!」

 緊張が、少しほぐれた。

 「さて、こっちに来てもらった件だが。スーミーさんたちや、君たちについてきた『海の語り部』さんたちとも情報交換して、わかったことがあるんだ」

 樹が、そう切り出した。

 「でも、どうして先に要件を教えてくれなかったんですか」

 「いや、尋常でない相手が敵に回っていると言うし、何らかの手段で通信を聞かれていたら困ると思ったのでね」

 楓の問いに、樹は深刻そうに、しかしどこか勿体ぶって答えた。

 (ああ、こういう人だよね)

 頭のいい人物なのはわかっているが、少々つき合いづらい。

 「とにかく、このままでは二つの世界は『長』によって近づけられ続ける。もし衝突するまでに近づいたら、さすがに彼に『遺産』を渡すしかないだろうな」

 衝突するよりは、という苦渋の選択ではあるが。

 「それで、二つの世界が一つに戻ったら具体的にどうなるんでしょう」

 「かつてはそっくり同じだったはずの『二つの世界』だが、今や全く違う様相を呈している。それが融合したら、どんな事態になるか全く予測ができないな。もしかしたら、大破局(カタストロフ)かもしれない」

 「予測もつかない、ですか」

 阻止する理由としては少々薄い気もするが、樹の危機感もわかることはわかる。

 「例えば、『果ての地』で埋め立てが進み、人々がその上で生活しているのに、その土地が『彼方の地』の干渉を受けて存在しなくなったらどうなる?そういう可能性もあるんだ」

 「可能性ってだけだと、動きづらいな」

 「確かに、『命を懸けてくれ』とはなかなか言えない」

 樹はあやめ(サイキ)の言葉に、苦悩の表情で答えた。

 「でもこのままだと、その『何が起こるか見当もつかない』事態に、なってしまう訳ですよね。『長』を止めない限り」

 「世界の危機、なのか」

 「世界がどうなるかわからない、という意味でだけどね」

 それも危機ではある。

 「こんな大事を私たちだけで何とかしないといけないなんて」

 全世界の知恵を結集して解決策を考えたいところであった。

 「しかし、僕たちにしか対処できないのも確かだ」

 樹は、表情を引き締めた。

 「彼は、『狭間の空間』で、二つの世界を引きつけているんだろうな」

 「『狭間』に行って、『長』を倒すしかない、んだ。で、倒してから『世界』を引き離す」

 あやめ(サイキ)が呻くように言った。

 「でも…一度、サイキは!」

 「ああ。一度、負けた…それは、事実だ」

 彼(?)はうなずいた。

 「でも、まだ終わってない。あいつともう一度闘って、今度こそ勝つ。それしかないんだ」

 「もう一つ、試してみたいことがあるんだ」

 樹が顔を上げた。

 「樹さん?試したいことって」

 「スーミーさんや『語り部』さん、それにかつて『黒の首領』だった二人を問いただして、やっと判明したんだが」

 この勿体ぶった言い回し…頭の切れる彼らしいと言えばいえるのだが、こんな状況では少々むかつく。

 「だからどういうことですか!私たちにわかるように説明してください!」

 ついに楓は、苛立ちをぶつけてしまった。

 「どうした楓。怒ったりして」

 「いや、その。怒ってる訳じゃないんだけど」

 みんな驚いて楓を見ている。いつもの反応ではない、と思われているらしかった。

 「ここは樹さんの話聞こうぜ。落ちつかないと」

 「う、うん」

 (いつもと逆になっちゃったな)

 ちょっと、可笑しくなった。

 「まず、言っておかなければならないのは…世界を一つに戻すのにも、引き離して今までの状態に戻すにも、サイキくんの持つ『遺産』だけではできないだろう、ということだ」

 「えっ?どういうことだ?」

 あやめ(サイキ)が混乱し、楓は考えこんだ。

 「…もしかして」

 思い浮かんだことを、口に出す。

 「『遺産』が、もう一つあるってこと…ですか」

 「…そうだ」

 樹がうなずいた。

 「二つの世界の片方だけに『遺産』が封じられているのは、何かおかしいなとは思っていましたが」

 別に「絶対に変だ」と考えていた訳ではないが、微妙な違和感は感じていた。

 「そうだ。二つの世界には、それぞれに対応する『遺産』が存在しているんだ」

 さらに続けた。

 「古文書などによると、こちらの世界に封じられているはずの『遺産』はサイキくんのそれが『力』、『精霊の力』を象徴するのと対を成し『知』を担うものであるらしい。何らかの形で古代の知識が蓄えられているのだと。…相談した結果、我々はその『知の遺産』を何としても手に入れ、その蓄えられた知識、知恵をもって打開策を探るしかないという結論に達した」

 樹はそこで言葉を切り、一同の…その中で楓の顔をじっと見た。

 「で、その『遺産』なのだが…その担い手を選ぶ時、求められるのは古代文字についての知識であることも判明した」

 「え?それじゃ、もしかして」

 「そうだ。我々の中で、古代文字について一番詳しいのは…君だ、楓くん」

 「ええっ…そんな!私の古代文字についての知識なんて、大したことないですよ!ただ調べたいから調べただけで!」

 いきなり話題の矛先がこっちに来て、楓は思いっきり動揺した。

 「それでも、関係者の中で一番の適任者は、君なんだ」

 樹は真面目に話している。

 「頼みは君だ、楓くん」

 「でも!隣の市におられる浅沼教授の方が適任では!?」

 「いや、今は君の方が古代文字には詳しいだろう。メールで質問をしていたんだろう?教授が僕に、『すでに知識としては抜かれている気がするよ』とぼやき交じりの称賛を送ってこられた」

