相合傘 9
次の日、目を覚ましたサクラはしかし、大人しいものであった。
恐らく、あまりの精神的な衝撃に、無意識下の安全装置が働いたのだろうか。昨夜の事は覚えていないように見える。
いつものように、御用猫に素気無く袖にされたみつばちは、半ば放心状態のサクラに、色々と、けしからぬ真似をはたらいていたのだが。本人が覚えていないのならば、敢えて伝える必要も無いだろう。
脱がせてはいないのだから、大丈夫なのだ。
田ノ上老は楽しんでいたようだが、リチャードは、何か微妙な表情で、女性二人の睦みあいを眺めていた。
そんな出来事は無かったかのように、サクラは、フィオーレと、何事か楽しそうに話しながら、黒江道場の門を潜るのだ。
結局、フィオーレはまたも付いてきた。
貴族の暮らしなど知らぬ、御用猫ではあるが、どうにも、こ奴らは。
(働いて無いのでは、なかろうか)
首を傾げる事しきりである。
サクラに妙な執着を見せる彼女の事だ、昨夜の事は話さないように、みつばちも近づける事のないように、少し注意しておこう、と、御用猫は考えた。
さて、この黒江道場であるが、ロッド道場とは違い、あまり繁盛はしておらぬ様子で。
如何にも町人の護身術習い、といった様子の若い衆が数人と、稽古するでもなく、茶飲みを愉しむ、暇な老人達の姿があるのみだった。
ただ一人、師範代と名乗る三十路前後であろう男だけは、中々の腕前と見える。
坊主頭に、鍛え上げた肉体美、身長は高く無いが、それ故に、鍔迫り合いの圧力は、ぐりぐりと、黒目の大きな瞳も相まって。
(猪のようだ)
と、全員に思わせた。
ズゥロと名乗るこの師範代は、サクラとフィオーレが黒江と挨拶を交わす間にも、じろじろ、と、御用猫とリチャードを無遠慮に睨めつけ、御用猫は、猪からの敵対心すら覚えたのだが。
リチャードの方は、何か、また、通じるものを覚えた様子で、自ら、ぶつかり稽古を申し出ていた。
正直に言うと、御用猫は、黒江 サルティンボッカについて。
期待外れ。
だと感じていた。
身長は百七十五センチ、御用猫程か、身体の厚みは、やや、脂肪もあるが、四十五歳にしては、緩んでいない方だと言える。人の良さそうな細目に丸顔、黒髪は短く切り揃え、全体的に清潔な雰囲気がある。
見た目に反して、剣力については、御用猫と互角か、それ以上であろう。
だが、もしも向かい合って、命のやり取りとなれば、楽に処理できるだろう、そういった手合い。
典型的な、道場型剣士であったのだ。
人間性は問題無いだろうか、稽古をつけながら、サクラとフィオーレを相手に、上手く話を合わせ、楽しげに談笑している。意外と、女性に受けが良いのかも知れない。
道場には女の姿は無く、どうやら、ロッドと同じく独身であるようだ。
女には興味が無さそうなロッドと違い、こちらの方は、ひょっとすると、遊び好きのせいで、結婚していないのやも知れぬ。
(なんとも、微妙だな)
御用猫は迷った。
ロッドは、過去の醜聞を除けば、間違いの無い人物。黒江は、腕と経歴に問題は無いのだが、この道場の緩んだ空気と鑑みるに。およそ、他者の指導、教育に、向いているとは思えないのだ。
(後は、みつばちの報告が出揃うまで、待ち、かな)
御用猫は溜め息を吐いた、何か、最近多いような気がする。
未だ激しく、ズゥロに打ちかかるリチャードを見ながら、御用猫は、道場で一番の腕前だと言う、鋭い眼の老人に捕まり。
お茶を啜りながら、囲碁の相手をしている。
確かに、老人の腕前は一番で、御用猫は、あっという間に、中押し負けを喫したのだった。




