波剣 人魚針 13
「ヌーノ レドンダ号」はオランの港を離れ、一路、海賊の根城を目指す。
海エルフの住む島嶼群のひとつ、今は廃棄された集落の跡地を利用し、海賊「オランの海狐」は潜み隠れて活動していたというのだ。
ラーナ達トライデント族の集落に程近いその島は、切り立った崖に囲まれ、遠目にはパンケーキの様に見える。
「あれか、海賊共の棲家は、ふうむ、見た感じ、接岸できそうな場所が無さそうだが」
「いえ、海路からは見えませんが、島の裏に大きな海蝕洞がある筈です、ずいぶん昔に放置された集落らしいので、エルフの長老達も思い及ばなかったのでしょう」
船首で腕を組むハーパスに、ティーナが答える。種族こそ違えど、何処となく雰囲気が似ているだろうか、二人の赤みがかった金髪の、風に棚引くように揺れる様を見ながら、御用猫は、ふと、そう思う。
「先生ぇー、御用猫の先生ー、もう駄目、帰りたい、ぐぇー、ぐぇー」
青い顔のチャムパグンが、船縁から顔を出し、涙と鼻水、そして胃の内容物を吐き出し続ける。
地中海の波は比較的穏やかで、船に慣れぬ御用猫も、然程の不快感はなかった。
そもそも、先日までは船酔いのなかったチャムパグンなのだが、今日はどうした事か、波の質が合わなかったか、それとも体調が悪いのか。
「もう少しの辛抱だからな、船を泊めたら、楽になるからな」
チャムパグンの小さな背中をさすりながら、御用猫は優しげな声をかける。
嘘だが。
船を停泊させた後の、緩い上下動は、船酔いに苦しむ者にとどめを刺すのだ。
これは、もう。
(使い物にならぬ)
と、御用猫は考える。
彼女の呪いがあてに出来ぬのは、正直痛いが、出航前に大規模な偽装の呪いを行わせ、力はほぼ使い果たしているだろう、大勢に影響は無い。
チャムパグンの呪いは、オランの術者から見ても破格の規模だそうで、ハーパスなどは、熱心に彼女を勧誘していた程だ。
もっとも、僅かに言葉を交わしただけで、何かに気付いたのだろう、彼は笑顔で立ち去ったのだが。
しかし、十人がかりで行う術式を、たった一人でこなしてしまったのだから、大したものではある。
面倒で卑しいエルフを、わざわざ飼っていたのは、こういった時の為なのだ、精々働いて貰わねば元が取れない。
「頑張れよ、仕事が終わったら、オランで豪遊させてやるからな」
かいなでしただけの薄い言葉で機嫌をとる、とはいえ、仕事が無事に終わったならば、豪勢な飯を食わせることに吝かではないのだ。
「やぐぞぐでずょー」
げろげろ、と、海に撒き餌をしながら、チャムパグンは言質を取る。
「吐きながら喋るな、鼻から出てるぞ」
水袋を傾けて顔を洗ってやる、少し水分も摂らせた方が良いだろうと、仰向けに抱えて流し込むように飲ませてやるのだ。
「ずるい」
忍術で存在感を消しつつ、その様子をずっと眺めていた黒雀が、ぽつりと漏らした。
「あぁもう」
空いた手で黒雀の頭を撫でてやる、いつから自分は保父になったのか、これでは子守猫ではないか。頭に浮かぶ御用猫の疑問を、遮るようにハーパスの声が上がる。
「島を廻るぞ! 近づけば敵に見つかるだろうが、構わず突っ込め、ぶつけて構わんからな! 」
おお、と、鬨の声が船内にまで響く。
洞窟の中に敵船を押し込み、陸上船上で片を付けるのだ。
「猫の先生、死なないように、気を付けてね」
船員に紛れ、ティーナが通り過ぎざまに声をかけてきた、船尾に向かうのだろうか。
御用猫は、片手を上げて応える。
(いや、後ろに下がってくれるなら、ありがたい、チャムのお守りを頼んでおくか)
そう思い、振り向いた時には、しかし、ティーナの姿は何処へともなく、消えていたのだ。