 何とか逃れようとする彼女だが、樹は手を緩めない。

 「で、でも私、『精霊の力』も何もないし」

 「気づいてないのか?楓のアイデアとかがなければ、俺もあんなに勝ててないってことを」

 あやめ(サイキ)があきれ顔で口をはさんだ。

 「え、え?あれは、だって」

 確かにああしろこうしろとは言った記憶はあるが、言わなかったら勝てていなかったかは自信が持てなかった。

 「意外に自己評価低いな、楓くん」

 樹が腕を組んだ。

 「でも、謙遜している場合じゃない。引き受けてもらわないと困るんだ。頼む」

 「…えーと」

 ためらうが…徐々に、嬉しさがこみあげてきた。

 (私が、役に立てる…!)

 今までずっと、足手まといかつっこみ役か、ってところだったのに。

 (サイキのために…みんなのために、私のすることが役に立つ!)

 急にスポットライトが当たった、そんな気持ちだった。

 「サイキ、樹さん…私、やるよ」

 顔を上げて、二人をまっすぐ見てきっぱり言う。

 「『知の遺産』を、きっと手に入れて見せる!」

 「決心してくれたか。良かった」

 樹が胸をなでおろした。

 「で、その『知の遺産』は、一体どこにあるんですか」

 決意したらもう実際的な話題に入る楓である。場所はこれまでの話には出てこなかったし。

 「大丈夫、そう遠くない。隣県ではあるが」

 「そうですか」

 「なぜ、ここ舞鳥市と『守護精霊の地』が一番交流がしやすいのか、ずっと疑問だったんだ。かつて同じ場所だった地域同士が引き合うなら、舞鳥市は『母なる大地の精霊の地』に一番近いだろうからな。考え続けて、一つの仮説を立てた。『守護精霊の地』に『遺産』があったように、舞鳥市の近くにも『遺産』があり、お互いに呼び合っているのではないかと。で、市内や周囲をいろいろ調べていた」

 「で、見つかったんですか」

 「ああ。舞鳥市周辺や県内には手掛かりがなかったのだが、『海の語り部』さんが、かつての文明は海洋ネットワークが主流だったと教えてくれたことが、決め手になった。舞鳥市周辺には海はないが、隣県は海に面しているからな。そちらにも調査を広げた結果、『知の遺産』がある『果ての地』の聖地は海辺…正確には、地殻変動で入口が海に沈んだ洞窟の奥深くに存在する」

 「そこへ私が行けばいいんですね」

 「僕はここを離れられない。サイキくん、カノコくん…それにユーリくんも、ついていてあげてくれ」

 「いいんですか?…あ、でもサイキには来てもらわないといけないかも」

 「『力の遺産』の担い手だからなあ、俺」

 何らかの条件が揃わないといけないかもしれない。

 「その線も考えたが、それだけではない。向こうもその『遺産』を探す、もしくは探すだろう我々を妨害することが充分考えられるんだ。楓くんとぶつかる可能性がある。ボディーガードとしてついて行った方がいい」

 「でも、こっちの世界でどうやって」

 そう言いかけた時―けたたましいサイレンの音が、響き渡った。

 「どうした!」

 樹の声に、あわてた口調でスタッフが答える。

 「大変です!変な一団が、こちらに向かっています!」

 「『変』って、何だその表現は!もっとわかるように説明してくれないか」

 文科省所属の国家公務員が使う表現では確かにないが。

 「いや、しかし!とにかく、モニターを見てください!」

 スクリーンに研究所に続く道が映し出された。

 その道を歩いていたのは。

 「でえっ!?」

 見たこともない、異形の人々。

 いや、「人々」と言っていいのかどうか。

 姿かたちは確かに人間なのだが、その頭部が、おかしかった。

 「あれ、何…?」

 すぽり、と。

 人間の頭部の上に、さまざまな獣の半透明の「頭」が、かぶさっているのだ。

 鷹(隼?)猫、犬っぽい何か、羊、鰐、朱鷺(ただし黒っぽい)、果ては何だかよくわからない獣まで人の頭にかぶさっていた。そんな頭部と人の身体とがどうつながっているのか激しく疑問だが、そこは幅広の襟飾り(の幻影)で巧妙にごまかされていた。

 「な、何だよ、あれはさー」

 人の身体がまとう衣服も、どこぞの壁画とかに描かれていそうな古代風のそれになっている。

 そんな「人々」がゆっくりと研究所に、こちらに向かってきているのだ。

 『我らは『(いにしえ)の獣頭の精霊』…』

 『『長』に従う者なり…』

 『『遺産』をよこせ…』

 『さもなければ捕らえて奪うのみ…』

 監視カメラに搭載されたマイクが、彼らがそう繰り返しているのを捉えてここに流していた。

 棒読み的口調で繰り返しながら、ひたひたと研究所に近づいてくる。

 「これは、『南の大陸』の古き文明で崇められていた精霊のようですね」

 ユーリが呟く。

 「いやあ、確かに『変』としか表現のしようがないか、こりゃ」

 あやめ(サイキ)が納得するのももっともだが。

 「吞気に言ってる場合じゃないでしょう!何とかしないと」

 楓はやはりつっこみ、叱咤してしまう。

 「わかってるよ楓。とりあえず俺が出る!どういう相手かぜーんぜんわからんけどっ」

 あやめ(サイキ)が飛び出していった。

 「ああ、どんな敵なのかもわかんないのに先走って」

 ああ言っておきながらはらはらしている楓である。

 

