空腹
ミチフミとイサムの目に最初に入ってきたのは昨日助けた少女が布団に身をくるんで部屋の隅で警戒するようにこちらを伺う姿だった。
「みのむしの親戚か何かかな」
「おおおお!かわいい顔立ちにどことなく気品がにじみ出る表情、よいぞ!お近づきになりたい!」
「だ、誰なのですか、あなたたちは。わ、私をどうするつもりです!?」
「どうするだって!?……どうするんだミチフミ。そういえば俺、キメ顔作って会った後のこと何も考えてなかったわ。どーすんのこの美少女」
「ちょっとイサムはどいててくれるかな!?ややこしくなるから」
イサムがわざとらしく口をとがらせて「ほーい」と言うと両手を後頭部に置いて妙に巧い口笛を吹きながら脇によけた。
「えーと、僕はミチフミ。あっちでキ〇ークイーン吹いてるのがイサムね。君がどうやら川に落ちたらしいってことは覚えてる?川に浮いていたところを僕が引っ張り上げたってのが簡単なあらましなんだけど」
「わ、私はアンリと申します。川に、そうですか。ひょっとして危ういところを助けていただいたのでしょうか?」
自己紹介もそこそこに、ミチフミはどうして今この村でお世話になっているのかをかいつまんで話した。具体的には自分たちが旅人であること、ドラゴンと遭遇したこと、そして川から流れてきたアンリを救い出したことなどである。3馬鹿の所業は話さなかった。詮無いことであったからだ。
「そうですか。ドラゴンが……なら、もしかしたらあの人も助かっているのかも……」
「あの人って誰だ?」
一曲吹き終えて満足したイサムがアンリに聞く。
アンリは自分の迂闊さにハッとした様子だったが、やがて意を決したように話し始めた。
「……私を引き上げてくださったのなら、その時の私の服装もご存知でしょう」
「うん。結構、というかかなり上等な品に見えたね。今は誰が管理してるのか知らないけど」
「お察しのとおり、私は貴人です。どこから差し向けられたのかは知りませんが追っ手に襲われ、川に落ち延びた、というのが私の事情です」
ミチフミは「あーやっぱりワケアリだったか」と嫌な予想がばっちり当たってしまいため息を吐きたい気分になった。
「その時、私を警護していただいていた方がいらっしゃったのですが……」
「ああ、そいつの安否が気になってたってわけか」
「ええ、外套を着た背の高い方なのですが」
「ミチフミ、どうなんだ?いっしょに流れてきてなかったか?」
水を向けられたミチフミの方をアンリは期待に満ちた瞳で見つめた。
「どうだろう?夜も深まってたし、正直暗んだ川に流れる人影をとらえられたかどうかはわからないな。少なくとも僕はその人を見かけていないよ」
「そう、ですか……」
しかしミチフミの答えはアンリが望んだものではなかった。返答したミチフミもどことなくバツが悪そうだ。
「ま、そんな暗い顔で悩んでも仕方ねーべさ!それより俺、腹減っちまったよ。サシャちゃんになんか作ってもらおうぜ!」
どんよりし始めた空気を取っ払うようにイサムは手を打ち鳴らしながらそう言って立ち上がった。
ググググゥォォォォォ……!
「ぅあっ……!」
それと同時に地の底から響くような音が響いた。ギョッとした目でミチフミがイサムの方を向いたが、イサムは顔を横に振る。次いでミチフミはこの部屋にいるもう一人の方を向いた。イサムもそれにならう。
「その、す、すみません……本当に。昨日はほとんど何も食べてなくて……」
顔を赤らめながらうつむくアンリを見てミチフミとイサムは非常に得した気分になった。男という生き物は少女のこういった姿にグッとくるどうしようもない生き物なのである。ただし美少女に限る、と枕詞に付くのは内緒だ。
「羞恥に震える美少女の仕草!たまんねぇなあ、ミチフミ!」
「全面的に同意だけど本人のいないところでそういう話はしろ!」
イサムをたしなめながらミチフミは「アンリを腹いっぱいに食わせたい」という料理人として至極真っ当な思いを抱いた。
☆☆☆
「なるほど、これがこの辺の食文化か」
ミチフミは皿の上に乗っているソレを見て天を仰ぎたくなった。むしろ仰いだ。満点の空に負けないくらい細かいシミの浮いた天井が目に入った。
「これはなんて料理?」
「トプイモの煮っころがしだよ」
「へえ」
イサムの要望でサシャが手ずから作ってくれた料理は「茹でたジャガイモらしきもの」である。トプイモと呼ばれるそれは見た目はジャガイモの特徴と一致するのだが、ここは異世界。これが厳密にはジャガイモですらない可能性もある。
