武の『社畜一式』
本日二話目です
出発前に3馬鹿の武器をどうするかをミチフミとイサムは一考する必要があった。ここに全て置いていくのはさすがに愚行だろう。ミチフミとイサムにはこの世界で使える路銀がない。日本円は持っているが使えるとは考えるのは楽観が過ぎるだろう。質屋的なものを見つければこんな粗末な武器でも路銀の足しになるだろう。できれば全部持って行きたいところである。
3馬鹿の持っていた剣、および懐や腰にあったいずれも粗末なナイフと手斧は彼らが気絶中に没収済みであった。ナイフはミチフミが二本とイサムが一本をそれぞれ懐に入れ、手斧はイサムが持った。残りのブロードソード3本の内2本はミチフミとイサムがそれぞれ後ろ腰に1本ずつ携えたが、残りの1本の処遇に困っていた。
ミチフミとイサムは絞め技や極め技など、相手を組み敷く技も使う。その際に腰にじゃらじゃらと武器を吊っていても邪魔な上に重心が看過出来ないくらいに変化するので複数本持ちたくなかった。端的に言って鉄の塊を持ち運ぶことと同義なのでその重量が問題になるのは自然の摂理であった。さらに取りあげたブロードソードは粗末な作りのくせに少々重い。この世界特有の金属かも知れない。
加えて、ミチフミは賊達の手綱(カバンの肩紐)、イサムは手斧でそれぞれ片手が塞がっている。また襲撃があるかも知れないので両手が塞がるのも避けておきたいと二人は考えていた。かといっていくらなんでも3馬鹿に渡すわけにはいかないだろう。いくら性根は良さそうでもそこまで信用は出来ない。何らかの方法で拘束が破られる可能性が0ではないことを考えるとそれはできない。
ミチフミのカバンは調理用具や料理本などが入っているので容量はほぼない。というより学生カバンにブロードソードを収納する機能を期待する方が間違っている。つまり比較的容量のあるイサムの学生カバンもブロードソードの携帯に向かない。最悪、この1本はこの場に放棄せざるを得ないという結論にミチフミはたどり着いていた。
「仕方ない。使うか、俺の能力!」
「お、イサム。あれをやる気だな?」
「いや、お前も俺の能力はまだ名前しか知らねーでしょうが」
ミチフミに茶々を入れられて少し気勢を削がれたイサムだったが、気を取り直してどこぞのヒーローよろしくポーズをとった。
「見さらせ俺の能力、『社畜一式』装・着!」
イサムが高らかに叫ぶとその身体が光を纏う。そして日曜朝のヒーローのごとく、光がはじける度に身体のパーツがあらわになり、やがてその全貌が明かされた。
「い、イサム、その姿は!」
「ふははは!どうさ、このフォーマルな出で立ち!今すぐにでも会社面接にいけそうだろ!?あああああああど畜生がああああああああああ!!」
そこには無理矢理テンションを上げてこの世の理不尽を呪う、バッチリ糊のきいたスーツを纏うイサムが天に吠えながら頭を掻きむしる姿があった。足下には肩紐がついたリクルートカバンも見受けられた。
『社畜一式』。海外だろうが異世界だろうがどこでも社畜の鑑のように24時間働けるようにスーツ一式と素敵なカバンを与えてくれる能力であった。
「落ち着きなよ、イサム。お前の能力素敵だよ?バッチリ決まってるぜ☆」
「ミチフミ!このハロワもなさそうな世界に社畜御用達の仕事道具一式を授かるクソチートをもらっちまった俺はどうすればいいの!?あるかなぁハロワ!?」
「大丈夫だよ。ハロワはないかも知れないけど、今お前は間違いなく輝いてる。それでいいじゃないか」
「輝いてるかなぁ!?なんか変身シーンは意図せずに光ってたのは驚きだったけど。でもこんなんで生き残れるかなぁ!?」
「多分、奇妙な冒険に出てくる○バイバーよりは強いんじゃない?」