 「止まれ!ここから先は行かせない!」

 研究所の建物を飛び出し、道に立ちはだかってあやめ(サイキ)が叫ぶと。

 「おお、『遺産』の担い手だ…」

 「よこせ…」

 口々にそう言って。

 「わ!やめろ、ちょっと!」

 そのまま、わらわらと彼(?)に取りついた。もう、足だろうと(ない)胸だろうとつかんで離さない。

 「うわ!よせ、セクハラー!」

 あわてて振り回す手が、羊頭の人を軽く突き飛ばした。

 「うわあ!」

 羊頭は意外にも軽く吹き飛び、地面に転がった。

 「え?」

 『噓っ!?』

 転がったその身体から、羊の頭がすうっと消えた。

 現れたのは、スーツ姿のごく普通の男性。完全に気絶していた。

 「この人たち!?」

 心配で追ってきた楓たちが仰天する。

 「操られてるだけの、一般人?」

 「えー!?だとすると、叩きのめす訳に行かないじゃんよー!」

 しかし、現に襲い掛かってきているし。数で押してくるのをどうすればいいのか。

 「何か手が…あ!ユーリ先輩っ」

 幸いユーリもついて来ていた。

 「あれですよ!カイって人にやった、あれ」

 「え?あ、はい、わかりました!」

 楓の言葉にユーリはうなずき、手をばん!と地面につけた。

 「よし、展開完了!『力食らいの魔法陣』!」

 異形の人々を包み込んで、炎の網が広がった。

 すると。

 「何だあ!?」

 人々の、獣の頭部がふっ、ふっと消えて行った。気を失った普通の人々がばたばたと倒れる。あやめ(サイキ)だけが呆然と立っていた。

 「やっぱり、『精霊の力』を食い尽くせば、拘束も解けるんだ!」

 「うまく行きましたね…良かった」

 

 「良かった、誰も何も覚えてないみたい」

 気絶から覚めた人達にざっと話を聞いて、楓が振り向いた。

 「みんな街はずれで突然記憶が飛んでるって」

 気がついたらここ、彼らにしたらどこだかわからない山の中で寝ていたという感じらしかった。

 「即席の配下兼、体のいい人質ってことか」

 エージェントの方々に頼んで、市街地まで送り届けてもらうことになった。…何が起こったのかと質問されても適当にごまかしておいてください、としか言いようがないが。

 「こんな方法で、『果ての地』にまで力を及ぼして来るなんて」

 「恐るべし『長』ってとこだな」

 あらためて、自分たちが闘っている相手がいかに恐ろしい存在か思い知って震える。

 「とにかく、よくわかったよ。楓を一人で行かせる訳にはいかないってことが」

 樹のもとに戻りながら、あやめ(サイキ)がきっぱりと言った。

 「でもサイキ、隣の市に行くのだってくらくらするって言ってたのに、もっと遠くまで行くのって大変じゃない?」

 「それでも、楓を放っておく訳にはいかないよ」

 「確かにな。彼らが手を出してくる手段は、まだ他にもあることがわかった」

 何やら連絡を受けていたらしい樹が、出迎えて言った。

 「何かあったんですか」

 「カイの姿が、ここの留置場から消えている」

 「何ですってえ!?」

 「さっきのことでこちらの注意がおろそかになっているうちに、いなくなったらしい」

 「精霊の力」が使えないように拘束し、幽閉していたはずだが。

 「それも、『長』の力で」

 「確実なことは言えないが、やっと気づいた者がちらりと紅い光を見た、と」

 「ほぼ確定、ですね」

 新たな刺客となるのか。

 「エージェントに探させるつもりではあるが」

 そう簡単に見つかりはしないだろう。

 「どうすればいいんだろう、ほんとに」

 「気をつけなければいかんな。しかし、楓くんがここを出て、『知の遺産』を手に入れてくれなければ話にならない」

 「俺たちがついて行くよ。必ず無事に送り届ける」

 とはいえ、もう夕方だった。

 「明日の朝出発してくれないか。一晩はゆっくり休んでくれ」

 「そうですね。急いだほうがいいと言っても」

 うなずいた時、楓のスマホが着信を知らせた。

 「え、誰…って、由布子?」

 つい出てしまう。

 『楓ね?ねえ、どこに行ってたのよ。メールもLINEも『電波が届かない場所にいます』って表示されて。どうしようかと思ったわ』

 授業が終わった後らしく、早口で問いかけてきた。

 (あ…『彼方の地』に持って行ったもんね)

 間違いなく「電波が届かない」場所にいた訳である。チェックしたら通信可能になっていたので、あわててかけてきたのだろう。

 『どうしたのよ。三学期はとっくにはじまってるのに…みんな心配してるわよ。あやめちゃんも鹿乃(かの)ちゃんも、海原先生までいないし。昨日からユーリ先輩までいなくなったってファンクラブのみんなが大騒ぎしてるし。一体何があったの』

