リターン オブ マーメイド
「恋に敗れた人魚姫は、王子を殺すことができず、泡となって消えてしまいました……って、んなわけあるかい!」
この絵本の主人公、人魚姫のモチーフである私は、全力でツッコミを入れた。
「この世界の何処に、死んで泡になるような生き物がいるっていうのよ。人魚だって、人間だって魚だって、腐って土に返るのよ。そんなお綺麗に死ねるわけないじゃない。そもそも、これ本当なら、戦争案件だからね」
「あははは。リディは空想上の生き物だって言われているのに、リアリストだねぇ」
海の上で泳ぐ私の隣で浮く、小さな船の上にいる男――フレッドはケラケラと笑うが、笑い事ではない。
彼が見せてくれた絵本を要約するとこうだ。
ある所に船が沈没し、海に投げ出されて溺れる王子がいました。そんな死にかけ王子を偶然通りかかった人魚姫は助けました。そして彼女は王子の顔に一目惚れをしてしまいました。一度は別れた人魚姫でしたが、彼女は王子への恋心を殺すことができず、魔女に頼って人間になりました。しかしその魔法のせいで人魚姫は声を失ってしまったのです。その為王子に自分が助けた人魚だと伝えられません。そんな中、王子は自分を助けたのは私だと名乗る、別の姫と結婚する事になります。人魚姫の姉達は魔女と交渉し、王子を殺せば人魚姫を再び人魚に戻れるようにしてくれました。しかし人魚姫は王子を殺すことなく、泡となって消える道を選んだのでした。めでたし、めでたし。
「リアリストっていうか、もしも本当に王子を殺していたら、人魚族VS人間の戦争勃発する危険案件じゃない。それに人魚姫が死んでも戦争案件だからね。人魚たちはきっと、人間たちの船を襲うわ。そうすると人間も人魚を捕え殺そうとする。人魚も陸に上がる術を持っているんだから、泥沼戦争よ……。私も、結構なお花畑思考になっていたと思うけど。フレッドはまさか人間の方が発達した文明をもっているから大丈夫なんて、馬鹿げた妄想持っていないわよね?」
この物語の一部は事実だ。
私は王子であるフレッドを助け、恋に落ちた。何故、助けられたフレッドではなく私がといえば、この男、悔しいが顔が良いのだ。ダークブロンドの髪と若草色の瞳。整った鼻筋に、形の良い眉。……くそっ。きっと人間の間でもさぞかしモテるだろう。いっそ、彼がケツアゴだったら最低でも一目ぼれは回避できただろうに。
一目ぼれしてのぼせ上った私は、フレッドにもう一度会う為に人間の足を手に入れて、人間として彼に近づいた。しかし何の後ろ盾もない女が王子と恋仲になんてなれるはずもなく、どこかの貴族令嬢が私が王子を助けましたーと勝手に声明を出して、王はその貴族令嬢と王子の婚約を発表したのだ。たぶん国にとって、その令嬢が妃になることが一番都合が良かったのだろう。冷静になって考えれば超納得だ。
「だから俺を国なんかに返さずに、さっさと君のものにしてしまうべきだったんだよ。そうすれば、僕は死んだ事になったからね」
「そんなわけにいかないでしょ。王子としてちやほやされてきたのに、いきなり漁師なんてできる? 食堂の皿洗いなんてできる? 無理でしょ」
「えー。俺はやればできる子だよ? 教えて貰えば、絶対できると断言するよ。俺、超優秀な王子様やってたんだし」
「知ってる。だから余計に、不味いでしょ」
言っている事はムカつくが、事実だ。
フレッドは顔だけじゃなく、能力もかなり高い。たぶん、教えたらなんだってできるだろう。顔が良いので、それだけでも食べていける気がする。
「フレッドが王子止めたら、この国の次の王はどうするのよ」
「そんなの、叔父上でも、弟でも、誰でもいいさ。好きにしたらいい。皆、やりたくてしかたがないんだろ?」
「何で、全て揃っているのに、性格がこれなんだろ……」
王になる為の能力が揃っていないと知っていて、平気でそういう事をいう。フレッドだから、今の所泥沼化が酷くなっていないだけなのだ。一応安泰であるはずのフレッドですら、命を狙われているし、ぶっちゃけ船の転覆も暗殺の一環である。
むしろこんな状態だから、この性格なのだろうか。
フレッドは、誰も愛していない。国すら、どうでもいいと思っている節がある。ただ惰性で現状に収まっている。そしてこの国は、この惰性に救われている。
でもまあ、フレッドは誰も愛していないわけでもない。唯一、私には執着を見せたのだから。
