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怪物、現る

 異変が起きたのはミチフミ達が食事を終えて食器を洗った後、ミチフミが料理道具を片付け終えて靴紐を結び直しながら、たき火の番のローテーションを決めようかという時だった。日はとっぷり暮れて宵闇が周囲を覆う時間帯だというのに周囲の木々と共に鳥や獣がざわめき、不穏な空気を醸し出していた。

 

 暗い空を見上げれば鳥が群れをなして飛び立ち、視線を下げれば森からネズミやウサギ、それらを補食するはずの中型動物の群れすらもが周囲のことなどお構いなしに一目散に走り去っていく。


「なんか、やばそうな雰囲気じゃね?絶対この辺の生態ヒエラルキーに異常が発生してるアレだぜこれ」

「夜なのに騒がしすぎる、よね。たき火をたいまつにして移動しようか」

「ああ、今からでも集落を目指すってのもアリだと思うぜ。というよりは明かりも消した方がいいかもな。何がいるか知らないがこのままじゃいいマトだぜ」


 二人は夜目の訓練もしており、夜闇の中でもある程度視界が確保できる。3馬鹿というお荷物が懸念材料ではあるが、ここにとどまるよりはマシだろう。尋常ではない雰囲気を感じ取った2人の行動と判断がまとまるのは早かった。しかしそれでも尚、間に合わなかった。


 突如として地響きが辺りを襲った。同時にイサムとミチフミ、3馬鹿の視界の木々が根元の方から折れて吹き飛んだ。折れた樹木の太さはぱっと見ても横幅が直径1Mに迫る巨木と言える物だったがどういうわけかそれが自分たちを飛び越えて川向こうまで飛んで行った。その余波でたき火はかき消え、荷物が舞い、使用済みの紙皿が水中を漂うプランクトンのように不規則な軌道を描いて飛んで行った。


 その場にいた誰もが息を呑んだ。今起こった現象が嘘だったような静寂が周囲を包み込む。耳が痛いほどの静寂とはこのことか、と現実逃避めいた思考に至ったところで宵闇に慣れ始めた目が、その隆々たる巨体を捕らえた。


「どっ、ドラゴン……!!?なんでこんなところに!!?」


 悲鳴めいた叫びを上げたのはチュウだった。巨大なトカゲを思わせる風貌、コウモリのような筋張った翼、本来爬虫類にとって比較的に軟らかい腹の部分はぴかぴかに研いだ刃物でも軽々跳ね返しそうな腹筋が浮かんでいる。当然外皮はそんな腹よりもよほど硬そうな金属を思わせる鈍色の鱗に覆われている。そんな装甲を纏った足は丸太のように太く、2本の足で地に立っている。先程頭上を越えていった巨木よりも力強い印象を受けた。


 目はつり上がって獰猛そのもので、鋭い2本角が天をも貫かんといきり立っている。ワニの3倍くらい厳つい顎に視線を向ければ、金属も軽々と咀嚼出来そうな鋭く固そうな牙が見えている。翼の根元の辺りからはヒトの腕を爬虫類化させて最大限パンプアップしたかのような器用さと力強さを兼ね備えたかのような腕があった。その腕の先にある手は月光を受けて鋭く輝いていて、鉄でもやすやすと刻んでしまいそうだ。

 

 そんな生物の体格は3M超。ミチフミらの身長を軽々倍して超えていた。なるほど、これ以上にないほどドラゴンである。先程の地響きと飛んできた巨木はこのドラゴンが地上に降り立ったときの衝撃による物だったのだろう。


 3馬鹿は既に恐慌状態で腰を抜かしている。ミチフミとイサムは最初こそ目を回したが既に身体は戦闘態勢に移行していた。イサムは右手には手斧、左手にはブロードソードを持ち、ミチフミはブロードソードを構えて両手でしっかりと握った。本御流は武器を持つ流派も内包している。正真正銘の化け物相手にどこまで有効かは未知数であるが。


「逃げろォ3馬鹿ぁ!!ちょっと時間稼いだら俺らも逃げるからよ!」

「だだ、旦那方ぁ!?そんな、無茶ですよ!相手はドラゴンです!いくらなんでも勝ち目がない!」

「そそそ、そうでやんす!ものによっては戦争状態の国と国が一時停戦までして二国間で討伐隊が組まれる程の生きた災害でやんすよ!?」

「お、おら、まだ、旦那たちに死んで欲しくないだ!」

「だから時間稼いで逃げるっつってんだろ!いいからさっさと逃げろ!」


 言いながらイサムは3馬鹿の尻を順番に蹴り上げる。それにより3馬鹿は抜けた腰がすとんとハマるように立ち上がることが出来た。本御流の技の一つで、抜けた仲間の腰を無理矢理気つけるものである。3馬鹿は後片付けの手伝いをしていたこともあり、現在はミチフミの拘束下にない。


