ずぶ濡れアンリ
(そういえばサシャは『お連れさん達』って言ってたよね。そっか。あれは3馬鹿のことだけじゃなかったってことかぁ)
ミチフミは遅れながら状況を把握したがイサムはそうではない。
「なぁミチフミ。いったい何の話だ?俺には話が見えないんだが」
「ああ、実はね?」
ミチフミは昨日イサムが川に放り込まれたあと、どう見ても一般人じゃない美少女をイサムと間違えてサルベージしたことを話した。
「なるほど。つまり俺が気を失っている間にそういうフラグ立てていたってわけだ。妬ましいっ!したんだろ?」
「小田倉君みたいなことを言うね。一応聞いとくけど何を僕がしたと思ってるの?」
「異世界、川で気を失っている美少女、とくればまうすつーまうす!お約束だろ!」
「いや、水は飲んでなかったみたいだったからほっぽり出してイサムを引き上げに川に飛び込んだよ」
「ヒロイン候補のフラグ放り出しちゃだめじゃないか!小田倉君にしかられるぞ!」
「いや、それだとイサムが助からないじゃん。イサムは川で必死にもがいている間に僕がその娘といい感じになっていたらどう思う?」
「復讐を誓うけど?」
「じゃあどうすればよかったんだよ!」
ミチフミとイサムの漫才を3馬鹿とサシャは面白そうに見守っていた。元の世界でも二人が通う学校の教室でこのような光景が度々繰り広げられる。すると不思議と二人はこんな視線にさらされるのだ。異世界でもそれは変わりないらしい。
そしてそんな彼らだからこそ神(推定邪神)の目にとまったのだろう。もちろん友達漫才を日常的に繰り広げるだけのただの高校生をロキアは選んだつもりはなかったが。
「あ、待てよ?ということはそのお嬢さんはミチフミの確認不足でまだ水を飲んでる可能性があるってことだよな?それはまずい。この瞬間にも溺れてる可能性があるわけだ。俺、ちょっとまうすつーまうすしてくる!」
言うが早いかイサムは立ち上がって病み上がりとは思えないフットワークで部屋を出て行った。
「そんな何時間も前に飲んだ水とっくに消化吸収されてるか咳になってるだろ!」
「あ、お嬢さんの部屋は右隣の部屋だよー」
「どうして教えちゃうのさ」
慌ててミチフミがそれを追いかけて出て行くと後ろからそんなサシャの声がした。イサムには朗報であるがミチフミにはありがた迷惑である。
「賑やかな人たちだねー」
「ええ。ですがああ見えて非常に頼りになる方々なんですよ」
「あっし達も昨日出会ったばっかりでやんすがここぞというときの度胸といい、男気といい……一体どこから流れてきたんでやしょうね?」
「おら、旦那がたのこと、尊敬してるだ!」
「ふふ。それってドラゴンが出た、なんて大嘘ついてでも助けに行きたくなっちゃっうくらいなんだね?」
「や、ですからサシャさん。そりゃ嘘でも何でもなくてですね……」
イサムとミチフミが出て行った部屋ではそんな話が和気藹々と続くのであった。
☆☆☆
サシャの言う右隣の部屋は本当にすぐ隣にあり、ミチフミがイサムの姿を視界にとらえたときにはすでにイサムはいざ踏み込まんとばかりに部屋の両引き戸に手をかけていた。
「くっつけ!」
ミチフミは手遅れになる前に両引き戸の接触部とその引き戸と接触しているサッシ部分とを『金の鵞鳥』を発動してくっつけた。力尽くでは絶対開かないセコ○も真っ青なセキュリティロックがかかった瞬間であった。
いや、概念レベルでくっついているのでもはやそれは扉ではなく、開閉機能などもちろんないがその場からまったく動かないただの板だった。
「あ、こらミチフミ、卑怯だぞそれ!?くそ、板っきれみたいな引き戸のくせに小揺るぎもしねぇ!」
イサムは何度か戸を開けるのにトライしたが表面がうっすらとたわむだけで戸は一ミリも動かなかった。