損得抜きで助けられて、私に興味を持ったらしい。いや、死にかけの生き物を見つけて、助けられる状況なら、普通助けると思うけれど。彼がいうには、周りにそういう人間は存在しないらしい。……真っ黒過ぎる人間が怖いのか、それとも明らかに病んでいる彼の思考回路が怖いのか。
助けた後も、特に何も要求しなかったことで、フレッドはがっちり私を掴みにかかることを決めたらしい。
それは観察意欲なのか、それとも愛なのか、分からないけれど、執着しているのは間違いない。
「それでも、俺が好きなんだろ?」
「はいはい。その顔は、もろ好みですよ」
「またまたぁ。顔だけじゃないから、会いに来てくれたんだろ?」
その通りだ。だけど、面と向かって、愛してますなんて恥ずかしくて言えないのが私だ。
陸に上がった私は、フレッドを見つけた。でもその差をありありと見せつけられて、私は諦めて海に帰った。遠目で民衆に手を振る彼を見て、私では彼の隣で支えきれないと思えば、声などかけられなかった。丁度助けたのは私だと名乗る女性が現れたと話題になったのも、足をすくませた理由の一つだ。
しかし住む場所が違い過ぎるのだと、逃げ帰る私を、フレッドはばっちり見つけた。顔と家柄、頭だけではなく、目も良かったらしい。そして彼は迷うことなく私を追いかけた。その上私がいるだろうと目星をつけた海上で、助けないと死ぬよーと笑顔で宣言をして、海にダイブしやがった。
服を着たままダイブなんて、マジで死ぬ気かと慌てて助ければ、私はそのまま捕獲された。
その後も何度も面会を求められ……結局恋の病は冷めないままだ。どうも、私はこういう駄目男に弱いらしい。
「脅しておいて何を言う」
「見捨てればいいじゃん」
私が見捨てない事を分かっていて、そういう事をいうのがムカつく。でも実際見捨てたら、フレッドは死にそうだから嫌なのだ。彼の見た目はとても綺麗だけど、中身はとても空虚だ。
「目の前で死なれるのは嫌なの。……うそ。知り合いが死ぬと分かっていて放置するのが嫌なの。目の前とかそういう問題じゃないわ」
下手な事を言って、知らない場所で死なれるのは非常に困る。私はため息交じりで伝えた。
「その感覚が分からないんだよね。俺は今溺死しなくても、王子しているかぎり明日にも死ぬかもしれない状況なわけだし。俺の母親なんて、五歳の時に目の前で死んだんだ。人間なんて、いつかは死ぬんだよ」
「いつかは死ぬけど、生きられるなら、生きてればいいと思うわ」
フレッドの母親は、異母兄弟の母親に殺されたらしい。その異母兄弟はフレッドと一歳違いで、その母親が今は正妃をやっている。
はっきり言って、彼がスレても仕方がない状況だ。聞いた話だと、元々王様は現正妃と付き合っていたらしい。しかし血筋云々からフレッドの母親と結婚して子をもうけた。そしてフレッドの母親と結婚した後も、現正妃との付き合いを止めず、結果弟が生まれた。
そして現状に納得できなかった現正妃がフレッドの母親を暗殺したわけだ。
それだけ現王妃を愛しているなら王もフレッドではなく、弟の方に王位を譲りそうなものだが、弟の方の頭のできはフレッドと比べるとあまりに凡庸だった。凡庸な上に、現王妃の後ろ盾は弱い。王は王としてフレッドの母親を娶ったように、第一継承権をフレッドから変えることはなかった。
だからフレッドは今も命を狙われる。そして死んでしまったらそれまでと、王は咎めない。あくまで中立だ。フレッドが生きているならば、現状フレッドが王になるのがベストだ。死んでしまったら、王の死後この国は玉座を争う戦乱の世となるだろう。それを王は分かって采配を天に任せたのだ。
この投げやり感、王様とフレッドはとても似ている。似なくていい部分が似ているとか、流石は親子と言ってもいい。本当に迷惑だ。
「俺に生きて欲しいなら結婚してくれる? 俺は君以外とは結婚する気はないよ」
「人間嫌いも大概にしておきなさいよ」
「嫌ってなんかいないよ。どうでもいいだけ。まあ、俺と君に喧嘩を売って来た姫とその親は大嫌いだけどね」
好きの反対は無関心という。嫌われた方が認知されているだけいいのか、それとも命の危険が伴うから、無関心の方が心穏やかでいられるのか。
「人魚だって、人間と同じよ。綺麗なものばかりでできているわけじゃない」
