一、
女は月明かりが照らす都の辻を歩いていた。
行く当てもない、途方にくれるが森には帰れない。
いつ何時あの男が再び戻ってくるかもしれない、尚且つ己のこの傷も癒えぬままではとてもではないが会いたくはない。
そのような男だった。
美しい白銀の尾は都に入る前に化けて消えていた。
今はただの女である。
しかし、その他の獣としての能力は化けようが、化けまいが大差はない。
嗅覚、聴覚、視覚、あらゆる感覚は人並み以上であると自負している。
故に今のこの状況に少々動揺している。
馨しい甘い芳香、酔い痴れそうになる感覚――
土御門大路を内裏へ向かい進む、その途中にその邸はあった。
傍から見ればただの打ち捨てられた邸にしか見えないであろう草木が自由気ままに生い茂る庭、外壁は長年の風雨に晒され剥がれ落ち、とてもではないが雨風がしのげるようには見えない。
しかし、女の眼には真実が映る。これはただの結界。
実際、女の目に飛び込んできたのは、開かれた門の中に広がる一面の紫、鼻腔をくすぐるのはあの馨しい甘い芳香だった。
もっと近くで見てみたい、触れてみたい衝動に苛まれるが、この邸の厳重な結界がなにか良くないものを知らせているようで躊躇う。
それに、先ほどの男との一戦で負った傷は思いのほか痛手だったようで、流れ出す赤は未だに止まることを知らない。
門前に佇んでいるだけでも、ぽたり、ぽたりと湿った水音が静まり返った都に消える。斑点だった赤は土を染め、次第に広がる。そして、どさりと言う鈍い音もまた空気に消えた。
――ついに、女はその門前で意識を失ってしまった。