信用と遠慮
「帰ったよー」
帰宅成功。
極力明るい声で言ってみたら、
「! ああ……無事だったのか?」
どうやら彼女は寝ていたようだ。
「もちろん無事だとも。それよりこれ見ろ」
「見ろって、暗くてよくわかんねぇよ」
「っと、そうか」
言われてみれば、ここの窓小さいし、もう日がほとんど落ちてるからな。
俺はほとんど使わなくなったけど、
「その辺に非常用の懐中電灯あるから」
「ああ、これか」
明るいうちに見ていたんだろう。
すぐに見つけて電源を入れ、こちらに光を向けた。
「えっ! それ全部食料か!?」
「もちろんだ」
今回手に入れた戦利品は……
・昔ながらの非常食、乾パンの小型缶(100g)が6つ。
・昔ながらのビスケット菓子の缶詰が2個に、鯖の味噌煮とツナの缶詰が1つずつ。
・最新のパンの缶詰が4つ(味はチョコ、メープル、プレーン、オレンジ)。
・350ml缶入りの水と野菜ジュースの缶が5本ずつ。
これらを拾ったバッグに詰めたので、見た目からしてパンパン。彼女の驚きも当然だ。
……これはリーダーだった生徒会の男子が言っていたことだが、非常食は“人数×3日分”を最低限、可能であれば少し余裕をもって用意すべきであり、それが備蓄の1つの目安になっているそうだ。そして本校舎に運び込まれた食料も、事件発生前の在校生と教員合わせた“約500名”を基準とした3日分より少し多めに備蓄されていたらしい。
そんな備蓄の量に対して、事件直後の生き残りは100人を下回っていた。単純計算で5分の1までの人口減少。1人に割り当てられる食料は3日分×5倍の15日分に。幸か不幸か“最初の段階で死者が多数出たことで”。また、その後も“死者が出るたびに”、生き残りの食料事情にはそれなりの余裕が生まれていた。
おまけに保存は利かないけれど、購買の在庫もあったから、本格的に保存食生活が始まったのは3日目の夜以降。加えて通常の災害であれば3日耐えれば、最低でも外部からのアプローチがあるはずだが、それがなかったため“いつ救助がくるか、先の見通しがつかない”という話になり、反乱までは皆で食料を節約しながら日々の生活を送っていた。
そのおかげといえばいいのか……とにかく反乱の時点までは、それなりの食料が残っていたはずだった。
懸念だったのは反乱後に盗まれていないか、または占拠していたゴブリンが食い荒らしていないかだけど……生き残りの中にラノベの定番と呼ばれた“アイテムボックス”や、それに類する“収納系のスキル”を持ってる奴はいなかったらしいし、ステータスで強化されていたとしても、反乱後に残った人数ではそう簡単に全部は持ち出せなかったんだろう。
簡単に開けられる物はゴブリンにそれなりに食われていたけど、缶の類は手付かずか、ゴミのように部屋の隅に集められていた。どうやら連中はあまり高い知性を持たないようで、缶詰などの開封しにくいものは食料と認識できていない様子。
記憶から予想していたよりも少なかったけど、結果として食料の確保には成功したし、1人分と考えたらまだ余裕と思える量が残されていた。
「早速食べるか?」
「いいのか!?」
「そりゃ食べるためにとって来たんだし」
外道の称号はついたけど、もう既に視線が釘付けで、腹が減ってますと言ってるような小学生の前に食料並べて、その上で独占するような意地の悪い趣味はない。
「遠慮せずに食べてくれ」
バッグの中身を広げ、俺は俺で乾パンの缶詰を開ける。
「!」
ああ……チョコレートのような濃厚さはないけれど、昔、どこかで一度は食べたことのある。そうそう、これだと懐かしさを感じる味だ。普通の食事に慣れていると、味気ないと思うかもしれないけれど、今の俺には十分な“味”。素朴な味がゴマの風味を引き立てていて、十分に味覚を刺激する。
これと比べるとチョコレートはなんというか……もちろん美味いのは間違いないけど、味覚を忘れかけていた俺には、インパクトが強すぎたのかもしれない。
例えるなら、高級レストランの食事と普段の食事? チョコレートには一口で快感と感動があったけど、乾パンはホッとして食べやすい。とても美味い。
「……っ……ぐすっ……」
ん? なんだこの音、って!