「うん。でも君なら愛せるし、君を通して世界を見れば、壊れないように何とかしようかなって気になれる。それに君は継母のように、俺の正妃を殺してでも俺を手に入れようとはしてくれないよね? だったら俺から手を伸ばすしかないじゃないか」
もしも私が誰かを殺したら、見向きもしなくなるくせに。
フレッドは人魚に夢を持ち過ぎだ。
それでも……見捨てられないのだから仕方がない。空虚な人形のようだけれど、本当に心がないわけじゃない。無関心を装って、心を守っている彼をほおっておけないと思ってしまう。
「それで、こんな絵本を作って、どうするつもり?」
「作戦名は、リターン オブ マーメイド。泡となったと思われた人魚だったが、王子は直前で真実の愛に気が付いて人魚を追いかけ、人魚は王子の腕の中に帰ってくる物語にするんだよ」
「人魚と王子が結ばれてどうするのよ。誰も祝福しないでしょ」
人間は人魚を嫌う。彼らは異形が恐ろしいのだ。
「だから、祝福せざるを得ない状況にするんだよ。まず国民の意識改革。君のことは絵本などの媒体も使って無条件にいい人魚だとアピールするけど、それだけじゃなく人魚はよい隣人だと認識させる。人魚は人間と変わらない高い知能を持つものたちだと意識改革するんだ。そして君を窓口にして、人魚とこの国は同盟を結ぶ」
「同盟?」
「そう。人魚の方には、海賊から商船を守ってもらいたい。そして難破した船があれば、海に投げ出された人を助けて欲しい。その見返りに何がいいかは、君の父上にお尋ねしよう。そして人魚にもこの国を見てもらいたい。俺の国に入る時は必ず申請してもらうことになるが、その代わりその身を何に代えても守る。もしも害する人間がいたなら、その人間には人魚の世界の法律に合わせた処罰を与えよう」
フレッドはさらっと言うが、それはとんでもないことだ。
人魚と人間はちゃんとした交流をしてこなかった。隠れて人魚が人間社会を見に行ったりすることはあるし、海上で人魚が人間を助けることもあるがそれだけだ。人魚が本当にいると信じていない人間の方が多いだろう。
「そんなの無理よ」
「無理じゃなくてやるんだよ。そして人魚と初めて同盟を結んだこの国は、それを上手く使って諸外国と外交する。諸外国は、人魚との窓口にうちを使うことになるだろうね。そうなれば、誰もリディを蔑ろにはできないだろ? 後ろ盾がないならちゃんと作ればいいんだ」
「……ちなみに、結婚しない時は?」
「何もしないよ。俺はこれから一切何もしない」
……フレッドの何もしないは、心臓に悪い。
彼が何もしなかったら、この国は消えてしまう気がしてならない。国を巻き込んだ心中なんて、最悪すぎる。
「そんな心配な顔をしなくても、この国は遠くない未来に消えるよ。少なくとも、この王政は続けられなくなる。だって俺しかこの国を何とかできないとか、もう沈没船だろ? それにすでに崩壊は始まっているんだよ。貴族が貴族で居られなくなってきている。産業革命が始まって、貴族よりも裕福な平民が増えた。そして賢い平民は気が付くんだ。何だ、王は、自分達より凡庸じゃないかってね」
「……もしも私が嫁いだら?」
「少なくとも君と君との子供までは絶対安定できる国を作ると約束するよ。その後も緩やかに王政から変えていける道を残すよ」
……本当にろくでもない男だ。
ろくでもないけれど、そんな泣きそうな顔されたら、その手を振り払えない。泡となって消えるのは人魚のはずなのに、彼の心が心中してしまいそうなのだ。
そして空虚な男は、本気でこの国を壊しにかかるだろう。
「ああ。もし君が結婚してくれなくても、人魚は架空のことだと国民に思わせて、リディの安全は守るよ。滅びるのはこの国だけだ」
「……脅すなら、最後までちゃんと脅しなさいよ」
「だって本気で君に嫌われたら、立ち直れないよ」
やっぱり嫌わないと見極めてやってる。だからムカつく。
でも――やっぱり好きなのだ。だから私も覚悟を決める。フレッドを拾ったのが運のつきだったのだ。ここで彼を捨てれば、私の心も泡となって消える。
恋愛脳上等。
毒を食らわば皿まで。こうなったら意地でも幸せになってやる。フレッドを姫様にだって絶対あげない。どうにもならなくなったら、今度こそ彼を連れ去ってしまおう。
「蘇った人魚姫、やってやろうじゃない!」
「いや、帰って来た人魚姫ね。ホラー路線じゃなくて、愛は世界を救う路線でプロデュースするから」
フレッドは服が濡れるのを気にすることなく、笑顔で私を抱きしめた。