母と姉
「では、ご案内しますね」
色々と話を聞いた後、多少は怒りが顔に出てしまったようだけど、“もう少し早く来れていたら”という自分への怒りとして誤魔化した。
少々苦しい言い訳かと思ったけど、小池巡査はただ一言、“あまり自分を責めないように”とだけ言ってくれた。
誤魔化せたのか、見逃してもらえたのかは分からないが、とりあえず今から光の家族の所へ案内してもらう事になった。管理人室を出て、向かう先は裏口のようだ。
「外ですか?」
「はい。その、避難者が多いので、建物の中だけではとても」
気まずそうな言葉を聴きながら裏口から出ると、そこには所狭しと避難用や個人用のテントが並んでいて避難してきた人々が生活している。
そんなテントと人の間を通り抜け、奥へ奥へと進む。
また、それに伴ってだんだんと荒れた空気を感じる。
全体的にここの住人の表情は暗いけど、それを考えても差があるようだ。奥へ行くごとに、ガラが悪く苛立った様子の人や、逆に生きる気力を感じない人が多くなっている印象。
そして見えてきたのは、おそらく元々はテニスコートだったんだろう。
入り口は鎖と錠前で封鎖され、内外には警察官の制服を着た人々が巡回している。
本来はボールを防ぐための“高い金網に囲まれた空間”を利用した、明らかな“隔離施設”。
「こちらです」
光の母と姉がいるというテントは、そんな隔離施設の外周にあった。
それは個人がキャンプに使用するようなテントで、特別他より悪いと言うわけではない。
しかし、
「ねぇ、ちょっと見てよ」
「あら、警察の人じゃない。何なのかしら」
「あのテントって、あれでしょ? この前の……」
「また何かやらかしたのかしら。嫌よねぇ」
周囲の人々の間から漏れ聞こえる言葉。
どう考えても好意的なものではなく、隔意を感じる。
そしてそんな人を訪ねてきた俺達にも、胡乱げな視線が突き刺さる。
「八木さん、いらっしゃいますか?」
「……何よ」
小池巡査の呼びかけに返事をして、テントから1人の女性が這うように顔を覗かせた。
年齢的に母親だろう。
「警察の人? アタシら別に何もやってないけど。誰かから苦情でも来たの?」
テントから這い出てきた女性は光とその姉、2児の母とは思えないほど若く、美人。
しかし言葉や態度にトゲがあるのを隠そうともせず、やさぐれた感じだ。
「いえ、本日は苦情ではなくお客様を案内してきました」
「客? 客ってそいつのこと? まだガキじゃん。てか、警察は黙認だったんじゃないの?
いつから客引きなんてやってくれるようになったのさ。あと今日はアタシ休みだし」
「客引き? ……あっ! あの、違います! お仕事のお客様ではなくて、その、プライベートなお客様です!」
「はぁ? プライベート?」
小池巡査はなぜか慌てているし、ここは俺から軽く事情を話そう。
「お忙しいところすみません。八木朝美さんですよね? マダム・ゴンザレスという方をご存知ありませんか?」
「え、ゴンちゃん? アンタ、ゴンちゃんの知り合い?」
「はい。俺は家族を探して避難所を回ってるんですが、もしどこかで会うことができたらと、マダムから手紙と書ききれない分の伝言を預かっています」
「って事は、生きてんの!?」
「少なくとも俺が最後に会った時はお元気でしたよ」
「マジ!? そっか……良かった……うん。良かった」
おそらく光のことも考えているんだろう。
よかったと言いつつ、彼女は悲しそうな顔をしている。
「少しお時間をいただけませんか?」
そう言いながら、ズボンのポケット越しに、体内に保管していた手紙を取り出して渡す。
「悪いけど、娘が体調崩しててさ。今はちょっ――いや、やっぱりいいよ。ゴンちゃんの無事と伝言聞けたほうが、娘も元気出るかもだし。うちの子、今ちょっと塞ぎ込んでるから。ほら入って」
マダムの手紙に目を通した瞬間、断られかけていた状況が一転して、テントに誘われる。
今更ながら、マダムに会えていてよかった!
「ありがとうございます。えっと、小池巡査は」
「私はその辺にいます。積もる話もあると思うので、どうぞごゆっくり」
小池巡査にも礼を言い、テントの中へ。
そこには直前まで寝ていたんだろう。母親に支えられて、寝袋に入ったまま上半身だけ起こした女の子もいた。彼女が光の姉だな。
と、思った次の瞬間。
「佐藤先輩?」
「えっ?」
見覚えのない子に、苗字を呼ばれた。
「真夜、この子のこと知ってんの?」
「一応ね」
彼女はショートカット、いやボブカットというのか? 避難生活のせいか髪は伸びやや乱雑になっているが、気の強そうな目つきと銀縁のメガネ。母親とは真逆の、真面目な委員長タイプに見える。そして母親譲りなのか顔も整っているし、寝袋に入った状態でも分かる、胸部の盛り上がり方……
こんな特徴的な子と知り合いだったら、覚えていそうなものだけど……ダメだ、思い出せない。
「すみません、どこかでお会いしましたか?」
「……」
彼女は答える代わりに、寝袋の前面にあったファスナーを開けた。
そして見えたのは。2つの大きなふくらみを包む、見覚えのある中学校の制服。
「あっ、もしかして中学時代の後輩?」
「はい。直接的な関係はなかったですけど、先輩は有名でしたから」
「有名?」
何それ? 俺は中学時代もパッとしない人間だったはずだけど……
高校のように、親が同じ学校で教師をしていたとかでもないし、どういう意味だろう?