「俺はサバイ○ーの方がまだ良かったよ!畜生、これも全部面接で俺を落とした会社、ひいては不景気な社会のせいだ!しかもこの能力名、この字面!人を馬鹿にすんのも大概にしやがれ!そもそも俺はまだ学生だろうが!チェンジだ!チェンジを要求するうっぅぅぅ!」
イサムは空に向けて、具体的には今頃腹を抱えて笑っているであろうとある神に向かって陳情を訴えていたが、もちろんそれに対する応答はなかった。なんなら笑い声が聞こえてきそうですらあった。
「や、やっぱり旦那がたは腕っ節も強い上に魔法も使えるんですか?俺たちを拘束している不思議な力といい、イサムの旦那のお召し物が一瞬で変わったことといい……。俺は魔法とかはさっぱりだが旦那がたがなんかすげーってことは伝わりました」
急に出で立ちが変わったイサムを目にしたチュウがそんな感想を述べた。とりまきのトリーとアルも目を輝かせてイサムを羨望のまなざしで見つめている。
「よ、よせよ。別にこれくらい、な?それにほとんど役に立たなそうだし」
「そんなことありませんよ。こんなすごいお方だったとは。いや、一層惚れ直しました」
「そうでやんす。その見ただけで滑らかで肌触りの良さそうなお召し物、とても良くイサムの旦那に似合っているでやんすよ」
「お、お、おら、だんなのこと、尊敬、するだ」
3馬鹿達の住むこの地域の衣類は昔の日本を思い出すような前あわせの甚平のような服といわゆるモンペのようなズボンが一般的である。市民から上流階級に至るまでおおまかなデザインも同じである。もちろん生地や柄に関しては相応の差が存在するが。
そんな彼らの常識からすればスーツは新鮮そのもので、今までの価値観を越えているものだった。確かにスーツという衣類は着こなせばスラッと格好良く映える。さらにイサムの『社畜一式』はスーツの装着機能の発動時に対象に最も似合うスーツを判断し、自動的に最適な着こなしをさせる。故にイサムに対しての3馬鹿の、もっと言えばミチフミの言葉は虚飾なしで、心からの賛辞であった。
「そ、そうぉ?俺ってイケてる?」
「少なくとも俺が王都で見たお偉方のお召し物よりイケてますよ」
「あっしのいた村に徴収に来てた領主よりもどうみても上等でやんす」
「お、お、おら、だんなのこと、尊敬、するだ」
「そうぉ?そうぉ!?俺、イケてるか!?わはは!じゃあ、俺がもっとイケてるところ、もうちょっとだけ見せるとするかな!」
それに加えても3馬鹿はヨイショが得意らしい。彼らの言葉にすっかり気分を良くしたイサムは『社畜一式』で出したリクルートカバンに処遇に困っていたブロードソードを鞄に入れた。もちろん鞄は基本的に剣を入れる構造を有していないのではみ出ている。このままでは有事の際には邪魔となるだろう。
「これを、こうだ!」
イサムがパチッと指を鳴らすと収納仕切れていなかったブロードソードごとカバンはパッと消えてしまった。
「「「「おおおー!?」」」」
これには3馬鹿に混じってミチフミも感嘆の声をあげた。
「ふふふ、このカバンは全体体積の半分を収納できているならカバンを仕舞うときに一緒に亜空間に収納できるんだぜ!生物は対象外だけどな」
「いい能力じゃないか、イサム!絶対サバ○バーより強いよ」
「わっはっは!まだ隠された能力があるけど、それはまた今度のお楽しみだ!」
ともあれ、目下の問題は解決した。ここにとどまる理由もないのでイサムとミチフミと3馬鹿はようやく移動を開始した。
☆☆☆
3馬鹿達が歩きづらそうにしながらミチフミとイサムを先導している。3馬鹿の話では近くに集落があるらしい。食料も金も尽きかけていた3人はもともとその集落を目指していたが、そこへ身なりのいい旅人が通りかかったので移住の交渉用に身ぐるみを剥ごうと考えたのが事の始まりだったらしい。結果はこの有様であるが。
