対人戦闘
「――ッ!?」
嫌な予感を覚えて、思い切り上体を後ろに反らすと、ほぼ同時に顔面への衝撃を受ける。半歩後退して踏みとどまるが、
「へぇ、やっぱお前カンがいいな」
その時には既に、男は消える前の位置に戻っていた。
「先輩!?」
「大丈夫だ!」
しかし速い……油断をしていたつもりはないのに、姿が見えなかった……
「チッ!」
「!!」
またしても姿が消えた直後、今度は顔と腹に一撃ずつ、そして最後にアッパーが来た。
頭が跳ね上げられ、倒れそうな体勢を戻して反撃する……が、既に相手は元の位置。
素人でも聞いたことくらいはある。これが“ヒットアンドアウェー”なんだろう。
プロボクサーという話だったし、人格はともかく、実力は素直に認めるしかない。
普通の人間なら、もう大ダメージを受けている。
けど、幸い今の俺の体は普通じゃない。
そして、相手は拳で殴ってるんだから“攻撃中は”その場にいるよな?
「シィッ!」
「! フンッ!!!」
首が吹き飛ぶかと思う衝撃を受けてあらぬ方を向くけれど、構わずに槍を振り下ろす。
「っと! 今ので反撃できるのかよ……素人なら病院送りになってもおかしくないんだが」
この体になってから、痛みはあまり感じない。
学校では槍で刺されたり矢で貫かれたりしても平気だった。
アドレナリンでも出てるのか、それとも痛覚そのものが鈍化してるのか。
なんにしても、戦闘には便利だ。
こうして考えることができるくらいには、心に余裕ができる。
しかし、このまま殴られているだけでは埒が明かない。
向こうに好きなだけ殴らせて、仮に相手が体力切れになっても、まだ周りの連中がいる。
少なくともこの1対1の状況の内に、なんとかして目の前の男は行動不能にしたい。
あのスピードに対抗するには――
「おっ、あいつ何かやる気か?」
「目をつぶったぞ、諦めたんじゃね?」
「もしかして心眼? 心の目で見る、とかってやつ? 馬鹿じゃねーの?」
たまたま俺の前方にいて、俺が目をつぶったことに気づいた不良少年の3人が笑う。
それを受けて後方の不良少年達が笑い始めたり、朝美さんと真夜さんが不安そうにする。
だが目の前の男だけは警戒を高めたようだ。
軽いステップを踏みながら左右、そして俺を中心とした円を描くように移動を始める。
「「……!!」」
様子見をやめて踏み込んできた男へ、構えた槍の穂先を向けようとした。
だが、男はそれを読んでいたかのように穂先とは逆に動いて、俺の懐に飛び込むと同時に左で打ち込んでくる。
その拳を首を傾けて避けると、男はすぐまた元の位置に戻る。
そんな一瞬の攻防を数回行うと、
「“気配察知”か!」
「!!」
思いついたように放たれた男の言葉は、的を射ていた。
何度が男の攻撃を受けたが、そのスピードは“目では”捉えられなかった。
だけど気配を感じてとっさに動いた結果、助かったことが何度もある。
だから“視覚を捨てて、気配に集中して”動くことにした。
人間の視覚よりもはるかに優れたスライムの気配察知能力を知っていたからか、俺にはわりとすぐに思い浮かんだ対策だったが、
「バレたか」
「お前、最初は俺の動きに反応もできなかっただろ。なのに急に目をつぶったと思ったら、動きはまだ遅いけど対応し始めたからな。その時点で何かのスキルなのは分かるさ。
たまに先を読んだみたいに動くもんだから、マジで“心眼”なんてスキルでも持ってるのかと思ったが……気配察知がそんな使い方できるとは知らなかったわ、マジで。やっぱただのサンドバッグ代わり、ってわけにはいかねぇな」
「そう簡単に負ける気はないからな」
今のうちに、
「朝美さん、真夜さん」
2人に呼びかけて、槍とスリングを投げる。
「えっ!?」
「先輩!?」
「邪魔なので、持っててください」
「邪魔って! あんた武器捨ててどうすんの!?」
朝美さんの声には答えず、俺はただ拳を構える。
「おいおい、お前、俺と殴りあう気かよ? 見た感じ素人だろ?」
「別に諦めたわけでも、馬鹿にしてるわけでもない」
確かに俺は格闘技の素人だけど、槍も素人だ。
それなら下手な槍より自由に操れる素手の方が、まだ可能性が。
いや、素手だからこそのチャンスがある!
