外剣 飛水鳥 5
人は、見かけによらないものである。
これは誰しもよく耳にする話であり、そしてよく判る話でもあるだろう。
しかし、と御用猫は考える。
そういった人物は少数派であり、やはり任侠博徒には厳しい顔つきの者が多く、神殿に行けば穏和で慈愛に満ちた神の御使達に出会えるのだと。ならば何をもって見かけによらぬと判断しているのか、偶々のそういった出会いが印象に残っているだけではないのか、これでは何も分からないではないかと。
故事諺にもあるだろう、二度ある事は三度ある、三度目の正直、表裏一体境なし。
人は適当で、いい加減なのだ。
今も昔も変わりなく。
なので、見た目の印象に御用猫は騙されない、彼は用心深いのだ。柔和な顔して挨拶した後に、後ろ手に短剣を取り出す輩も多いこの世の中、野良猫はけして油断をしない「見かけによらなかった」などと、つまらぬ言い訳は、口が裂けても言わないのだ。
二、三度、頭を転がすと、御用猫は、ようやくに寝起きの気怠さからくるのだろう、とりとめのない思考を切り上げる。
そして。
(人は、見かけによらないよなぁ……)
彼の腕を枕に、幸せそうな寝息を立てるカンナを見やり、こころのうちに呟いたのだ、この細い身体のどこに、一体どこに、あれ程の力を蓄えているのかと。
初めてカンナと臥所を共にした夜は、この少女は全くもって置物つくりものかと思うほどに、硬くこわばって身動ぎひとつしなかったのだが。肌を合わせる度に彼女は激しく寝乱れるようになり、昨夜にいたれば、隣の部屋にまで筒抜けだろう声にて喘ぎ、貪るように御用猫に吸い付き、叩き、しがみついては喜悦の吐息を漏らし果てる、の繰り返しなのである。
「次からは、少し、自重を覚えよう、な? 」
御用猫は、そろそろこちらが持たなくなるのでは、と恐ろしげな未来を幻視し、顔に張り付いたカンナの髪を手櫛で剥がしながら、この暴虐なる眠り姫に声をかける。枕を通して床からかすかに伝わる、ごとごととした振動は階下での生活音であろう、今日もいのやでは新たな一日が始まろうとしているのだ。
取り敢えずは風呂に入ろうかと、御用猫は優しくカンナの頭を起こして腕を抜く、半身を起こして真っ先に右手を握るのは、剣客としての彼の習慣であった。指先に僅かな痺れを感じるのは腕枕の所為であろう、これはもちろん剣を振るうに悪素ではあるのだが、遊女達の、このささやかな希望だけは叶えてやりたいと、御用猫は考えている。
さて、と御用猫は気持ちを切り替えた、取り敢えず風呂に入ろう、どうせならば誰か誘っても良いのだが、その場合は「その気」になってしまう可能性もあるだろうか。
いや、ある。
ならば仕事に差し支えるのは問題があるだろうと、御用猫は、ごそごそと布団から這い出し、雑に放り出されたままの浴衣を羽織る。すると、まるでそれを待っていたかのように、たったったっ、と廊下に走り出る足音が響き、直後には、すぱん、と景気の良い勢いで部屋の襖が跳ね開けられたのだ。
「猫ァッ!! 」
寸時、御用猫には誰だか分からなかった、水色に染められたワンピースを身に着け、全身には多種多様な装身具と、栗色をしたミディアムショートの髪には花冠の様な物が載せられている。遊女二人にかなり遊ばれた様だが、よくよく見れば確かに、リリィアドーネその人であった。
見た目だけは年相応に、なんとも可愛らしい少女と化したリリィアドーネは、部屋の中に眠るカンナと御用猫の間に薄い青の視線を何度も彷徨わせると、茹で上がったような顔を俯かせて、ぷるぷると震えていたのが。突如、がば、と面を上げ、勢いよく右腕を突き出し、まるで、彼女の想いを総て一言に纏めあげたかの様に、強く言葉を放ったのだ。
「なんたる卑猥ッ!! 」
「似合ってるな、可愛いぞ」
ひきっ、と、奇妙な音を漏らして固まるリリィアドーネの肩を叩き、御用猫は風呂に向かう。軽く汗を流した御用猫が食事の為に大座敷に上がると、遊女達と数人の客に混ざって普段の服に戻ったリリィアドーネの姿があった、いまだにきつく眉根を寄せたままの彼女は、御用猫の姿を見とめるなり。
「いやらしい、いやらしい」
と、ぶつぶつ呟いていたのが、食膳を据えられると慣れない箸を握り、かちかちと鳴らしては。
「こ、これは、何という食べ物だ? 」
「む、旨い、これも旨い」
「なんたる事だ、これも旨いぞ」
すっかり食事の方に心を奪われたようだった、確かに昨晩も今朝も飯がいつもより旨い気がする、そういえば、昨日いのがそのような事を言っていただろうか、と御用猫も上機嫌にてカブの味噌汁を啜り込むのだ。リリィアドーネは、づるこやマキヤと一晩で随分と仲良くなった様子であった、ぎこちない箸の使い方を矯正されながらも楽しげに話す様子には、やはり年相応の可愛気があり、ともすれば三人姉妹にもみえるだろうか。
(まぁ、長女がマキヤなんだがな)
視線を外してから考えた事なのだが、なにか伝わるものがあったのだろうか、草エルフの投げた爪楊枝が御用猫の左手にぷすりと突き刺さる。なんとも恐ろしい技術である、暗殺師の才能があるんじゃないかと、震えながら御用猫が、その木製投針とでも呼ぶべきだろう暗器を引き抜くと、その根元には小さな紙が巻き付けてあった。
「零時 さぬきや 組合長」
カンナからの伝言である。