3馬鹿が言うには今歩いている轍道では陽が落ちる前に集落へとたどり着けるかどうかはあやしいらしい。道を外れると森があり、その森を突っ切れば確実に日が暮れる前にたどり着けるという話だった。あたりを見渡せば確かに視界の端に森の片鱗が見受けられる。
だがしかし、森に住まう獣や毒虫の心配をするとおすすめはしないとのことだった。山ごもり経験者のミチフミとイサムはそれら外敵の存在を懸念して前者の轍道を行くことに決めた。大きく凶暴な獣よりも小さく見つけづらい毒虫のほうが恐ろしい場面はままあるのだ。
「そういや魔法ってのはここらじゃ珍しいもんなのか?」
黙々と歩くのはあまり気分が良いものではないと感じたイサムが気を利かせて幾ばくかの雑談を始めて、ミチフミがそれに便乗してこの世界の常識を吸収しているその途中でイサムがふと思い出したかのようにそう聞いた。
それはミチフミも知りたい物事の一つでもあった。
「珍しいもなにも、才能がないやつには一切使えない代物でやんすからね。魔法の才能があるやつもなかなかいないでやんすから」
イサムの問いかけにトリーが答える。今の発言でこの世界には魔法が一応は一般的に存在することがうかがい知ることができた。しかし絶対数はどうやら少ないらしい。
(まあ異世界だし、あってもおかしくないよな。魔法かどうか知らないけど不思議な力を俺らはすでに体験しちゃったし。俺らにも魔法使えないかな?)
イサムは顎に手を当てながらそんなことを考えた。同時に今後敵対勢力と拳を交える際に丸腰でいかにも非戦闘員らしい人物でも警戒の必要性があると考えた。魔法がミチフミらの知るファンタジーな超常現象を引き起こす攻撃的なものであるならば、魔法使いとはすなわち透明な拳銃を持った一般人に扮する者に等しい。警戒が必要だろう。そのためには一度魔法がどんな代物でどのようにして発動するものなのかを知っておきたい。
「3馬鹿は魔法を使える知り合いとかいないの?なんなら一方的に知っているやつでもいいけど」
同じ結論に至ったらしいミチフミがイサムの質問を補足する。これで知り合いがいれば万々歳、一方的に知っている相手ならそのうち訪ねて一発見せてもらおうとミチフミは算盤を弾いていた。
「うーん、急に言われてもって感じですね。一応王家直属に魔法部隊があるらしいって話は聞いてますが俺が徴兵されてた時には影も形も見ませんでしたね」
「あっしにはそんな心当たりすらないでやんすよ。お役に立てず申し訳ありやせん」
しかしチュウとトリーはハズレらしく、申し訳なさそうな表情をイサムとミチフミに向けた。
「いや、いいさ。占いみたいに当たればいいやくらいの感じで言ってみただけだし」
「そうそう。君らが落ち込むことはないよ」
ミチフミとイサムは気にしていない様子で二人にフォローを入れる。しかし、二人の問いは意外なところから返って来た。
「お、おら、魔法使える人、知ってるだ。この国のお姫様、二人いるだども、二人とも魔法使えるだ」
「マジで?」
「そいつはなかなかいい情報だぜアル!」
答えたのは3馬鹿の最後の一人、言ってはなんだが頭脳労働とは無縁そうなアルだった。
「ほ、褒められただ……!」
「やったなアル。そういえばお姫さんは魔法使えてたな」
「おめでとうでやんす。国民なら大体知ってることでやしたね。盲点だったでやんす」
チューとトリーに祝福されてアルは満面の笑みを浮かべていた。しかしアルの返答はミチフミとイサムにとって聞きたかった事のまだ半分である。
「それで、そのお姫様はどんな魔法を使うんだ?」
「た、確か癒やしの魔法だっただ」
「俗にいう回復魔法ですね。かなり珍しい魔法ですよ」
「なんでも王家直系の血筋の女性は必ず回復魔法の適性を持って生まれるらしいでやんすね。ちなみにお姫様は二人いて姉妹なんでやんすが、妹姫様の方が姉姫様より回復魔法が上手いらしいでやんすよ」
