波剣 人魚針 3
全くもって、御用猫は不機嫌であった。
誰を責める訳にもいかぬ、全て彼の、勘違いとも云えぬ、乙女のように抱いていた幻想が、打ち砕かれたせいなのだから。
「足があるじゃないか」
「いえ、それは、はい」
困ったように首を竦め、その海エルフは、ティーナに助けを求めた。
「先生、おとぎ話の人魚じゃないんだからさ、冗談やめてよ、ラーナが困ってるじゃない」
ラーナと呼ばれた海エルフは、紫がかった黒髪を腰まで伸ばし、少し潤んだ黒い瞳を、じっ、と、御用猫に向けるのだ。長い耳に切れ長の目、外見上は、森エルフに近いだろうか、違いがあるとすれば、多少肉付きの良い身体と、小麦色の肌。
その日焼けした肌を隠すのは、上下共に最低限の布地のみで、女性慣れしていない者ならば、目のやり場に往生した事であろう。
いや、普段ならば、御用猫もそうなっていたのだろうが、彼は今日「人魚」に会えるとあって、年甲斐も無く、朝から興奮していたのだ。
誰しも、幼少の頃ならば、一度は胸躍らせたであろう物語。
ドラゴンが我が物顔で天空を闊歩し、翼の生えた天馬に跨る騎士が、それと戦う。
地の底には魔王の支配する魔界が、そして海原を行く船乗りを惑わす、海の歌姫たる人魚達。
所詮は、子供を寝かしつける為の物語、大人になってまでも信じる者は、よほどの夢想家か、田舎者、もしくは。
(まぁ、信じてたと言えば、嘘になるがな)
御用猫のように、まともな教育を受けず、世間一般の常識から、少し離れて生きてきた者達だろうか。野良猫に必要だったのは、生きる為の知識と戦い方、それのみなのだから。
御用猫は溜め息を吐き、ラーナと呼ばれた「人魚」に向き直る。
ここは、オランから船で一時間程離れた島嶼のひとつ、海エルフ達の住処であった。
海エルフ達は、各島ごとに部族単位で暮らし、年に数度の、オラン人を交えた族長会議以外は、各々が自由気ままに暮らしていた。
水に関わる呪いを得意とし、魚介類や海藻を採取、あとは僅かながらの農作物や果物を栽培し生活する。
近年では、貿易による交わりで、文化的には、人間とさして変わりない生活を送っていた。特に、ラーナ達の部族「トライデント」は、代々のオラン領主と繋がりが深く、血縁まであるというのだ。
海の上に張り出した水上コテージは、真夏であるにもかかわらず、涼やかな風を通してくれる。
水で薄めたフルーツジュースを啜り、御用猫は漸くに機嫌を直すと、ラーナから依頼の説明を受ける。
パイナップルとマンゴーで腹を膨らませたチャムパグンは、すでに夢心地で、長椅子に横たわっている。黒雀も、先ほどから御用猫の膝の上で、うつらうつらと、船を漕ぎ始めていた。
いや、いつの間にか、両目に眼帯を装着している、寝る気充分、といったところか。
ちらちらと、何度も、不安そうにティーナを見る海エルフに、問題はないから、と、これまた何度目になるか分からぬ言い訳を繰り返す。
御用猫は気付いていなかったのだが。
ラーナがずっと、不安そうにしていたのは、海賊退治の依頼を受けてやってきた男が、挨拶をしてから今まで、ずっと、自分の下半身を見つめ続けていたからだったのだ。




