何もない一日、なんてあるようでない
今日の俺は機嫌がいい。
いつもより早い時間に登校すると、門の前でオトメに遭遇した俺は「おはよう!」と声をかけてみた。
するとぎこちないながらも「……おはよう」とオトメが挨拶を返してくれた。
それだけかって? は? すごいことだろ!
俺は遂に、早乙女忍と“友達”になれた。
その現実を噛みしめながら今朝の光景を思い出すと無意識にガッツポーズを取るほどにそれは俺にとって喜ばしいことだった。
昼休みに佐伯と学食へ向かい、日替わり定食を頼んで席に座る。
佐伯はいつも弁当だけど、俺が学食の時はこうしてついて来てくれている。
俺も最初は弁当だったけど母さんが作るのがめんどくさいとか言い出して最近はもっぱら学食だ。目の前で弁当を広げる佐伯を見て、弁当が恋しくなってきた……
「ここ、いい?」
いただきます、と佐伯と手を合わせた瞬間、俺の横に見たことあるうさぎのキャラクターの布に包まれた弁当箱がコトンと置かれた。
「――オトメ!」
顔を上げると立っていたのは今日俺の機嫌を良くしてくれた張本人。
「おう、一緒に食べよう!」
「あれ、この子って……あ〜! 麻丘くんにマヌケって言った子だ!」
「……」
佐伯はオトメを見ると、オトメとの衝撃の出会いを果たしたマヌケ事件のことを思い出したみたいで無邪気に笑い出した。
オトメはそんな佐伯を無視して、俺の隣に腰かける。
「同じ委員会で、仲良くなったんだよ。隣のクラスの早乙女忍」
放置してたら絶対に自分から自己紹介なんてしないだろうなと思った俺は、佐伯にオトメを紹介した。
「早乙女さん! 佐伯那智です。よろしくお願いします」
「よろしく……」
あまりこういうのに慣れていないんだろう。オトメはどうしたらいいかわからないといった様子だ。
反対に佐伯はオトメが来て嬉しそうに見える。
――何かいいな、こういうの。てか俺周りから見たらハーレム!? いやこの学園ではそんな概念ないか。
改めて三人で手を合わせて、楽しいランチタイムがスタートした。
「ねぇねぇ早乙女さんは何が好きなの?」
「え? 何が好きって……範囲広くない?」
「そっか! じゃあ好きな動物とか」
「うさぎだけど……そんなこと知って意味ある?」
「うさぎか〜! 私は猫かな! そういえば麻丘くんってば発情期の猫にネコパンチされたらしくて」
「おぉっと佐伯ィ! その話は今はやめとこうか! な!?」
「……?」
いけない。発情期の猫の正体は今目の前にいるオトメの兄ってことを佐伯は知らないから仕方ないけどこの話題はよろしくないすっごくよろしくない。
急に慌てだした俺を見て佐伯もオトメも不思議そうな顔をしている。
何かいい話題がないか頭の中で考えていると、急に俺の口が甘い卵焼きの味でいっぱいになった。
「んん!? はえひ!?」
何事かと思えば佐伯が俺の口に自分の弁当のおかずの卵焼きを突っ込んで来ていたのだ。
俺はそのままもぐもぐと卵焼きをあっという間に食べ終えると、佐伯はふふっと笑い出す。
「麻丘くん、ずっと私のお弁当見てたから食べたいのかなって思って」
はい、今日も天使が天から降臨なさいました。
俺が弁当を恋しがってたことに気付いてたなんて、佐伯って本当に人のことよく見てるなぁと俺は感心する。
「はは、バレてた? 最近学食ばっかでちょっと弁当が恋しかったんだよね」
「そっかー。じゃあ明日は私のお弁当と交換する?」
「え!? いいのか!?」
「……ハァ」
佐伯からのハッピーな提案に喜んでいると、隣から大きなため息が聞こえた。
「何だよオトメ」
「あんたが終始デレデレしてるからやっぱ情けないマヌケな男なのなって思って自分の見る目を心配しただけよ」
「は!? べ、別にデレデレしてないだろ!」
「麻丘くんはいつもこんな感じだよね?」
「いつもデレデレしてるってことねハイハイ」
面白くなさそうにオトメは黙々とまた弁当を食べ始めた。何なんだよ見る目を心配って――うわ、そんなことよりオトメの弁当もすげぇうまそう。
オトメの弁当を凝視していると、オトメが俺の視線に気づき「何よ」と言わんばかりの表情でこちらを見る。