「なるほどね。でもお姫さんってなると僕らがお目にかかる機会もないか」
「でやんすね。そもそもお二方とも全然お姿を現しやせんし」
「建国記念の祭りの日に王族が神輿に乗せられて城下町を練り歩くって行事があるんですが、その時ですら薄布でお顔を隠してるって話です」
「まあ要人だしな。下手したらそれ影武者だろ?俺が祭りの運営とか意見出来る立場ならそうするしなー」
「僕もそうするかな」
どちらにせよ本物の魔法にお目にかかれる機会はまだまだ先の話だとミチフミとイサムは同時にため息を吐いた。そのまま会話はまた二人の一般常識を補足していく雑談にシフトしていった。全体の歩調も多少軽くなった気がする。
それにしても拘束している3馬鹿の歩みは当然のごとく遅い。陽はまだ輝いているがすでに傾いている。どうやら集落に着くより先に寄るが訪れそうである。夜の行軍は危険であることを師匠主催の山ごもりで嫌と言うほど味わった2人は今が野宿の用意を始めるタイミングであることを悟った。
「集落に着く前に日が暮れそうだ。野宿の準備をしよう」
「そうだな。3馬鹿、お前らの話によると途中で川があるんだったよな?」
ここまでの行程で聞いていた話を確認するかのようなイサムの問いかけに答えたのは3人の中で最も言葉遣いが上品なチュウであった。王都での従軍経験が活きてるのかもしれない。
「そうですね、少し道を外れた先に川があったと思います。流れが速いので対岸から獣が襲ってくる心配も薄いです。」
「じゃあそこを今夜の野営地にしよう」
3馬鹿の先導に従いしばらく歩くと、チュウの言葉のとおりに森を背にした大きめの川があった。少々森に近いが火を焚いておけばおおむね安心出来るだろう。地球の日本では冬だったがこの辺りの気候は春秋のように過ごしやすいものであった。それ程多く薪を用意する必要もないだろう。あとは川の流れが速いので落ちないように注意する必要がある。
「じゃあ俺はちょっと薪を調達してくるわ」
「いってらっしゃい」
歩き疲れたのか3馬鹿は川辺に着くなり座り込んだが、イサムは対照的にまだまだ元気そうにミチフミの見える範囲で森に入った。
ミチフミはイサムを待つ間に座りの良さそうな平べったく大きめの石を調達した。そのついでにたき火の準備も始めた。3馬鹿が火打ち石を持っていたので心許ないが火種はなんとかなりそうである。それが終わる頃にはイサムが薪になりそうな枯れ木を両腕いっぱいに抱えて帰って来ていた。
「ミチフミ朗報だ。不良から取りあげておいたライターがある」
「でかしたイサム。褒めてつかわすよ」
「何様だよぉ?」
イサムは嫌煙家である。とはいえ喫煙は個人の自由の範囲ではあるので基本的に危害は加えない。ただし、襲ってきた不良には容赦なく説教と拳をくれてやった上でたばことライターを没収している。今回はそのおかげでちまちまと火打ち石で火が着くか着かないかで一喜一憂する必要はなさそうである。たき火の準備は概ね終わったと言える。
「じゃあ僕は火を起こして川の水をすくって煮沸しとくよ。イサムは肉の調達を頼む」
ミチフミはそう言うと履いてた左右両方のスニーカーから靴紐を抜くと手頃な石を2つイサムに渡した。
「まかせろ。さっき鳥の巣をいくつか見つけといたからおかず一品は確実だぜ」
イサムは渡された靴紐を結んで一本にし、両端に石をくくりつけて即席の狩猟具、ぞくにボーラと呼ばれる投げ縄もどきを作った。獲物に投げつけると石の重さと投げられたときの物理運動で縄が絡みつき、捕らえる種猟具である。あくまで即席なので途中でほどけることもあるだろうが、彼が山ごもりをしていたときに作ったお粗末な樹の繊維で作ったものよりはマシな部類である。
そんな得物ですらコンスタントに小動物を3匹は狩っていたのだからイサムの言葉はかなり期待が出来る証明であった。