 「…ごめん」

 説明のしようがなくて、楓はただそう言うしかなかった。

 「ごめんね!今ちょっと忙しくて。また後でかけ直すから!」

 『あ!ちょっ、待っ…!』

 由布子の抗議を無視して、強引に通話を切った。

 「…学校どころじゃなくなっちゃったね」

 楓がぽつりと呟くと、あやめ(サイキ)がその肩をぽんぽんと叩いた。

 「早く戻れるように、がんばろうぜ」

 「三学期がはじまってるのに、戻れないなんてね」

 奨学金をもらう立場の岡谷楓としては辛いし、もちろんみんなに会いたくて仕方なかった。

 「そうだなあ。授業はともかく、みんなに会いたいぜ。ま、一刻も早く学園に帰れるように努力しようぜ、俺たちで」

 「うん。三学期が終わったらいよいよ二年生よ、私たち。修学旅行もあるし」

 考えただけでわくわくする。

 「沖縄だって言ってたっけ」

 「南の島だよな。楽しみだなあ」

 (ああ、サイキたちとやりたいこと、まだ沢山ある)

 それが、ただ幸せだった。

 (いつかは実家にも連れて行きたいなあ)

 つらい思い出もある故郷だったが、それでも見せたいと思った。

 ―しかし、楓はのちに思い知ることになる。

 自分の「未来予想」が、どれほど安易な、(はかな)いものであったかという、そのことを。


 舞鳥市の外れ、山際の田畑が広がるあたりに。

 無骨なコンクリートの建物が一つ建っている。

 いかにも古くから農家やってます的な造りの周囲の家々とはミスマッチな建物だが…ここに今「蒼の組織」の仮住まいがあった。

 ここで今「精霊の力」を扱えるメンバーは、一応巫女(シャーマネス)鹿乃子(カノコ)に気配を察知されないよう用心はしているのだが、最近思いっきり放っておかれていた。…もはや「敵」として見なされていない気がする。

 「サイキたちは、何時戻ってくるのかッ」

 「わたくしたちの気配を読む能力では、予想できませんわね」

 「熊の戦士」と「女王」では、巫女や巫術師(シャーマン)のような感知能力は望むべくもない。

 「ううッ、この間学園に行ってみたら、サイキどころか人がほとんどいなかったッ」

 「いきおいこんで行ったらはずかしかったね、(ウー)

 正月休みだったから仕方がないのだが。そんなこんなでぐだぐだしている(ウー)たちの前に、不意に紅い光が湧き上がった。

 『『熊の戦士』…(ウー)とやら言う者よ』

 「何だあッ!?」

 光で形作られた人型が、三人…(ウー)、チョビ、エリーの前に立つ。いんいんと声が響いた。

 『簡潔に言おう。我は『鷲の戦士』サイキとやらを倒し、お主たちが『遺産』と呼ぶものを手に入れんとする者である』

 「サイキを倒すだとッ!?」

 『提案する。我と手を組まぬか』

 「何だとおッ!」

 『我はかの者の持つ『遺産』を欲している。お主はかの者に勝つことを望んでいると聞いた。悪い話ではないと思うがな』

 おそらく、「ワタリガラスの戦士」ライにでも聞いたのだろう。

 「断るッ!俺は『黒の首領』以外の誰かに仕えたくないッ」

 (ウー)は言下に切って捨てた。

 「チョビは(ウー)についてくよっ」

 こっちの主張も明確だった、が。

 「いいえ!」

 鋭く叫ぶ者がいる。

 「エリー!?」

 「わたくしは貴方についてもいいですわ!」

 『そうしてくれるか、『女王』エリーとやら』

 「わたくしが貴方に協力しましたら、故郷に帰すと約束しますか?」

 『約束…しよう』

 重々しい声が響いた。

 「それならば協力します!さあ、わたくしを連れて行きなさい」

 「エリー!やめろ…ッ!」

 (ウー)の制止も聞かずにエリーは進み出、幻影に手を差し伸べた。

 『そうか。ならば来い、『女王』よ』

 巨大な腕が彼女を抱き取り、ぱっと紅い光がはじける。

 後には何も、残ってはいなかった。

 「うおおッ、どうしろとッ」

 残された二人には、正にどうしようもなかった。


 そんなことがあったとは知らないあやめ(サイキ)たちは、夕飯をぺろりと平らげ。

 「わー、久しぶりだなー」

 研究所詰めの職員たちがサービスで作ってくれたデザートのパンケーキを前に、ご機嫌だった(一応秘密の施設なので出前を取るわけにもいかず、交代で炊事をする職員たちの料理スキルが上がりまくっているのである)。

