波剣 人魚針 10
「ハーパス メイロード、オラン領主の一人息子で、学問剣術共に非凡、また気さくな性格で領民からの人気も高く、政治的な手腕も中々のものだそうです、ただし、地位と顔面にものを言わせて、何人ものうら若きおぼこを、その毒牙にかけているとか」
「成る程ね、よく分かった」
頷く御用猫の向かいで、当の本人は何処吹く風、といった様子だった。
「なんだ、娘、俺の信奉者か、ううむ、なかなかに造りも良いな、よし、あとで館に来い」
「お断りします、今夜は猫の先生に可愛がってもらう予定ですので、めためたに、ぬるぬるに」
残念だ、と笑うハーパスは、屈託の無い笑顔で、確かに貴族らしくない好漢に思える。
御用猫は、いつの間にかジャケットの前を開け、鎖骨の辺りを舐め回す黒雀を撫でながら、目の前の男を観察していたのだが。
ふと、横に座るティーナの表情が目に入る。何か、心のこもらぬ瞳で、興味無さげに、それでも、じっと、ハーパスの横顔を見つめるのだ。
御用猫は、何か、心に引っかかる物を感じながらも、彼女も緊張しているのだろうと、その場では結論付ける。
「しかし、御用猫はなかなかの遣り手だな、みつばちと言ったか、これ程の美女を侍らせながら、幼子にまで手を付けるのか、いや、あれか、小さいのが好きか、俺の好みは、もっとこう、手に余るほどに大きい女なのだがな」
「いいっすね、オランに良い店とかありますか? 」
興が乗ってきたのか、ハーパスはお忍びで常用する、オランの名店を幾つも挙げる。やれ、どこそこの店の女は情が深いだの、業前ならばあすこが一番だ、教育が行き届いている、だのと。御用猫と二人、随分盛り上がっていたのだが。
ついに痺れを切らした供回りに窘められ、漸くにして、本題を切り出したのだった。
「……つまり、御領主様の私兵を出して、海賊討伐を行う、と」
「そうだ、わざわざ赤虎炎帝騎士団に声をかけるまでも無い、オランの脅威は、我々オラン人の手で排除するべきなのだから」
オランに他国が攻め入る、などという事は、今までも無かったし、これからも無いであろう、クロスロードに対して、海越えで侵略出来る程の装備戦力を備える国は、南方には存在しないのだ。
したがって、オランに何か問題のある場合、最も距離の近いクロスロードから、南町駐屯団が出動するのだが。
オランとしても、面目というものがある、クロスロードの衛星都市とはいえ、規模でいえば、西方都市国家のひとつと同格、いざとなれば、独立しても国家として運営できる程なのだ、あくまで経済的には、なのだが。
なので、代々の領主は騎士団とは別に、独自の私兵を揃え、オランの自警に当たらせているのだ。
「そうなんですか、頑張ってください」
「口入れ屋から聞いたのだが、貴様は「オランの海狐」と戦闘したそうだな? 根城も知っているとか、そこで案内役を頼みたいのだ」
ハーパスは、やる気だった。
まだ若く、意気軒昂だ、オランを荒らす海賊を見事討ち取り、次期領主としての存在感を押し出したいのだろう。
「報酬は出そう、もちろん、クロスロードの口入れ屋とは別に、だ、荒事にはなるが、貴様は命知らずな賞金稼ぎと聞いている、情無用の御用猫、だとか、はは、なんと勇ましいではないか、俺も自由な身の上ならば、剣一本で身を立ててみたいと思う事もあったのだよ」
御用猫は考える。
この若大将は、随分と野心家で夢想家のようだが、確かに、悪い話しでは無い。オランの戦力を利用し、安全な位置から海賊を倒す事が出来るだろう。オロロンの首は黒雀に譲ったとしても、仕事料が二倍になるのは、御用猫としても、単純に有り難いのだ。
(やる事は変わらないか、この若大将も悪い奴には見えないしな)
御用猫は、結局、仕事を受ける事にした。
そこからは、更に宴会が続き、みつばちやチャムパグンが、ハーパスに対して、ぎりぎりの無礼を働いては、供回りを焦らせていたのだが。
次期領主様は終始ご機嫌であり、飲み代も全て払うと言い放った。
御用猫も相伴に預かり、楽しく一夜を過ごしたのだが。
普段は明るいはずのティーナが、今宵は、最後まで、どこか悄然とした様子で。
それだけが、御用猫の心の隅に、ちくり、と針を残していたのだった。