「……ま、やれば分かることか」
「!」
再び襲ってくる拳に対して、ガードを固める。
軽い前傾姿勢に加え、畳んだ両腕で顔から体の前面をカバー。
「チッ! こいつ亀みたいに」
眼球も今はいらない。視覚、ついでに嗅覚と味覚も捨ててスライムの力を引き出す。
常に正面から相対するように心がけて、体を入れ替えて……!
「っと!」
気配を感じて振り抜いた拳は外れた。
しかし、初めて攻撃に来た男をノーダメージで、一時後退させることに成功。
「気配察知を応用してカウンター狙い、か? 狙いは悪くねーし、確かに槍よりは動けるっぽいな。でも、そんなテレフォンパンチじゃ当たるものも当たらねーよ」
どこか“拍子抜けした”と言いたげな男の声。
だったら、と構えを変えてみる。鏡のように、男と同じ構えに。
「……」
それを見て、男は僅かに苛立ったようだ。
攻撃の再開、それも先程よりも勢いが増している。
その動きを真似て、こちらも手を出す……が、その差は歴然。
組み合わされた複数の打撃が、まとめて全身を打ち付ける。
こうして戦っていると、よく分かる。
彼は苛立ちや焦りを抑えて、冷静に俺の行動を見ている。
おそらく、受けた攻撃が思うほど効いてないのも既に感じているかもしれない。
少ないダメージを積み重ねるように、堅実に攻めてくる。
それに対して……
「なんだ、兄貴が本気になったら手も足も出てねぇじゃん」
「っしゃあ! 流石兄貴!」
「ぶっ殺せー!」
「やっちまえ!」
一時互角に見えた状態では、僅かに不安そうな気配を出していた不良中学生達。
それが男が優勢、それも一方的に見える状況になったら、とたんに元気になった。
つくづく調子がよくて、ステータスの優位からか、どこか緊張感のない連中だ。
目の前の男は、むしろ徐々に俺への警戒を強めている感じなのに……
「!!」
頭部に向かう囮のジャブを右手でガード。
そして本命のボディーへの攻撃に左腕を滑り込ませ、これもガードに成功。
相手の動き、そして気配を察知して動くことに慣れてきた。
……が、ここで男は攻撃をやめ、距離をとる。
その表情は一方的に相手を殴り続けていたとは思えないほど険しくなっていることが、気配で理解できてしまう。
「どうした? 俺はまだやれるぞ」
「クソ面倒くせぇ。お前タフすぎるだろ。何度かは確実に骨をぶち折った手ごたえがあったのに、ケロッとしてんじゃねぇよ」
「……折られてたのか」
「嘘だろ、気づきもしないのかよ」
自分の骨が折られていたと気づかないことに、俺も男も驚いていた。
自分の能力を教える義理はないが、
「その様子だともうバレそうだから言うけど、俺の手に入れたスキルは特殊でさ、“痛覚鈍化”に“再生”とでも言うべき効果が混ざってるんだ。殴られた、って事はわかるんだけど」
正直、注意してないと骨折に気づけない程とは思わなかった。
“痛み”は体が人に危険を知らせる大切な信号。
その大切な信号、信号に対する反応も失いつつあるのかもしれない。
また若干、人から外れた気分になるが、それは今ここで気にすることではない。
俺の能力を聞いた男は、ここで本当に本気になったようだ。
彼はボクシングの構えを崩さないまま、口を開く。
「お前のタフさは認める。確実に手ごたえを感じたから、今の話も嘘じゃないんだろう。だがそうなると“チマチマ痛めつける”ってのは意味がなさそうだ。最悪、こっちの体力だけ無駄にすることになる。