 「メープルシロップもかけて、っと」

 「これって、煮詰めるとあの楓糖になるんだよなー」

 「そ、そうね」

 何か、自分の名前を呼ばれているようで楓は少々照れくさい。

 「こっちの『楓』の方がつき合いやすいなー。口うるさくもないし」

 「何ですってえ!」

 そんな口げんかもまた、楽しかったりする。

 「全く、もう」

 怒ってはみたものの、目の前にたっぷりシロップをかけたパンケーキをぱくついているあやめ(サイキ)がいるという光景は、嬉しいものだった。

 「あ、うまいわーこれ」

 「そうね」

 思わず顔がほころぶ。

 「でも、こうしてる間にも『長』は二つの世界を引きつけているのね。…自分の『時間』を止めたまま、失われた『過去』を取り戻そうとして」

 「俺は『過去』に戻りたいとは思わないなあ」

 「…それは、何も失ったことがない者の台詞だな」

 「「樹さん?」」

 黙って一同の会話に耳を傾けていた樹が、静かに言った言葉にみんな驚いた。

 「何に代えても取り戻したい『過去』が、長く生きているとあるものでね」

 一同のまなざしを受けて、青年は苦笑した。

 「だから『長』の気持ちも少しはわかる気がするよ。だからと言って、止めない訳にはいかないけどね」

 「そう…ですか」

 「まあ、僕なんかが偉そうに言うことじゃないんだが。まだ二十代なんだから」

 海原樹。キャリア公務員として異世界交流計画の現地責任者を務めるが、まだ二十八歳の身であった。

 「私にだって、『幸せな記憶』はあります、けど」

 しかし、「その時」に戻りたいとは、楓にはどうしても思えなかった。

 「それが、君たちがまだまだ若いってことだよ」

 「「「…?」」」

 疑問符を浮かべる十代ズの表情を見て、樹は優しく言葉を続ける。

 「その若さが、大人には眩しく感じられるものなんだよ」


 「ああは言われたけど」

 あてがわれた仮眠室に向かいながら、楓は考えこんでいた。

 いつか、自分も何かを失う日が来るんだろうか、と。

 「その時には、どんなに大切なものでも、あきらめないといけないのかなあ…」

 「ん?どした楓ー?」

 「うん、ちょっとね」

 呟きを聞きつけたあやめ(サイキ)に、悩みを打ち明けてみる。

 「あきらめちゃそこで終わりだよ!」

 まっすぐな、あまりにまっすぐな、答えだった。

 「だって、一生あきらめはしなくたって、何もできずに終わっちゃう人だっているだろうし」

 「それでも、あきらめて何も挑戦しない人生よりは、何かした人生だって俺は思うな」

 「…でも!やっぱりあきらめないと、思い切らないといけないことはあるし。望む全部は、無理だよね」

 「いや、俺は全部欲しいって言う。総取りだよ、総取り。全部を望んで、全部手に入れられるようにがんばる。そのために努力するんだよ」

 「でもっ!」

 「結局さ、何もかも駄目になるってことはないんだよ。最初からあきらめなきゃいけないことって、ないよ。あきらめたらそれで終わりじゃん。あきらめないでいこーぜ」

 輝くような笑顔でそう言う。

 「…そうかも、しれないね」

 また彼(?)の言葉で、新しく視野が開けた気がした。

 「そう考えた方が、いいかもね」


   第六章 クールに燃える馬鹿もいる


 「おそらく、『長』は『遺産』が二つ存在することも、両方をそろえなくてはならないことも承知しているだろう。造られたその時、生きていたのだから…向こうも入手しようとしているか、こちらを妨害してくる可能性が高い」

 「ある場所も知っているかもしれませんしね」

 「気をつけて行ってくれ」

 そんな言葉に送られて、四人はエージェントの運転する車で研究所を出た。

 隣県への高速道路に入るには、少し市街地を走る必要がある。

 走り抜けながら、楓は考えこんでいた。

 (大丈夫かなあ)

 そう思う一方で。

 (これで、やっと役に立てる!)

 そうも思い、落ちつかない。

 そんな折、鹿乃子(カノコ)がはっとして叫んだ。

 「カイの気配がします!近くです!」

 「ちょっと待って!あいつの気配がするってことは、襲ってくる気満々ってことじゃないの!?」

 「風」の力で、気配を完全に隠すことができるはずなのである。

 「出るぞ!止めてください、すぐ!」

 一同がわっと車の外に出た時、女性の悲鳴が聞こえた。

 「きゃあああっ!何なんですか!」

 「誰かが襲われてる!?」

 「やべ!先に行くぞ!」

 あやめ(サイキ)が翼を呼び出し、どん!と加速した。

 後を追った楓たちが駆けつけると、小さな公園であやめ(サイキ)がカイと相対し、へたりこんでいる女性をかばうように立ちはだかっているところだった。

 女性の腕の中には、五歳ぐらいの子ども。その脇には三輪車がひっくり返っていた。

 「大丈夫ですか?怪我とかないですか?」

 女子二人は何よりもまずその二人連れに駆け寄った。

 「だ、大丈夫です。いきなりあの人が」

 公園に現れ、二人で遊んでいたのを(風で)転がしたのだという。動揺しつつも答えてくれた。

 「闘う場にしようとしたのかな。…怪我がなくて良かったけど」

 「一般人巻きこみやがって!許さねーぞ、こら!」

 拳に銀を宿し、あやめ(サイキ)が殴りかかるが。

 「風の、壁…!」

 荒れ狂う風が壁となって、その手を阻んだ。

 「何だこれ!?」

 前回は拳をそらし、いなしていたのに。明らかに「風」そのものの威力が違っていた。

 「うわあっ!」

 風が渦巻き、彼(?)を吹き飛ばした。

 「以前の私だと、思わないことだな雑魚!」

 暴風がカイのまわりで踊り―彼の足が、地面を離れた。

 「これが『長』にいただいた力よ!」

 よく見ると、風に紅い光が混じっている。

 「『長』の力を、分け与えられているのか!」

 「みんな、その二人を頼みます!ここは僕が!」

 ユーリが進み出た。カイの顔が憎々し気に歪む。

 「前に勝てたから、今度も大丈夫だと思っているのか、劣等生!言っておくが、もう同じ手は食わんぞ!『力食らいの魔法陣』を張ろうとしたら、この力で空に逃げてやる!何もできまい劣等生!」

