出発
光の食事も俺の進化も終えて、最終チェックも完了。
満を持して学校を脱出するときが来た。
(光、この量、本当に大丈夫か?)
(全然大丈夫だって! なんかスッゲー体が軽いんだ!)
光は現在、スライム状態の俺と少量の食料と水、薬が入ったリュックを背負い、また別に食料と水を詰め込んだボストンバッグを2つも抱えている。重さは水だけでも光の3日分、1日最低3リットル必要かつ運動することも考えていたので、軽く10キロを超えているはずだ。
これ、本当は光が持って動きを阻害しない量に調整する予定だったんだけれど、光は調整前の荷物を軽々と持ち上げてしまった。
昨夜のパワーレべリングの効果が出たんだと思うけど、昨日の昼間ほど大暴れをしたわけではないし、効果を実感するほど身体能力が上がるものなのか……寝起きの段階ではそんなに変化を自覚した様子もなかったし、もしかしたら光の“従魔術師”という職業には、契約しているモンスターが成長することでも経験値のようなものが入るのかもしれないな。
(問題ないならいいけど、無理はするなよ。安全地帯に行くことが優先で、なんなら片方は捨ててもいいからな。隠しておけば後で回収できるかもしれないし)
(分かってる。それよりナビをしっかり頼むぜ)
ということで、行動開始だ。
まずはゴブリンが徘徊する学校を抜け出さなければならないが……
(……すげーあっさり出られたな)
まだ本格的にゴブリンが活動していない時間帯だったこともあるけれど、スライムの感知能力と光の契約、脚力強化のスキルが恐ろしいほどに相性が良かった。
おかげでゴブリンを掻い潜るのはそう難しくなかったし、そもそもここは“学校”。今でこそモンスターの巣窟になっているけれど、元々は平和な日本の教育施設だ。一応は乗り越えるのが困難な程度の壁やフェンスで囲まれているとはいえ、紛争地域のように有刺鉄線が張り巡らされていたり、金網に電流が流されているわけではない。
つまり、敷地外に出るならどこでも、ゴブリンがいない壁際まで行けさえすれば、俺が石化と変形でできるだけ高くまで上れる足場になり、光が脚力強化を使ってジャンプすることで越えられる。荷物は俺が投げ上げて反対側に落とせばいいし、俺はスライムの体を使えば狭い隙間でも抜けられたのだ。
あとはなるべく安全に、かつ一時的に分かれても素早く合流できる地点を選ぶだけ。
これも事前に目星はつけてあったので、学校脱出にかかった時間は5分もなかった。
(マジで便利だよな、兄ちゃんのその体)
(こればかりは本当に助かってるよ。それより移動するぞ、荷物を落とした音に反応したモンスターが近づいてきてる)
(了解、どっちだ?)
(ひとまず右に、次の角を左)
(よっしゃ!)
俺と荷物を抱え直した光は、あっという間に指示通りの角を曲がる。
50M以上あったんだが……2、3秒だったぞ!?
(速すぎないか?)
(俺も思ってたよりスピードが出た……けど、全力ならもっと出せると思う。短時間でいいなら)
(やばいな脚力強化)
頼りになるけど、これは下手をしたら俺の指示が間に合わない。
(光、俺はこれから気配察知とルート検索に集中する。疲れたり何か異変があったらすぐに教えてくれ)
(了解!)
こうして俺達は移動を開始。
脚力強化のおかげか光の足取りは軽やかで、小走り程度の速度が出ている。
目的地である光の知り合いの店がある辺りは、割と有名な地域なので分かりやすい。
駅や大型のショッピングセンターも近いし、俺もその近くまで行くことはよくあった。
学校からだとだいぶ距離はあるけれど、この調子で行ければ昼前には着けるだろう。
なるべく最速、最小限の移動で進むように、気配察知に集中。
モンスターの気配だけでなく、道の気配、壁の気配、川の気配に橋の気配。
感じられる気配を読み取って、脳内に地図を描いていく。
たとえ壁でも、通れる隙間があればそこは道として使える。
(次の角を右、しばらく行くと駐車場の壁が崩れてるから、そこを通り抜けて)
(OK! へへっ、全然モンスターに会わないな)
(そういう道を選んでるからな)
実はもうモンスターの気配は感じている。数はそこまででもないけれど、単体ではゴブリンを上回る気配の持ち主も多いし、ボスクラスと思われる気配もいくつか……そんなのに気取られて襲ってこられたら大変だ。
正直、かなり神経を使う……
(光、飛ばしているようだけど、大丈夫か?)
