一、
月明かり差し込み、静まりかえる糺の森。
木々の生い茂る中、ぽつりと口をあけたような空間がある。
その中央には、今宵の月を見上げ美しく輝く白銀が浮かび上がる。
白銀は九つに分かれた尾を持ち、それはゆらゆらと気持ちよさそうに揺れている。
今宵も月が綺麗だ――
刹那、その空間にいた白銀は消えた。
代わりに佇むのは、白銀の九つの尾をもつ白拍子姿の女だった。
そこにあるものは変われど、変わらず揺れるは、美しくしなやかな白銀の尾。
しかし、ゆらゆらと揺れていたそれは動きを止めた。
澄んでいた空気はいつの間にか淀みを増していき、途轍もなく禍々しい妖力を感じたかと思うと、女は既に射抜かれていた。
肩に深く突き刺さった矢は、肉を裂く鈍い音と激しい痛みを女に与えた。
美しい女の顔が歪む。
それとは対照的に口元を歪め、不敵な笑みを称えるも、それが似合わぬほど端整な目鼻立ちの美しい男が茂みの中から静かに現れた。
漆黒の狩衣に、それに負けず劣らずの艶やかな漆黒の長い髪を揺らしながら・・・
その手には女の肩を射抜いた弓を携えていた。
「ようやく見つけたよ、天狐。愛しの君。そして、君のその力、私が貰い受けよう・・・。」
女が、何が起きているのか把握できずにいると、男は女に向かい九字を切りながら呪詛のような言葉を紡ぎ始る。その言葉は女に突き刺さった矢羽に反応し、光が溢れだし始める。
そして、その光は迷うことなく、一直線に男の方へと向かって収束していく。
きらきらと輝き、溢れ出る光が己の力を徐々に奪っていると女は悟ったのか、苦痛に耐えながら肩に刺さった矢を引き抜いた。
すると、溢れ出た光はそのまま霧散して消えて行った。
美しく輝く光と入れ替わる様に流れ出すのは鮮やかな赤――
眩暈を起こしそうな光景の中、男は容赦なく矢を女へ向ける。
口元を更に歪ませて、嬉々と弓を撓らせる。
「刀で斬り付けるもいいが、欲しいのは生き血なのでね、死なれると困るのですよ。」
狙いを定める男。
それに対峙する女。
両者の間には、張り詰めた空気が流れる。
――そして、空を裂くように矢は放たれた。
同時に女は腰に下げていた太刀を引き抜き、男に向かい突きつける。
瞬時に女は青い閃光に包まれ、切先から稲光が一直線に駆け抜ける。
放たれた矢は焼かれ勢いを失い、衰えを知らぬ稲光は男を貫いた。
女は突きつけた太刀を静かに鞘に収める。
目の前の出来事に対し自身は微動だにせず、九つの尾はゆらゆらと揺れる。
「その妖力、実に見事で美しい。益々欲しくなるばかりですよ。」
女の力をまざまざと突きつけられた男は崩れ落ち、その力欲しさに地を這い女へと向かう。
そんな男を女は、表情も変えずに見下しながら、声を出さずに問う。
"何故、この力を欲するのか。
そして、手に入れた先になにがあるのか。"
男はさも当然の様に答えた。
「何故と君は問うのですか。実に簡単なことをお聞きになる。己の悲願を達するに必要な力だと考えたまでのこと。そして、天狐の妖力は三千年の年月を重ね得る、非常に稀な力であり、強大ですからね。」
ゆらりと不安定な姿勢を保ち、立ち上がった男は、女を見据えて言葉を吐き捨てた。
「君のその力、必ず私のものにしてみせますよ。私から逃れられると思わないほうがいい。
先ほどの矢はただの矢ではありませんから、何処へ逃げても分かるのですよ、そのような呪をかけましたから。何処へでもお逃げなさい。その間に私はありとあらゆる妖を食らい、
君を手に入れる為に力を付けておこうではありませんか。楽しみにしていてくださいね…。」
「――愛しの君。」
吐き捨てられた言葉を拾う間もなく男は砂塵の如く消え去り、残されたのは焼ききれた矢。
女はそれを拾い上げ、森の奥深く、暗闇の中へと消えていった。