 「く…炎よ!」

 ユーリはまず何発も炎の太矢を放つが、風の壁の前に雲散霧消した。

 「わかったか!私には勝てん!」

 この前の悔しさを思い出したのか、にらみつけて侮蔑を続けた。

 「思い知ったか!才能が違うのだよ、才能が!その上に『長』の力が加わったのだ、お前が勝てる訳がない!」

 天才だ、逸材だと称えられ続けてきた者には、たった一回の敗北がよほどの衝撃だったのだろう。その記憶を葬り去るために、必死になっていた。

 「ユーリ先輩!俺がこいつぶっ飛ばす!俺なら飛べるし!」

 あやめ(サイキ)が今にも翼を出しそうな様子で怒鳴った。

 「いいんです、サイキ。ここは僕に任せて」

 「でもっ!先輩にあんなこと言いやがって!」

 「大丈夫ですよ。…カイ!僕にどれだけのことができるか、見てもらうからな!」

 ユーリの右腕から、炎がほとばしった。しかし、カイを直接攻撃する炎ではない。

 彼の目の前で炎が膨れ上がり、三メートルほどの人型を取った。

 「僕の、『強い人』のイメージを具現化した姿だよ」

 その人型が、歩いた。風の壁の中に、入りこもうとする。

 「く…こんな人形、私の風で!」

 カイは風の勢いをさらに増すが、炎はますます激しく燃え盛った。

 「僕の炎は消せませんよ」

 ユーリは不敵に笑う。

 「この炎は僕の意志…いかなることがあっても前に進むという、僕の思いですから。消せも、吹き飛ばされもしません!まだ、これからですよ!」

 彼がさらに集中すると、単なる人型に過ぎなかった巨人の姿が、変わった。

 筋肉が盛り上がり、要所要所が引き締まる。丸太のようだった手足が、より人間のそれに近くなった。

 「僕がリアルに思い描けば描くほど、炎は収束し力を増す」

 確かに、筋骨隆々たる姿になるにつれて炎はより輝きを増し、白熱した光を放っていた。

 「これが、ユーリ先輩の魂の炎!」

 「行け!炎の魔人よ!」

 白熱した腕が、カイに伸びた。風の結界をぶち破り、逃げようとする足をつかんで地面に引きずり下ろす。

 「く!こ、こんな、馬鹿な!」

 「僕が、何もせずにこの半年を過ごしたとでも思っていましたか?」

 ユーリの頬に、凄絶な笑みが浮かんだ。

 「僕の炎を、練り上げなかったとでも?」

 炎の魔人が、カイをぶん!と振り上げた。今にも地面に叩きつけようとする。

 「や、やめてくれ!わかった、私の負けだ!」」

 絶叫が響いた。

 「本当ですね?逆らったら、また…やりますよ?」

 「も、もう何もしない!約束する、師匠の名に懸けて!」

 「じゃ、放しますよ。みんな、いいですね」

 魔人が足から手を離すと、カイはへたりこんだ。

 「戻しますよ…ありがとう、炎の魔人」

 ユーリがぱちんと指を鳴らすと、炎の巨人はほどけるようにその身を散らしていった。地面がわずかに焦げているだけで、後には何も残らない。

 「お母さん、もう心配ないですよ」

 やっとひと段落ついて、一同は震えている女性に声をかけた。

 「は、はい。ありがとうございます」

 呆然としているだけかもしれないが、とりあえず取り乱してはいないようだ。腕に抱きしめている子どもが、力を与えているのかもしれなかった。

 「ほら、お礼を言いなさい」

 子どもも泣いたり怖がったりはしていないが、考えてみると風や炎を操ったり空に舞い上がったりするのは、子ども番組で見慣れているかもしれなかった。

 「うん、ありがとー、お兄ちゃんたち」

 四人を、特にユーリを見て子どもはにこにこ笑って手を差し出した。ユーリが進み出て、小さな手を握る。

 (そうか)

 楓はあらためて、感じた。

 (世界の危機だって言われても、大きすぎて実感ないけど)

 でも、今ここにいる人たちが困ったり苦しんだりしてほしくないな、とは思う。

 (で、こういう日常、こんな幸せの積み重ねの先にあるのが、多分『世界』)

 それなら守りたい、このままでいてほしいと素直に感じた。

 今、自分にもできることがあるなら。

 (何もできてなかったけど、私も役に立つなら)

 力の限りやろうと思えた。

 「ん?どうした楓」

 「う、ううん。何でもない」

 頭一つ高い不思議そうな顔に、笑顔を向けた。

 「ただ、がんばろうって、思ったんだ」

 「お、おお」

 よくわかっていない顔だったが、とにかくあやめ(サイキ)はうなずいた。

 「できることを、しようね」

 「ああ、そうだな」

 握った左拳を、二人でこつんと合わせた。

 (ここにいる人たちの、さらに『みんな』の幸せを守るために、私の知識が役に立つなら…できる限りのことを、しよう)