「いや〜オトメの弁当も美味しそうだなと思って」
「……何狙いよ」
「その肉! コロコロステーキみたいな肉!」
「うわぁ! 本当だすっごく美味しそう! ねぇ早乙女さん、私の唐揚げと一個ずつ交換しない?」
俺と佐伯に迫られたオトメは、最終的に「もう好きにしろ」と言って弁当箱ごと差し出してくれた。
****
「麻丘くん!」
「お? 東宮、どうした?」
帰りのHR前、俺の教室に東宮が訪ねて来た。
「来週の学級委員会なんだけど、ちょっと時間かかっちゃっても大丈夫かな?」
「俺は全然大丈夫だけど。何かあったのか?」
「それが、来週のスポーツテストの最終確認に加えて、来月ある体育祭の話し合いをしなきゃいけなくなって……」
体育祭は俺の記憶が正しければ六月だった筈……そんな今から煮詰めて話し合わなきゃいけないもんなのか? と思ったけど東宮の表情を見る限り、何かワケありっぽい感じがプンプンする。今は黙って話を聞いておこう。
「体育祭は、村咲学園初の大きな行事だからって校長が張り切ってて、ちゃんと話し合いが進んでるかどうかの確認の為に再来週の委員会は校長も参加するって言ってるみたいで」
「ええぇ!? こ、校長が委員会に参加!?」
あの無駄にエロいお色気校長が!? そういえばあの入学式以来姿見てないけどちゃんと働いてんのかなあの人……
「今から考えるだけで胃が痛いよ……河合さんが変なこと言ったりしなきゃいいんだけど……だから来週校長が来たときの対策を練っておきたいんだ」
「ちょ、そんな思いつめんなよ東宮。さすがの河合も校長前で失礼なことは言わないと信じよう」
俺の言葉を聞いて、東宮は「そうだよね……ありがとう」とか細く呟いた。
まだ始まってもない学級委員会のこと考えてここまで悩んでるなんて東宮普段からストレスため込んでそうでちょっと心配になる。将来ハゲなきゃいいけど。
「じゃあそういうことだから、今から早乙女さんにもこのこと伝えてくるよ」
「あ、オトメなら俺が言っておこうか? 今日一緒に帰るし」
「えっ……」
昼休みに佐伯の提案で、今日は三人で帰ろうという話になっていた。オトメも特に嫌がることなくオーケーしてくれたのがちょっと意外だったけど。
案外佐伯とオトメっていいコンビになったりして――
「そっか! よかったね麻丘くん! 早乙女さんと友達になれたんだ!」
東宮は少々興奮気味に俺の肩を掴んで、嬉しそうに言う。
「そうなんだよ! いやーいろいろ迷惑かけたな東宮にも」
「全然! よかったよ。昨日河合さんに麻丘くんが早乙女さんにパンチくらって遂に愛想つかされたって話聞かされたから、どうしようと思ってて……委員会のとき気まずいなとか思ってたけどそうじゃないみたいで安心したよ」
河合の奴やっぱり勘違いしてやがったな! しかも東宮にまで嘘の情報吹き込みやがってあいつ……!
「あーそれは河合の完全なる虚言だから。ってか東宮も河合の言うこといちいち間に受けんなって!」
「そうだよね! 河合さんの言うこと信じるなんてどうかしてたよ! 肩の荷が下りた気がする! じゃあ早乙女さんに言っておいてね!」
それじゃあ! と最初のテンションとは大違いで颯爽と東宮は去って行った。
やっぱり東宮も変わってるよな……でも学園一の秀才なんだよなぁ。何でそんなに頭良くて、この学園を選んだのかがちょっと気になるとこだけど、機会があれば聞いてみよう。
「アサシ〜ン? 早く席について〜HR始めるよぉ」
後ろからしののんの気の抜けた声が聞こえて、俺は急いで席についた。
そして相変わらず中身のない適当なHRが終わり、俺と佐伯はB組にオトメを迎えに行って、そのまま三人で帰宅する。
迎えに行ったときのオトメの驚きようが面白くて、しばらく俺と佐伯はそのことで笑っていたら、オトメにこっぴどく怒られてしまった。
「そういえば東宮から伝言あってさ、来週の委員会ちょっと長引いてもいいかって」
「はぁ? めんどくさいわね」
「再来週の委員会に校長が来るらしくてその対策を練りたいとか何とか……まぁ東宮も苦労人だから協力してやってくれ」
「校長が? そういうことなら仕方ないけど何で校長が来るのよ」