って、気にはなるけど今はそれより伝えなければならないことがある。
とりあえずは自己紹介。
「そちらの真夜さんはご存知のようですが、俺は佐藤浩二と言います」
「私も改めて、八木真夜です」
「母親の八木朝美。よろしくね。で、伝言とか話って何? ゴンちゃんからの手紙には、とにかく娘と一緒にあんたの話を聞け、聞かないと一生後悔するぞ! ってな感じのことが書いてあるんだけど」
「そのことなんですが、落ち着いて聞いていただきたい」
テントというある程度のプライバシーは守れても、防音という面では不安の大きな空間。
気配を探ってみると、野次馬根性と言えばいいのか……
隣のテントに5人も6人も集まり、こちらに近い面に耳を向けている連中がいた。
他にも外で聞き耳を立てようとしている人が集まっているが、そちらは小池巡査が散らしてくれているようだ。それだけでも正直助かる。
そんな外の状況と併せて、
「お互いの身の安全のために、他人には聞かれない方がいいことなので、静かに聴いてもらいたいし、しゃべるなら声を落としてにしてもらいたい」
そう説明。
「何よ、面倒事なの?」
外のこともあってか不快そうだが、声を落として聞く気はあるらしい。
ならば、
「単刀直入に言います。朝美さんの娘さんで、真夜さんの妹……光は無事です」
小声でそう伝えると、2人は一瞬目を見開いて、
「あ、んぐっ!?」
真夜さんが母親へ鋭い顔面ビンタをお見舞いした。
……いや、叫びかけた母親にいち早く気づいて阻止したんだろうけど……痛そう。
「説明をお願いします」
「え、お母さん放っといていいの」
「母は声が大きくなりやすいので、落ち着くまで黙っていてもらいます。それより説明を。まさか嘘じゃありませんよね? 今このタイミングで嘘と言われたら、私は先輩を軽蔑します」
「いや、そんな悪質な嘘言わないから、ってあれ? なんだか、前にもこんなことがあったような……って、分かった、説明するから睨まないでくれ」
家族の生死に関わるんだから当然とも言えるだろうけど、必死すぎる……
そういえば光が2人とも気が強いとか言ってたっけ?
とりあえず、光が生きていることは強調しておこう。
持ってきていた薬の小ビンを、ポケット越しの体内から取り出す。
「光は生きています。詳しい事情も追って説明しますが、その証拠にこれを真夜さんに届けて欲しいと頼まれました。急いで、必要だからと」
「薬……本当に」
「一昨日、光がどんな行動をとったかはご存知ですよね?」
「私のために薬を取りに行って、死んだと」
「俺もその話は聞きました。そしてその話はほぼ間違っていませんが、一箇所だけ大きく改ざんされています」
俺は当日の武山達の行動と、俺が学校にいたこと。さらに武山達にこの件がバレると光はもちろん、2人も危ないと考えたことや、それでマダムの店へ行ったことも説明。
「――というわけです。ご理解いただけましたか?」
「はい……佐藤先輩、本当にありがとうございました。光が危ないところを助けてくれただけじゃなくて、その後のことまで」
「薬にゴンちゃんの手紙。話に筋も通ってるし、ありがとうなんて言葉だけじゃ足りないね」
「気にしないでください。俺も俺のために手を貸している部分があるので」
「ふぅん……ま、お礼はいつか必ずするよ。それより今後の話が大切って言ってたね」
「はい。とりあえず光はマダムのところにいるので安全ですが、お2人はこれからどうしたいですか?」
聞くと2人は一度だけ互いを見て、頷く。
「答えは決まっています」
「光とゴンちゃんの所に行きたいわ」
「一瞬でしたね」
「当たり前よ。こんな所に愛着なんてないからね」
「私たちは生きるために、仕方なくここにいたにすぎませんし、どの道近いうちに追放されたでしょう」
「何?」
そういえば小池巡査が、気に入らない人に嫌がらせをして追い出そうとしている連中がいる、と言っていたな。
「そんな感じですね。光が物資回収についていって死んだ、という話があっという間に広まって以来、目をつけられてしまったようで。先輩が早めに来てくれて助かりました。私も母も、我慢の限界間近でしたから」
「それに、最近は嫌がらせの他にも嫌な予感があってね……」
朝美さんがそう言った直後、これが“噂をすれば影”という奴なのか、
「力なき人々よ!! 私のありがたい話を聞きなさい!!」
嫌な予感しかしない大声が、テントの外から聞こえてきた。