「3馬鹿は何か食料は持ってる?」
「干し肉が1人一枚づつです。腰の袋に入ってます」
未だに拘束している3馬鹿の腰にぶら下がっている袋をそれぞれ確認するとベーコンより薄い干し肉が見受けられた。携帯食で乾物とはいえ、不衛生な保存方法である。
「……そりゃ追いはぎもしたくなるよねぇ」
「その節は本当にすいませんでした」
「いや、これはしかたないよ。……やっぱ空腹って人類悪だよね」
3馬鹿への同情心を一層強くしながらミチフミはライターで薪に火を起こして川の水を沸かし始めた。イサムの拾ってきた薪は乾いており火がつきやすいものばかりが選ばれていた。これも山ごもりの経験のたまものである。
「ミチフミの旦那、そりゃなんて魔道具です!?」
「見たでやんすかアル、あんな簡単に火が着いたでやんすよ!」
「す、すごいですだ」
「これはライターって魔道具で回数限定で火を起こせるってすぐれものだよ。旅の途中で手に入れた」
ライターの着火能力に「おおー」と声を上げてはしゃぐ3馬鹿に適当な説明(だが嘘は言っていない)をしながらミチフミは沸いた川の水を空になっていた水筒に入れていく。それが終わると道中で拾っておいた野草や山菜、香草の類いを取り出してにらめっこを始めた。どう調理してやろうか。
それからイサムが狩りから戻って来たのはもう夕暮れ時という時だった。両腕に靴紐で縛られて束にされたウサギが2羽と雀サイズの鳥が大小8羽にそれらの卵と思しき物が複数個、そして追加の薪を抱えていた。
「大漁大漁っと」
「お疲れ。森の浅いところだってのに随分獲物が捕れたもんだね」
「そこはほれ、俺の腕ってやつよ」
「さっすがイサムだぜ」
2人はまたハイタッチを交わした。
「さて、それじゃあ今度はミチフミのお手並み拝見だな」
「任せろい。あ、下処理は手伝ってね」
「おうよ」
鳥の羽をむしり、3馬鹿から取りあげたナイフでウサギの首を落とし、血を抜き、腹をさばいて内蔵を処理、次に毛皮を剥いで…、といった作業を2人は慣れた手つきで行っていた。川辺に拠点を置けたのも大きい。下処理の手間が水辺がないときとは段違いである。
下処理が終わったところでミチフミは学生カバンから各種調味料の入った小瓶群と小さなフライパン、そしてまな板と包丁を取り出した。切り分けた肉の部位を思い思いに調理していく。こうばしい香りが3馬鹿の鼻孔をくすぐり、腹の虫を鳴らす。油のはじける音が小気味よい。
「主菜がないのが僕的には不満だけど異世界デビュー初日だしね。不満だけども」
「こんな状況でパンやら米やらまで望むのは贅沢ってもんだろ」
「だよね。……この世界にもあるかな、米」
「そうか、ない可能性があるのか。……米のない生活って考えたことなかったが想像すると恐ろしいな」
日本人のアイデンティティの危機に深刻な表情となった2人だったが味見に調理していた一口サイズに切ったウサギの肉を口に放り込むと表情は晴れた。
「うん。今日も美味しく出来た」
よくよく考えれば見覚えのある動物と野草の類いとはいえ異世界産の食物を警戒もなく口にしてしまったわけだが、取り立てて何が起こるでもなかった。「万が一毒性があったら……」とミチフミは己の注意不足に一瞬戦慄したが、味見に一つ、二つ……と手が伸びているイサムの行動を見ているとどうでもよくなった。とりあえずただちに影響はなさそうである。
「さすが本御流道場の台所番だな」
「その役職名は初めて聞いたけど。あとつまみ食い分はイサムの皿からさっ引いとくからそのつもりでね」
「そりゃないぜ!?」
軽口を叩きながらミチフミはカバンから取り出したレジャー用の紙皿を5人分出し、それぞれに料理を盛っていく。イサムの皿だけ盛りが少しだけ控えめである。ミチフミは有言実行の男だった。
「ミチフミの旦那、それは紙……でできた皿ですか?」