 そう、思うのだ。

 ―楓が「世界を守る」ことの苦さに気づくのは、もう少し先である。

 今はただ、そう強く決意していた。

 「にしても、すごかったなーユーリ先輩。さっきの技」

 「ええ、師匠に教わってはいたんですが、これも発動してなくて。やっとです…修行の成果ですね」

 汗をぬぐいつつ、魔術師はにっこり笑った。

 「元々の才能と、借り物の力でいい気になっているような魔術師に負けていられませんからね」

 温和な彼であったが、カイだけは全否定したいらしかった。


 「ここまでは来られた、か」

 楓は車を降りつつ、呟いた。

 そこは岬の突端で、前にはきらめく海が広がっている。海に突き出した先端の脇に、ごくわずか…かろうじて人の通れる道だとわかる険しい小道が、下に続いていた。

 『そこを降りると、洞窟があるはずだ。その奥が水面下に沈んでいる。そこを通り抜けると『知の遺産』が隠されている場所に行けるはずなんだ』

 樹がスマホ越しに説明してくれた。

 『中にはダイバーの資格を持ったエージェントが待機しているはずだ。その指示に従ってくれ』

 「わかりました。…でも、ここ降りるの…?」

 「大丈夫、俺がついてるよ。抱えて行ってやるか?」

 「いいわよそんなの。自分で降りるわ」

 あわてて足を踏み出そうとするが、そこに。

 「―お待ちなさい!」

 あまり聞き覚えがあっても嬉しくない、声がした。

 「エリー?」

 黒い装甲で申し訳程度に肌を覆っている美女が、振り向くと仁王立ちしていた。ぱしん!と鞭を鳴らして叫ぶ。

 「ここから先は、行かせませんわ!」

 「まさか、(ウー)は『長』についたのか!?」

 「いいえ!『長』に従ったのはわたくしだけですわ。故郷に帰るため、『女帝』の座をいずれつかむため、わたくしは『長』につくことを選んだのです!」

 「そっかー」

 どこかほっとした声音であやめ(サイキ)は呟いた。

 「とにかくあの方の言いつけです!先には行かせませんわ!」

 「『長』も、こっちで動ける手駒は一人でも多く欲しいだろうから」

 エリーだけでもスカウトしたのだろうと楓は思う。

 「『手駒』ですって!『協力者』と言ってほしいですわ!」

 「へっ、いいように使われてるだけじゃねーか!」

 「く、悔しくなんてありませんことよ!」

 薄々感じてはいたらしい。

 「あの方はわたくしに力を分け与えてくださいました!もはやわたくしに勝てる者などいないのです!」

 確かに、彼女の鞭のまわりには紅い光がまとわりついていた。

 「あの方が、わたくしを信じて任せてくれたのです。ここから先へは行かせませんわ!」

 「ここは僕が!」

 ユーリが飛び出した。

 「止むを得ません。サイキたちは行ってください!僕が足止めします」

 「一人じゃ無理だよ!」

 「先輩は連戦だし!」

 精神力のタンクが小さく、そう長く魔法を使っていられないのがユーリの弱みであった。

 「いえ、大丈夫です。サイキは楓さんについて行かないと」

 「カノコ!先輩についててやってくれ!『移し』をかけ続ければ何とかなるかも」

 「わ、わかりました。でも、サイキたちは」

 「心配するな!俺よりユーリ先輩の方を心配してくれ」

 心を残しながらではあったが、あやめ(サイキ)と楓は崖の小道を降りはじめた。

 