だが、仮にこれがミチフミのよく知るジャガイモの可能性も同時に存在する。だとすればおそらく日本のものとはまた違った食感があるのだろう。この使い古された木皿の上には地球のどこにもない味わいが待っているのかもしれない。そう考えると食指が沸き上がる気がする。
しかし、その調理過程は皮を剥いて茹でただけである。本当にそれだけである。ひとつまみの塩すらふっていない。茹でる最中に塩を入れた様子もないので本当にこれは茹でただけの穀物である。
これにはミチフミと同じ現代日本人の感覚を持つイサムも閉口した。いつもの適当な軽口が聞こえてこない。それはそうだろう。いくら山籠もを毎年やらされているとはいえ、塩の携帯くらいは師匠から許可される。なんならスマホも持って行ってよかった。ミチフミが調理を担当するときはもちろん、自分が調理をするときでも食材本来の味といっしょに塩の味くらいはしたものだ。
こんなに味気ない食事は、ない。
貴人らしいアンリも追われている間でもこれよりはマシな食生活を送っていたのだろう。絶句している。
「いただきまーす」
だというのに、ミチフミ達には信じられないことに、サシャはまるでいつもこんなものを食べているかのように非常に軽い様子でイモを食べ始めた。それはそうだろう。彼女は、いや、彼女たちおよそ村民、農民と呼ばれる人々はこうした食生活を送っているのだから。
遅れて昨日の夕食の時の3馬鹿の様子をミチフミとイサムは思い出した。「こんな美味い料理は食べたことがない」といった様子の彼らの食べっぷりを見れば、日ごろの食生活がどのようなものかうかがえるというものである。
(それにしたって食い詰めた賊の立場だったからと思っていたけど、常識的にここまで酷い食生活を送っているのか。国力がうかがえるってものだね)
末端の民の生活事情を知れば国の政策がうまくいっているかが知れる。それは民の貧しさであったり、建築技術であったり、食文化であったりである。
(この国はあんまりうまくいってなさそうだね)
ちらりと開かれた木窓から見える周辺の家々は藁ぶきの屋根がぽつぽつと並んでおり、そこに住んでいると思しき村人たちは3馬鹿とそう変わらない衣類を身にまとっている。そして極めつけは自分の目の前にある料理ともいえぬ料理。お国柄が知れるというものである。
ミチフミはそんなことを考えながら、茹でイモに手を伸ばした。料理人を目指すものとして、出された料理は毒入り以外たとえ不味いのがわかっていても無駄にしてはならない。そういう信念がある。
「……いただきますっ!」
おもむろにイモの煮っころがし(本当に煮て皿に転がしただけのもの)を口に入れて、ミチフミは咀嚼する。
(ジャガイモだ。ジャガイモの味だけど、土壌の性質がそうなのかきちんと洗えていないのか知らないが土くれの味がする。あと日本で食べてるジャガイモより粘りが強い気がする。興味深いが、すぐに飽きる味だ。この際品質とかどうでもいいから一つまみ、塩が欲しい。そういえば僕のカバンはどこだろう?この辺じゃ調味料の小瓶群は神器に匹敵する可能性があるぞ)
考えながら黙々と半ばまで食していると、リンゴの芯を噛んだような食感。煮え切っていない証拠である。
(調理技術がアレなのか、このジャガイモの性質がそうなのか、単に火の維持が難しいのか……それとも全部が原因なのか)
ミチフミは難しい顔をしながら、名状しがたいイモ料理をなんとか完食した。次いでミチフミはその一部始終を見ていたイサムとアンリの二人の方を向く。アンリはビクッとした様子で、イサムは苦笑いだった。
「ん?食べないの?」
不思議そうな様子でサシャが何個目かのイモに手を伸ばす。本当に彼女にとっては日常的に食するモノらしい。
「いや、まぁ俺は食うけどね」
「わ、私も食べ、ます」
意味ありげな視線を向けたイサムにアンリは意を、いや胃を決した雰囲気でそう言うとイモを食べ始める。仕草は上品であったが、表情はすぐれない。しかし、胃はまだまだ栄養を欲している。アンリは無理やり腹に押し込むようにイモを片付けていく。
それを見物しながらイサムもイモを食べた。彼はミチフミと共に暮らす前に山籠もりを体験したことがあり、その時に酷い食生活を送っていたことがあったため多少は耐性がある。もちろんできれば美味いものを食べたいが、贅沢が言えない時もある。イサムもたまには空気が読めるのである。たまに、であるが。
「「「ごちそうさまでした……」」」
「もういいの?遠慮しなくてもよかったのに」
