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彩-Irodori-  作者: 黒雀蜂
第壱章 紫苑
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三、

 月と太陽が代わる代わる見守る中、それから三度目の朝を迎える。

朝日は昇り、紫苑に揺れる清明邸の庭を優しく照らし出す。

 鼻を擽る甘い芳香が香る、夢の中での出来事なのか、現実なのか曖昧な感覚にとらわれる。

それと同時に優しく暖かい感覚、そして少しばかりの重みを感じる、それが何なのかわからない。

 しかし、決して嫌悪するような重量ではなく、どこか心地よい安心するような感覚。

覚醒した意識は瞼をゆっくりと上げていく、そして飛び込んできた光景に目を疑った。

朝のそよ風が御簾を抜け部屋に届く、それは目の前の艶やかな黒髪をさらりと抜けていく。

風が揺らした黒髪の奥に、瞳を閉じた男の顔が覗いている、とても綺麗で何処か苦しそうな顔。

 少しばかり魅入っていると、ふと女は己の置かれている状況に少々焦りが生じてきた。

見たことのない赤の単を纏う自分、見たことのない部屋に居る自分、そして何よりも見たことのない男が添い寝をしていると言う状況。

 これは自分が意識を失っている間に何が起きたのか。

確認するのにもこの男が目覚めるまで待つしかない、そう腹をくくり半身を起こすと、廊下であろう方向から二人分の男の声が聞こえてきた。

「今日の朝餉の当番は俺だろう常盤。」

「えぇ、昨日が僕でしたので今日は朽葉の番ですが、僕が既にしておきました。」

「なんでまた。」

「なんで、と聞かれましても、朽葉は朝日が昇っても起きなかったではないですか。

何度も起こしたのですがなかなか起きてくれないので僕がやったほうが早いと判断しただけです。」

「悪かったって、怒らないでよ、常盤が怒ると本当に怖いんだよ?超敬語だし・・・。」

 廊下の板が軋む音と二人の会話が聞こえてくる。

女は声を上げようとしたが、次の瞬間口を何者かの手によって塞がれてしまい声は出なかった。

 手の先を振り返れば、先ほどまで添い寝をしていた見知らぬ男だった。

男は余ったもう一つの手で結んだ口の前に人差し指を立てる。


喋るな――


 瞳が語るその言葉に女も一度だけ頷きその言葉に答え、ようやく口元に当てられていた手から開放される。

そして、男に向き直りこの状況の説明を催促しようと再び口を開こうとすれば先に男の口から言葉が紡がれていた。

「喋らずともよい、この状況が知りたいのだろう?焦らずとも教えてやる。」

「そう。ならいいわ、続けて。」

「ふむ、喋ることは可能なのだな。ならば簡潔に言おう。」

 清明はおもむろに女の顎に指を添えて自分の方へと引き寄せた、息のかかりそうな距離に女が伏し目がちになると、悪戯に笑みを浮かべる。

「お前は私の屋敷の前で拾った、今日からお前は私のものだ。異論は許さぬ。」

その言葉に女は身を乗り出して反論しようとするが、清明はそれを手で制し続きを聞けと言って女を元の位置に押し戻す。

「よいか、よく聞け、お前には呪が掛かっている。どのような類いのものかは己自身が受けたものだ、理解しているだろう。ならば簡単だ、己の身が可愛いのであればこの邸から出ぬことだ。ここには強力な結界が張ってある、見つかることはまずない。」

「それでは、あなた方に迷惑がかかるではないか。」

「ほう、ならばその身一つでどこに行くつもりだ?」

「それは…。」

 言葉に詰まる女に清明は再度言い放った。

「お前は私のものになるのだ、そうだな理由が欲しければこう言ってやろう。」

 女は首を傾げ清明を見据えると、清明もまた女を見つめ返した。

 そして清明は口を開き確信を語る。

「お前は糺の森に住まう天狐だろう。昨夜私の邸に足を踏み入れなかったのは、強力な結界が見えていたから。あれ程のものが見えるのはそれなりの妖力が無ければ無理だからな。常人にはただのあばら屋に見えるはずだ。」

「確かに、邸に踏み入ることはなかったが、他人の家に入るのは…。」

 否定したい天狐という事実、これが肯定されれば何をされるかわからない。

見たところによると相当の術者だと考えられる、都を守るために陰陽師という術者の集団がいると言うことも知っている、ならば消されるかもしれない。

そんな不安すら清明の言葉で綺麗に遮られ、飲まれてしまう。

「何を不安に思うことがある、先ほども言っただろう。お前は私のものになる、消しはせんし、利用したりもせん。とりあえずその呪が解けるまでここに居ればよい。」

曇っていた心の不安が一気に晴れ渡り、先行きの分からぬ都での生活に一筋の光が走ったように感じた。

 しかし、清明の顔はどこか不安そうな笑みをしていた。

「無益な血は流れぬ方が良い、ましてお前のようなものなら尚更…。」

 呟いた言葉は女に届かず消える、何か言ったのかと問う事も出来ずにいると、清明は何かを思い出したかのように手に持つ扇子を掌に打ち付けた。

「そう言えばまだ名乗っていなかったな、私はこの邸の主、安倍清明。内裏の陰陽寮で天文博士をしている。いわゆる陰陽師というものだ。それに、先ほどの声の主、二人は・・・そうだな後ほど顔を見せよう。」

そこまでいって今度は女に問いかけた。

「お前は名を何と言う?」

「ないわ。人としての名は当の昔に捨てたから。」

すると清明は腕を組み庭先に目をやると紫苑の花がふわりと揺れて甘い芳香が部屋にまで届いてきた。

「いい香り…。」

 女が瞼を閉じて香りを楽しむ表情を見せ、清明は頷いた。

「ならば私が名をくれてやろう、葛葉はどうだ。」

「葛葉?それはあの花の名前なの?」

 女が清明に問えば一度頷き口を開く。

「あれは葛の花だ、あれは元来丈夫な植物でな、お前のそのしぶとい命に似ているであろう。」

 悪戯に笑みを浮かべた清明だが、女はこくりと頷き微笑み返す。

そして、ありがとうと言葉を紡げば、先ほど通り過ぎた二人分の足音が帰ってきて、御簾越しに声を掛けてくる。

「主様、よろしいでしょうか。」

「清明、朝餉の準備が出来ているぞ。」

「あぁ、わかった。ついでにもう一人分増やしておけ、葛葉が目を覚ましたぞ。」

 清明の言葉に御簾の向こうに居た二人は勢い良く部屋の中へとやってきて、笑顔を浮かべながら葛葉を囲うように褥の周りに座り込んだ。

「おはよう、葛葉。」

「おはようございます、葛葉さん。」

「さぁ、常盤、朽葉、葛葉。四人で朝餉にしよう。」

 こうして葛葉の新たな生活が始まった。

 しかし、葛葉の体に残る呪は未だ解けずになりを潜めていた。

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