外剣 飛水鳥 1
「あーっ! 」
御用猫は、すこぶる上機嫌であった。
先日こなした仕事の賞金は、珍しくも一括即金であった為、懐に不安は無く、腹が空いていたので一見で飛び込んだ西食屋は、当たりの店であった、とろみのあるスープと香草で蒸した鶏肉の料理で腹を満たし、往来の只中を鼻唄まじりにゆったり歩く。
「見つけた! 居ましたよ! 」
御用猫は歩きながら、これからどうするかを考える。しばらくは仕事をする必要もなさそうだった、撒き餌は仕掛けたばかりで、まだ釣り針にかかる魚も居ないだろう、情報屋からの流しも、手配師からの依頼も無い。
(久しぶりに、いのやにでも顔を出すか)
南町の繁華街に店を構える「いのや」は、しばらく前まで御用猫がねぐらとしていた遊館であった。用心棒も兼ねて長らく世話になっていた為、顔見知りも多く、いまだに三日と開けず通っていたのだが、今回は珍しくも、仕事が終わるまではと足が遠のいていたのだ。
「アレですよ、あの黒髪のやつ」
卑しい野良猫としては、づるこの豊満な肢体を心ゆくまで堪能、といきたいところであったが、これ程までに間が空いてしまったのだ。
(マキヤが離れないだろうなぁ)
比喩でもなく、一度しがみつけば離れる事のない小さな草エルフの顔と、みずみずしく弾力のある肌を思い浮かべ、それもいいかと彼は小さく頷いた。
「おい、そこの男」
クロスロードの人口は、近隣の衛星都市まで含めれば百万を超える、昼下がりの表大通りは祭りもかくやと賑やかで、田舎から出稼ぎに来たものは、見るもの全てが物珍しく、歩みを止めてしまっては迷惑そうに睨まれ、文句を言われ、稀には突き飛ばされもする、なのでこのような声も、至極ありふれたものであり、全くに、よくある事なのだ、それこそ珍しくもないだろう。
「貴様だ、貴様! 」
なぜか、御用猫の方に視線を向ける通行人達とすれ違いながら。
(たまには道場に顔をだして、リチャードに稽古でもつけてやるか)
などと、普段なら面倒だからと寄り付きもしないであろう、田ノ上道場にまで思いを馳せた。
こころに余裕がある、懐にもだ。気候も良く、程よく腹も満たされている。
「これは、幸せといっても過言ではないだろうか」
「貴様、ふざけているのか! 」
突如後ろから、ぐい、と肩を掴まれる、その寸前。振り向きながらも自然な流れにて距離を置き、幸せとは、かくも儚いものかと、つまらなさそうに御用猫は溜息を細く吐き出した。
「ふざけてはいないが、面倒そうなのであえて無視をしていた、どうせろくな話ではないだろうし、付き合いたくもない、なので出来ればそっとしておいて欲しいのだ、俺は森に帰りひっそりと慎ましやかに暮らすから」
じゃ、と片手を挙げ、御用猫はその場から立ち去ろうとしたのだが。
(あ、これはいかんな)
会話に終わるとも、遣り合うとも、なんにしても先ずは主導権を掴み、自身の有利に事を運ぶのが御用猫の手口であったのだが、目の前に立つ二人の女、その人間の方からは、なんというか、問答が無用の雰囲気というものが、ありありと伺えるのだ。今も震えるその手をみれば、剣を抜くのを必死に堪えている様な、殺気を抑えるのに精一杯といった感じなのである。
しかし、それならば、それでも良いのだ。
そのような手合いは今迄にいくらでも居たし、彼にとっては、抑えの効かない奴ほど遣り易いと、歓迎すらするだろう。
ただ、問題なのは。
(……かなり遣う、まともに立ち合えば勝ち目はないな)
見ればまだ若い、おそらく二十歳を越えてはいないだろうか、栗色の髪を短く切り揃え、やや険のある目つきだが、文句なく美しい顔立ちをしている。深い緑のローブはかなり古いものだが、その下から覗く白い服は、かなり仕立てのよいものだろう、きめ細やかな肌の白さを合わせて鑑みても、育ちの良さが伺えた。