「走れ!」


 イサムが鋭い声で叫ぶようにそう言うと同時に手斧をドラゴンの顔面に向けてぶん投げた。イサムの狙いはドラゴンの皮膚の中でも比較的に軟らかそうな眼かそれに付随する瞼の辺りだったが、ドラゴンはその攻撃を避けもはたき落としもせず、顔を横に振るだけの動作で易々と対処した。手斧は堅牢な首の鱗という鎧に弾かれてあっけなく地面にその身を投げ出した。首に傷は見受けられず、鱗についていたのか砂埃がはらりと落ちるだけだった。そして落ちた手斧がドラゴンの強靱な脚で踏み砕かれる。


「じ、ぎいぃぃぃぃぃぃぎりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 そして明確な敵意を認識した暴力の権化は魂までも震え上がるような咆吼をそのたくましい喉で打ち鳴らした。その咆吼は予想に反して甲高く、怪鳥を思わせるものであり、同時に足が震え出すような低い重低音も混じり合った恐ろしいものだった。恐怖をそのまま音に変換すればこうなる、という見本を見せつけられた気分だった。


「ひっ、ひいいいいぃぃ!!」


 それを聴いた3馬鹿はつんのめりながら全速力で逃げ出した。腰が抜けたままだったならもう数分の命もなかっただろう。一方でミチフミとイサムは戦意を失うような恐怖の中で、それでも構えを崩さずドラゴンと対峙していた。早鐘のように鳴る心臓と蛇口をひねったかのように吹き出した冷や汗が彼らの緊張を如実に物語るが当の本人達のその闘志は揺るいでいない。


 極度の緊張感の中、ドラゴンは地を蹴り精強な右腕を振り下ろしてきた。ドラゴンに蹴られた地面と腕が振り下ろされた地面がまるで重機で掘り起こされたかのように抉れている。河原砂利が粉微塵となって周囲を煙らせた。


 ミチフミとイサムはドラゴンが動き始めた瞬間に同時に横っ飛びに避けていた。あと少しでも判断が遅れていれば舞っている砂塵と同じ運命を辿ることになったかと思うと冗談ではない。2人の顔が青ざめる。


「クソがっ!山ごもりで初めてヒグマに出くわしたときより数段やべーぞ!どうするミチフミ!?」

「砂利やら小石で足場が悪い!固い地面のある場所、せめて原っぱか通ってきた轍道で戦いたい!」

「よし、じゃあそこまで一目散に撤退する、っごォ!?」

「イサム!?」


 方針を素早く定めた2人がドラゴンに背を向けて逃げだそうとした瞬間に何かが砂煙を貫いてミチフミよりも手前に出ていたイサムの腹部に激痛が走った。イサムはくの字になって吹き飛んで、もんどり打って川に落ちて流されていった。


 同時に砂煙が晴れる。ミチフミはイサムの救出に向かいたかったがドラゴンを視界から外すのは自殺行為だと考え舌打ち一つしてドラゴンに向き直る。見ればドラゴンの体勢が変わっていた。その巨体は横を向いている。ドラゴンの足下で何かしなやかなものがくねる。


「尻尾か!」


 正面からは把握出来なかった部位からの攻撃をミチフミは遅れて理解した。それとほぼ同時にまたしてもドラゴンが地を蹴って飛びかかってくる。それをミチフミは再度避けて見せたが、次の瞬間ドラゴンの尻尾のしなりを視界の端で確認した。


 半拍先を読んだミチフミは早々に後ろに飛び退いた。しかし地に足をつけた瞬間、そこが崩れた。川の淵だったのだ。イサムがすらすらと流れていったことから鑑みるに川の深度は中々深いだろう。流れも速いので落ちて助かる保障がない。


 川に半ばほど浸かったミチフミは流されまいとしてか手を伸ばし何かを掴んでそのまま体勢を起こそうとしたが、掴んだのはいつの間にか戦闘の余波で吹き飛んでいたミチフミの学生カバンだった。


「くうおおおおっ」


 雄叫びとも悲鳴ともつかない声を上げてミチフミもイサムと同じように川に落ちた。ドラゴンはしばらく落ちたミチフミが顔を出さないか覗っていたが一向にその気配がない。やがて暴力の権化は興味をなくしたかのように木々を倒しながら森へと入って行った。



 ドラゴンが去ってから約1分後、潜り始めて4分を大幅に過ぎたところでミチフミは川から浮上した。少しでも沈み込むために握り続けていたブロードソードも川底で手放している。


「ぷはっ、よしよし計画どおり……!あとはさっさとイサムを探して川から上がろう」


 イサムが戦線離脱した時点でミチフミはこの逃走を計画していた。イサムの救出も考えて川に落ちる演技をして溺れ死んだとドラゴンに思わせるまでが計画だった。ドラゴンが川に入ってくる可能性もあったが人間の水中での浮力と川の流れの速さを考えると十分に逃走の勝算はあった。山ごもりで習得した急流での水泳技術をミチフミは遺憾なく発揮していた。


 結果を見ればドラゴンは追いかけてこなかった上にあわよくばと思っていた自分のカバンまで確保できた。大成功と言えるだろう。あとはイサムが、そしてカバンの中味が無事なら問題はない。


(紙皿は全滅だろうけど)