「そうだよ。屋外で食事するときはかさばらないし軽いし重宝してるんだ」
「そんな発想はなかったですね。たいていの人は野営の時は木製食器ですよ」
ミチフミは新しい異世界の知識を得ながら自分の作った料理が木製食器に盛られているところを想像した。
(焼き物の食器とはまた違った趣がありそうだな。いつか自分用の木製食器を手に入れよう)
仕上げに出来上がった料理に一つまみ小瓶から取り出した乾燥バジルを振りかけながらミチフミはそんなことを考えた。献立はシンプルにトリ肉とウサギ肉の香草野草山菜炒めである。紙皿に丘のように盛られた料理から立ち上る湯気にその場にいた全員の食欲が大いに刺激された。
ミチフミは更にカバンからフォークを取り出した。5人分の食器を考慮していなかったので3本しかないが使い回せば問題はないだろう。衛生面が気になるなら煮沸した川の水もあるので逐一洗って使えばいい。
続いてミチフミは指を鳴らした。すると3馬鹿の拘束が解けて全員が自由の身となった。
「食事の時は誰もが安らいでいて幸福でなくちゃ駄目なんだ。食事の時間だけは拘束を解いてあげるよ」
「ミチフミの旦那、いいんですか?俺たちは旦那方を襲って……」
「終わったことだよ。お腹空いてたらそんな気も起こすさ。それに武装してるならまだしも丸腰の君らに負けるほど僕もイサムもヤワじゃないからね」
「な、なんて心が広くてタフなセリフなんだ!この男チュウ、一生旦那方についていきます」
「あっしもでやんす!」
「お、おらも忘れないでほしいだ」
感涙にむせび始めた3馬鹿を見てミチフミとイサムは若干戸惑った。しかし悪い気分ではない。元来二人がどちらかといえば乗せられやすい性格なのも起因しているかもしれなかったが。
「ま、まあそういうことだよ。ほら、食べてくれ。せっかくの料理が冷めちゃうぜ」
「そ、そうだぜ。ミチフミの料理は絶品だからな。ほっぺた落ちるぜ」
2人の言葉を聞いて3馬鹿らはようやく料理に手をつけ始めた。チュウ以外はフォークを持っていないので手づかみだった。
「うまい!うまいぞ!口の中で肉汁がほとばしるみたいだ!」
「ああ、何日ぶりでやんすかね……干し肉以外のものを口にしたのは」
「がつがつがつがつ!おら、こんなうまいもん食べたのは生まれて初めてだ!」
ミチフミは衛生面的な注意をしたい衝動に駆られたが自分の料理に感激しているので水をさすのも悪いと思い、なにも言わずに料理を食べ始めた。
「……我ながらいい出来だよ。野外で作った中では過去最高の逸品かもしれない」
「自画自賛だな。でも確かに今日の料理は格別うまいな。あれだ、祭りの出店で食う焼きそばに似ている」
「ああ、雰囲気的なあれね。納得した。食事をする環境も料理のエッセンスの一つか」
イサムの感想に我が意を得たという表情をしたミチフミはいつもより美味しく出来た料理に舌鼓を打つのだった。
そんな感じでのんきに過ごしているミチフミ達のいる急流の上流にあたる場所では打って変わって血みどろの争いが行われていた。場所は小高い崖で、下には急流が見受けられる。その場には豪奢な織物を着た、いかにも貴人といった出で立ちの少女と外套で容貌が覗うことの出来ない者が10数人の男達に囲まれ、追い込まれていた。
地面のそこかしこにはすでになんらかの衝突があったのか幾人もの死体が無造作に転がっている。
少女と外套の人物は男達に向き合っており、対立関係にあることが覗える。貴人の少女以外は誰もが得物を携えており、その全てが研ぎ澄まされて険悪でいて、とても平和な雰囲気には見えない。
「鬼ごっこは終わりだ。ここで貴様らを始末する」
少女と外套の人物を囲う集団の1人がそう口にした。後ろには崖、前には隙間を埋めるかのような訓練された配置で、男達が油断なく壁となっており、生半可なことではこの包囲網を抜くことはできないだろう。