「父と母、そして兄の名誉と安らぎを取り戻さんが為」
するり、と、彼女は腰の細剣を抜き放つ。
所作に全くも隙が無い、ぶれずにぴたりと合わされた剣先は、御用猫の喉元に向けられていた。
「いざ、尋常に勝負願おう! 」
「人違いだ」
気焰を発する少女に、御用猫はぴしゃりと言い放つ。こういった場合は開き直りが重要なのだ、例え身に覚えがあろうとなかろうと、断言する事により相手に迷いが生まれればしめたものなのだ、事実、栗色の少女は、やや狼狽えた様子にて隣の人物に声をかける。
「……チャムパグン殿、念の為だがもう一度確認したい、この男で間違いないのだな? 」
「もちョ、ろんだよ! 」
御用猫以上に自信満々に答えたのは、小柄なエルフだった、ゆるく波打った短めの、薄い色をした金髪の隙間からは、種族の特徴たる尖った長い耳が頭を出している。小さな顔には不釣り合いなアーモンド型の、くりくり、とした目にも愛嬌があり、見た目は子供のように可愛らしいが、耳の長さから判断するに草エルフではなく、単に若い森エルフであるだろう。
御用猫は、チャムパグンと呼ばれたその森エルフに、ぴっと指を向ける。
「いいや間違いだ、森エルフは嘘つきだ、ろくな奴は居ないのだ、信用しちゃいけない人種だ」
「なんだトゥー! わたしのご飯の邪魔するなら、反対側にも傷増やしてバッテン顔にしてやろうか! 」
御用猫の顔を端から端まで斜断する向こう傷を指差し、彼女は栗色の少女の背後から顔だけ出して、おぅおぅ、とアシカのように威嚇を始めた。端から見れば、なんとも緊張感のない情景ではあろうが、しかし、かの少女は剣先を些かも弛めないのだ。
(ふうん、大したもんだ)
心の中で賞賛する御用猫だが、状況は、あまりよろしくないだろう、いざとなれば、いざとなれば衆目の中とはいえ、手段を選ばぬ戦い方を、せねばならないだろうか。
「チャムパグン殿は、信用できる情報屋だ」
「……そうは見えないが、いや本心から」
「だまれ! 人を殺めて口に糊する下賤な輩の言う事か! 」
これは、紛れもない事実ではあるのが、だからといって面と向かって罵倒されるのも、気分の良いものでは無いだろう。野良猫には野良猫の、矜持というものがある、金の為なら赤子をも手にかける闇討ち屋などと一緒くたにされるのは、御用猫の最も嫌う事のひとつなのだ。
「否定はしないけどな、こんな商売だし、だがな」
一度、言葉を切ると、御用猫にしては珍しく、怒気のはらんだ声をあげた。
「だがな、お前さんの親兄弟が、俺の仕事にされた、というのならば、正直な、そいつらは」
彼は、ぐいっと顎を上げ、どこか見下すような目付きにて少女に告げる。
「ろくでもない人間だった、という事さ」
刹那、少女の細剣が突き込まれた。
稲妻の如き踏み込みである、御用猫は身を捻るように飛び退ったが、躱せたのは全くの偶然に他ならないだろう、瞬時に彼我の距離を確認し、彼は腰の太刀を抜きはらう。二尺三寸九分の刀身、地味な拵えだが、初めて仕事をした頃からの愛刀、井上真改二の銘刀である。
正眼に構える御用猫に向かい、今更のように少女は名乗りを上げた。
「我が名、リリィアドーネ グラムハスル」
少女は半身に構えると、左手のみで細剣を支え、まるでバネを押し縮めるかのように身体を引き絞り、その力を溜めていた。
「地獄でも我が家族に謝る必要は無い! ただ覚悟せよ! 」
それだけで殺せるのではないかと思う程の意をこめた言葉は、周囲に静寂をもたらした。
「トベラルロ キットサイ! 」
「ほんとに人違いじゃねーかッ!! 」
しん、と静まりかえった日常は喧噪を取り戻し、遠巻きに見物していた者たちは、拍子抜けだぜ、などと各々言葉を捨てながら、足早に立ち去ってゆく。
ぱちんと刀を収めた御用猫は、既に背中を向けていた森エルフの襟首を引っ掴む為に、全力疾走を開始したのだ。