「どうした!?」
いつの間にか、光がパンを食べながら泣いていた。
ボロボロに泣いて、鼻水も出ている。
食べることに没頭していて気づかなかった……いや、それよりも、
「大丈夫か? 腹でも痛いのか?」
悪くなった食料でも混ざっていたのかもしれない。
一応気をつけたつもりだけど、この体になって食の安全に対する危機感がだいぶ薄れた。
注意不足だった可能性も否定できない。
こうなったらもう一度外に出て――
「だ、大丈夫!」
薬を取りに行こうと思ったところで、彼女自身が体調不良を否定。
まだ泣いているが、少し落ち着いたようで、
「ごめん、急に、ちょっと……こんなに、腹いっぱい飯が食えるのって、久しぶりでさ、そう思ったら」
「そうか。元のグループではそんなに食べられなかったのか」
「うん……配給はあるけど、腹いっぱいってほどじゃなくて……あ、もちろん子供も大切にされてないってわけじゃない、らしい。けどやっぱりステータス持ちの大人、特に物資を回収したり、グループの拠点を守る戦力になる人が優遇されてるから。その人達が、食べられないせいで弱ったり、協力してくれなくなったらそれこそ困るから」
「……分かるよ」
実際、ここで生き残り同士が争った理由の1つがそれだからな。
ここでも戦闘可能なステータス持ちが、当時の俺みたいな非戦闘員を守っていた。
だけどここでは、苦しいのはみんな同じだと食料配分なども平等を貫く方針だった。
そしてその分、早く不満が溜まって崩壊した。
『なんで守ってやってる俺達と、守られてるだけのあいつらが対等なんだ!』
『節制なんか強要しないで! ご飯くらい好きに食べさせてよ!』
『そもそも3日耐えれば助かるんじゃなかったの!?』
『食料が足りないなら役立たずの飯を減らせばいいだろ!』
『いっそのことステータスがない奴らは殺せ!』
……崩壊直前にはそんな声がいたる所で上がっていた。
俺も立場が違えば平等に不満を抱いたかもしれないし、どっちが良いか、どっちが上かとは言わない。しかし結果として向こうはうちと逆の方針で、今も崩壊は免れている。
うちの方針は人の善性を信じた“理想的”な方針だった。しかし多くの人をまとめる為には、適度に待遇の差を作ることが必要なのかもしれない。
……と、こんなことを考えるのは、その待遇差を聞いて納得がいかないからだよな……
あちらの大人に言わせたら、子供の理屈、とでも切り捨てられるんだろう。
現実を知らない、世間を舐めている、甘い、若いから、とかかもしれない。
だけど……せめて今だけ、目の前にいて手を伸ばせる相手くらいには。
そして相手に拒絶の意思が無いのなら、少しばかり手を伸ばしてもいいだろう。
「まだあるからたっぷり食べてくれ。あと水分もしっかり補給しとけよ。明日、明るくなったら親御さんの所に送って行ってやるから、体力を養っておいてくれ」
そう言うと、光は再び泣きそうになっていた。
■ ■ ■
「兄ちゃん、ちょっといいか?」
食後。壁にもたれてゆっくりしていると、唐突に光が声をかけてきた。
「どうした? そんなに真面目な顔して」
「……兄ちゃんに言っておかないといけないことがあるんだ」
よく分からないが、深刻そうだ。
居住まいを正して先を促す。
「兄ちゃんさ、さっき俺を送ってくれるって言ってただろ?」
「ああ、言ったけど」
「それさ、あいつらに見つかったら兄ちゃんも危なくなると思うんだ」
「覚悟の上だよ。それに、俺もいざという時の手は用意してる。そう簡単には死なない自信が――」
「無理だよ」
食い気味に否定された。
俺が危ないって心配してくれてるんだろうけど、
「そんなに連中は強いのか?」
