ゾンビ15
「干し肉に干し野菜? それにこれは塩かしら?」
ミネラル摂取しないと人間死ぬからね。でも、そもそも、食事しないと人間は死んでしまう。
俺? 相変わらずノー補給で現状維持してますね。というか、動いているし何ヶ月もノー飲食だけど体が痩せ細るような気配がない。
相変わらず顔色は悪いままだけどね。
「あの・・・」
そう思考していれば、ソファーの向かいに座っていたアサガオが戸惑ったように俺を見ている。
どうした?
「な、なんていうか、ありがとう」
それは笑顔とまではいかなかった。苦笑に近いかもしれない。だけど、それでも、彼女は俺の行動に対して何らかの感情を抱いたようだ。それが、どんな感情かなんて俺にはわからない。それでも、俺は良かったと思えた。
火がなかった。
そりゃそうかもしれないけど、火がないと炊事ができない。なおかつここは室内だ。換気扇があるような状況じゃない。
だけど、干し肉や干し野菜を食べるためには多少そういうそういう状況が必要だ。正確に言うならうまい食事・・・俺は食えないけどね。を必要とするなら水と火が必要だ。
まあ、幸い、水はある。水道が通っているのもあるけど。干し肉と干し野菜を水に浸してふやかしたものがうまいか? 少なくとも飢えはなくなる。でも、人間は動物だけど獣じゃない。人間らしい食事をしなければ精神的に消耗していく。
もしくは獣化していく。
俺が乾物を持ってきて三日。
食事自体は不便していないようだ。だけど、段々とぐったりしてきている。
それも当然だ。会話もなければ、食べる食事は味気ない保存食だけ。精神的に参ってくるはずだし、ここには娯楽なんて何もない。誰かと話せればいいかもしれないけどここにいるのはゾンビだ。言葉も話せないし病んでくるのは当然だ。
水道はあるから体は綺麗にできるかもしれないけどそれだけだ。
人間は気分転換できないと三日で死ぬらしいからな。
うん、だから、三日たった今がやばい。
「あーうー」
「他に何かいえないの?」
食事は多分供給できる。
だけど、アサガオの精神が問題だった。
でも、気分転換に外に出る?
いや、無理だ。出た瞬間にご馳走にされてしまう。
しかし、彼女の精神的な消耗は見て明らかだ。
「もう、いや!」
彼女は叫んだ。俺はソファーで向かい合っていたが、その言葉が全てをあらわしていた。
だって、彼女の三日は干し肉を齧りながら眠くなったら寝るという、どこまでも退屈極まりないルーチンワークの繰り返しだったからだ。
でも、外に出たらゾンビに襲われる。その先に待っているのは苦痛の死とゾンビ化って言う救いのない未来だけなのだ。
だけど、退屈が人を殺すこともある。
だから、彼女は叫んだのだ。
退屈に耐えられなくなったから。
「あーうー」
「それしか言えないの?! 毎日毎日気が狂いそうになる! あんたなんなのよ! あたしになにを求めてるのよ?!」
ついに爆発した。そう思った。
だけど、俺にはどうしようもない。俺みたいに精神が磨耗しているならともかくとして、生きている人間がこんな環境に耐えられるはずもない証明となってしまった。
せめて、筆談くらいできればよかったかもしれないが、生憎とここにはそんな道具はなかった。だからこその停滞した世界であり、言葉を話せない俺はアサガオにとってストレスの対象でしかなかったようだ。
「ほんと何なのよこの世界?! いきなり見える世界が変ったと思ったら、わけのわからないことを要求されて・・・なのにゾンビなんかに襲われて逃げてくださいなんて・・・何の冗談よ?!」
なるほど、俺に近い状況で召喚されて生き延びてしまったパターンか。
俺とアサガオの違いは生きているか死んでるか。
人間かゾンビかの違いでしかない。
でも、生きているアサガオは生きるための努力が必要だけど、俺は特に何も必要としていない。あえて言うなら退屈しのぎの何かが必要なだけだ。
そして、お互いに待っているのは磨耗だけだ。
アサガオは正気が磨耗している。
俺は精神が磨耗している。
その違いだけだけど、その違いは決定的だ。
俺は死なないけどアサガオは擦り切れれば死んでしまう。俺も同様かもしれないが、そうなるのはもう少し先だろうと思う。
「あーうー」
「他に何か言えないの?!」
言えたら苦労はしていない。
とはいえ、このままでは不味いのも事実だ。
だから、俺は解決策を考えた。
まずはコミュニケーション。会話はできないけど意思の疎通はできるのだ。モーション的な意味でね? だけど、それだけでは足りないのなら増やすしかない。
「あーうー」
俺は外に出ることにした。
「ち、ちょっと・・・外に出るの? あたしを置いてくの?!」
俺が首を横に振るとアサガオは安心したようにへたり込む。
「あんたに置いてかれると、あたしにはだれもいなくなっちゃう」
それは俺もだよと言ってやりたいけど俺には意味のある言葉を話せない。だけど、そのさきの何かをするために俺は外に赴くのだ。プラス食料を取りにね。
「ごめん、あんたがあたしのための食料を取ってきてくれたのはわかってる。でも・・・不安なのよ」
うん、それはわかってる。俺だって同じ状況なら同じように思うはずだし。
なおかつ、向かい合う相手が喋れないなら尚更だよな。
俺は思考できるけど、それが相手に伝わるわけじゃない。
「なんで外に行くの?」
それを伝えられるようにするためだけど、それを言葉にできないのが悩ましい。
「あ、ごめん。ええと・・・」
俺はへたり込んだ彼女の前に進み出る。
「っ!」
こわばった彼女の仕草に軽く傷ついたが仕方ない。だって、無表情のゾンビに近づかれて怖くないはずがないのだ。
でも、俺はゆっくりと左手を伸ばしてアサガオの手をとる。
掴んだ瞬間、彼女はびくりとしたけど俺の手を振り払ったりはしなかった。
「ど、どうしたの?」
俺は構わず掴んだ手の平に向かって右手の指先を差す。そして、彼女の手の平をなぞる。
『かえってくる』
漢字では伝わらないだろうから、ひらがなで。
そして、それは伝わったようだ。
「で、でも、なにをしに・・・」
『はなすどうぐ』
『とってくる』
俺が手の平に書いた文字を理解したのか、アサガオは驚いて目を見開いていた。
「あ、あんた・・・」
俺は手を離して立ち上がる。そして、扉の前まで向かうと、彼女もまた施錠するためについてきていた。
ったく、こんな時微笑むことができれば彼女を安心させることができるのにな。
「ね、ねぇ?」
ん? なに?
「帰ってくるのよね?」
うん、まあそうだね。俺にとっては帰ってくる場所はここだ。過ごしやすいしアサガオがいるしね。だから頷くと、彼女は安心したように表情を和らげた。
「なら、行ってらっしゃい」
その言葉が何よりも嬉しかった。
俺は生まれて初めて・・・ではないかもしれないけど、それでも、その言葉に自分が必要とされているし、戻ってきてほしいという意思を感じた。
そうではないかもしれないけど俺はそう思った。
だから、絶対に戻ろう。そして、喜ばせるための何かを手に入れよう。そう思った。
向かい合ったアサガオの手の平に書く。
『いってきます』
俺は扉を開いた。