波剣 人魚針 17
ケネマースの腕前は、中々のものらしい。
平和な海エルフの村に生まれ、荒事には慣れていないのだろうが、決して、戦いが出来ぬという訳では無い。若族長であった頃から、時折現れる海賊や、人喰い鮫などと、最前線で命のやり取りをした事はあるのだ。
それに、彼には切り札がある。
「人魚針」の呪い。
魔力で生み出した不可視の針、水を固めたようなそれは、かつて「人魚の涙」と呼ばれた、宝石を創り出す呪いの応用であった。
ティーナは、その呪いに、海エルフの誰よりも長けていた、威力も射程も人並み以上、針を自在に操り、生み出し、何処からでも打ち込めた。
(あの半端者の、唯一の取り柄、か)
正面から戦う者が相手の気を引き、その間に死角からティーナの人魚針が襲いかかる。
あの黒雀ですら、一度は敗れた、必勝の連携攻撃なのだ。
半エルフの彼女は、トライデントの部落に住むことを許されず、ラーナと姉妹である事も、妹は知らぬまま。
しかし、それでも、誰よりも海エルフとしての誇りを持ち、海を愛し、妹を愛していた。
仲間を守ろうと呪いの腕を磨き、必要とあれば、腕の良い闇討ち屋を味方に引き入れる為に、その身体を許しもしたのだ。
だから、ティーナは裏切らぬ。
ケネマースは、御用猫に槍を向ける、適当に相手をしておけば、この生意気な人間は倒れるだろうと。しかし黒エルフは厄介だ、早めに片を付けるに、越した事は無い。
それにしても、何を考えているのか、目の前の傷顔は武器も持たずに、ただ両手を高く掲げている。
まるで見えない刀を、大上段に構える様に。
(気にする事は無い、人間はいつも愚かで、野蛮で、低俗な生き物なのだ)
愛する妻を辱めたように。
じくじくと胸が痛む、まただ、と、ケネマースは顔を顰める。
海エルフの寿命は長い、あと二百年以上も、この苦しみに耐えなければならぬのか。
思うたびに、ぞっ、とするのだ。
この先、悲嘆と絶望しかないと分かっている、この生に、如何程の価値があるというのか。
ケネマースは祈るように。
(ああ、ディソンよ、命を積んで、君に辿り着きたいのだ)
祈るように、手を合わせ、槍を突き出す。
御用猫は、真っ向から、見えざる刃を振り下ろした。
下手をすれば、自分よりも若く見えるだろう、この海エルフに。
おおよその事情は知った、しかし同情は無い、無いと言えば嘘になるかも知れぬが、手を弛める理由にはならぬ。
ケネマースの突きは、思うよりは、鋭かった。
それだけだった。
御用猫は振り下ろす、確かにある刃を。
チャムパグンが創り出した「人魚刀」を。
「倒ッ!! 」
突き出された槍を紙一重で躱し、御用猫の渾身一刀は、ケネマースを、頭の先から真っ二つに断ち割った。
ばしゃばしゃ、と、水音を立てて、二つの男が倒れ伏す。
御用猫は、ぷぅっ、と、頬を膨らませて息を吐く。
振り返ると、ティーナは蹲って震えている。
我知らず、御用猫は安堵していた、もしも彼女が呪いを使う素振りを見せれば、瞬時に、黒雀に突き殺されていただろう。
黒雀がオロロンと戦った後「人魚針」の正体は既に、チャムパグンによって見破られていたのだ。
最も、それを知らされたのは随分と後の事で、御用猫は、早く伝えろ、と彼女の尻を叩いていたのだが。
しかし、全くもって、恐るべき、そして便利な小悪魔達ではある。
その片割れ、黒雀により、拘束を解かれたハーパスは、妹の側に歩み寄り。
声をあげて泣き始めたティーナの背を、優しく撫でている。
兄妹としての、初めての触れ合いだろう。
(もっと早くに……いや、詮無い事か)
御用猫は、天井を見上げて呟いた。
「誰もそうだな、いつも上手くいかない」
不思議そうに、ことん、と首を傾げる黒雀の頭を撫でると、御用猫は再び眠りについたチャムパグンを担ぎ上げる。
家の外では、喧騒が拡がっているようだ、みつばちがラーナを連れてきたのに違い無いだろう。
後は、兄妹達に任せよう、混ぜ返す様な奴がいれば、叩き斬って大人しくさせようか。
いささか乱暴な考えだが、それをいうならお互い様なのだ。
それよりも積み重なる死体の処理が面倒だろう。
ああ、嫌だ嫌だ、と、御用猫は首を振る。
潮の香りにまで血を乗せる事はあるまいに、海が嫌いになったらどうしてくれるのか。
ひとつ、ふたつと溜め息吐いて。
御用猫は玄関の扉を開くのだった。




