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御用猫  作者: 露瀬
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外剣 飛水鳥 3

 御用猫は、修験者雲水の類いではない。


十人並みの欲もあるし、それは恥ずべきものでは無い、と考えている。


 金は稼げるならば目一杯に稼ぎ、旨いものを出す店があると聞けば、北町の外れまで足を伸ばすことも厭わなかった。


「先生は猫なのに、毎日が発情期なんですねぇ」


 などと、遊女に揶揄われる程には性欲もある。なので、久しぶりに馴染みの遊館へ足を向けたといえど、誰かにそれを止める権利があろうか。


 いや、ない。


 あろうはずがないのだ。


「……此処は、どういった場所なのだ? 」


 遊廓の門をくぐったところで、きょろきょろ、と周囲に目をやり、些か落ち着きのないリリィアドーネは、御用猫にそれを訊ねる。


「うぅん、余人はどうか知らないが、俺にとっては、まぁ、情報を仕入れたり、け働きと繋ぎをとったりして、なおかつ旨い飯を食える憩いの場、といったところかな」


「そ、そうか、済まない、私は昔から剣術ばかりに夢中で、少しばかり世の中の常識に疎いところがある、迷惑をかける」


 そう言うと、自らの無知が気恥ずかしいのか、少し顔を背けるように頭を下げるのだ、もう何度目かも分からぬ彼女の謝罪に、さすがに辟易している御用猫は、リリィアドーネの肩を軽く叩くと、いのやへ向かい歩き始める。


「貴公には、感謝しているのだ」


 歩きながら、ぽつり、ぽつりと、一滴づつ水が零れるかのように、心情を吐露してゆく彼女には、出会った時程の厳しさは感じられなくなっていた。


 久しぶりに、ぐっすりと眠る事が出来のだ、と自嘲気味に笑う。


「正直、首尾よく仇を打ち取れたとしても、私一人で屋敷家人を賄える訳もない」


 名前が、家名が残るというだけなのだ。


「実際仇とはいえ、ことの裏にどれだけの畜生共が関わっていたのか、それともいないのか、それすらも判らぬだろう、けじめとはいえ、所詮は自己満足に過ぎない」


 少女は、ふう、と息をつき。


「家屋敷は引き払い、私は叔父のところで世話になるつもりだ」


 少し項垂れ陰のある表情は、先の見えない己の人生に想いを馳せているものか、リリィアドーネのその姿を見て、御用猫は珍しくも何か言葉を掛けるべきかと考えもしたのだ。しかし、野良猫が慣れぬ気遣いをみせるよりも早く、彼女は見かけよりも小さな握りこぶしをきつく固め。


「それでも、騎士を続けることは許される、この剣を磨き、武名をあげればいつの日か……」


 全てを無くした訳ではない、せめて半分なりと取り戻してみせる、と決意表明するのだ。


 その、リリィアドーネのまっすぐな心根に、御用猫はどこか居心地の悪い眩しさを感じていたろうか、自分のような野良猫にとって、お天道様は明るくに過ぎるのだ、と。


(どちらかといえば、月を愛でたいものだな)


 などと思いながら、彼は辿り着いた月の住処へ手を伸ばす。


「こんちわー、ばあさん居るー? 」


 木造二階建ての「いのや」は、遊館にして大人しめの造りをしていた。瓦も地味な銀黒で、華美な垂れ幕も賑やかしの呼び込みも、そのなりを潜めていたのだ、夕方の五時を少し過ぎた頃合いとはいえ、周りにはそろそろ嬌声や艶のある音楽が響き始めているというのにである。これは、この店の主人の方針であった、遊館娼館のなかでも少々値の張る店ではあったが、目立たぬ店構えも高い料金も、気に入らない客は取りたくない、との、主人の我儘であった。


 だからこそではあるだろう、いのやは「きつい女将を乗り越えて、料理と女を愉しむ店」として、なかなかの上客達を囲っていたのだ。


「なんだい、しばらく見ないと思ってたが、野良猫が、またぞろ盛りがついて帰って来やがったか」


 いのやを取り仕切る大女将、彼女は名を「いの」というのだが、これはおそらく芸名だろう、五十路をとうに越えたそうだが、まだまだ活力漲る大黒柱である。


 本人いわく、いろいろと現役だそうなのだが、御用猫に確かめるつもりは、毛頭ない。


「ちょいと仕事の話なんだが、カンナを用意しといてくんないかな、あと、適当に飯を二人分」


 いのは、そのどこかいかめしさを感じさせる目を、きゅうっと絞り、それからじろじろと無遠慮に、リリィアドーネの全身に視線を走らせる。


「へぇ、可愛い顔してるから、筆下ろしにでも来たのかと思ったが、こいつぁ失礼しちゃったねぇ」


 フードも目深な、濃緑のローブにすっぽりと包まれた彼女は、つくりの良い少年に見えなくもないだろう、ワハハ、と豪快に笑いながら少女に勘違いを詫びた後、今夜は美味しい物でも出してあげようかねと、いのは奥に向かってゆく、心なしか足取りが軽そうだ。