 岬の突端近くで、ユーリと鹿乃子(カノコ)にエリーが対峙する。観光案内や危険を知らせる看板が立っている中、戦闘態勢を取った。

 「カノコさん、もっと下がっていてください」

 「は、はい」

 思わずぴったりくっついていた少女はあわてて下がった。

 「どきなさい雑魚!わたくしはあの方の命により、あの者たちを追っていかなければなりませんのよ!」

 「どかない!雑魚かどうか、確かめてもらうまではね!」

 ユーリが叫んだ。

 「みんなの期待を、裏切る訳には行かないんだ!」

 任せてくれた、仲間たちのために。

 逃げる訳には行かなかった。

 「絶対に、どく訳には!」

 「早く行きませんと、あの二人が『知の遺産』のもとに!」

 やはり、「長」もここのことは知っていたのだ。

 「行かせない!」

 ユーリは目を閉じて集中。思い描くのは、かつて師匠から学んだもの。

 「-炎よ」

 一言呟き目を見開くと、空中に一点炎が灯り、輝線を描いて目まぐるしく動きはじめた。そこに描き出されたのは、円の中に図形と文字を浮かべた魔法陣だった。

 「イメージしただけで展開できるようになりましたか、僕も」

 魔法陣から炎の太矢がいくつも生み出されてエリーに殺到する、が。

 「負けませんわ!」

 鞭がそのことごとくを叩き落した。

 「今度はわたくしの番です!」

 鞭が前よりも速度を上げて、雨あられと降り注いだ。

 「くっ!炎よ…炎よ!」

 ユーリは炎の盾を展開してその猛攻を防いだ。

 「こんな、こんな雑魚に足止めを食らうとは!どきなさい下郎!早く追わねば!」

 「ユーリ先輩は雑魚じゃありません!」

 鹿乃子(カノコ)が必死で叫び返す。

 「うるさいですわ!そこをどきなさい!」

 「どかない…僕だって、努力しなかった訳では、ないのでね!」

 炎の魔法陣が彼の周囲にいくつも瞬間展開。そこから、無数に近い炎の太矢が撃ち放たれた。

 しかし。

 「甘いですわ!甘い、甘すぎますわ!」

 紅い光をまとった鞭が、その全てを撃墜した。

 「甘いですわっ!大地にこの足が触れている限り、わたくしの力は無限に供給される!殺しでもしない限り、負けませんのよ!あなた方にそれができまして?」

 「…く!はあ、はあ」

 荒い息をつくユーリに、背後から鹿乃子(カノコ)が触れた。

 「がんばってください!今、『移し』ます!」

 疲労していた身体に、活力が注ぎ込まれた。

 「ありがとう、カノコさん。負けませんよ!」

 再び、無数の魔法陣が浮かび上がった。


 炎と鞭がぶつかる闘いは、一見互角に見えたが。

 活力を注がれているとはいえ、限界はある。ユーリの顔に、次第に疲労の色が濃くなってきた。対するエリーは大地に触れているので、まだまだ元気そうだ。

 「も、もういいですよユーリ先輩!退きましょう、きっとサイキが何とかしてくれますから!」

 見かねた鹿乃子(カノコ)が涙声で訴えた。

 「いえ、そうはいきません。…あなたを危険にさらす訳にはいきません。僕は、()()()()()は守りたい」 

 「…え?」

 こんな時だというのに、少女の頬にさっと朱が差し、理解の色が広がった。

 「何をやっているんですの?」

 苛立ちを見せるエリーだったが、動揺したのか何かにつまずき、よろけて一瞬尻餅をついた。

 その瞬間だけ、鞭が力なく地面に垂れた。

 「…!」

 ユーリが息を呑む。

 「わ、わたくしに恥をかかせましたわね!」

 そっちが勝手に転んだんだろうという反論をこらえ、ユーリは必死に思考を巡らせていた。

 「どうすれば勝てる…どうすれば」

 こめかみから一筋汗が流れ落ちた。

 「あの、昨日の『力食らいの魔法陣』は?」

 「あれでも、エリーと『大地の精霊』とのつながりを絶てるかどうか自信がないんです。あれを使ったら僕はたぶん倒れてしまうんで」

 限界は近づきつつあった。

 「失敗したらそれでアウトですから…あ!」

 何かに気づき、ユーリが声を上げてから鋭く囁く。

 「カノコさん。申し訳ありませんが、十秒だけ…十秒だけ、僕に時間をください」

 「わかりました」

 彼が何をしようとしているかは、わからなかったが。

 「その間に、お願いします」

 鹿乃子(カノコ)は力強くうなずき、彼の前に出た。

 「はっ、あなたに何ができますの?あのサイキとかいう娘がいなかったら、闘うこともできないでしょうに」

 エリーがあざ笑いつつ鞭をふるう、が。

 鹿乃子(カノコ)はその鞭が届く前に、ごく、ごくわずかに移動した。

 「な、何ですの!?」

 エリーの焦った声が響く。

 鞭は少女を打ち据えず、その斜め前に立っていた観光案内板にくるくると巻きついていたのだ。エリーはあわてて鞭を手元に引き戻し、看板はばきっと折れて吹っ飛ばされたものの目標に当たらなかったのは事実だった。 

 「こ、こんなことは…ただのミスですわ!まぐれは二度ありませんことよ!」

 鞭をふるうが、鹿乃子(カノコ)はまたすっと動いた。鞭の先端がお下げ髪をかすめ、三つ編みがぱっとほどける、が。

 「また!?」

 今度は危険を知らせる看板に、鞭が絡みついた。

 「わたくしの鞭の軌道を『先読み』して、自分に届かないように移動したというのですか?そんな予知が、できるはずが!」

 「精霊の力」が絡んだ予知は、難しいはずだが…彼女もまた、成長していたのだった。

 怒りに燃えて、エリーは腕を振りかぶった。

 「今度こそ!今度こそです!」

 「カノコさん!下がってください!」

 そう、もう―十秒は、経っていたのだ。

 「構成完了!『呪いの靴』よ!」

 ユーリが力をこめて叫んだ。

 その途端―

 「きゃあっ!」

 エリーの足元に、炎で描かれた魔法陣が浮かび上がってぐるぐると回転した。そこから炎が噴き上がり、彼女の両足に収束する。絡みつき、ちょうど靴のような形で足を覆った。

 「いやあああっ!熱いですわっ!」

 彼女はさすがに火傷したらしく、のたうち回って苦しんでいる。もはや攻撃するも何もなかった。

 「うまく行きましたか。…裸足の足裏から『大地の精霊』の力を吸収しているなら、そこに傷を負わせたら供給を断てるのでは、と考えたんです。さっき、尻餅をついた時には明らかに力が弱まっていましたからね」

 滴る汗をぬぐって笑った。

 「僕の故郷に伝わる昔話をもとに、魔術を組んでみました。切羽詰まると結構、やれるものですね」

 「すごいじゃないですか、ユーリ先輩!」

 「え…?」

 (ひそかに思いを寄せていた)少女に称賛の言葉を送られて、彼は驚く。

 「自分独自の『新しい魔術』、創り出したじゃないですか!」

 それはかつて、舞光祭の会場で、彼が「夢」として彼女に語ったことだった。

 「え…あ、そうか。そうですよね」

 水色の瞳に、じわじわと喜びの表情が現れてきた。

 「夢を実現させたんですね、ユーリさん!」

 「あ、ありがとうございます」

 鹿乃子(カノコ)の素直な賛辞に、感激した。

 「…あなたがいたから、です」

 「え、えーと」

 照れて。

 「さて、楓さんとサイキは、どうなりましたかね」

 「無事目的を果たせているといいんですけど」

 二人で、成功を祈った。



 

























































 
























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