となると一撃か、連発か……どっちにしても、“短期決戦”で、“しっかり殺す”しかない」
やっぱり、そう考えるのが順当だろう。
「なぁ、俺達の仲間になれよ。最初に言ったが“無駄な殺しをしたくない”ってのは本心なんだ。俺とこいつらの関係を知られた以上、今更お前らを見逃してやることはできない。リスクしかないからな。だけど優遇はしてやれる。お前は使えそうだし、なんならナンバーツーになってもいい。まぁ、そっちからすりゃ勝手な話と思うだろうが……これが最後通告だ」
その言葉には覚悟が込められている……ように感じた。
しかし、俺の答えは決まっている。
「断る」
「躊躇なし。意思は固い、か……仕方ねぇ。最後に聞かせろ、そっちの事情はストーカーの奴から大体聞いてるが、お前はその女2人と深い付き合いでもないらしいな? こっちの中坊共みたいに体目当てや恨みがあって執着してるわけでもなさそうだし、何でそこまでする? どうして他人のために自分の命まで賭ける? 俺はそれが心底わからねぇ」
その答えは、もう決まってる。
「せめて心だけは、人間であり続けるために」
「……やっぱり俺には分からねぇや。じゃあ、死にやがれ馬鹿野郎」
「!!」
もう話すことはない、と言わんばかりに。
これまで一番速く、鋭く、踏み込みと共に放たれた拳。
かろうじてガードが間に合う、と同時に“何か”が拳に集まる。
それは血管に流れる血のように、男の体全体を巡って拳に収束し、交差した俺の腕に着弾。
「っ!?」
これまでとは桁違いの威力。
ガードしたはずの腕が2本まとめてへし折られ、勢いそのままに胸を圧迫。
さらに振りぬかれた拳の勢いで、後退を余儀なくさせられる。
完全骨折により、重力に従いダラリと垂れ下がる両腕。
再生は始まっているが、既に離れた分の距離は詰められている。
その拳に感じる気配は先程と同等以上。
まるで、力が一点に凝縮されるような感覚。
それが男の切り札、必殺技の類であることが、感覚的に理解できた。
そして、その一撃が放たれる今この瞬間こそ、俺の唯一の勝機だと!
「ッ!!」
間合いを詰められ、放たれた拳は風を切り、一直線に俺の胸へ。
再生した両腕を伸ばすも、防御するには一歩遅く。
胸に突き刺さる拳は軽々と肋骨を砕き――俺の体を貫いた。
「――は?」
威力に自信があったとしても、拳が人体を貫通するとは想定していなかったんだろう。
想定外の事態に男は固まるが、俺は想定内。
「ッシ! 捕まえたァ!」
「なっ!? クリンチ!?」
「プロボクサーに殴り合いで勝てるとは、最初から考えてないんでね!」
「! お前、狙って――」
気づいたところでもう遅い。
男の右腕は貫通した状態のまま、上半身で押さえ込んだ。
伸ばしていた両腕は男の背に回し、スライム化で一体化からの石化で固定!
新しい腕を生やし、ベアハッグで上半身を締め上げこちらも一体化と石化!!
ついでに片足にも足を絡めてから全身を石化!!!
「即興必殺ッ“子泣き爺”モードォオオオオ!!!!!」
「なんっ、うぉお!?」
全身を石化した状態で、全体重をかけたのしかかり。
流石の男もこれには耐えられず、そのまま倒れこむ。
この期を逃さず、さらに二重三重に拘束し、重石を乗せる。
「がっ、くそっ!」
必死でもがく男だが、もはや上半身はピクリとも動いていなかった。