(全然平気。だってモンスターが出てこねーもん。スゲー楽だよ。武山と一緒にあの学校に来るまでなんか、ちょっと歩いたら戦闘、ちょっと歩いたら戦闘って感じだったし)
(そうなのか)
(そうそう。しかも、ちゃんと気配察知が使えるっていう奴が仲間にいたんだぜ? 敵の不意打ちを防げるくらいだったけどさ。
まぁ、それでも役には立ってたし、俺もスゲー! って思いながら見てたけど、今考えたら全然だな。モンスターが気づく前に気づいて避けられる兄ちゃんと比べたら全然すごくねーや)
(そうか)
……なら、その期待には応えなくちゃな。
■ ■ ■
それから約30分が経過。
ここまでの移動は極めて順調だったが、急に足取りが重くなった。
(光、疲れたか?)
(疲れてない……)
頭に響く声に、張りがない。
(様子がおかしいぞ)
(疲れてない、けど、なんか、腹がちょっと……)
(痛むのか)
(うん……)
(なら、どこかで休もう。あと下ろしてくれ。俺が外に出て背負うか)
(まだ大丈夫、それより兄ちゃんは場所探してくれよ。それがお互いの役目だろ)
確かに、足は光の方が速いし、感知能力も全力を出せなくなる。
学校周辺よりは少なくなってきたけど、この状態でモンスターとの戦闘になれば光が危険。
(分かった。すぐに適当な場所を――)
待てよ? この場所、ここからなら……
(光。目的地を考えると少し遠回りになるけど、そう遠くない距離に俺の家がある。そこに行こう)
(分かった。案内お願い)
(まず次の角を左だ)
光は再び指示に従って歩き始める。
だが、その足取りは変わらず重い。
本当に苦しいのか、顔には玉のような汗、手は自然と腹部へと添えられている。
(光。次の角を曲がったら、空き地がある。そこに荷物を置いていこう。そこなら目的地に向かうときに回収できそうだから)
(……分かった)
少し迷ったようだけど、光は空き地の雑草の中にボストンバッグ2つを隠す。
(軽くなったし、一気に行こうぜ)
(あと少しだ。頑張れ。右に行って、しばらく直進だっ!?)
本当に一気に駆け出した光に驚きつつ、あわてて次の指示を出す。
(道なりに進むと踏み切りが見える! それに沿うように左にまっすぐ!)
光は猛スピードで指示した道を駆け抜ける。
きっとモンスターが現れる前の世の中なら、短距離走の世界記録だって狙えただろう。
それほどの速度でぶっちぎれば、家に到着するのも早くなる。
そしてついに住宅街へ、そして我が家へと到着。
(兄ちゃん……早く……ドア開けてくれ!)
(おう!)
下ろしてもらったリュックから飛び出るも、鍵は持っていない。
とっくの昔に紛失したし、ここにくる予定もなかったから探してもいない。
が、それならそれで手段は1つ。緊急時だし、ここは自分の家。
遠慮することなど何もない。
左手をスライム化して玄関扉横のガラス部分に当てて破片の飛び散りを防止した上で、石化した右拳で割り、できた隙間から玄関に入り、人間に戻ってドアの鍵を開けた。
途端に飛び込んでくる光。
「兄、ちゃん」
「大丈夫か、すぐに横に――」
「トイレ、どこ?」
「……ん?」
「ん? じゃねーよ! トイレどこ!」
「あ、あの突き当たり、の」
俺が全部言い切る前に、光はトイレに駆け込んで……!!
「あ~……そうだよな……人間はトイレに行くんだよな……」
排泄の習慣と必要性が頭から抜け落ちていた。
思えば昨日から、光はトイレに行っていない。
会ったばかり、しかも男の俺がいたのでは恥ずかしくて言い出せなかったのかもしれない。
自分のバカさに呆れながら、なんとなくキッチンへ。
久しぶりの家の冷蔵庫の中身は、電気が来ていないせいで異臭を放っていた……
「はぁ……ん?」
「よ、よう、兄ちゃん。トイレ借りた」
気まずそうにトイレから出てきた光に、俺は配慮が足りなかったと頭を下げるしかなかった。
「俺も別に我慢してたわけじゃないし。ここ一週間はあんなに飯食うことなかったし、あんまトイレに行かなくなってたっていうか……ああもう! 余計気まずいっつーの!」
「そうか……なら、念のためしばらく休んでから行こう。俺もこれをちょっと片付けたいと思った所だったし、光の足なら目的地まで思ったより速く着けそうだから」
「俺もあそこまで走れると思わなかったし、ちょっと疲れたな」
「モンスターの気配はないから外に出なければ安全だと思う。なんのもてなしもできないけど、寛いでてくれ。もし横になりたければ、2階に上がってすぐの部屋が俺の部屋で、ベッドがあるから」
「じゃあ、朝も早かったし、お言葉に甘えてちょっと寝てるわ」
軽快に階段を上る光を見送ると、妙に静かに感じてしまう。
まぁ、トイレの件は本人もああいってるし、次から気をつけるとして、
「……帰って、きちゃったなぁ……」
久しぶりに帰った家は否が応でも、もう帰ってくるはずのない人を思い出させた。