「うちのグループの物資回収班で、トップのチーム。全員普通に強いけど、リーダーは別格なんだ。昔は柔道の強化指定選手ってエリートだったらしいし、剣道や空手の段位も持ってる。ステータス持ちとしての職は“武芸者”。
でもそれ以上に、称号に“人格者”ってのを持ってるらしくて、グループの中ではすごく信頼されてるんだ。だから……下手をしたら、兄ちゃんが悪者にされちまうかもしれない……俺も武山先生があんな奴だったなんて知らなかったし、昨日までは先生を信じてたから」
「……なるほど」
確かに、リーダーの気配は別格だったと思う。
“人格者”という称号については違和感しかないけど、そもそも称号って何を持ってして与えられるのかが良く分からないしな……
「とりあえず質問が1つ。情報の正確性だ。特に称号については自己申告でも信頼されるのか?」
「自己申告でも認められるけど……あ、そうか。兄ちゃん、自分のステータスを他人に見せる方法知らないんだろ」
「……ぜんぜん知らない。ステータス持ちになったのは1人になってからだからな……つーかそんなのあったのかよ」
「まぁ、聞いた話だと最近できるようになったらしいしな。よくわからないけど、ステータスの機能や情報が増えたりすることもあるんだって。うちのグループでは“アップデート”って呼んでる」
「また新しい情報がでてきたな……まぁ、とにかくそのリーダーはその機能で?」
「うん、自分のステータスと一緒に、人格者の称号を見せたんだよ。だから信用されてる」
「そのステータスを偽装する、ってのはどうなんだ?」
「……可能性は0じゃないって声も聞いたけど、今のところ鑑定とかいうスキルの持ち主もいないし……それにあいつ、普段はすごい良い人面してたんだ。俺達子供のところに飯を持ってきたり、空手を教えてくれたり」
「上手く本性を隠して、裏で悪事を働くタイプか、面倒だな……けど、それで送っていくのをやめる理由にはならない」
彼女を送っていくというのは俺自身が決めたことで、俺のためでもある。
だからハッキリと宣言すると、彼女は声を荒げた。
「何でだよ!? 俺が置き去りにされたのを見てたんだろ!? 今は警察もまともに動けないし、目をつけられたら怪我じゃ済まない。下手したらうちのグループの他の大人も敵になるぞ!」
「俺は元々そっちのグループに入る気はないし、ここに逃げ帰ればいいだけだ」
その武山とかいう屑野郎は、信頼されていて実力者でもある。
だけどそいつは、仲間と一緒でもここは手に負えない、と判断して逃げ帰ったのも事実。
グループ全体が敵になったとしても、俺1人のために総力戦を仕掛けてくるとは思えない。
リスクとリターンがどう考えても釣り合わないだろう。
冷静に事実を突きつけていくと、声に勢いがなくなった。
しかし、彼女の意思は変わらないらしい。
それどころか、
「……なら、帰らない。俺はここで死んだってことにして、どっかに行く」
「確かにそれなら争いは回避できるかもしれないけど、お母さんとお姉さんはどうするんだ」
「それは、でも帰ったら母ちゃん達の身も危ないし。食い扶持が減れば2人の生活も少しは楽になるだろ。それにあいつらはクズだけど、俺も“子供は大人しくしてろ”ってグループのルールを破ったわけだし、どうせ帰っても扱いは悪くなるさ」
少し意地を張りすぎというか、自棄になっているのだろうか?
俺は兄弟もいなかったし、こういう時にどうしたらいいのかがよく分からない。
とりあえず、一旦落ち着かせるようにゆっくり話してみよう……と思ったら、
「それに俺、追放されるの初めてじゃねぇし」
「……なんだって?」
とても気になる言葉が飛んできた。