 心の中でため息をつきながらミチフミがしばらく流れに沿って泳ぐとぷかぷか浮いて流れている人影が見えた。川の水は夜闇に薄くにごっていてシルエットしか見受けられないがこんな夜に急流で涼みに来ているのはミチフミとイサムくらいだろう。ならばこの影はイサムに違いない。それほど流されていなかった事も不幸中の幸いと言える。ミチフミはすぐさま泳ぎ寄って川辺に引っ張り上げた。


「イサムっ!おい、いさ、……誰だよこの娘ぉ!?」


 ミチフミが川辺に引っ張り上げたのは派手な装いの美少女だった。水に濡れてはいるが豪奢な織物を羽織りこんでおりどう見ても3馬鹿達のような賊崩れの乞食のような人物ではなさそうだ。肌の張りもよく肉付きも良い方だろう。15歳くらいだろうか。幼さは抜けきらないが、顔立ちは線が細く整っており怜悧な印象も受ける。


 黒真珠のような髪は濡れてなお、一層艶やかさを増して月明かりを受けて輝いている。将来は必ず傾国の美女となるだろう。そんな彼女は気絶しているようでひとまずミチフミに気付く気配はない。軽く頬に指を埋めると不満げに小さく呻いた。とりあえず息はあるらしい。溺れていたわけではないようだ。


 それは、ミチフミは知るよしもないが上流で賊の集団と争っている間に落ちた貴人の少女、アンリだった。水面にしたたかに背中から叩きつけられて彼女はその衝撃で気絶したが、奇跡的に彼女の着ていた豪奢な織物が最大限浮力を発揮したおかげでここまで溺れずに流れてきたのだった。しかし、その織物も水を吸いすぎ、徐々に沈みつつあったので間一髪というところだった。


 しかしそんなことは知らないミチフミは奇妙な状況に困惑の極致といった心境だった。


「じゃあイサムは……!?親友が一刻を争うときに別の人間を助けていて間に合いませんでした、とか冗談じゃないぞ!」


 ミチフミは己の焦燥を口にして現しながら夜闇に慣れた双眸で深呼吸して焦りを抑えながら周囲を油断なく見回す。すると川の水面から頭を出している背が高く細い岩に何かが絡みついているのが分かった。それは人の腕のようにも見える。


「あそこか!」


 ミチフミは一も二もなく川に飛び込み、絡みついていた腕を引っぺがして川辺に引っ張り上げた。今度こそイサムだった。ぐったりとしているのでミチフミはすぐさま心音と呼吸を確認したが問題はなかった。気絶はしているがただちに問題があるわけではなさそうである。呼吸が安定しているところから鑑みるにどうやら助けた直後に気を失ったようだ。危ない所だった。


 イサムをさっきの美少女のそばに運び込んでミチフミは手近な石に腰掛けた。呼吸が浅く早くなっている。着衣水泳は体力の消費が激しい上に人を二人も川辺に運び込んだのだ。急流で漂う人と同じ重さの荷物を運び出すことに等しい。そして川に入る前のドラゴンとの大いに緊張感のある戦闘。ミチフミは端的に言って疲れていた。


(全く安心できる状況ではないけど、小休止を挟むべきかな)


 ミチフミは手近にあった大きめの石に腰を下ろして大きくため息をついた。


 小休止に入り、しばらくぼうっとしているとミチフミは強烈な眠気を自覚した。意識の喪失を身近に感じたミチフミは頭を大げさに振り、睡魔と戦いながらなんとか火を起こした。イサムのポケットに入っていたずぶ濡れのライターを使用したがちゃんと作動してくれてミチフミは心底ほっとしたものであった。


 これで風邪を引く確率を少しは減らせるだろう。濡れた衣服も乾く。明かりを頼りに襲撃を仕掛けてくる外敵がいるかも知れないが、火を焚かずに体調を崩したり、火を焚かなかったがために襲ってくる獣の方が明かりがない分現状不利だと判断しての行動だった。もちろんドラゴンが来た場合は今度こそ死を覚悟しなければならないだろうが、ミチフミはそれでも最善と判断して火を焚いておいた。


 続いてイサムの容態を詳しくチェックしたかったが、とうとう疲労がピークに達したのか、張り詰めた糸が切れたようにミチフミはその場に座り込んだまま眠ってしまった。


 それからしばらくして夜闇が薄れ、空が白み始めた頃にミチフミたちに近づく複数の影が現れた。


「いた……、いたぞ!こっちに来てくれ!ぐっすり寝入っているらしい。連れて行くぞ!」


 男の声にさらに影の数が増えた。その者達の表情は焦燥の色が濃い。焚き火の燃料が絶え、周囲に残った燃えかすと煤を気にもとめず踏みにじって数人の何者かがミチフミとイサム、そして謎の少女を大八車に乗せて運び出していった。


 極限の緊張状態にあったためか、その場で寝ていた3人は荷車に割と乱雑に積まれても起きることはなかった。


 ロキアが望んだミチフミとイサムの波乱に満ちた新生活が本格的に始まろうとしていた。

1日1話を心掛けたいところです。

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