数個食してごちそうさまでしたした三人にそんな言葉をかけるとサシャは残りのイモも全部食してしまった。そして空になった皿をサシャが鼻歌交じりに手早く片付けて部屋を出て行った。
それを見送ったアンリはその場にくずおれてぐったりとした。目の端々に涙をため、嘔吐感と戦っているのか時たま口を押える仕草をしている。
イサムとミチフミはそっとしておくことにした。
「これが、辺境の住民の生活力!たくましいなぁオイ」
「何言ってんのイサム。食生活の改善の見通しが立つまでは今みたいな食事がずっと続くんだよ?」
「マジかよ!?……毎食はつれぇな」
「僕の持ってる調味料もそう多くないし、まずは塩をなんとか手に入れるところからだね」
「その辺掘ったら岩塩とか出てこねぇかな」
「そのくらい簡単ならいいんだけどね……」
前途多難な予感を感じながらイサムはアンリの背中をさすってやり、ミチフミは万が一のためにエチケット袋になりそうなものを探し始めるのだった。
☆☆☆
緑の濃い、鬱蒼とした森の中を二人の男たちが歩みを進めている。そこはミチフミ達が食事をした河原まで地続きになっているニバナの森だった。
せり出した太い木の根や妙に滑りやすい木の葉を慣れた足取りで進む彼らはトリトナの村の猟師である。村の畑にある作物だけでは今はともかく、この先冬が到来することを考えると心もとない。そのため、度々こうして村民が森の恵みを頂戴しにやってくるのである。
運が良ければ燻製や干し肉に向いた獣も狩れるので、常に食糧難の心配があるトリトナの村の猟師たちの士気は高い。
ミチフミ達が食したイモ料理に塩が使われていなかった理由はこの辺りでは塩は貴重であるというのも理由の一つだったが、保存食を作る方に大半の塩が必要とされているという事情があったのだ。普段の料理では塩の使用を自重しているのである。
「しっかし今日は全然獲物が見当たらねーっすね」
「木の実は幾ばくか見つかったのはいいが、このまま帰ったらカミさんにドヤされちまうな」
「ははは、先輩の奥さん怒るとおっかないっすもんね」
「ああ、多分一生尻の下の人生だ。お前も女房をもらうときは気をつけろよ?」
「ちげぇねぇっす」
しばしばそんな軽口をはさみながら、さらに奥へと進んでいく。やがて普段よりも深く、そしてこれ以上深く入るには相応に準備の必要な位置まで二人は来ていた。
「おかしいな。さすがにここまで奥に来れば相手にできるかどうかは別としても、一匹くらいは獣を見てもいいはずだ」
「そうっすよね。いつもならウサギの家族くらいは見かけるのに今日はネズミ一匹見かけない」
「何か異変があったか」
二人は3馬鹿が村を訪れる前に猟に出ていたため、付近でドラゴンが出たという情報を知らない。たとえ知っていたとしても見間違いだろうと一笑にふしていただろうが、知ってさえいればこの状況に「ひょっとして」という疑問を持てただろう。
森の生態系は以前と変わっていた。ミチフミ達が見たドラゴンが出現したことで大移動が起こったのだ。生態系の頂点に位置するドラゴンが森の奥にでも居座ったのか、多くの小動物は森から逃げ去り、あるいは隠れ、それらがいた地域、すなわち猟師二人がいる地点がそこだった。
そして、そんな理由から普段この辺りには滅多に見かけることのない獣達が降りてきていたのだった。つまり、隠れることに難のある大型の獣である。
「ぐるるるるあぁぁぁぁ!」
不意にうなり声が聞こえた。二人ははじかれたように飛びすさりながら声の方に目を向けた。いる。
小動物は逃げてか息をひそめて隠れている。では、それを食していた獣はどういう状態にあるのか?端的に言えばイモ料理を食べる前のアンリのような状態である。飢えていた。
「熊だっ!逃げるぞ」
「せ、先輩!はさまれてる!もう一頭向こうにいるっす!くっそなんでこんなところに!?」
「何!?こいつらの縄張りはもっと奥だったはずだぞ!」
眼前のクマから視線を一瞬だけ切って後輩猟師の視線を追うとそこにはもう一頭、クマがいた。大きさは2Mちょっとくらいだろうか。二頭ともよく似た背格好をしている。兄弟かもしれない。それらは血走った目で二人の猟師を見つめている。久しぶりのごちそうなのだ。
「な、なんかすげー涎たらしてるんすけど」
「腹ペコなのか……なんて日だ」
こんなことなら女房に耳元で憎まれ口を叩かれてでも家に居座るべきだったと先輩猟師は奥歯を鈍くギシリと鳴らすのであった。
ちなみに登場したクマさんはヒグマの近親種という設定です。トプイモはちょっとクセのあるジャガイモという認識でOKですw