ゾンビ55
なにをやったかって?
それはとてもシンプルなことだ。手の平を開いてそれを叩きつけた。たったそれだけのことで熊の巨体はのた打ち回っているし、俺は突進の勢いを殺しきれず吹っ飛ばされていた。
当然、手の平を叩き付けたからといって熊は悶絶しないだろうし、俺は吹っ飛ばない。必要なことをした結果、熊はのた打ち回って俺は吹っ飛んだのだ。
つまり、何が起こったのかというと、思考を数秒前に戻そう。
互いの雄叫びを全身で感じながら俺は飛び出していく。同時に飛び出した熊の勢いも合って、お互いの距離は一瞬にして迫りあう。
視界に映るのは熊の凶悪な面構え。明らかに俺を食い殺そうと口蓋を開き、眼光は俺の目線を射殺さんばかりだ。そして、それは俺も変らない。目線を逸らすことなく爪先で地面を噛み押し出す踵で速度を増す。同時に連動して動く腰の回転と振りかぶった手の平は狙いをはずさない。
このままなら熊の鼻先は俺の身体に激突し、一方的なダメージを与えるだろう。しかし、その速度と質量を含めて俺は行動しているのだ。
お互いが接触する刹那、とまどう熊の視線と俺の殺意が交差する。
衝撃。
それはお互いにとってだろう。俺の視界は反転し、目線に映るのは高速でスクロールしていく木々と灰色の空だ。だが、視界の端に映るのは蒸気を吐き出す右腕であり、直後続く衝撃が俺の思考を現実の即座に戻す。
そして、まともに動かない身体を無理矢理動かして上体を起こせば、本来ならば俺に止めを差そうとするはずの巨体が悲鳴を上げてのた打ち回っているのだ。
そう、つまり、俺は賭けに勝ったのだ。
俺のように質量の少ない人間程度が多少の力を手にしようと十倍以上の体重を誇る獣に勝てはしない。けれど、勝たなければ殺されるのだ。食い尽くされるのだ。再生能力なんて関係ない。相手を殺すことができなければ俺が殺されるのだ。なら、なにが必要か?
再生能力はもちろんだが、それだけじゃ足りない。必要なのは攻撃力。なぜなら、俺は死にさえしなければ再生できる。だけど、獣は強靭でも所詮強靭程度でしかない。
なら、俺の再生能力を維持した上で、相手の強靭な生命力を削っていけばいいのだ。だから、眼球を貫き精密な動作を奪った上で、
『三半規管を狂わせてやればいい』
お互いが接触した瞬間、熊は俺を吹き飛ばすことを選択し、俺は獣の頭部………耳に、その奥にある鼓膜に手の平の衝撃を叩き込んでいた。あくまで賭けであったのだけれど、狙い通り熊の鼓膜の破壊に成功したようだ。その結果が今であり、三半規管を破壊された熊は内側からの痛みにのた打ち回っている。そして、三半規管が狂った生命体はそれに慣れるまでまともに動くことは敵わない。船酔いが良い例だ。
ということで、
「あーうー」
俺は全身から蒸気を噴出しながら立ち上がる。
こちらは自動で再生中。向こうは慣れる事はあってもダメージまで回復できない。
後は蹂躙するだけだ。体の動きは鈍いが動けないほどじゃない。
そう思いゾンビウォークを始める俺と熊の視線が合う。
「・・・・・」
それは身体を震わせながら怯えたような光を灯していた。
でも、さ。
見逃してもらえると思ってんの?
「っ!」
俺が逃げたら見逃してくれたの? そうじゃないよね? 明らかに殺しに来てたよな? それなのに、自分の命の危機になったら見逃してくれは、明らかに都合が良すぎるよな。
なにより、俺のこと食い殺そうとしたんだよな?
俺は歩を進めていく。後数歩歩けば熊の目の前に立てるだろう。そして、うずくまった状態のそれが何をしてこようと対処できる。そんな態勢では満足な行動を取れないだろうから。
だから、また、この獣が俺のことを食い殺そうと立ち上がろうとしても、
『俺に食い殺される覚悟はあるんだよな?』
轟音。
振り下ろした拳は砕け散るが、同時に叩きつけられたのは牙を剥いた獣の頭部。同時に振り下ろした踵が獣の頭部と地面を縫い合わせる。
その上で通じるかもわからない念話を向けてみる。
『俺に食い殺されるか肉になるか選べ』




