ゾンビ43
王国からの脱出は準備さえ終われば簡単なことだった。
城壁の一部にロープを結んで、それを伝って降りるだけ。
そこから先は思うままで良いだろう。
目的も方向性も無い。ただどこかに向かうだけだ。
アサガオにも同意してもらえたので、ある程度荷物の集まった中天に出発を決めた。
城壁高いな。
ロープを縛り終わって降りる段階なっていなや改めて降りる高さに恐怖する。
いや、だって、ノーロープバンジーじゃないけど命綱も無しに、初の降下がこれってどうよ? 二十メートル近くある上にロープは風で揺れている。人体の重さで安定したとしても結構揺れるからな?
『早く行って』
アサガオ、この恐怖は先陣をきった俺にしかわからない。
『それと、上見たら蹴り落とすわ』
なら、お前が先行けよ?!
『いやよ、怖いじゃない』
我侭すぎる!
という理由で俺が先行します。
そして、先行しながら思う、人間の体って意外に重いな。
手でロープをつかみながら、足で挟みながらゆっくり降りているんだけど、力が足りなきゃ一気に落ちかねない。だってロープを降りるって自分の体重を支えているようなもんだからな。わかりにくいならこう言おう。君達50キロの物体持てる? 腕と腹と足で三分割しているけど、それでも一箇所ごとに16キロくらいの負担だ。
今は降りるから支えるだけで良いんだけど、上るときはもっと過酷だろうね。登山家は、ロッククライミングする人は偉大だと今思った。
『くだらないこと考えているのね』
くだらなくは無いだろ。アサガオだってエベレストを目指してみろよ?
『あたしは登山家を馬鹿にしたわけじゃないわ。今、この状況でそんな思考をしたあなたをくだらないといったの。それに、今のあたし達なら、エベレストの登頂くらい簡単でしょうね。だって死なないもの』
もっともな話でした。
とはいえ、さっさと下に行こう。そして、冒険と旅を始めよう。
だからこそ、ロープを掴む手の平を滑らせて、
悲鳴。
手を離した。
衝撃。それを感じるのは足裏だ。だけど、壊れていない。即座に走り出すことが可能だ。
『アール!』
悪いアサガオ、今は返事は後回し。生きている人間がいる。
俺が飛び降りたのは下ろされたままの架け橋。周囲には無数のゾンビがいるが今は無視だ。
そして、架け橋の向こう。悲鳴の聞こえた先に視線を飛ばす。
終わっているね。
なにが終わっているって、視界の先にゾンビしかいなかったからだ。
いや、正確に言うならそうではない人が一人だけいたけど、逆に言うならそれだけだ。王国という世界の要の一つであろう拠点の周りに死体しかいない。つまりはこの世界が終末に向かっているということだ。奪還すらあきらめられているのだろう。俺だったら、こんな疫病の塊のような国は放置するか焼き払うと思う。そして、その焼き払うコストが勿体無いから放置されているのだろう。
おっと思考がそれた。
ゾンビではない人の姿があった。
黒いとんがり帽子とマントを纏った小柄な影だ。ひょっとしたら子供かもしれない。
そんな彼? 彼女? に向かって手を伸ばす無数のゾンビ。このままだとあっさり亡者の仲間入りだ。だって、こちらを見ながら放心しているし。
お互いの距離は約二十メートル。そして、今この瞬間、とんがり帽子の子の肩に亡者の手がかかった。
加速。
踏み出された踵から脛の裏を抜けて太ももを破裂させんばかりの力が駆け抜ける。同時に生まれるのは視界と頬に叩きつけられる空気の感触。連動するのは背筋。振るうべき右肩の根元と折りたたまれた肘から射出される右拳。自分から見れば大振りなテレフォンパンチに過ぎないが、元々止まっているような連中であったし、俺になんて視線を向けていない。
つまり、
轟音。
空気が震えた。
拳を振り切った姿勢でその先を見据えれば、その向こうの風景。つまりは目の前にいたゾンビの姿は消し飛んでいた。もしくは見える範囲以外に吹っ飛んで行ったんだろう。ちなみに、その残滓は残っていた。
眼下に見えるのはとんがり帽子を被った子供………ではなく少女のようだった。その肩を掴んだまま残された手首。それがゾンビの生きた証拠でした。
死んでるけど。