加えて貴人の少女はへっぴり腰でどう見ても非戦闘員である。庇うように立っている外套の人物だけが貴人の少女の味方らしく、月明かりを爛々と映す剣を一寸の隙も見受けられない構えで男達に向けている。しかし、多勢に無勢に加えて、少女を庇いながらの戦闘となるはずだ。大勢は決まったも同然だった。しかし外套の人物は一歩も引かない。
「アンリ様、それがしが血路を拓きます。その隙にどうかお逃げください」
「そんな、あなたはどうなるのです!?」
外套の人物の性別を今ひとつ図ることの出来ないハスキーな声に悲鳴を上げるようにアンリと呼ばれた少女は抗議の言葉を発した。それは迷子の子どもが道しるべを失った時のような不安をあらわにした声だった。
「すぐにこやつらを片付けて追いかけますゆえ。なに、心配はございません。ここで全員屠れば次の追ってが来るまでいとまが稼げるでしょう」
しかし外套の人物は柔らかな口調で返した。これから必至の死闘が始まることをまるで感じさせない、ぐずる子どもを優しく諭すときのように返した。
「さあ、それがしがあの包囲網に飛び込んだら陣形が乱れますゆえ、その隙を縫ってお逃げください」
「随分と我らを低く見積もってくれるな。それを我らが易々と許すと思って居るのか?」
「ふん。王国暗部、だったか。腐った王政の中でどれ程の練度に育っているのか試してやろう。まぁ、数刻もしないうちに全員八つ裂きの未来は変わらんだろうがな」
「戯れ言を……っ!」
言葉を続けようとした男の不意を突くように外套の人物は剣を振りかぶって突進した。それに呼応して男は剣を受けたが、それは半ばでへし折れて、外套の人物の剣が深々と男の身体に斬り込んだ。
「お逃げを!」
戦端は開かれた。男が斬られたと同時に陣形が歪み、その隙を埋めようと包囲が縮み始める。アンリは外套の人物の合図を聞いたと同時に走り出していた。
「必ず後で会いましょう!」
「御心のままに」
すれ違いざまにアンリは外套の人物にそれだけ言うと全速力で走り出した。
「させるか!逃がすな!殺せ!」
男の怒号に呼応してアンリに刺客達が殺到する。それらに外套の人物が行かせまいと死にものぐるいで剣を振るうが数が違いすぎた。奮闘むなしく、アンリを1人の男が追いかけて行く。しかし、外套の人物が足掻いた成果か追いかけた男の手に武器はない。
だが、成人男性はその気になれば、例え抵抗されたとしても体格が一回り違っており、武術訓練を受けていない14歳の少女の首など体重をかければへし折ることが出来る。アンリはぴったりとその条件に当てはまっており、すなわち組み敷かれたら命の保証はない。
アンリの着ている豪奢な織物はお世辞にも運動に適しているとは言えない物である。加えて歩幅も年相応でここまでの逃亡の疲労もある。気力で足をがむしゃらに動かしているが、それでも平時の速力には及ばない。数秒後には男の腕はすぐそこまで迫っていた。
「させるかぁっ!」
アンリの危険を察知した外套の人物が3人の男と斬り結びながら半ば強引に隙を作り、アンリを追いかけていた男が取り落とした剣をぶん投げた。確かな技術を持って投げられた剣は縦に刃を立てて回転しながら飛んで行き、アンリを追いかけていた男の太ももにざっくりとその剣身を埋めた。
「ぎゃぁ!?」
「きゃっ!?」
突然の激痛に前のめりにつんのめって盛大に男は転んだ。それにアンリは巻き込まれてその華奢な身体は少しの浮遊感の後地面を転げて、そしてまた大きな浮遊感に襲われた。吹き飛ばされて、地面を転がって、崖から落ちたのだった。
「アンリ様あぁぁぁ!くそっ、どけえええええええ!!」
外套の人物の咆吼を最後に聞いて、崖の下を流れている川にたたきつけられてアンリの意識は遠のいた。
明日も投稿予定です。