 御用猫は上がりかまちに腰を下ろすと、リリィアドーネを横に招き、そのブーツを脱ぐように言い聞かせる、東式の作法には不慣れなのか、履物を脱ぐ事に多少抵抗があるようだ。


 足の匂いでも気になるのか、と余計な一言を発しようとした御用猫の背中を、不意に衝撃が襲った。


「どーん! 」


 腰掛けた御用猫に低い姿勢で体当たりすると、あっという間に肩によじ登り、そのまま頭から膝の上に滑り降りてくる。この、見かけも行いも幼い少女は、マキヤ オゥ マニという遊女であった。まるで子供にしか見えなくとも、日焼けしたような、やや浅黒い肌に短いが尖った耳、少し長めの犬歯が、彼女が草エルフだと告げている。


「とったー、先生とったからねー、づるこはまた明日ー、ワハハ」


 御用猫の頭を、抱えるように確保すると、彼女は右手を振り上げ、高らかに勝利を宣言する。縄張りでも主張しているものか、まとわりつくように、ごしごしと全身を擦り付け、頭の後ろで縛られた赤子のように柔らかな黒髪が、それに合わせて馬尾のごとく振り回される。


「柴犬のたぐいか」


 御用猫が、ぽい、と畳の上にマキヤを放り投げると、彼女は着地してからも二、三度ごろごろと回転したのだが、すぐさま体勢を立て直し再びに絡みついてくる。


「久しぶりだな、皆変わりないか? 」


 すこすこと胸のあたりの匂いを嗅いでくる柴犬をなでつけながら、御用猫は蒸した手拭いを差し出してきた女に声をかけた。


「随分とご無沙汰だと思ったら、こんな可愛い娘に浮気して、殿方は飽きっぽいというけれど、私、悲しいですわぁ」


 先程、づるこ、と呼ばれていた女性だ、雰囲気じたいは柔和な印象ではあるが、百七十センチはありそうな長身に、それに見合うだけの肉置きをたっぷりと載せ、抜けるようなきめ細かく白い肌に、腰まである白に近い金髪と、深く碧く澄んだ瞳。


(まったくもって、そそられる)


 たまらない身体つき、なのであった。


 何を察してか御用猫の身体を齧り始めた犬ころの、その頭に生える尻尾を引っ張りながら、御用猫は戦いを始めたのだ。もう、仕事の段取りは明日で構わないのではなかろうかと、世間知らずの騎士様には適当に部屋と飯ををあてがい、こちらはしっぽりと楽しんでも。


(ばちは、あたらぬ)


 のではなかろうか、と。


 そもそも、御用猫にだけ働かせるのは納得いかぬと、こんな遊里色里までついてきたのは、他ならぬリリィアドーネ自身なのだ。


(よしわかった、今日は二人とも床に入れよう)


 いささか情け無くも御用猫は、ある意味では男の尊厳に満ちたものであろう敗戦の決意を胸に刻む、しかし、そのすんでのところで御用猫は気付いてしまったのだ、遊館の二階に続く階段の上から、頭だけを覗かせて、じいっ、と見詰める一つ目がある事に。


「……づるこ、この子はリリィちゃんと言ってな、まぁ、言ってみれば俺の雇い主だ」


 マキヤの頭をぐりぐりと撫でながら、ゆっくりと腰を上げる。


「とりあえず一晩泊めて、それとできれば、この世界の常識と、女の子らしい所作なりを指導してやってくれ」


 後半は無理だろうがな、と呟きながら、御用猫は懐から十万金貨を二枚取り出すと、それを二人に握らせた。


「マキヤも、また今度な」


「えー、せっかく新品なのに」


 ぱしんぱしんと畳を鳴らしながら、草エルフは駄々をこねる。


「……御用猫よ、ここはいったい、ぜんたい、どのような場所なのだ? 」


 慣れぬ空気に圧倒されていたものか、今の今まで押し黙っていたリリィアドーネは、ようやっと口を開いた。


「あと、馴れ馴れしく名前を呼ばないで貰おうか」


 ぴっ、と御用猫に突きつけた人差し指を、横から素早くマキヤが掴む、一瞬、リリィアドーネが目を剥く程の速さだ。


 彼女はそれを握ったまま立ち上がると、上機嫌にて歩き始める。


「よぅし、今日はリリィちゃんと朝までキャッキャしよう、づるこも、ごはんよそったら早く来てね」


「あっ、おい、待て何をする気だ! 猫ッ! だからここはどういった……」


 畳の上を引きずられてゆくリリィアドーネに、にこやかに手を振り別れを告げた後、づるこの頬を軽く撫でてから。


 御用猫は、二階に向かうべく敷居を跨いだ。



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