「俺もよくわからないけどとりあえず校長が六月の体育祭を楽しみにしてるみたい」
「体育祭? スポーツテストは来週だったわよね確か」
スポーツテスト、と言いながらオトメはちらりと佐伯の方を見た。
「――佐伯さんって、運動出来るの?」
絶対出来ない前提で聞いてるだろ、とツッコミたくなるような言い方でいっそ清々しい。
言われてみれば確かに佐伯って運動出来そうなイメージはないな……どんくさそうなとこあるし。ドジっ子的な可愛い要素が……
「うーん、どうだろう? 自分じゃわからないかな」
「無理しなくてもいいのよ? 完璧な人間は存在しないんだし」
「早乙女さんは運動神経よさそうだよね!」
「へっ!? あ、あたしのことはどうでもいいのよ」
人に聞いといてそれはないだろ、と言いかけた時、俺達の前にそれはもうガラが悪そうな二人組が立ちはだかった。
伸也、どうする!? 遂に隠されし力を発揮するときか――!? なんてアオリが漫画だったらつきそうな場面。残念ながら隠されし力もなければ漫画でもないのが現実だ。
「いや〜二人とも可愛いね〜同じ学校? でも君だけブレザーだね? どういう関係なの?」
「このまま俺達と遊びに行こうよ。カラオケとかさ。こんなしょぼそうな男置いてさ〜楽しいよ」
どうもしょぼそうな男です。つーか不良のナンパとかマジ勘弁すぎるだろどんな確率でこんなことになるんだよ典型的な不良に絡まれるとか逆にレアだろ。
不良も不良で話しかける相手間違いすぎだから今すぐ退散した方がいい。
「邪魔だから退きなさいよ」
案の定、オトメは大嫌いな男に絡まれて険しい顔になっている。そんなオトメの態度を見て尚ニヤニヤと笑っている不良共の頭の中は空っぽなんだろうか。
「気ィ強そうな顔してっけど本当に気ィ強いんだ〜オレそういう女黙らせるの大好きなんだよなぁ」
「こっちの子は逆に何でも言うこと聞いてくれそう。オレはこういう方がいいや。うるさい女ってメンドクセェし」
今度はぎゃはははと下品に笑って、一人ずつが佐伯とオトメの腕を引っ張る。
さすがにこれはマズイ。オトメなんて男に触られたままだと死ぬんじゃないか。抵抗しているけど力の差で敵うワケがない。
――しょぼそうな男の俺がどうにかするしかない。このまま黙ってるなんて男じゃないぞ麻丘伸也! しょぼくないところを見せるんだ!
「お前らやめ――」
しょぼそうな男が、勇気を出したその瞬間。
何か大きなものが宙を舞い、そのままダンッ! という衝撃音が地面に響く。
「えっ? えっ?」
全部がスローモーションに見えた。
佐伯が、自分よりも遥かに大きい男を投げ飛ばしていたのだ。
そのまま早乙女の腕を掴んであんぐり口を開けている不良に歩み寄り、あっという間に腕をひねる佐伯。
「いぃっ! いてぇ離せ!」
「すぐ立ち去ってくれるなら離します」
「わかった! わかったから!」
不良の悲痛の叫びを聞いて佐伯がパッと腕を離すと、逃げるようにして不良達は去って行った。
俺と早乙女もさっきの不良と同じようにあんぐりと口を開けたままだった。
今何が起きたんだ? 間違いなく佐伯の隠されし力が発揮されてたよな?
「早乙女さん、麻丘くん大丈夫!?」
「い、いや俺は何もしてないし……」
「おかげさまで、あたしも、大丈夫だけど……」
「よかったー! 嫌になっちゃうよねああいうの! せっかく三人で楽しく帰ってたのに」
いつも通りすぎる佐伯に、今見たのは夢だったのかと思いそうになる。
「何してるの? 早く行こう二人とも!」
佐伯は俺とオトメの手を引いて歩き出した。俺達も佐伯に引っ張られるように歩き出す。
俺とオトメは無言で視線だけを合わせたけど、お互い言葉を発することはなく、そのまま佐伯が不良を撃退したことには触れずに解散した。
佐伯も何も言わないから触れていいのかわからなかったし、何より未だに信じられてないんだと思う。
もしかしたらマグレかも――ってどんなマグレだ。それだったら俺にだって出来ていいだろ。
そして俺は一つのことを心に誓った。佐伯を怒らせるのだけはやめておこう。
あと俺の中の佐伯イメージから“ドジッ子”という要素が消えた。