接触部が概念レベルでくっついているだけなので引き戸一枚の中央辺りに蹴りでも入れれば破れるだろうが、さすがに人様の家の戸なのでイサムも自重していた。
……人様の家で、病人と思しき少女の部屋の前で、しかもかなり不純な欲求にしたがって騒いでいるという点も大いに自重すべきだが、当の本人はそのような思慮は片隅にもないように一心に引き戸をこじ開けようと力んでいる。
「無駄だよイサム。インストールされた頭の中の基本取説によると概念レベルでくっついてるから今のイサムじゃどうにもならないよ」
「くっそおおお!どんな扉でも開けられる能力がほしい!俺もヒロイン(だと思われる娘)とフラグ建てたい!」
「……そこに誰かいらっしゃるんですか?」
体重をかけて必死で引き戸を引きながらイサムがわめいていると騒がしくし過ぎたのか部屋の中にいる人物から声がかけられた。きれいなソプラノボイス、女性のものだろう。声の主はイサムのお目当てのワケアリ美少女たるアンリである。
「ちっ起きてたか。じゃあまうすつーまうす作戦は使えないな。もういいぜミチフミ。俺は第一印象を彩るためにキメ顔を作る作業に没頭する。俺がいいよって言うまで戸は開けないでいいからな」
「おじゃましまーす」
「あ、こら待て!まだ準備中だっての!まだキメ顔のキの字の途中だって!」
イサムのコントには付き合わずにミチフミは『金の鵞鳥』を解除して戸を開けた。
☆☆☆
一方のアンリは気が気ではなかった。気がついたら着ていた服が質素なものとなっており、見たこともない部屋に寝かされていたからである。敷かれた布団は自分が住んでいた屋敷のものに数段劣る粗悪品で、目をこらせば端々にほつれが見え隠れしている。
いや、そこは大きな問題ではない。逃亡中は木の根を枕に、落ち葉を布団にしたこともあった。それに比べれば天と地の差があるというものである。自分が我慢すればすむことである。問題は「何者かの手におちている」状況である。
なにせアンリの最後の記憶は崖から川に落ちたことである。河川から流れた先がこの布団であることはないだろう。ということはどこかで自分は引き上げられてここに連れてこられたということである。
追われる者であったアンリにとって従者がいない状況で一人、部屋に置かれているこの状況は己が最悪の一歩前の状況に陥っていると想像するには十分なものだった。
従者が未だに自分の元まで追いついておらず、監視を置かずとも逃げられない、どうすることもできない場所に自分は置かれている。薄汚れていた自分が着ていた衣服が剥がれていることから察するに盗賊の類いの手に落ちた可能性もある。アンリは後からあとから嫌な想像が浮かんでは消える思考に頭をかきむしりたい衝動にかられた。
ちなみにアンリの想定する最悪は自分が殺されることだった。生きているならまだ希望があると彼女は考えているからである。今にも折れそうな彼女の心を支えているのはそんな思いだった。
そんな思考の海、あるいは絶望の海にアンリが漂っていると不意に騒がしい声が聞こえてきたのであった。どうやら戸を一枚隔てて何かをやっているらしい。
「……そこに誰かいらっしゃるんですか?」
アンリは極力声が震えないようにそう口にした。これから自分がどうなるのかは見当もつかなかったが、何の判断材料もなく暗い考えに身をやつすくらいならば少しでも現状を知ってもう一歩思考を前に進めようと考えたからである。
そう声をかけて程なくして二人の男が入ってきた。一人は黒髪に茶色みがかったくせっ毛の美男子で、もう一人はぼさつく毛と無精ひげ、たくましさがにじむ輪郭が特徴的な背の高い男だった。
後者の背の高い男の表情はなぜか微妙に不自然な顔で、有り体に言えばキマってなかった。