死剣 人取り 15
薄曇りというには、少々厚い雲の層を見上げ、御用猫は呟いた。
「そろそろ、来そうだな」
「雨が? 敵が? 」
どっちもだ、と返事をし、御用猫は中庭の指定席である荷箱に腰を下ろす。
当番の交代までは、まだ時間がある。
皆に弛緩した空気は感じられないが、これ以上はウォルレンとケインあたりが、持たないかも知れない。
サクラに至っては、毎夜毎夜、交代の度に、此方から打って出るべきだ、と、主張を繰り返していた。
そんな事をすれば、大義を失い、盗賊扱いされてしまうだろうに、馬鹿な女である。
自分が正しいと信ずる時ほど、人は攻撃的になってしまうものなのだ。
リチャードにはもっと、サクラの手綱を引き締めて貰いたい。
そろそろ、娼館にでも連れて行こうか。
あれ程の美形だ、女の扱いを覚えさせれば、そちらの方面では天下無双であろう。
サクラの如き生娘など、奴が、ちょいちょいと可愛がってやれば。
リチャード無しでは生きられぬ。
程に、どっぷりと依存してしまうだろう、牧羊犬のように従える事も容易いはずだ。
「先生、聞いて」
「聞いてるよ、だけど、先生、知らない人とは、お話したくないなぁ」
箱の中から顔を覗かせている少女は、御用猫の記憶にはない。またぞろ、彼の与り知らぬ所で、増殖している組織の一員だろう。
肩まで伸ばした黒髪に、森エルフの様な長い耳、左目に黒の眼帯を装着しているが、何よりの特徴は。
顔中に彫られた、梵字の如き入墨だろう。
黒エルフ、と呼ばれる一族だ。
御用猫の友人にも黒エルフは居るが、本来ならば、人里離れた森の中で、ひっそりと暮らす温厚な種族だ。
生物的には、森エルフと全く変わらないのだが、全身に施された、呪いの入墨が、不気味な印象を与えるため、黒エルフは魔族だとか、悪神の遣いだとか呼ばれ、迫害を受けてきた歴史がある。
「黒雀」
「名前かな? 」
こくり、と、頷く箱女は、よちよちと、住処から這い出し、御用猫の膝に座った。
何処かで見たことのある黒装束を着込み、両腰に下げた四角い鞘からは、細く短い柄が三本づつ生えている。
御用猫には見覚えがある、毒剣だ。
毒壺の鞘から引き抜けば、針の様な刀身に毒が塗られる仕組みだった、恐らく、左右の剣で毒の種類が違うのだろう。
それにしても、自分の膝は、そんなに座り心地が良いのだろうか。
それとも、御用猫が知らぬだけで、箱から出た者は、手近な者の膝に座らねば死んでしまう、という風習でもあるのだろうか。
「いないから、代わり、伝言」
「使番なら、流暢に話せる子が良かったなぁ」
とりあえず、見た目の通りに、柔らかい黒髪を撫でながら、御用猫は考える。
黒エルフは、特別な契約が無ければ、人間と関わることは無い種族だ。だとするならば、見た目通り、みつばちと同じ里に所属している志能便だろうか。
忍者の隠れ里には、幼いうちに各地から攫ってきたエルフと、その子孫も居るという。呪いの才能や、高い身体的性能を誇るエルフ族は、鍛えれば、人間以上に有能な志能便になるのだ。
「とりあえず、伝言を聞こうか、何事だ? 」
明らかに、使い役には向かない少女を寄越してきたのだ、敵に動きがあったのだろう。
御用猫は、それこそ猫の様に目を細める黒い少女の顎下を指でさする。
「みつばち、遅くなる、浮気、だめ」
「よし、ご飯あげるから、一緒に食べような」
御用猫は、少女の手を引くと、食堂に向かった。
いつの間にか、反対側の手をチャムパグンが握っていたが、まぁ何時もの事だと、彼は気にも留めなかった。
それが間違いであったと後悔するのは、普段の二倍に給餌をせがまれ。
(これ、俺は、いつ食えばいいんだ)
と気付いた頃である。
まさに、遅きに失したのだった。




